三足烏は韓国起源 保管庫のソース 主旨 三足烏は高句麗古墳壁画に集中的に現れる高句麗の独特の象徴物ということ。 中国吉林地方の五〓墳(ごかいふん)4号墓、角抵塚、北朝鮮平南の徳花里1,2号墳など高句麗古墳に描かれた三足烏を代表に選ぶことができる。 韓国古代史専攻のユン・ミョンチョル東国大教授は「日本サッカー協会は三足烏を1930年代から象徴物として使用してきた」とし、「これまで我々が無関心だったあまり、先祖たちのものを日本に奪われた格好」と明らかにした。 粉砕1 粉砕2 三足烏の起源は、中国の陰陽説にまで遡る事が出来ます。 陰陽説には数にも陰(偶数)と陽(奇数)があり、太陽と関係の深い烏の足の数を陽にするために三本にしたと言われてます。 また「山海経」に登場する陽性の鳥(酸興、真鳥)等も足が三本であったり、五本であったりします。 烏と太陽との関係は、「淮南子」に「太陽の中に俊烏がおり、月の中には蝦蟇がいる。そのために月日は動きを止めたり、欠けて光りを無くしたりする」という記述があります。 また殷の時代の神話で太陽(三足烏)は東方の扶桑(ふそう)の木の枝からから昇り、西方の若木を経て、地下の虞淵(ぐえん)にほとぼりをさますとあります。 殷の暦は10日を区切りとした旬日を基本にして、月相が1巡する三十日を併用しており、この十日神話が生まれる背景にはこのような考えがあったとされています。 感想 日本の最高神である天照大神は太陽神ですから、中国で太陽を表す三足烏と関連づけられるのはそう不思議では無いでしょう。 おそらくは陰陽五行説と共に輸入されたのでは無いかと思われます。 また同じ中国文化圏に属する高句麗で、古墳壁画に三足烏が集中的に描かれているのもなんら不思議はありません。 元々が中国の神話から生まれたのですから、「日本に奪われた」などとという主張は電波以外の何物でも無いでしょう。 |