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ラノ漫 このページをアンテナに追加 RSSフィード

2008-06-08

[]サラリーマン編集をとりまく環境について考える


今日の一枚

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乾燥直後で上があったかいらしい。


「とある科学の超電磁砲(レールキャノン)」という誤字にちょっと胸がときめいた多摩坂です。どういう行き違いがあったらこういうルビになるんだろう。


さて。私はアスキーメディアワークス(当時はメディアワークス)という中堅どころの出版社に運良く中途採用で拾われ、3年ほど勤めた後に退職してフリー編集者になったのですが、今日はサラリーマン時代を思い返しつつ「マンガ編集者」という職業に感じている問題点について書いてみたいと思います。なおマンガ編集者がどういった仕事であるかについては過去に書きましたので(「奥付に載らない仕事・マンガ編集者の世界」)、できましたら先にこちらを読んでから覧ください。


マンガ編集者は一部のフリーをのぞく大多数がサラリーマンです。サラリーマンですから売れる作品を描かせて納期に間に合わせることが使命です。ですがサラリーマンですから担当するマンガコケてもクビになることはありません。逆にどんなに大ヒットをとばしても印税はもらえませんし、名前も外には出ません。サラリーマンですから土日祝日は休みということになっています。サラリーマンですから異動でマンガ以外の部署に飛ばされたり、マンガに興味がない人が配属されたりします。サラリーマンですからラクをしようと思えばいくらでも手抜きができます。サラリーマンですから仕事に命を賭けてもプライベートを優先しても給料はあんまり変わりません。


昔は作家以上に頭のおかしい編集者(注:誉め言葉です)がたくさんいました。彼らは作家と共謀して会社編集長を上手くあしらいつつ、無茶苦茶だけどパワーに満ちた作品を世に送り出していました。しかしマンガが出版の花形になり、会社が大きくなるにしたがってこうした無頼派の人々は姿を消していきます。会社が社員に社会人としての節度を求めるようになり、新入社員がお行儀のいい大卒ばかりになるにしたがって、社会よりも作家との方が波長が合うタイプの人間は入ってこれなくなったのだと思われます。


マンガコケても首は飛ばない。がんばってもがんばらなくても給料はさして変わらず、手を抜くことは容易。会社は人事考査をちらつかせながらよき会社員たることを求め、社会経験の無いいいとこ出の大学生しか社員にはなれない。仕事に対する熱意は個人の資質によるところがあまりに大きく、環境はラクをした方が得であることをはっきりと示している。サラリーマン編集をとりまく環境というのはこのようなものです。


アスキーメディアワークスは大変居心地の良いすばらしい会社でしたが、私はその居心地の良さが苦痛で飛び出してしまいました。フリーになって最初に思い知らされたのは「フリーは失敗がとても恐ろしい」ということです。作家と同じフリーの立場は、才能を見限られたら即座に放り出される。その判断はいつ下されるかわからないから、日々の仕事に懸命になる。フリーになってからの仕事には、サラリーマン時代にはない緊張感があります。そのおかげで新規に立ち上げるマンガコケる率がだいぶ低くなりましたし、担当作品の部数は大きく伸びました。浦沢直樹さんの担当として著名な長崎尚志さんは小学館を退社して独立し、サラリーマン編集に対してことあるごとに会社の外に出ることをすすめていますが、実際にフリーになってみるとその理由がよくわかります。


マンガ家の共犯者であるべき編集者サラリーマンとして手厚く保護されているのは、昔はさておき今となってはマンガにとって良くない影響を与えていると私は思います。会社の外に出る編集者が増えれば、マンガはもっと面白くなると思う次第です。




明日はマンガ編集者がなぜ作家に対して傲慢になりがちなのかについて考えてみたいと思います。


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