注意点だけ書き出しました。濱中博久アナの暗〜い語り口と、バックには終始一貫して悲壮なBGM 音楽が流れている事を想像して読んで下さい。見苦しいと思いますが( )内は自分の解説です。 「 」はアナ以外のコメント、及びテロップ、又は強調部分です。 2分 JAPAN、世界デビュー(以後何度も、主語・主体として「JAPAN」という台詞が登場) 2分 日本はなぜ坂を転がり落ちていったのか。 3分 台湾の住民のほとんどは中国大陸から移り住んだ漢民族です。 (「漢民族」は以後、キーワードとして何度も登場する台詞。NHKが一番強調したい台詞) 4分 日本は太平洋戦争の終戦まで50年間に渡り、台湾を支配しました 4分 太平洋戦争当時、台湾の青年達は日本軍の兵士として戦場に駆り出されました。 5分 太平洋戦争中およそ21万の台湾人を日本軍に入隊させ次々と戦場に送り込みます。 6分 台湾は日本のアジア支配、大東亜共栄圏の基点となっていきます。 6分 日本の「傀儡国家」満州国(NHKが「満州国」と言う時は必ず付ける、定冠詞「傀儡国家」) 7分 台湾の先住民族です。およそ百年前、日本は彼らをロンドンに連れて行き博覧会の見せ物 として展示しました。 9分 その台湾を領有したのは、JAPAN、日本でした。 12分 同じアジアである台湾を最初の植民地としました。 12分(伊藤博文)「台湾の統治に失敗すれば日の丸の御旗の光が失墜する」 14分 漢民族としての誇りや伝統を持つ台湾人が日本の支配に対して激しい抵抗運動を起こしたのです。 14分「しかし日本軍の攻撃は凄まじく恐ろしかったと聞いています」「この辺りの川は死者の血で 真っ赤に染まったといいます」 15分 のちに「日台戦争」と呼ばれる規模へと拡大してゆきました(日台戦争?) 15分 戦いによって台湾の宝と言われる重要な産物が被害を受けます(以後しばらくは、初期の日本 の樟脳産業における不手際・行き詰まりを解説。英仏等からの非難などについても解説) 19分「日本は台湾を自らの能力を見せる為のショーケースにしたかったのです」 24分 後藤が考え出した法令・匪徒刑罰令です。日本内地ではあり得ない厳しいモノでした(中略) 総督府警察が匪徒=犯罪者とみなせば、例え未遂でも死刑に処せられました。匪徒刑罰令によって死刑に なった台湾の人々です(暗い画面に名前を書いた紙が所狭しとズラッーとならぶ。もちろん怖いBGM も流れている)条例施行後の5年間で3千人に達しました。日本統治への抵抗を根絶させる為、後藤は 台湾人の協力者を取り込んでゆきます。 26分 地区のまとめ役だった秋潔さんは住民を監視し総督府に報告する役割を担わされました。 27分(柯徳三氏)「大人になってから後で考えたらね、アンタは日本人の走狗だ、日本人に使われ とった奴隷だ、そういう考え方をやられとったかも知れませんね」 29分(柯徳三氏の父が日本人学校から、台湾人を理由に退学させられた件で)「つまりあの、化外の 民である台湾人に日本語を教育する為に公学校というのをこしらえたんだ。お前ら喋る事に事欠かず、 普通の生活に事欠かない程度の日本語を覚えればそれで良いんだ。そういうつもりなんでしょ」 30分「一か所でクスノキを切り終えたらすぐ別の場所で働けと命じられました」 30分 さらに南北400キロを結ぶ縦貫鉄道を建設、樟脳の輸送ルートを確保しました(樟脳だけを 運ぶ為に鉄道を建設した訳でないのだが) 31分 そこでは台湾が金の成る島になった事をアピールしています。台湾を急速に発展させた日本には 一等国の資格がある事を強調したのです。 33分 近代国家として坂を駆け上ってきたJAPAN。 33分 台湾の先住民族パイワン族、日本は会場内にパイワンの人々の家を作り、その暮らしぶりを 見せ物にしたのです(中略)パイワンの人々が客の前で戦いの踊りをし、戦闘のマネごとをすると記され ています。当時イギリスやフランスは博覧会などで植民地の人々を盛んに見せ物にしていました。人を 展示する「人間動物園」と呼ばれました。日本はそれを真似たのです。 35分(再度、フランス人学者)「その時代、日本もまた、世界には民族の違いに基づいて階層があると 考えるようになりました。そして自分達は階層の頂点にある、その下にアジアの他民族がいる、そうした 世界観がハッキリと根付いていったのです」 36分 (パイワン族子孫の人達の家に行って写真を見せる)生前、博覧会について子供達に語る事は ありませんでした。「悲しい。悲しいね」「話しきれないそうだ」 37分 ヒラメの目をタイの目に変える事はできない、後藤新平は独自の法律で抵抗運動を抑え樟脳産業 を立て直しました。日本は台湾統治の成功を誇示し、世界に一等国入りをアピールしました。(中略) この写真には台湾人に日本の文化を叩き込み、民族性まで奪っていった歴史が秘められています。 38分(第一次大戦後のパリ講和会議について)JAPANは遂に列強から一等国と認められたのです。 (その後ウィルソンの民族自決の話へ。しかし日本が提案した人種差別撤廃案には全く触れずに、アジア の民族主義について語り出す。