2009年4月13日22時8分
のり子さんがパソコンで描いたカードの「自画像」
通行人にカードを配り、握手するカルデロン・のり子さん=12日午後、埼玉県蕨市、細川卓撮影
通行人にカードを配る(左から)カルデロン・アランさん、長女のり子さん、妻サラさん=12日午後、埼玉県蕨市、細川卓撮影
埼玉県蕨市のフィリピン人、カルデロン・アランさん(36)とサラさん(38)夫妻は13日、マニラへ飛び立った。中学2年生の長女のり子さん(13)を日本に残す道を選んだ夫妻は、出発まで苦悩の表情をにじませた。「まだ13歳。本当にのり子を残していっていいものか……」
苦渋の選択から1カ月。3人は努めて普段通りに過ごしてきた。それでも、ときにのり子さんの成長が見て取れるアルバムの写真に見入ったり、のり子さんを真ん中に川の字になって寝たり、親子3人の時間を大切にしてきた。
帰国前日の12日。「パパもママも頑張るからね」。アランさんの言葉に、のり子さんは笑って「うん」と答えた。「3人一緒にまた日本で暮らそう」と誓ったという。
その日の午後、3人は蕨駅前にいた。在留特別許可を求める署名活動に賛同してくれた人の数は約2万人。多くが地元の人々だった。お礼をつづった手づくりのカード600枚を乗降客らに手渡し、一人ひとりに頭を下げた。
裏面は、のり子さんがパソコンで描いた桜の木の下に立つ自分の姿。「私と私の家族を受け入れてという願いはかなわなかったけど、しっかり勉強しますという気持ち」。表には「たくさんのご協力ありがとうございます。心から感謝しています。これからも一生懸命頑張ります。 カルデロン一家」と記した。
別れの日の朝。「行ってきます」「行ってらっしゃい」。のり子さんが友人と登校するなにげない光景だったが、「格別に愛おしく思えた」とサラさん。
学校を早退し、両親と一緒に空港に来たのり子さんは、携帯電話でロビー内の写真を撮ったりして明るい表情を見せていた。曇ったのは搭乗時刻の1時間ほど前。顔はだんだん涙でぐしゃぐしゃに。両親は、あふれ出るのり子さんの涙を手でふいてあげながら、強く、何度も何度も抱きしめ、別れを惜しんだ。