コラム
藤田正美の時事日想:
情報の洪水の中で、幸せになれるのは誰?――新聞社の苦境とネットメディアの課題
インターネットによって、情報は発信も受信も非常に容易になった。しかし、ネットにあふれる情報は、ユーザーを本当に幸せにしているのか。紙メディアは不況にあえぎ、ネットビジネスもまた“冬”に突入しようとしているのが現状だ。
[藤田正美,Business Media 誠]
著者プロフィール:藤田正美
「ニューズウィーク日本版」元編集長。東京大学経済学部卒業後、「週刊東洋経済」の記者・編集者として14年間の経験を積む。1985年に「よりグローバルな視点」を求めて「ニューズウィーク日本版」創刊プロジェクトに参加。1994年〜2000年に同誌編集長、2001年〜2004年3月に同誌編集主幹を勤める。2004年4月からはフリーランスとして、インターネットを中心にコラムを執筆するほか、テレビにコメンテーターとして出演。ブログ「藤田正美の世の中まるごと“Observer”」
インターネットは、あらゆる参加者にとって情報を受信することも発信することも容易にした。もちろん情報の受信が容易になるのは、発信者がいるからである。たとえば、前回(参照記事)も例に挙げた米国ホワイトハウスのサイト(参照リンク)を見てみると、オバマ大統領が行った演説に加えて定期的な記者ブリーフィングのスクリプトを読むことができる。
日本の場合、首相官邸の河村官房長官による記者発表も動画とスクリプトが掲載されているが、記者との一問一答は掲載されていない。情報の探しやすさといい、内容の細かさといい、彼我の差は大きいと思うが、いかがだろうか。日本の官庁の公式サイトは、情報を公開したいのか、それとも探しにくくしたいのか、よく分からないものも多い。
それはともかく、一次情報を得ることが容易になったことが、紙や電波の存在価値を危うくしていると思う。たしかにいわゆる「発表もの」を伝えるだけだったら、紙や電波メディアの価値はないという声も聞こえてきそうだ。それでも、「現在のニュース」「昨日のニュース」「先週のニュース」といった具合にまとめてくれる電波や紙の存在は、それなりに有用であるはずだ。誰もすべての情報を追いかけることなどできないが、重要な情報はできるだけ見逃したくあるまい(もちろん、何が重要かは人それぞれである)。
情報の大洪水の中で、情報が断片化していく
先日、朝日新聞の新誌面「GLOBE」(プレスリリース)に「ネットメディアの混沌と未来」と題するコラムが掲載されていた。書いたのは、ニューヨークタイムズの記者であるジョン・マルコフ氏である。年齢は今年60歳であるというから、小生と同じように紙メディアへのノスタルジーをたっぷりと抱えている人のように見える。
この中に、面白い指摘がある。
「(ネットがもたらす)情報の大洪水に対処するため、ウェブサーファーはますます新しいソーシャルネットワーキングや「集合知」的なツールに頼ることになる。そしてFacebookやTwitterは、新しいアイデアや指針をとめどなく送ってきては、ネット上で訪れるべき興味深い個所を付け加えていく。
このような状況は決してインターネット信奉者が主張するような天国ではない。
むしろそれは、情報がかつてなく断片化してしまった世界である。アイデアや事実の賞味期限がますます短くなり、私たちの集団としての知能指数は、上がるのではなく、らせん状に落ちていく世界である」(ジョン・マルコフ「ネットメディアの混沌と未来」より)
流れ込んでくる情報が増えるほど選択肢が増え、自由度が増す。それは初めのうちは正しいが、限度を超えてきたらどうだろう。たくさん集まれば集まるほど、それを処理しきれなくなるのは誰しも経験していることだろう。だから、人工知能である「パーソナルアシスタント」ソフトが開発されているとマルコフ氏は書いている。そういったソフトで、情報の洪水の中から、自分に必要なものを選択してもらうというのである。
ただもっと根本的なところに問題があるのかもしれない。ネットに流れている多くのニュースの出所は、新聞など既存のメディアによるものだ。彼らには“手っ取り早くニュースを集められる”という大きなアドバンテージがある。
その理由としては、記者クラブの存在が大きい。政府や官庁の記者発表会には、記者クラブ加盟社以外の記者が入ることはできないのだ。例えば先日問題になった漆間巌官房副長官のいわゆる「オフレコ記者懇談会」には、記者クラブ加盟社以外の記者が入ることはできない。例えば、Business Media 誠の記者が記者懇親会を取材したいと思っても、アイティメディアは日本新聞協会に加盟していないので入れない。
広告収入モデルのネットビジネスはどこまで成り立つのか
しかし既存メディアはいま存亡の危機に立たされている。テレビも新聞、雑誌も広告収入が減っているからだ。その危機を加速している一因はネットの存在だろうが、そのネットビジネスそのものも、広告収入依存というモデルがどこまで成り立つのか、先行きは不透明になっている。英エコノミスト最新号に、"The end of the free lunch? again"と題した記事が出ている(参照記事)。
その内容をかいつまんで紹介する。2001年にドットコム・バブルがはじけてから、いわゆるWeb 2.0の旗手であるGoogleが上場して、もう一度、ネットのビジネスモデルが復活した。無料でサービスを提供することによって多くの視聴者を集め、広告収入によってビジネスとして成り立たせるというものである。
しかし今、明らかになりつつあるのは、それで成り立つ会社の数が、期待されていたよりも少ないという事実である。「シリコンバレーは今また新たな“核の冬”に入りつつある」
MySpaceやYouTubeは、バブルがはじける前に身売りして、課題も他社(News CorporattionやGoogle)に渡した。しかし、FacebookやTwitterがこのまま無料でサービスを提供できるかどうかは不透明だ。
そしてこう結論している。広告収入だけでは結局のところ十分ではない。無料コンテンツ、無料サービスというのは人を惹き付けるものだが、この2回のインターネットバブルの教訓は、誰かが「フリーランチ」の請求書を払わなければならないということだ。
もっともエコノミスト誌は2001年にもほぼ同じことを書いた。Googleが登場したのはその後のことである。柳の下にドジョウが2匹いたわけで、3匹目が絶対にいないと言い切ることもできない。
しかしその間に、紙メディアがどんどん衰退していくと、やがては垂れ流すべき一次情報をピックアップしてくれる人がいなくなり、ネットの水源が枯渇することにならないだろうか。それが杞憂であればいいのだが。
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