■ 角田信朗さん(K-1競技統括プロデューサー)の
- 『ラスベガスの引退試合』の話
3月30日の「ミルコvsボブ・サップ」戦が終わった次の日、谷川プロデューサーから僕のところに電話がかかってきた。「大変なんですよ!ボブ・サップの怪我がけっこう深刻で、手術すると半年くらい試合に出れなんですよ。」
僕は「あぁ、そうですか、大変ですね」と答えたら、谷川さんは「それでちょっとラスベガス大会が困っちゃったんですよ」と言う。このラスベガス大会というのは、フジテレビで2時間の枠を取って、ボブ・サップの逆輸入全米デビューとなるはずだった大会。そりゃあ困るだろうとこっちも思った。
「そこでですねぇ……」、来た、また来た。この25年、谷川さんの「そこでですねぇ」を何度聞かされたことか。そうしたら案の定、「最高師範!ラスベガスで引退試合をやりましょう!」だって。
実は僕は、32歳の時に1度引退している。でも格闘家として完全燃焼したわけではなかったので、自分の中でくすぶっているものはあった。そこに現れたのが村上竜司という選手。以前に僕とやって負け、それ以来、僕を目標に頑張って、日本チャンピオンにまで成長した選手が、「ワシとやる前に引退なんて許さん!」と言ってくれた。
そこで現役に復帰して、村上選手とは1997年に名古屋ドームで対戦して、またここでひとつの区切りがついた。さらにそこで考えたのが「ここまでできたのなら、40歳まで現役でいられるかどうか挑戦してみよう」ということ。そしてこれも、ちょうど40歳の時に行われたアンディの追悼興行で達成できた。
そんな感じで、競技者としては完全燃焼した。あとはスポーツ選手の永遠のテーマ「引き際」をどうするのか。気力体力は充実していく自分がある。その一方で、競技力は間違いなく衰えていく。それならば「この1試合」と定めて、そこへ向かってロウソクが燃え尽きる最後の瞬間のように、一気に燃える、そんな引き際が良いのではないか……なんてことを考えていた。
ところが、そこに起こったのが例の脱税事件。もう僕の引退試合どころではない。だから僕は、試合もせずに、簡単なセレモニーくらいで終わるのかな、まあそれもありかな、なんて思っていた。
そういう時に谷川さんが「最高師範!」って言ってきたものだから、僕も驚いた。選手として言わせてもらえば、こんな試合はあり得ない。こっちは42歳だっていうのに、試合までは1ヶ月しかない。しかも場所も、縁もゆかりもないラスベガス。そんな試合は若いヤツの仕事だろう、と思った。でも競技統括プロデューサーとしては、十分にあり得る話だった。
悩んで1週間が経ってしまったら、もう完全に準備の時間がなくなってしまう。だからここは即答するしかない。電話越しに谷川さんに向かって「アリかナシかの返事だけさせてもらいます……アリです!」と叫んだ。そしてその足で道場へ向かった。
そういった次第で、僕の引退試合がラスベガスで行われたのは、別に僕が望んだわけじゃなくて、いろんな事情が重なったせい。
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■ 駒田徳広さん(野球解説者)の
- 『引退した事情』の話
「自分で辞めようと思わない限り、引退は来ない」と思っていた。だから特に引退とか引き際なんてことは考えたこともなかった。だって野球はレジャーだから。投手はスポーツだけど、打者はレジャー。スポーツだったら、週に6試合なんてできない。ボーリング、ゴルフ、そして野球なら週に何回でも試合ができる。そんなものに引退があるなんて、考えてもみなかった。
成績が落ちてきた時は、「工夫が足りないんだ」と思っていた。ゴルフで言えば、「なんでこのショートホールでOBを打っちゃったんだろう」みたいな感覚。
そんな僕も、2000年のシーズンに2000本安打を達成して、引退した。2000本安打のことを人前で言えるようになったのは、横浜ベイスターズに移籍した時。「なにも考えずに移籍した」と思われるのがイヤだったので、「2000本安打を達成するために移籍しました」と宣言した。
とは言っていても、2000年で引退するつもりはサラサラなかった。極論すれば、もう1シーズンはなんとしてもやりたいと思っていた。それは、みんなで一緒にやってきて、優勝するようなチームになったにも関わらず、「なんのかんの言って、自分の記録を達成したかっただけかよ」と思われるのも癪だったから。個人的な記録の目標はあっても、それとは別にチームとして頑張りたい、優勝したいという気持ちだってちゃんとあったわけだし。
