「オーストラリアの干ばつ」という問題について、「地球温暖化」という観点から見る人もいるが、むしろ「地球の砂漠化」という点から解釈するといいだろう。
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《 はじめに 》
本項では「地球の砂漠化」という観点から物事を見る。そしてその一例として、オーストラリアの干ばつをとらえる。
ただし注意。「地球の砂漠化」というのは、「地球全体が砂漠化する」ということではなくて、「地球のあちこちで砂漠化する地域がどんどん増えている」ということだ。
比喩的に言うと、日本全体が砂漠化するということではなくて、日本のなかで都市砂漠の地域が増えていく、ということだ。(モデル的に言うと、黒全体が白っぽくなるのではなく、黒のなかで白の領域が増えていく、ということ。)
その典型的な例は、アマゾンだ。アマゾンの熱帯雨林がどんどん伐採されていく。開墾により、畑地が増え、その後、放棄された荒地が砂漠化していく。
ここでは、原因は、異常気象にあるものではなく、人間の自然破壊にある。また、自然破壊とは、炭酸ガスの増加のことではなくて、森林の伐採(および砂漠地域の増大)のことである。
以上のことを「地球の砂漠化」と呼ぶ。この観点から、さまざまな異常気象を説明する。その典型として、オーストラリアの干ばつがある。
(1) オーストラリアの干ばつ
オーストラリアの干ばつについては、前項で述べた。その原因としては、インド洋の変化(エルニーニョ・ラニーニャ)などが推定されている。(一応の定説ふう。)
しかし、このような説明には難点がある、と私は考える。
第1に、エルニーニョ・ラニーニャが原因だとしても、「なぜエルニーニョ・ラニーニャが起こったのか」という疑問に答えていない。これでは、問題を別の問題に置き換えているだけであって、問題の解決になっていない。
第2に、エルニーニョ・ラニーニャは、数年レベルの中期的な変動にすぎない。数年ぐらいの変化を経れば、また元に戻るはずだ。しかしながら、「オーストラリアの砂漠化」というのは、ものすごく長期的な現象だ。オーストラリアの国土の大部分は砂漠である。これは、もともとそうだったのではなく、ここ数万年の間に起こったことだ。数万年というと長いように見えるが、地球の数十億年の歴史では、ほんの一瞬と言えるぐらい短い間の急激な変化である。……とすれば、そこには人間の関与があったと考えるのが合理的だろう。
人間の関与にも、いろいろある。
典型的なのは、近代における英国系入植者による森林伐採がある。この点は、前にも述べた。再掲しよう。
西オーストラリアは、ヨーロッパ人が移住する以前に存在していた森林の90%をすでに失いました。こういう自然破壊を何十年も継続的に続けてしていれば、その「しっぺ返し」の形で干ばつが訪れても、不思議はあるまい。
クイーンズランド(Queensland)州は前週、年次報告書を発表し、2005-06年で37万5000ヘクタールの低木地が伐採されたことを明らかにした。
( → 開墾による森林消失 )
さらに言えば、オーストラリアでは、現地人(アボリジニ)による森林破壊もあったはずだ。というのは、8000年前の時点で、すでに森林はかなり減少してい手、砂漠化が進行していたからだ。
上の項目の地図を再掲すると、次の通り。
* 8000年前
* 現在
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オーストラリアの砂漠化がはるか数万年前から進行していた、という点は事実であると確認されているようだ。
では、その原因は? 人類のせいだろう、というのが私の推定だった。この推定は、ネットを調べると、裏付けとなる学説が見出された。(原文は英文だが、その要旨和訳を示そう。)
オーストラリア原住民が森を焼いたから砂漠になったという話があった。オーストラリアの中央部は今や完全な砂漠なのだが、5万年前には緑なす大地だった。この5万年の間に大型の鳥類や 19種類の有袋類、3mにもなるワニや小型車くらいのカメなど大型動物の85%は絶滅した。これは私の見解に合致している。私の推定を補強する話がここにある、と見ていいだろう。
このような急激な砂漠化を解明するために気候をシミュレートしてみたところ、森林があれば生物層と大気で水分の循環があって現在のような乾燥した状態よりも倍の降水量が内陸部で予測されたという。
このような、自然のプロセスでは説明できない砂漠化はオーストラリアに定住していたヒトによる意図的な燃焼ではないかという。
