おはようございます。
まだ沖縄ボケが抜けません。なにしろ昨夜の最終便で那覇から羽田に帰ってきたばかりですので。
のどかな気分で、「沖縄はたのしかったさぁ〜」と、5日間の思い出に浸りながら、久米島の「はての浜」のサンゴや、那覇のやちむん(焼き物)通りで買い込んだ大小様々なシーサーをどこに飾るか考えたりしています。
このコラムは、沖縄に出掛ける前夜の15日に草稿しました。
16日早朝の飛行機で(安いスカイマーク往復)快晴の那覇に着き、
午後一杯は定期観光バスで「南部戦跡」を巡りました。
死なずにすんだはずの数十万の人々の「霊」を感じて、ためいきばかり出ました。
「ひめゆり部隊」の女子高生たちも、米軍の呼びかけに応じて「投降」していれば、命は助かった筈なのです。
日本軍司令部が追い詰められて自決したといわれる本島南端の美しい岬には、あの戦争で亡くなった沖縄の十数万の人々と、沖縄戦で亡くなった外国人も含めた各県の人々の「名前」が刻まれた黒御影石の屏風のような形の「平和の礎(へいわのいしじ)」が、延々と立ち並んでいます。
大勢の婦女子老人たちが海に飛び込んだ「万歳クリフ」が左手に望めます。なんと美しく悲しい場所でしょうか。
「国を愛するなら命を捧げよ」というような「狂った教育」がなされることが二度とあってはなりません。
そのようにして、純粋な人々を結果として騙して、自らはのうのうと生き延びた人間が、クニのトップから、前線の守備隊長まで、大勢いたのですよ。
「あなた」は、再びその犠牲にならない自信がありますか?
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