2008年11月07日(金) 06時24分59秒
矢部史郎の釈放に断固抗議する
テーマ:ブログ
矢部史郎が釈放されたようだ。
10月26日に東京で、麻生首相の自宅を大勢で「見学」に行くという企画に参加し、「公務執行妨害」などの容疑で逮捕された3人のうちの1人が矢部史郎だった。釈放は3人とも11月6日ということで、矢部らは留置場に11泊したことになる。
そもそもこの企画は、首都圏で活動する「フリーター全般労組」によって呼びかけられた。読んで字のごとく、フリーターを中心とした労働組合である。
いわゆる格差社会化の進行にともなって、すでに体制の補完物へと堕した既成の労働運動に展望を見いだせない20代30代の「若者」たちによる新しい労働運動として、このフリーター全般労組を筆頭に同様の運動が全国各地に立ち上げられ、ここ数年、注目を浴びている。
というのはあくまでもマスコミふうの云い方で、実際には80年代後半の「青いムーブメント」を源流とする、すでに20年の歴史を持つひと連なりの運動展開の現在的局面にすぎず、これをここ数年にわかに登場した新しい動きであるかにことさらに書きたてる手合いは、人間の営みから歴史性を奪い、愚かな大衆のみならず活動家たちまで「動物化」している近年の傾向の同調者にすぎない。歴史的文脈から切り離して、あくまで「ここ数年の」動きとしてこうした運動への「注目」を誘導する大小のメディアの論調は、その反権力なポーズとは裏腹に、あらゆる「運動」をも無意味化する「動物化」体制の強化に寄与するものでしかない。
もし本当に、彼らがそれ以前の文脈と切れた「ここ数年の」新しい勢力であるならば、なぜ彼らは相も変わらぬ凡庸な左翼的言辞を振り回すのか。
少なくとも憲法9条や靖国問題や戦争責任問題に関しては、論理的にいわゆる右派的な主張の方が筋が通っている。そうした問題に関する左派の主張は、冷戦構造や55年体制の枠内でしかものを考えることのできなかった時期においては、やむを得ない側面が確かにあった。しかし思考をどうしようもなく束縛してしまうそのような機制はもはやないのだから、彼らの運動が本当に「ここ数年」で新しく登場してきたものであるならば、彼らはそのような過去の時代制約的な左翼的言辞を振りまくはずがない。そもそも、フリーターの労働問題と、憲法9条や天皇制や日の丸・君が代は、まったくカンケーないのだから。むしろ、本当に「新しい」運動であれば、それぞれ論理的に正しい、外交や軍事や歴史認識に関する右派的な言説と、経済格差や監視・管理社会化に関する左派的な言説とを統合したものにならなければおかしい。
「青いムーブメント」が興隆した80年代後半という時代は、まだ冷戦と55年体制に由来する思考の枠組が、強力に作用していた。だからその渦中で自己形成した活動家は、その枠組の中にあってのみ意味を持つ従来の左派的な「問題意識のセット」に少なくともいったんは同調せざるを得なかった。
しかし89年、冷戦構造が崩壊し、93年、55年体制が崩壊した。それらの構造の枠内でのみ意味をもち得た言説は、急速に有効性を失っていった。「青いムーブメント」の渦中で自己形成した活動家の、誠実もしくは聡明な部分のほとんどは、自らの言説の無効を悟り、運動シーンから姿を消した。どうやら私が唯一の例外である。私を除いては、不誠実もしくは愚鈍な連中だけが、運動シーンにとどまった。「ここ数年の」「新しい」運動を主導しているのは、そうした連中である。彼らが主導しているから、もはや有効性のない凡庸な「反戦」的言説がアホみたいにオートマチックに叫ばれ、そうした言説を生んだ「不幸な時代」がとっくに終わってから自己形成したはずの後続世代の活動家たちをも巻き込んでゆく。
このように、「歴史」がつながっている。
前置きが、長い。
私の主張は、共有されているべきなのに共有されていない、多くの前提を基盤としており、その前提を説明するところから始める以外にないから、たいていの場合、最後まで聞いてもらえず、従って受け入れられない。
唯一正しい者は、しんどい。
さて、今回の逮捕は、矢部史郎に対するそれも含めて、不当なものである。
ネット社会は民主主義の社会であって、どんなバカでも自由に発言でき、リコウよりバカの方が圧倒的に数が多いから、悪貨が良貨を駆逐するメカニズムで、最終的にはバカの云いぶんが通る。その影響は単にネット社会の枠内にとどまらず、マスメディアも含めた社会全体の論調をバカ化する。こんなことを書くと、おまえなんかネットがあったから有名になれたくせにとバカに云われそうだが、ネットが存在せずバカの民主主義がここまで進行しなければマスメディアはここまで退廃せず、あの政見放送なんかなくても私はとっくに今より影響力のある論壇の重鎮に成り上がっている。
