トップ
談話室
購読
問い合わせ



モバイルサイトご案内
QRコード 随時モバイル
メンバー登録
受付中!
>URLを
携帯に転送



.





“親日”台湾映画に噛みついた中国の狼狽(5)

『海角7号』に熱狂した台湾庶民はやっぱり親日だった。
中国発のネガティブキャンペーンの舞台裏を暴く


ノンフィクション作家 河添恵子

■大ヒットの陰に李元総統の改革

『海角七号』の話に戻ろう。なぜ、台湾全土がこれほど熱く盛り上がったのか。理由の一つが、閉塞感からの解放だ。

“お祭り騒ぎ”の総統選挙が終わり、台湾全土が躁状態から平常に戻った途端、「経済無策で景気回復も望めそうにない」「台湾色を消して中華を復活させようとしている」「中共に接近し過ぎ」などなど国民党政権への不満が噴出、馬英九総統の支持率は就任当初の六〇%台から数カ月で二〇%台へと大幅ダウンした。民進党の汚職問題や前総統の逮捕もあり、次第に閉塞感が高まる中で、民衆は『海角七号』に爽快感と開放感を求めたのだろう。

 魏監督はそんな危うい雲行きを先読みしていたのか、「登場人物の怒りや不満、愛、夢を引き出すものとして音楽を使った」と語っている。月琴とエレキギター、日本統治時代から歌い継がれてきた『野バラ』、ロック、ポップス…。伝統と現代、台湾と日本とを融合させた演出もズバリ的中した。

 とはいえ、政治不信だけではメガヒットにはなりえない。私は、李登輝元総統が果敢に推進した九〇年代の改革を抜きにしては、この現象は説明できないと考えている。

 李元総統の登場で、蒋一族による“中華社会”から脱皮した台湾では、九〇年代半ばより「台湾の台湾化(本土化)教育」が本格化していった。小学校では「郷土教学活動」という授業が設けられ、郷土の言語や歴史、地理、自然、芸術の五種類を教え始めた。

 画期的だったのは一九九四年秋の新学期から段階的に中学一年生に導入された副教材『認識台湾(台湾を知ろう)』〈歴史篇〉〈地理篇〉〈社会篇〉だ。これにより「中国四千年」の年輪は「台湾四百年」の歴史へと“等身大”になった。と同時に、それまでの歴史教育が強調してきた「中国の歴史の悠久さ」に代わり、「多元文化」「国際性」「対外貿易の興隆」「克苦奮闘の精神」の四点が台湾史の特色として取り上げられるようになった。 『認識台湾』は、いわば『認識日本』でもある。日本統治時代のことが「政治・経済」と「教育・学術・社会」の二章にわたり詳細に解説され、全体の四分の一を「日本史」が占める。

 その後の陳水扁総統時代にも教育の本土化と国際化が益々進み、多くの小学校で一年生から母語(台湾語や客家語などルーツ語)と英語の時間が設けられた。ちなみに蒋一族の時代は学校で母語を使うと罰金を徴収されていたというから驚きだ。

 大学についても同様に、李元総統の時代から本土化が急速に進んだ。台湾語でも授業が行われ、台湾本土の文化教育の重視、郷土文化への愛着心の強化などが図られた。台湾語言文学科や台湾史学科、台湾語言文学ゼミ、台湾史学ゼミなどが登場したのもその頃だ。「国際的視野を持ち、本土的行動をせよ」と学生らに解いたのは台北駐日経済文化代表処の許世楷前代表。台湾本土化を推進する急先鋒として経済学院の大学長となり、「台湾学をモットーとした建学精神」を抱げた。

 国民党が政権に返り咲いたため、この本土化政策と教育がどう継続し、どう変容していくのか不安だが、台湾がこの十余年に推進してきた教育改革の中身は、中国の江沢民前国家主席が血眼になって推進した「愛国教育」とは天と地ほども異なる。

 台湾では今、新たな歴史映画『一八九五』(洪智育監督)が上映中だ。日清戦争後、台湾が日本へ割譲された時代背景を、若き日の森林太郎(鴎外)を中心にストーリー展開していく作品で、十二月のプレミア試写会の席で馬英九総統は「学校を巡回させて、子どもたちに見せるべき」と涙ながらに語ったという(人気取りかなあ…)。

 続く

[1] [2] [3] [4] [5] [6]

 【略歴】河添恵子氏
 昭和38(1963)年、千葉県生まれ。名古屋市立女子短期大学を卒業後、1986年から北京外国語学院、翌87年から遼寧師範大学へ留学。主に中国、台湾問題をテーマに取材、執筆活動を続ける。『台湾 新潮流』(双風舎)、『中国マフィア伝』(イースト・プレス)、『中国人とは愛を語れない!』(並木書房)など著書・訳多数。