「インド四季暦 春・夏 そして雨季」(阿部慈園・文 石川響・画 東京書籍」を読んで、インドでなぜ牛が神聖とされるかが理解できた。 インドでは古くから、牛は神聖な動物として人々の崇拝されてきた。牛はサンスクリット語およびパーリ語で「ゴー」という。仏教の開祖ゴータマは、姓をゴータマ、名をシッダッタといったが、その「ゴータマ」とは、「最上なる牛」という意味である。したがって、このゴータマ姓も聖牛崇拝にちなんだ姓であるということができる。 へー、皆さん知ってました? 牛はシヴァ神の使いとされる。シヴァ神の乗物は、ナンディンと呼ばれる聖牛である。ヒンドゥー寺院へ行けば、石像のナンディンを見ることができる、ナンディンは、東南アジアの国々へも伝えられた。タイ・バンコクの仏教寺院の入口などでもしばしば見ることができる。 日本の神社の狛犬のようなものかな? 聖牛崇拝は、すでにヴェーダ聖典に見られる。「リグ・ヴェーダ」には、シヴァ神が「赤褐色にして白味をおびた牡牛」と呼ばれている。牡牛は、シヴァ神の生殖や豊饒の面を表している。 牡牛が崇拝され大切にされる具体的な理由としては、とくに肉食をしないインド人にとって、ミルクやチーズ・バターなどの乳製品は貴重な栄養源であること、また非アーリア系の土着民にとっては、牛は早くから農耕用として用いられていたことなどが挙げられる。 牛糞もまた、よく利用される。乾燥させて燃料とし、また土と混ぜて家の中の壁に塗りこめられる。夏は涼しく、冬は保温に効果あるとインドの人はいう。 日本でも今みたいにいつでも肉が食べられなかった私が生まれた昭和30年代くらいまでは、近所では牛やヤギを飼っていて我が家でも近所のお宅から買っていたし、卵も両親が子供の頃は家で飼っていてそれを売ってお金にしたそうです。昔は耕うん機やトラクターもなかったし。だから当然牛がありがたいと思って大事にしたでしょう。今は何でも物があり過ぎて自分で食べ物の心配をすることもないので動物を大事にしないのですよね。 このように牛とくに牝牛は、すべてにわたって役立つことからも、その身体は神聖視される。宗教儀式の祭具としても、牝牛から排泄される五つのもの、(一)牛乳 (二)凝乳 (三)バター (四)牛糞 (五)牛尿 はとりわけ重用される。五番目の牛尿は、薬としても用いられる。仏典では「陳棄薬」と呼ばれ、牛のくさった尿を比丘たちは薬として服用した。現在のインドでも、子供が風邪をひくとこの牛尿を飲ませると聞く。 さらに、牛の尾も神聖視される。死にかけている人が牝牛の尾に手を触れると、尾にすがりつつその人は天国に導かれるとかれらは信じている。 牛の肉は食べてしまったらもうそれで終わりだけれど、生かしておいて牛乳を出してもらったり、農耕に使ったりすれば本当に役に立ちますよね。だからインドでは牛を食べるのはタブーなのでしょう。私達もこれからはあまり肉や魚が食べられなくなることを想定して、牛さんや鳥さんを飼って大事にしないといけないのではないでしょうか? |
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