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2007年8月20日 (月)

プエルトリコのWリーグ中止の要因(第351回)

Beisbol  8月16日、プエルトリコのウインターリーグを統括するプエルトリカン・プロフェッショナル・ベースボール・リーグのホゼ・ガルシア会長が2007―08年のシーズンの休止を発表した。6球団で構成されているが、すべてのオーナーが最近の観客動員減を理由に、中止に手を挙げた、という。1938年11月からスタートして今シーズンは記念すべき70周年になる予定だったが、ガルシア会長は「きょうはプエルトリカン・スポーツが喪に服する日だ」と痛恨の胸の内を語った。

 カリブ海に浮かぶ米国の自治領であるプエルトリコの人口はおよそ400万人。ほとんどが農漁業や観光業に従事している。スポーツでは、野球、バスケット、ボクシングなどが盛んだが、取り分け野球は“国民的スポーツ”で、他のカリブ海諸国と同じように、「貧しさから脱出する職業」として少年達のあこがれの的だ。殿堂入りのロベルト・クレメンテ外野手を始め多くの米大リーグ(MLB)の名選手を輩出しているが、今年のMLB開幕時のベンチ入りメンバーの中の外国出身選手としては、ドミニカ共和国(98)、ベネズエラ(51)に次ぐ3番目の28人の選手を送り出している。

 プエルトリコ最大の都市サンフアンでは、2001年に米大リーグ開幕戦(ブルージェイズ・レンジャーズ)を行い、その後も観客動員が伸び悩んでいたモントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)が2003、04年に当地で各22試合を消化した。また、昨年3月に開催されたワールドベースボール・クラシック(WBC)では1次予選のホスト国となり、ドミニカ共和国、ベネズエラ、キューバとともに激しい戦いを繰り広げ、プエルトリコが出場した試合はすべて超満員で熱狂的な応援をして見せた。

 そんな応援風景は、過去69年間続いたウインターリーグでは日常茶飯事だった、と言われている。名二塁手だったロベルト・アロマーはMLBでほぼフル出場する傍ら、ウインターリーグも出場。日米野球で来日した際に「ボクは年間250試合以上、野球をやっている」と聞いたことがある。昔はMLBのスターになった選手も監督や選手として母国に戻って、ファンにプレーを見せるのが慣例で、それが若手選手へのプレー向上への意欲となってリーグ戦が盛り上がった。また、米国出身の若手スターの登竜門として、殿堂入りした若き日のハンク・アーロン、ウイリー・メイズ、レジー・ジャクソンもプレーした。

 ところが、近年は年俸高騰で大型契約をするため、本人がプレーしたくても代理人が球団との契約の中で、故障を起こす可能性のある同リーグへの出場を許可しなくなるケースが増えている。また、米国出身の若手選手も、施設的に米国内より劣ることで参加させていない。カージナルスの若手ヤディアー・モリーナ捕手こそ今年も参加を表明したが、多くのプエルトリコ出身の有名選手不在では、野球好きのお国柄でも観客動員で苦しむのも目に見えている。

 今後はMLBと話し合って、共同で再発足に向けて模索をする模様だ。今回の成り行きを見る限り、かつて米国で実力を謳歌していたニグロリーグが、黒人選手のMLBへの流出で経営が成り立たなくなった経緯を思い出す。今年、バリー・ボンズに通算本塁打記録を更新され話題になったアーロン氏は「もし、自分がプエルトリコでプレーしていなければ、あんなに早くビッグリーグ(MLB)でやっていけなかっただろう」と語っている。地元ファンのためにも、出来るだけ早い再発足を期待したい。

 [写真]1977年、40周年を迎えたプエルトリコ、ウインターリーグのガイドブック

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