( → 和訳出典 ,英文原典 )
(2) 私の見解
ここで、私の見解を詳しく示しておこう。私の見解は、以下の通り。オーストラリアの干ばつは、基本的には、人類の開墾が原因となる。森林を伐採したり、牧草地を家畜で食い散らかしたりして、次々と緑を減少させる。そのせいで、保水量が減少し、降雨量が減少する。かくて、砂漠化が進行する。
ただし、この過程は、単純な因果関係ではない。原因はあることはある。だが、単一の原因が単一の結果をもたらすのではない。むしろ、原因と結果が相乗的に影響する。つまり、スパイラル的に状況が拡大する。
緑の減少 → 保水量の減少 → 降雨量の減少 → 緑の減少 → ……
という過程だ。最初にあるのは人類の開墾による「緑の減少」であり、最後にあるのは「オーストラリアの広大な砂漠化」であるが、最初と最後が一挙に結びつくのではない。その途中には、スパイラル的な拡大過程がある。
そして、そのスパイラル的な拡大過程をもたらすのが、「エルニーニョ・ラニーニャ」だ。
つまり、「エルニーニョ・ラニーニャがあるから干ばつが起こる」のではなくて、「エルニーニョ・ラニーニャがあるからスパイラルを拡大させる」のである。
( ※ 「エルニーニョ・ラニーニャ」と「干ばつ」との関係は → という方向の因果関係だけでなく、 ← という方向の因果関係もある。それがつまり、スパイラル的な関係だ。)
同じように開墾による伐採があっても、温帯季節風地域で降雨量が莫大であれば、このスパイラル過程は成立しないから、開墾による自然破壊があっても、緑は容易に回復しやすい。(日本はそれに当てはまりそうだ。多雨のせいで、自然破壊がうまく修復されるという、スパイラルとは逆の過程が存在する。)
しかし、オーストラリアのような地域では、まわりに海がないという大陸内部の条件もあって、スパイラルが拡大しやすい条件にある。それでも、本来ならば、サバナ気候・ステップ気候となって、背の低い草地が生えているはずだ。しかるに、人類がいったん介入すると、背の低い草地は家畜によって食い散らかされ、その周辺の森林は牧畜のために開墾され、条件は一挙に悪化する。それまで微妙なバランスの上に維持されていた草原地域は、バランスを崩されて、一挙に砂漠化していく。
つまり、砂漠化の進行とは、砂漠そのものを直接的に増やすことではない。砂漠化を避けていた微妙なバランスを崩すことで、状況を一方の側に傾けてしまうことだ。そして、それをもたらすのが、人類の開墾だ。
( ※ 比喩的に言おう。岩を谷に落とすのは、岩を動かす必要があるので、ものすごく力が必要であり、難しい。しかし、もともと崩れかけていた岩ならば、ちょっと力を加えるだけで、バランスが崩れて、一挙に崩落する。そのように特定の場所でバランスを崩させることで状況を変化させる、という場合がある。……人類がやってきたのは、そういうことだ。)
(3) サハラ砂漠
以上の説明(私の見解)は、オーストラリアだけでなく、サハラ砂漠にも当てはまるだろう。サハラ砂漠は、1万年ぐらい前までは、かなり湿潤的な地域だった。それまでも、湿潤と乾燥を繰り返してきたが、乾燥といってもステップ気候のようなものだっただろう。
ところが、この数千年の間に、急激に砂漠化が進行した。それはもはや砂漠から緑地に戻すことを不可能にするほどの、程度のひどい極端な砂漠化だった。
そして、それをもたらしたのは、人類だったと推定される。特に、ここの数十年の砂漠化はひどい。Wikipedia から引用すると、次の通り。
人口爆発・旱魃により、砂漠化は急速に進行し始めた。サハラでもやはり、人類の影響で、砂漠化がスパイラル的に拡大した、と思える。それはバランスを崩すものだ。人類以前にあったのは、ステップ気候という乾燥だったが、もはやとてつもない砂漠化が進行して、状況は不可逆的なまでに破壊されてしまった。
1960年代以降、サハラ地域を含めアフリカでは人口爆発が続いている。食料増産・生活のため、焼畑農業・過放牧・灌木の過度の伐採が行なわれ、生態系が破壊される悪循環が繰り返されている。1968年〜1973年にかけて、サハラ一帯に2500万人が被災した大規模な旱魃が発生した。
( ※ 関連する話題は → 参考記事 )
(4) メソポタミア
似た例として、メソポタミア文明の崩壊がある。ここにも砂漠化が影響する。メソポタミア文明は、最古の文明の一つであり、かつてはそこに人類が栄えた。それというのも、豊沃な農産物をもたらす土地があったからだ。しかるに今では、そこは砂漠化している。では、どうして、そのような砂漠化が起こったのか?