もちろん目玉は朝鮮の三・一運動「多数の死傷者がでました」とのこと) 41分(台湾の民族運動の話へ)1921年、日本の国会に台湾議会設置の請願書が提出されます。この 時、日本は世界の民族自決の潮流と逆行します(その時、台湾の隣の米領フィリピン、その他の欧米列強 下のアジアの国々はどうだった?)。(その後、原敬の同化政策の話へ。それに関係して琉球の話へ) 44分 明治維新の11年後、琉球は沖縄県として日本に組み込まれます。沖縄には内地の様々な法律が 次第に導入されてゆきました。参政権が認められ、税制や徴兵制が布かれました。その結果、日露戦争 では2千人の沖縄出身者が日本の兵士として戦場に立ちました。(という事で台湾も沖縄のように同化 政策へ、という話に。「明治維新の11年後」とか「日本の兵士として」を殊更に強調しているのは 沖縄は歴史的に見て、日本だったとは決して言えない、と暗にほのめかす為のNHKの媚中配慮) 48分(台北一中の同窓会。全て差別の話)より多くの偏見や差別に苦しめられる事になります(中略) 社会に出ると更に露骨な差別を受ける事になります。「嫌だなあ。差別。ばかにしよって(泣く)」 52分(皇太子殿下=後の昭和天皇の台湾行啓)「(記録文書にて)困ったのは不動の姿勢という奴だ。 背中から汗が流れるが拭く事もできない。のみならず目の玉さえ動かす事もならぬ。それは自分らには 生まれて初めての大苦痛であった」 56分(再度、台湾議会設置の請願の話。蒋渭水氏による皇太子行幸へノボリを出す計画は失敗。台湾の 女性教授の解説へ)「日本が台湾人の訴えに応えて自治を許していたら、日本はアジアで新たな世界を作り 上げることになったはずです。そうすれば今日でもアジアの人々の支持を得る事ができたでしょう」 57分(日中戦争の話)当時台湾にはおよそ500万人の漢民族がいました。日本は自らの領土内に敵と 同じ民族を抱え込む事になります。(皇民化政策の話へ)皇民化とは天皇中心の国家主義の元、台湾人を 強制的に日本人へと変える政策でした。学校や新聞などで中国語を禁止し、日本語の使用を強要します。 58分(元台湾総督府官僚の人のインタビュー)田宮さんは軍部の強い要請の元、皇民化政策を担う事に なります(日本語を話せない人はバスに乗せない、等の話)。テロップ>「台湾人同士で話す時は平気で (中国語を)話す」(台湾語を話す、ではなくて、敢えて「中国語を」というテロップを出す) 59分「軍刀は抜かれたことはないけど、こうやられた(刀に手をかけられた)ことはありますな」 59分(朝鮮の創氏改名、台湾の改姓名について。林のままでは不許可、大林・小林なら可。職場の昇級の為 に仕方なく改姓名する、等の話)皇民化政策は台湾人の心の中にまで踏み込んでゆくます。台湾全島に日本の 神社を次々に建て、人々に参拝を強制します。そして台湾人が拠り所にしてきた宗教への弾圧が始まります。 62分(道教の弾圧の話)「従わない者は29日間も刑務所に入れられるのですよ」。新たに作られた 日本の神社には破壊した台湾の寺院や廟の木材も使われました。そして建築には近隣の台湾人が駆り出され ました。皇民化政策によって台湾の人々は台湾人であるという意識を大きく変えられてゆきます(中略)。 (柯徳三氏)「あの20何年間の教育というのは実に恐ろしい。頭が全部ブレーンウォッシュ(洗脳) されてるからね」 63分 近年、日本統治時代を記録したフィルムが発見されました。ここには皇民化政策の行き着いた先が 映し出されていました(中略)そこでは皇民化政策によって日本人としての精神が叩き込まれました。台湾 の青年達は、天皇の兵士として日本軍に加わり、国の為に命を捧げる事になります。 66分(太平洋戦争、柯徳三氏の話)「喜んで天皇陛下のために死んでいってるよ。死んだ奴こそ災難だよ」 67分(敗戦)JAPAN、アジアの一等国の終焉でした。 69分(蒋介石の国民党の話)台湾人は日本人の奴隷になったと非難され、国民党と衝突、多くの人々が 処刑されてゆきました(蒋介石が悪いのではなくて、日本人が原因なのか?) 69分(元台湾兵の人達の街頭インタビュー)「日本の若い連中はわからないけど、80歳以上の人に 宣伝してください。台湾の当時の若い青年はいかに日本の民と協力して尽くしたか。心を察してもらいたい (笑顔)。命をかけて国の為に尽くしたんだよ。それなのに!(でカット)」 71分(フランス人学者。3度目)「私達は最早、正しく優れているのは自分で、間違って劣っているのは 相手だと考える事はできません。世界に目を向け、なぜ世界の人々は日本をこのように見るのか?理解し なければならないのです」(このフランス人学者も、前日の9条布教番組で「日本も南京記念館を建てろ」 と言っていた、狂ったドイツ人並みに頭が狂っている。フランスが言うな!と) 71分 親日的とも言われる台湾に、今も残る日本統治の深い傷。それは今後アジアの中で生きていく 日本が分かち合わなければならない現実です。過去と向き合う中から見えてくる未来、150年前に世界に デビューしたJAPANの歴史が、私達一人一人の明日を問いかけています(終了)