だから僕は補欠でも構わない、給料だっていくらでもいい、せめて1シーズンだけ続けさせて欲しかった。それでも、やっぱりチームの監督が替わるにあたって、ベテラン選手がいるとやりにくいこともあったのかもしれないし、わずかな給料でも雇っておくだけの価値がないと判断されたのかもしれない。「引退してくれ」という話になってしまった。
拾ってくれるチームがあるのなら、どこでもやるつもりだった。ただ、自分から売り込みに行くのはやめようと思った。12球団に自分を理解してくれる監督かいるかどうかを試してみたかったんだけど、結局誰もいなかった。「2000本も打った選手じゃ扱いに困るから」なんてコメントも読んだけど、そんなチームならこっちだって願い下げ。補欠だってなんだって、僕を雇ってくれればチームの順位を1つ上げてみせる、それだけの経験はある、という自信はあったのに。
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■ 須田鷹雄さん(競馬評論家)の
- 『ステイゴールドの引退』の話
競走馬が引退式をできるのは、GIを勝った馬か、重賞を5勝以上した馬だけ。でもやるとしたら、基本的にオーナーの負担となる。
引退の時に目頭が熱くなったのはステイゴールド。ずっと惜しいところでGIを勝てなかった馬で、「勝っても負けてもこれで引退」と決めたレースが、なんと香港の国際GIレースだった。最後の直線、ジャン・フランコ・デットーリが騎乗するエクラーという馬が抜け出して、もう届かないだろうと誰もが思ったところからステイゴールドは猛然と追い込み、最後の最後でほんの頭差だけかわして、劇的なGI初勝利を飾った。
ちなみに、僕は香港へは行ったんだけど、土日が仕事なので、レースの前に日本へ帰って来なければならなかった。それで日本の新聞を見たら、あまりにステイゴールドの扱いが小さい。それに腹を立てて、自分のホームページで「明日、あのステイゴールドがついにGIを勝つというのに、なんでこんな扱いなんだ!」って啖呵を切っちゃったから、勝ってくれて本当に良かった。
ステイゴールドは、40人ものオーナーが共同で所有していた馬だった。この所有形態だと、日本では正式な「馬主」としては認められず、レースに勝った後の表彰式にも出席できない。ところが香港でステイゴールドが勝った時は、向こうの粋な計らいで、香港まで駆けつけた20人以上のオーナーが全員表彰式に招かれ、最後にはみんなで武豊騎手を胴上げした。こんな大団円があるのか、という感動のシーンだった。
しかも中京競馬場など一部の日本の競馬場では、その競馬場の総務課の計らいで、競馬専門のCSチャンネルで生中継されていた香港の様子を、日本の競馬が全部終わった後にターフ・ビジョンで流していた。そこで映し出されたのがあの感動のシーンだったから堪らない。
あれを見ちゃった人は、もう一生、競馬から離れられないだろう。競馬の神が降りてきた1日だった。
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■ 金子達仁さん(スポーツライター)の
- 『貴乃花の引退』の話
先日の貴乃花関の引退、あれは感慨深いものがあった。平成はまだ十五年。始まったばかりという感覚があるけど、貴乃花関の引退は、平成に初めて来た「終わり」だった。おそらく、僕たちよりも年輩の人なら、長嶋の引退の時に1つの時代の終わりを感じたのだろうと思うけど、それと同じような区切りを貴乃花関の引退に感じた。
貴乃花関は、相撲はスポーツじゃなくて、相撲道という「道」なんだということを感じさせてくれた存在だった。その貴乃花関の引退は、1つの相撲道の終わりだった、とも思う。
同じように一時代を築いた横綱でも、千代の富士関には多くのライバルがいた。弟弟子の北斗海関も横綱だったし、その他にも何人もの横綱がいた。それに対して貴乃花関は孤独だった。曙関がいなくなった後は、言葉にできない思いをぶつける相手もいないまま、ずっと1人で相撲界を支え続けた。だから貴乃花関が、勝った後にも厳しい表情をしていたのは、イチローや野茂、中田英寿と同じ「言っても理解してもらえない」という絶望感の表れだったと思う。