愚痴はどうでもいいとして、とにかく今回の件に関しても、悪貨が良貨を駆逐して、麻生邸見学ツアーを企画したバカ左翼よりももっと質の悪い右翼的(などと云うのもマジメな右翼に悪い。いまだに誤解している人がいるが私は少なくとももう5年以上前から反左翼で右翼びいきなのだ。まあ誤解が多いのがつまりバカが多いってことなんだが)バカ言説がネット上では優勢であるようだ。
例 http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1186649.html
私は今回の「麻生邸見学ツアー」を、なかなか面白い企画だと思う。
彼らを支持する側や、そして間違いなく彼ら自身も、すぐに「そもそも麻生財閥は戦前、朝鮮人を酷使することで云々」とお決まりの凡庸でパターン化した左派的言説を振り回し始めることには辟易するが、単に格差社会化への抗議のパフォーマンスとしてはいい線をいっている。要するに、いいセンスだ(もちろん、せっかく本来ハイセンスな企画なのに、凡庸な「反戦」的プラカードその他の装飾の部分がそれを台なしにしているのだが)。
ネット上のバカどもは、無許可でデモやって逮捕されるのは当たり前だ、みたいなことをホザくが、今回の行動は事実上はデモだが形式的にはデモではない線をワザと狙っているのであり、つまり歩道しか歩かないのであれば届け出なくても合法なのであって、それを逮捕するのは百パーセント不当なのである。
ネット世論なみにバカ化したマスコミは、まるで矢部らが警官に「暴力をふるった」がために公務執行妨害容疑を問われたかのように警察発表を垂れ流していたが、95年のオウム事件以降、それ以前には考えられなかったレベルでの「不当逮捕」が常態化しており、活動家たちはピリピリしているから、たとえ警官の方から先に手を出してきたとしても反撃することさえ近年まずあり得ない。「警官への暴力」など「まずあり得ない」のであって「百パーセントあり得ない」わけではないし、YOU TUBEで公開された動画を見ても肝心のシーンは撮れていないから、疑おうと思えば疑えるが、私なりの「常識的判断」として、彼らの云うとおり、何も違法なことはやっていないのに警察側が一方的に公務執行妨害をデッチ上げたのだろうと思っている。つまり、不当逮捕だ。
ただし、私はこの不当逮捕に対して、積極的に抗議する気にはなれない。
逮捕されたのが矢部だからというのもあるが、そのことは後で述べるとして、私は少なくとも95年以降、国家権力と左翼との間に起こる衝突は基本的に「内ゲバ」にすぎないと考えているからだ。
その趣旨はすでにhttp://www.warewaredan.com/senso-nihon.htmlやhttp://www.warewaredan.com/ideologyx.htmlで詳しく述べているとおりであるからここで改めて繰り返さないが、それらの文章は実は彼らにもある程度読まれている。反論は1件もない。むしろ、賛同の声をいくつももらっている。つまり、読んでないか、読んで賛同しているか、読んで黙殺しているか、なのである。読んでいない者は、もうこれは仕方がない。少なくとも、都知事選以前と違って、運動シーンに身を置いていて、かつ私の存在を知らない者はほとんどいなくなっている。あの政見放送にピンとこなかった者や、ピンときても私が実際のところ何を主張しているのかちょっとでも調べてみようともしない怠慢な連中にはもう何を云ってもムダだが、左翼的な立場から国家権力と衝突することはもはや「内ゲバ」にしかならないという私の主張を知った上で、なおかつ左翼的な立場からの国家権力との衝突を志向するのなら、確信犯としてやってるんだと思って放っておくしかない。
放っておくまいと思ってもいまだ党を形成しえず個人として動くしかない私に、実効性のある支援はできないのだが、仮に党を形成して何かできる立場になっても、彼らを支援するより例えばDV法やストーカー法や、路上禁煙条例や過剰な交通取締りによって不当逮捕されている人たちを全力で支援したい。
最後に、矢部の件。