これについても、「人類の開墾」が理由として推定されている。引用しよう。
古代都市文明を崩壊に導いた主因は? 「周辺農地で集約的な潅漑農業を長年にわたり強行したために湧出した塩類により、土壌が枯渇してしまった」ということが明らかにされました。以上を読めばわかるように、このサイトの主張は、本項の主張に大きく重なっている。
メソポタミアを繁栄に導いたのは、ティグリス・ユーフラテスの大河が運んでくる肥沃な大地と豊かな森を背景とする農業力でした。しかし、人口が増えるに従い、農地や居住地を求めて、人々は上流の森林を開拓するようになったのです。これが豊かな土地の荒廃のはじまりでした。
森林伐採によって土砂が流出し、洪水がひんばんに起こり、ついには土壌に蓄積された塩分によって土が劣化し、文明は表土破壊による農業の衰退によって消滅しました。徹底的な森林の破壊、自然の生態系を無視した結果、巨大な廃墟と荒野だけが残ったのです。
インダス文明もエジプト文明あるいは、黄河文明も同じように人口増加にともなう自然破壊によって衰退しました。森林や土地から奪えるものはすべて収奪し、その結果、表土流失と砂漠化によって不毛の地と化し崩壊していったのです。生態系の基盤である表土を徹底的に破壊してしまったことが、文明を末路に導いていったのです。
現在の農業も多くの問題をかかえています。
特に、世界的な農地の砂漠化は大問題で、世界のパン籠といわれるアメリカでも深刻な問題となっています。1981年に発表された「アメリカの砂漠化」という報告書によれば、「80年代初頭には、すでにアメリカ全土の10%にあたる2億5000エーカーの土地が深刻な砂漠化現象を起こしている他、その2倍近くの面積が現在砂漠化の危機に瀕している」と報告されています。
土壌の砂漠化がどのようにして起こるのかと申しますと 〜(以下略)
( → 地球人倶楽部 )
違いがあるとすれば、次の点だ。
・ 上記サイトは、「塩害」を砂漠化の理由としている。
・ 私の見解は、「地球規模の相乗的な気象変動」を重視している。
どちらが正しいかといえば、どちらも正しいのだろう。地域により、適用される原理は異なるが。
メソポタミア文明の例では、「塩害」が直接的な引き金となり、その後、砂漠化した地域では降水量が少なくなって回復が不可能となる、というふうに原理が働いていると思える。
[ 参考 ]
なお、塩害による文明崩壊については、次の説明文もある。
→ シュメール文明の崩壊
→ エジプト文明の崩壊
(5) モンゴルの砂漠化
現在進行中の例として、モンゴルの砂漠化もある。引用しよう。内モンゴルでは、1960年頃から砂漠化が急速に進行しています。内モンゴル自治区の使用可能な草原の面積は、1960年の82万kuから、1999年には38万kuに減少しました。以上のような事情がある。なお、少し解説しておこう。
要因1−社会背景
人口は爆発的に増加しました。人口増加は、過剰な土地利用を生み出しました。
要因2−自然条件
かつて海や湖があったことから、草原の下には砂が堆積しています。そのため植生が破壊し表土が剥がれると、砂の層が表出します。土地は保水力を失い乾燥し、地域特有の強風に砂が流されます。砂丘が形成され流動がおこり、砂漠化が加速する ── これがこの地域の砂漠化のしくみです。
こうして内モンゴルでは、土地の再生能力を超えた過剰な開墾・放牧を原因に、砂漠化が進んでいます。
一方、開発から守られた自然保護区では、今も豊かな森が残されています。このことからも、砂漠化が人間の活動を背景に引き起こされたものだとわかります。
( → 内モンゴルの砂漠化 )
モンゴルの砂漠の写真。( → モンゴルの画像 )
遊牧民は「自分たちの土地」の中で羊を飼育するが、なぜか羊は柵の側の草を根まで掘り起こして食い尽くしてしまう。最終的には範囲内の草を全て食い尽くし草が生えなくなってしまった。( → 黄砂とモンゴル砂漠化の話 )
森林伐採も原因。
北部分水嶺にモンゴルで唯一の広大な森林資源があるが、毎年かなりの面積の森林が失われ、水食、生物多様性の喪失、下流での水位の変化を引き起こしている。家庭用の薪も代替物も不足し、住民は居住地周辺の資源をほとんど使い尽くしてしまった。このため土壌が不安定になり、風食が起こり、貯水池や施設が砂に埋まってしまう現象も起こっている。( → モンゴル砂漠化対処 )
牧畜で草地がなくなるが、そのこと自体が砂漠化をもたらすのではない。たとえば、日本の小学校の校庭は、芝生もない剥き出しの地面が出ていることもあるが、そこがただちにに砂漠化するわけではない。
砂漠化においては、その土地だけでなく、広範な気候が影響する。いったん乾燥化が進行すると、降水量が減少して、さらに乾燥化が進展する。
また、別の過程もある。乾燥化がどんどん進むと、表土が雨や風で剥がされて、砂が出る。すると、砂のせいでいっそう保水力を失い、砂漠化がいっそう進展する。
結論
結論を述べよう。砂漠化とは、何か?