貴乃花関にインタビューをすると、1つの言葉を口にするのに、10の事を考えている、という印象だった。吟味に吟味を重ねて、絶対に誤解されないような、それでいて自分の真意に近い言葉を絞り出そうとしている、そんな雰囲気だった。ところがインタビューが終わって、「ところで」と貴乃花関が好きなサッカーの雑談になったとたん、今度は逆にこっちが貴乃花関の質問攻めにあってしまった。「今度のW杯は……ブラジルの選手は……Jリーグでは……」と、止めどなく話が続く。こういう言い方をしていいのかどうかわからないけど、横綱という仮面を脱いだその素顔は、好奇心旺盛な、気のいい兄ちゃんだった。
付き人の方も、その時の貴乃花関の様子を見て、かなり驚いていた。普段の貴乃花関は、ちゃんこ以外、人前で何かを食べている姿を絶対に見せないんだとか。そこには、横綱たるものサンドイッチやおにぎりを食べている姿を人に見せるもんじゃない、という考えがあるのだと思う。ところがサッカー談義に興じていたら、いつの間にかそこら辺のサンドイッチやおにぎりをバクバク食べ始めて、付き人もびっくり仰天。
相撲から離れれば、それが本来の姿なのだろう。それがあの能面のような顔を作り上げるまでには、どれだけ血の涙を流してきたのかと考えると、僕は言葉がなかった。そして現役の時に口にできなかった言葉は、一生口にすることなく、墓場まで抱えていくのだろう。それが横綱というものなのかもしれない。
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■ 荻原健司さん(元ノルディックスキー選手)の
- 『引退の間際』の話
ちょうど2年前、長野五輪が終わって、ちょっと自分の目標を見失い、こんな状況なら引退しようかな……なんてことも考えていた時期に、弟や友人たちとハワイへ旅行に行った。
ハワイではレンタル・サーフボードを借りて、比較的簡単なロングボードに挑戦してみた。するとボードの上に立てってまっすぐ進むところまでは意外とすぐにできて、「これはおもしろい!」と思った。ハワイ滞在中はロングボード三昧だったし、さらにロングボードを買って帰ってきて、たまに日本でも楽しんでいた。
スキーの方では、どんなに練習しても成績が上がらないという状況だったけど、サーフィンの方は、素人だから当たり前だけど、やればやっただけ上達する。そこでハタと考えた。スキーはなかなか上達しないけど、それでも今日のトレーニングがあったおかげで、現状が保てているのかもしれない。サーフィンだって練習をすればうまくなるんだから、スキーだって練習を続けていれば、すぐには効果がわからなくても、必ず上達するはずだ、そう考えた。
そこで改めて自分の目標を決めて、もう一度挑戦しようという気持ちになれた。だからサーフィンが「練習すれば必ず上達する」という事を教えてくれなければ、そこで引退してしまっていたかもしれない。
ちなみに、スキーもサーフィンも、板の上に乗って移動するところとか、自然の中でやるところとか、意外と共通する部分もあるのかもしれない。
そんなこんなで、「もう一度、世界一に挑戦してみよう、ソルトレイクで4回目の五輪出場を目指してみよう」と思えるようになった。それ以来、休日はサーフィンでリフレッシュして、また山に戻ってトレーニング、という生活を送った。
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放送曲目リスト
Time |
Title |
Artist |
Label |
Number |
10'04" |
Alright, Okay, You Win |
Peggy Lee |
Capitol |
7243 8 54543 25 |
19'15" |
I Was Doing Allright |
Nancy Monroe |
MJA |
CDMJA 508 |
30'40" |
Surry With The Fringe On Top |
Hi-Lo's |
DRG |
5184 |
40'39" |
Give Me The Simple Life |
Annie Ross |
東芝EMI |
TOCJ-5349 |
46'29" |
Winter Weather |
Joe Williams |
Fresh Sound |
FSR-CD23 |
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