他の2名の不当逮捕には、抗議の声を上げないという選択をしたことに少なくともモヤモヤしたものを感じる。彼らは愚かにも、主観的には反権力のつもりでいるのだろうし、私は反権力だからだ。要するに君たちは、かつての冷戦構造下、55年体制下で、しょせん「権力の手先」でありながら、それでも場合によっては時折「不当逮捕」されることもあり得た右翼活動家のような存在なのだ。冷戦構造下、55年体制下では左翼的な立場を選択することが正しかったように、現在では右翼的な立場を選択することが正しい。かつて、それでも良心的な左翼活動家は、敵たる右翼活動家への不当弾圧に対しても心を痛めただろうように、私は君たちへの不当弾圧に心を痛めている。
早く目を覚ましてこっちへ来い、と云う他ない。
矢部に関しては、矢部は不当逮捕に抗議する資格がない。
http://www.warewaredan.com/blog/2006/05/post_46.htmlやhttp://www.warewaredan.com/ankokusaiban.htmlを読めば分かるとおり、矢部はその直前まで最も近しい「同志」であった私に対する不当逮捕を容認したばかりか、むしろ積極的にそれに手を貸したような「前科」がある。そんな人間に、自らに対する「不当逮捕」を云々する資格はない。
また、矢部と行動を共にしている中には、この「前科」をよく承知している人間もかなりのていど含まれているはずである。知っていて、知らぬふりをする彼らを、私は基本的には信用していない。
矢部は不当逮捕してよい。他の2名に関してはもっと早く釈放すべきだったとも、そもそも逮捕すべきでなかったとも思う。しかし、矢部を釈放したことには断固抗議する。少なくとも、公務執行妨害の法定刑ギリギリの懲役3年の実刑に処すべきである。矢部にかけられた公務執行妨害容疑もおそらくデッチ上げではあろうが、私へのそれ(私にかけられた本来の容疑は事実無根のストーカー容疑であったことは先のリンク先の文章でわかるはずだ)に積極的に加担したのだから、それくらいの報いは当然だ。3年でもまだ足りない。連合赤軍の森恒夫のような男なのだから、余罪を追及すればいくらでも出てくるに違いない。公安はちゃんと仕事しろ。
※ むしろ矢部への不当弾圧に直球で抗議の意思を表明することの方が、矢部に個人的ダメージを与えることになるだろうことは百も承知で、しかしそんなことよりも、こういう重要な問題に頬かむりしている連中にそれを突きつけることの方が大切だと考え、あえてこの立場を選択した。
10月26日に東京で、麻生首相の自宅を大勢で「見学」に行くという企画に参加し、「公務執行妨害」などの容疑で逮捕された3人のうちの1人が矢部史郎だった。釈放は3人とも11月6日ということで、矢部らは留置場に11泊したことになる。
そもそもこの企画は、首都圏で活動する「フリーター全般労組」によって呼びかけられた。読んで字のごとく、フリーターを中心とした労働組合である。
いわゆる格差社会化の進行にともなって、すでに体制の補完物へと堕した既成の労働運動に展望を見いだせない20代30代の「若者」たちによる新しい労働運動として、このフリーター全般労組を筆頭に同様の運動が全国各地に立ち上げられ、ここ数年、注目を浴びている。
というのはあくまでもマスコミふうの云い方で、実際には80年代後半の「青いムーブメント」を源流とする、すでに20年の歴史を持つひと連なりの運動展開の現在的局面にすぎず、これをここ数年にわかに登場した新しい動きであるかにことさらに書きたてる手合いは、人間の営みから歴史性を奪い、愚かな大衆のみならず活動家たちまで「動物化」している近年の傾向の同調者にすぎない。歴史的文脈から切り離して、あくまで「ここ数年の」動きとしてこうした運動への「注目」を誘導する大小のメディアの論調は、その反権力なポーズとは裏腹に、あらゆる「運動」をも無意味化する「動物化」体制の強化に寄与するものでしかない。
もし本当に、彼らがそれ以前の文脈と切れた「ここ数年の」新しい勢力であるならば、なぜ彼らは相も変わらぬ凡庸な左翼的言辞を振り回すのか。
少なくとも憲法9条や靖国問題や戦争責任問題に関しては、論理的にいわゆる右派的な主張の方が筋が通っている。そうした問題に関する左派の主張は、冷戦構造や55年体制の枠内でしかものを考えることのできなかった時期においては、やむを得ない側面が確かにあった。しかし思考をどうしようもなく束縛してしまうそのような機制はもはやないのだから、彼らの運動が本当に「ここ数年」で新しく登場してきたものであるならば、彼らはそのような過去の時代制約的な左翼的言辞を振りまくはずがない。そもそも、フリーターの労働問題と、憲法9条や天皇制や日の丸・君が代は、まったくカンケーないのだから。むしろ、本当に「新しい」運動であれば、それぞれ論理的に正しい、外交や軍事や歴史認識に関する右派的な言説と、経済格差や監視・管理社会化に関する左派的な言説とを統合したものにならなければおかしい。
