はたして週刊新潮はどのように説明するのだろう。警察庁指定116号事件の告白手記「私は朝日新聞阪神支局を襲撃した」を4回にわたって掲載したものの、その手記を寄せた島村征憲氏が毎日新聞などの取材に「自分は実行犯ではない」と証言したのである。
週刊新潮によれば、島村氏は1987~88年に起きた朝日新聞東京本社、阪神支局、名古屋本社寮の襲撃、静岡支局爆破未遂を自ら実行した。在日米国大使館職員から「朝日を狙ってくれ」と依頼され、現金数百万円とともに散弾銃と実弾を渡され、犯行声明は右翼の故野村秋介氏に作成してもらったという。
当初から記事には多くの疑問が呈されてきた。犯行を依頼したとされた米国大使館職員の男性は新潮に訂正と謝罪を要求し、和解が成立している。事件の当事者である朝日新聞は2回検証記事を掲載し、「虚報」と批判した上で「訂正、謝罪すべきである」と主張した。しかし、週刊新潮は「朝日検証記事に反駁(はんばく)する」という反論を掲載した。
報道機関が狙われ記者の命が奪われたのが116号事件である。言論に携わる者にとっては20年が過ぎてもなお重い痛みを忘れることができないものではないか。時効となって何年も過ぎた現在、島村氏の告白を裏付けるのは簡単ではない。共犯の男は死亡したと島村氏は言い、野村氏のように鬼籍に入った関係者もいる。しかし、それは島村氏の告白の虚偽を説明することの難しさも意味するもので、新潮はそういうことも見通した上で、うそだとも本当だとも裏付けしにくい告白を掲載したのではないかとすら思えてしまう。
90年代後半から週刊誌の記事をめぐって出版社が名誉棄損で提訴され、多額の損害賠償を命じられる判決が相次いでいる。発行部数も長期低落の一途をたどっている。出版社が出す初の週刊誌として56年に創刊された週刊新潮もそうした逆境の渦中にある。ただ、さまざまな批判はあるにしても週刊誌ジャーナリズムが戦後の日本社会に与えたインパクトは大きく、ジャーナリズムの多様性を考えても、その存在は貴重であるといえる。
週刊新潮は16日発売号で手記を載せるに至った経緯を説明するという。表面的な経緯ではなく、裏付けの乏しい告白を載せた思惑や編集部内の議論を正直に説明すべきだ。島村氏に「原稿料」として支払った計90万円の趣旨についても本当のところを聞きたい。「タブーに挑む姿勢」が週刊新潮だと同社はホームページで主張する。ジャーナリズム全体への信頼を失わないためにも、自らを厳しく検証する姿勢も見せてほしい。
毎日新聞 2009年4月14日 東京朝刊