ここでは、「湿地を乾燥地に転換する」という強引な力が作用したのではない。そのような強力な破壊力があったわけではない。むしろ、「湿地の維持」という微妙なバランスを崩しただけなのだ。
地球の生態系というものは、微妙なバランスの上に成り立っている。そして、そのバランスを崩すと、生態系は崩壊する。すると、状況は不可逆的となり、回復不可能になってしまう。それが砂漠化だ。
バランスが崩れる過程では、状況悪化はスパイラル的に進む。そこにおいては、スパイラル的な過程をもたらす構造こそが重要だ。
ひるがえって、「湿地を乾燥地に転換させる原因は何か?」という形で原因を探るとしたら、それは、質問そのものが間違っていることになる。そのような形での「原因」というものは、もともと存在していないからだ。
( ※ どこでもそうだというわけではないが、条件の悪いところではそうだ。)
比喩的に言おう。
ある人が死んだ。それを見て、「誰が彼を殺したか?」と人々は犯人捜しに躍起になった。しかし、彼を殺そうとした容疑者には全員、アリバイがあった。では、犯人は誰なのか?
実は、殺人犯などはどこにもいなかった。なぜか? その被害者は、殺すのが難しい大人ではなく、あっけなく死にやすい赤ん坊だったのだ。赤ん坊が死んだ理由は、誰かが殺したことにあるのではなく、誰もが生かそうとしないことにあった。赤ん坊というものは、もともと死にやすいものであり、人々がていねいに大切に育てる必要がある。なのに、人々は、自分の金儲けばかりに熱中して、赤ん坊の面倒を見なかった。だから赤ん坊は死んでしまったのだ。
地球環境もそれに似ている。大陸の内陸部というものは、もともと降水量が少なく、壊れやすいものだ。そこに人間が介入して、もともと少ない草地をどんどん破壊していけば、あっという間に大陸の生態系は破壊されてしまう。
こうして、サハラやオーストラリアの砂漠化は進展した。ここでは、砂漠が進行する理由は、降雨が少ないことであるが、降雨の少ないことは、砂漠自体にある。つまり、砂漠があることが、砂漠化が進展することの理由となる。こうして砂漠化がどんどん進展する。(自己増殖みたいなものだ。)
そして、いったん砂漠化が進展してみれば、そのあとで、あちこちで干ばつが発生するのも、当然のことだ。まして、オーストラリアのように、もともと数少なく残された森林を、さらにどんどん伐採していけば、干ばつが頻繁に起こるのも当然のことだ。
広大な砂漠のそばにいて、「どうしてここは干ばつが起こるのだろう」などと思うのは、その発想そのものがおかしい。少し前までは運良く被害に遭わなかったからといって、その状況がいつまでも続くと思うのは、図に乗りすぎている。
自然を破壊すれば、自然のしっぺ返しを受けて、当然なのだ。反捕鯨論を唱える人種差別主義者が、森林をさんざん破壊して、森林を食い物にして、牧畜で儲けようとする。そういう無反省の態度が、干ばつという形で、身に跳ね返ってくるわけだ。
そして、これは、オーストラリアだけに当てはまることではない。世界規模で、人類全体に当てはまりつつある。
日本だってそうだ。オーストラリアの小麦や牛肉を食っている限りは、オーストラリアの加担者の立場になっている。
われわれがなすべきことは、何か?