「青いムーブメント」が興隆した80年代後半という時代は、まだ冷戦と55年体制に由来する思考の枠組が、強力に作用していた。だからその渦中で自己形成した活動家は、その枠組の中にあってのみ意味を持つ従来の左派的な「問題意識のセット」に少なくともいったんは同調せざるを得なかった。
しかし89年、冷戦構造が崩壊し、93年、55年体制が崩壊した。それらの構造の枠内でのみ意味をもち得た言説は、急速に有効性を失っていった。「青いムーブメント」の渦中で自己形成した活動家の、誠実もしくは聡明な部分のほとんどは、自らの言説の無効を悟り、運動シーンから姿を消した。どうやら私が唯一の例外である。私を除いては、不誠実もしくは愚鈍な連中だけが、運動シーンにとどまった。「ここ数年の」「新しい」運動を主導しているのは、そうした連中である。彼らが主導しているから、もはや有効性のない凡庸な「反戦」的言説がアホみたいにオートマチックに叫ばれ、そうした言説を生んだ「不幸な時代」がとっくに終わってから自己形成したはずの後続世代の活動家たちをも巻き込んでゆく。
このように、「歴史」がつながっている。
前置きが、長い。
私の主張は、共有されているべきなのに共有されていない、多くの前提を基盤としており、その前提を説明するところから始める以外にないから、たいていの場合、最後まで聞いてもらえず、従って受け入れられない。
唯一正しい者は、しんどい。
さて、今回の逮捕は、矢部史郎に対するそれも含めて、不当なものである。
ネット社会は民主主義の社会であって、どんなバカでも自由に発言でき、リコウよりバカの方が圧倒的に数が多いから、悪貨が良貨を駆逐するメカニズムで、最終的にはバカの云いぶんが通る。その影響は単にネット社会の枠内にとどまらず、マスメディアも含めた社会全体の論調をバカ化する。こんなことを書くと、おまえなんかネットがあったから有名になれたくせにとバカに云われそうだが、ネットが存在せずバカの民主主義がここまで進行しなければマスメディアはここまで退廃せず、あの政見放送なんかなくても私はとっくに今より影響力のある論壇の重鎮に成り上がっている。
愚痴はどうでもいいとして、とにかく今回の件に関しても、悪貨が良貨を駆逐して、麻生邸見学ツアーを企画したバカ左翼よりももっと質の悪い右翼的(などと云うのもマジメな右翼に悪い。いまだに誤解している人がいるが私は少なくとももう5年以上前から反左翼で右翼びいきなのだ。まあ誤解が多いのがつまりバカが多いってことなんだが)バカ言説がネット上では優勢であるようだ。
例 http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1186649.html
私は今回の「麻生邸見学ツアー」を、なかなか面白い企画だと思う。
彼らを支持する側や、そして間違いなく彼ら自身も、すぐに「そもそも麻生財閥は戦前、朝鮮人を酷使することで云々」とお決まりの凡庸でパターン化した左派的言説を振り回し始めることには辟易するが、単に格差社会化への抗議のパフォーマンスとしてはいい線をいっている。要するに、いいセンスだ(もちろん、せっかく本来ハイセンスな企画なのに、凡庸な「反戦」的プラカードその他の装飾の部分がそれを台なしにしているのだが)。
ネット上のバカどもは、無許可でデモやって逮捕されるのは当たり前だ、みたいなことをホザくが、今回の行動は事実上はデモだが形式的にはデモではない線をワザと狙っているのであり、つまり歩道しか歩かないのであれば届け出なくても合法なのであって、それを逮捕するのは百パーセント不当なのである。
ネット世論なみにバカ化したマスコミは、まるで矢部らが警官に「暴力をふるった」がために公務執行妨害容疑を問われたかのように警察発表を垂れ流していたが、95年のオウム事件以降、それ以前には考えられなかったレベルでの「不当逮捕」が常態化しており、活動家たちはピリピリしているから、たとえ警官の方から先に手を出してきたとしても反撃することさえ近年まずあり得ない。「警官への暴力」など「まずあり得ない」のであって「百パーセントあり得ない」わけではないし、YOU TUBEで公開された動画を見ても肝心のシーンは撮れていないから、疑おうと思えば疑えるが、私なりの「常識的判断」として、彼らの云うとおり、何も違法なことはやっていないのに警察側が一方的に公務執行妨害をデッチ上げたのだろうと思っている。つまり、不当逮捕だ。
