私は人を見る時に表面を見ない。そうではなく、その人の本質、その人の中に眠っている宝石のようなものを見ている。それはその人の可能性であり、通常他の人が見ようとしない部分ではないかと思う。だから、その人がいくら表面上は美しくはなくても、私には美しく輝いて見えるのです。
「美女と野獣」や「カエルの王様」のように、呪いによって醜い動物に変えられた王子様は、真実の愛によって元の王子様に戻ることができるのです。物事の表面しか見ない人には、その呪いを解くことはできないのです。私がかつて誰からもかえり見られなかった時に、私と付き合ってくれた人は、初めて私を見た時に光って見えたと言いました。そして社会人になる時も、どこからも採用されずにあやうく路頭に迷いそうになった時に、ある年配の人事担当の役員さんが、私が今の時代には信じられないほど大らかに生きているのが良いと拾ってくださったのです。まるで竹取の翁が光る竹の中からかぐや姫を見つけたように。だから、私の将来のだんな様も、きっと私にしか見えない光に輝いているのではないかと思うし、その人にしか見えない光を私が持っているのかもしれません。
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