「小麦や牛肉を食べたいから、干ばつをなくしたい。そのために、地球温暖化を阻止しよう。だから、炭酸ガスを減らそう」
と思うことではない。むしろ、こう思うことだ。
「人類は次々と森林を破壊して、草地を乾燥させ、砂漠化を拡大している。その方針を改めて、植林を進めよ。モンゴルでそうしているように、サハラやオーストラリアでも植林を進めよ」
簡単に言えば、「地球緑化計画」だ。
こうして、真の原因を知ることで、真の対策も知ることができた。
※ 以下は、副次的な話。
[ 付記1 ]
「地球温暖化を阻止するために、炭酸ガスを減らそう」
というのが、今の主流派の説だ。しかし、そんなことをしても、ろくに効果はない。いや、むしろ、逆のことを主張しそうだ。
「炭酸ガスを減らすためには、太陽光発電を推進するべきだ。太陽光発電に最も有利なのは、雲のない砂漠だ。砂漠で発電すれば、発電量の変動もないし、恒常的な太陽光発電ができる。そのためには、日本を砂漠化してしまえばいい。日本中を砂漠にして、太陽光発電を推進しよう。それこそが炭酸ガスを減少させる決定的な方法だ。砂漠化 万歳!」
だから、そういう発想をしないように、本項の警告があるわけだ。
実際、温暖化よりは砂漠化の方がはるかに危険なのである。
[ 付記2 ]
砂漠化の拡大の原理について、「相乗的な過程」「スパイラル的な過程」というのを重視した。それは単純な因果関係とは異なる。
このような過程は、砂漠化だけでなく、別の過程でも見られる。特に、気温の炭酸ガスの増加がそうだ。
気温の上昇 → 炭酸ガスの増加 → 気温の上昇 → ……
という「相乗的な過程」「スパイラル的な過程」がある。(というのは、水中に溶解する炭酸ガスの量は、水温が高まるほど減るからだ。冷たいビールには炭酸ガスがたくさん溶けて、ぬるいビールでは炭酸ガスが抜けている、というのは、誰もが知っている事実。)
このような「相乗的な過程」「スパイラル的な過程」がある。ここでは単純な因果関係はない。
地球温暖化論者は、「炭酸ガスの増加が気温の上昇をもたらす」と述べて、グラフを示す、これはまったくの嘘八百にすぎない。炭酸ガスの増加と、気温の上昇は、確かにきれいな相関関係がある。しかしながら、その時間的樹所は、逆である。
「炭酸ガスの増加があると、数年遅れて、気温の上昇がある」
のではなく、その逆に、
「気温の上昇があると、数年遅れて、炭酸ガスの増加がある」
のである。このことは、ゴアの「不都合な真実」でも、ちゃんと実証データが出ている。なのに、その実証データを、ゴアは逆の形で曲解してしまう。
「Aの数年後にBが起こる」
というデータを見せながら、
「Bの数年後にAが起こる」
と述べてしまう。こういうでたらめをやるのが、「炭酸ガスに原因がある」という温暖化論者の詭弁だ。
頭が非科学の極み。
[ 付記3 ]
スパイラル的な過程というのは、無限に上昇するわけではない。どこかで頭打ちになる。また、反転することもある。
こういうことの原理については、数学的なモデルで説明される。詳しくは、別項で述べた。下記。
→ 気温の非周期変動モデル
[ 付記4 ]
サハラ砂漠については、「気候変動も大きな影響がある」という説がある。
これはこれでごもっとも。私としては、そのことを否定するつもりはない。ただし、気候変動があっても、たぶんステップ気候になる程度であって、ひどい砂漠にはならなかったであろう、というのが私の見解だ。
また、気候変動そのものに砂漠が影響している、というふうにも考えている。(相乗的・スパイラル的な過程。)
サハラ砂漠については、もともと気候変動があって壊れやすくなっているところに、人類が破壊行為を加えたから、一挙に崩壊してしまった、ということなのだろう。(どちらか一方が単独の理由なのではない。)
次も参照。
→ バイオエタノールと砂漠化
[ 付記5 ]
オーストラリアの干ばつについては、「シミュレーションですでに予想されている」という情報を教えてもらった。
そこで、この件について解説しようとしたが、話が長くなりすぎたので、次項で述べることにする。
( 次項の題名は「シミュレーションの意義」 )
【 関連項目 】
地球環境のためには、炭酸ガスよりも、森林の維持(緑地の維持)が大切だ、ということは、前に何度も述べた。
→ 陸地温暖化説(緑地減少説)
→ 陸地温暖化への対策
→ 開墾による森林消失
→ 生態系の維持
→ 地球緑化計画
"図説 地中海物語 FIRST EDEN 楽園の誕生
ディビット・アッテンボロー著 橋爪 若子[訳] 東洋書林"
でも、もともと豊かな自然を内包してた地中海沿岸地域が文明が発展するにつれ、不毛の土地と化した地域が多くなったという記述がありました
今の自然破壊は昔の地中海沿岸地域で起こっていることを全世界規模でやっているわけでもあり、まさに人類は歴史に学んでいないといえますよね
http://joumon-juku.jp/mori&hito/062.html