ただし、私はこの不当逮捕に対して、積極的に抗議する気にはなれない。
逮捕されたのが矢部だからというのもあるが、そのことは後で述べるとして、私は少なくとも95年以降、国家権力と左翼との間に起こる衝突は基本的に「内ゲバ」にすぎないと考えているからだ。
その趣旨はすでにhttp://www.warewaredan.com/senso-nihon.htmlやhttp://www.warewaredan.com/ideologyx.htmlで詳しく述べているとおりであるからここで改めて繰り返さないが、それらの文章は実は彼らにもある程度読まれている。反論は1件もない。むしろ、賛同の声をいくつももらっている。つまり、読んでないか、読んで賛同しているか、読んで黙殺しているか、なのである。読んでいない者は、もうこれは仕方がない。少なくとも、都知事選以前と違って、運動シーンに身を置いていて、かつ私の存在を知らない者はほとんどいなくなっている。あの政見放送にピンとこなかった者や、ピンときても私が実際のところ何を主張しているのかちょっとでも調べてみようともしない怠慢な連中にはもう何を云ってもムダだが、左翼的な立場から国家権力と衝突することはもはや「内ゲバ」にしかならないという私の主張を知った上で、なおかつ左翼的な立場からの国家権力との衝突を志向するのなら、確信犯としてやってるんだと思って放っておくしかない。
放っておくまいと思ってもいまだ党を形成しえず個人として動くしかない私に、実効性のある支援はできないのだが、仮に党を形成して何かできる立場になっても、彼らを支援するより例えばDV法やストーカー法や、路上禁煙条例や過剰な交通取締りによって不当逮捕されている人たちを全力で支援したい。
最後に、矢部の件。
他の2名の不当逮捕には、抗議の声を上げないという選択をしたことに少なくともモヤモヤしたものを感じる。彼らは愚かにも、主観的には反権力のつもりでいるのだろうし、私は反権力だからだ。要するに君たちは、かつての冷戦構造下、55年体制下で、しょせん「権力の手先」でありながら、それでも場合によっては時折「不当逮捕」されることもあり得た右翼活動家のような存在なのだ。冷戦構造下、55年体制下では左翼的な立場を選択することが正しかったように、現在では右翼的な立場を選択することが正しい。かつて、それでも良心的な左翼活動家は、敵たる右翼活動家への不当弾圧に対しても心を痛めただろうように、私は君たちへの不当弾圧に心を痛めている。
早く目を覚ましてこっちへ来い、と云う他ない。
矢部に関しては、矢部は不当逮捕に抗議する資格がない。
http://www.warewaredan.com/blog/2006/05/post_46.htmlやhttp://www.warewaredan.com/ankokusaiban.htmlを読めば分かるとおり、矢部はその直前まで最も近しい「同志」であった私に対する不当逮捕を容認したばかりか、むしろ積極的にそれに手を貸したような「前科」がある。そんな人間に、自らに対する「不当逮捕」を云々する資格はない。
また、矢部と行動を共にしている中には、この「前科」をよく承知している人間もかなりのていど含まれているはずである。知っていて、知らぬふりをする彼らを、私は基本的には信用していない。
矢部は不当逮捕してよい。他の2名に関してはもっと早く釈放すべきだったとも、そもそも逮捕すべきでなかったとも思う。しかし、矢部を釈放したことには断固抗議する。少なくとも、公務執行妨害の法定刑ギリギリの懲役3年の実刑に処すべきである。矢部にかけられた公務執行妨害容疑もおそらくデッチ上げではあろうが、私へのそれ(私にかけられた本来の容疑は事実無根のストーカー容疑であったことは先のリンク先の文章でわかるはずだ)に積極的に加担したのだから、それくらいの報いは当然だ。3年でもまだ足りない。連合赤軍の森恒夫のような男なのだから、余罪を追及すればいくらでも出てくるに違いない。公安はちゃんと仕事しろ。
※ むしろ矢部への不当弾圧に直球で抗議の意思を表明することの方が、矢部に個人的ダメージを与えることになるだろうことは百も承知で、しかしそんなことよりも、こういう重要な問題に頬かむりしている連中にそれを突きつけることの方が大切だと考え、あえてこの立場を選択した。