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“親日”台湾映画に噛みついた中国の狼狽(6)

『海角7号』に熱狂した台湾庶民はやっぱり親日だった。
中国発のネガティブキャンペーンの舞台裏を暴く


ノンフィクション作家 河添恵子

■台湾人しかつくれない日本人が観るべき映画

 台湾人(本省系の●(●は問の口が虫)南人など)の気質を大雑把に言えば「陽気でざっくばらん」「現実主義者」となるだろう。それを反映するかのように『海角七号』の全体的なトーンはスットコどっこい系の現代喜劇だが、戦前の日本人教師が綴った恋文(すべて日本語のナレーション)だけは歯が浮くほどロマンチック。例えばこんな具合だ。

  友子。

君は意地張りで、新しい物好きで、でも、どうしようもないぐらい君に恋をしてしまった。だけど、君がやっと卒業した時、僕たちは、戦争に敗れた。

僕は敗戦国の国民だ。

貴族のように傲慢だった僕たちは、一瞬にして、罪人の首かせを科せられた。

貧しい一教師の僕が、どうして民族の罪を背負えよう?

時代の宿命は時代の罪。

そして、僕は貧しい教師に過ぎない。

君を愛していても、諦めなければならなかった。

   中国側はこういった文面にも「植民地時代を美化」「民族感情を刺激」などと噛みついたのだろう。それはさておき、大正生まれの日本男児がここまで書くかなぁ、と思ってしまう。が、この情緒たっぷりでウェットな“日本人的感性”に対しても、台湾人は好意的なのだ。

「講義の後に、『海角七号』を観に行きましょうと院生から誘われた」と、交通大学外語学系講師の黄秀英先生が語る。八十二歳の現在も教鞭を振るう“カワイイおばあちゃん先生”だ。

「最初、何のことか分からず『どこで美味しい餃子が食べられるの?』と尋ねたら、『三回観ました』『僕は六回!』『手紙の日本語の文面が素晴らしい』と、教室中がたちまち大騒ぎになった」

 黄先生は、大正生まれの知的で上品な日本語世代が中心に集まる「友愛グループ」のメンバーの一人。月例会で『海角七号』の感想をスピーチし、その内容が「『海角七号』に思いをよせて」として『月例会開催報告』(十一月)に掲載された。その一部を紹介しよう。

 なお、終戦当時十八、十九歳だった黄先生は、疎開先で小学校の先生をしていたという。

  「脳裏には終戦直後の兵士、Tさん(原文では実名)の恥ずかしそうに赤らんだ顔が閃きました。長いこと忘れていた記憶だったのに……。昭和天皇の玉音放送と同時に兵隊さん達は教室から一歩も出て来ません。空襲を避ける為に授業は田舎に疎開し、私も町の住まいから徒歩四十分離れた小高い山地に疎開していました。学校に軍隊が駐屯し、朝の授業が終わると学校へ戻り、兵隊さん達の衣服修理、何人かの兵隊さんと知り合いました。ある朝、家にいたから日曜日だと思います。表に「黄先生、お早うございます」の声、人里離れた山の一軒家へ。不審に思って出て見たら、Tさんでした。敬礼、「先生、もう日本へ引き揚げます。付いて来てください。お願いします。」と真剣な面持ちで、頭を下げられました(中略)。 『海角七号』よ、有り難う。懐かしい乙女時代の思い出が蘇り、しばしとは言え、幸せでした。特に七通の恋文には愛する彼女への思いが篭もって感動させられましたが、私にはそれがなかったので、何だか寂しい思いです。(後略)。」

   ちなみに黄先生が戦後しばらくして初めて観たカラー映画はアメリカの『サウンド・オブ・ミュージック』。『梁山伯と祝英台』以後、映画館へはとんとご無沙汰で、学生らに促されてウン十年ぶりに足を運んだとか。

「映画の中の日本人教師はちょっと女々しい。だから七通の手紙も出せなかったのね。兵隊さんのTさんは、まさに日本男児だった。私の家を探し当てて、『日本に付いて来てください』とはっきりプロポーズしてくれたから。その後、私は結婚をしたし、Tさんもそうでしょうし一度も会っていないけれど、日本のテレビには尋ね人を探す番組があったから、何度か応募しようかなぁと思った。でも、こんなエピソード、『海角七号』や私だけじゃなくて何処かにまだたくさんあるはずよ」と黄先生。

 Tさんはご存命かな? お元気だったら、是非とも『海角七号』を観てもらい感想を聞きたいものだ。

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 【略歴】河添恵子氏
 昭和38(1963)年、千葉県生まれ。名古屋市立女子短期大学を卒業後、1986年から北京外国語学院、翌87年から遼寧師範大学へ留学。主に中国、台湾問題をテーマに取材、執筆活動を続ける。『台湾 新潮流』(双風舎)、『中国マフィア伝』(イースト・プレス)、『中国人とは愛を語れない!』(並木書房)など著書・訳多数。