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■“親日”台湾映画に噛みついた中国の狼狽(2)
『海角7号』に熱狂した台湾庶民はやっぱり親日だった。
中国発のネガティブキャンペーンの舞台裏を暴く
ノンフィクション作家 河添恵子
■台湾中を席巻した“海角七号現象”
もう少し、この映画のあらすじを追ってみよう。
引揚船が台湾島から離れていく冒頭のシーンから時代は移り、六十年後の今。ミュージシャンになる夢に破れ故郷へ戻り、台湾最南端の小さな町(屏東県恒春)で郵便配達員をする青年・阿嘉は、この町のホテルに滞在しながら日台ジョイントコンサートの準備を進める北京語の巧みな日本人女性・友子と出会う。感情の起伏が激しい友子は、ハスに構えた態度の阿嘉とたびたびぶつかる。が、いつしか恋心へ。そんな折、友子は届け先が分からずに阿嘉が開封して部屋に放置していた手紙を読んでしまう。それらは引揚船の中で、日本人教師が台湾人生徒(彼女の名前も友子)に宛てて綴った七通の恋文。六十年後のこの年に亡くなり、荷物の整理をしていた娘が見つけて戦前の住所〈海角七号〉へ送ったのだった。漆の箱に収められた日本からの手紙を気にかけていた阿嘉は、友子に促され真剣に現住所を探し始める…。
果たして“六十年前の台湾人女学生”の友子おばあさんは今も元気でいるのか? 日本からの七通の手紙は無事に届けられ、読んでもらえるのか?は、いずれ日本でも上映される(未定だけれど…)映画を観てのお楽しみ!ということで。
事情通によれば、「台湾映画(国片)で映画館の入りが悪い場合、二週間で上映中止」という。が、『海角七号』は「面白かった!」「また観たい!」といった口コミ、ネット掲示板の書き込みなどが瞬く間に広がり、上映中止どころか一日三本の上映回数が八本に増えた。
キャストはほとんど無名、メガフォンをとった魏徳聖監督(40)もこれまで二本の短編作品を発表しているのみ、にもかかわらず国内外のさまざまな賞に輝いた。台北映画祭で最優秀作品賞を受賞したのを皮切りに、九月のアジア海洋映画祭(幕張)ではグランプリを獲得。十月の韓国・釜山国際映画祭でも話題を呼び、ハワイ国際映画祭では最優秀作品賞、そして十二月の台湾金馬奨では六部門で受賞。二月に行われる米アカデミー賞の外国語映画部門への出品も早々に決まった。
「製作費五千万台湾元(約一億三千五百万円)のうち、三千万台湾元(約八千万円)を借金で工面した」と地元紙『聯合報』などのインタビューで語った魏監督。若手監督の部類とはいえ故エドワード・ヤン(楊徳昌)監督らのもとで下積み生活を十五年間送った苦労人でもある。巨額な製作費も宣伝費もかけられなかった代わりに、彼の人生を賭けた作品が見事に大当たりした。
ロケ地になった台湾最南端の素朴な町、屏東県恒春鎮も嬉しい悲鳴を上げっぱなしだ。観光客がドヤドヤと押し寄せ、海辺のリゾートホテルは連日満室だという。情報誌『台北ウォーカー』や新聞、テレビでもロケ地巡りの特集が組まれ、台湾人なら一〇〇%知っている観光地へと急浮上した。
キャストにとっても有り難い誤算だらけ。友子を演じた若手女優・田中千絵(メーキャップアーティスト、トニー・タナカの長女)は台湾ヤフー世論調査『二〇〇八年台湾マン・オブ・ザ・イヤー』で陳水扁、王永慶(台湾プラスチック創業者で昨年没)に次ぐ第三位にランキング。
友子と恋仲になる阿嘉を演じた範逸臣も超ラッキーボーイとなり、いきなり台北アリーナ(日本の武道館か東京ドームのイメージ)でのコンサートが実現。その他、映画で度々登場する「馬拉桑(マーラーソン)」という名の粟酒も知名度抜群、売れ行き上々というから、これまた映画サマサマだ。
ここで、私の情報網にひっかかった台湾人のナマの声をひろってみよう。
まずは台北の友人から。
「『絶対に面白いから観て』と同僚に言われ、息子と上映三十分前に映画館へ行ったら『客満(満席)』の表示。で、次回の上映時間もすでに『満員御礼』。その日は台風真っただ中で、学校や職場が休みだったとはいえもうビックリ」
一方、「学校祭は『海角七号』の音楽で盛り上がった」とは台北の中学生。
「娘二人がチケットを買って、私と家内を誘ってくれて観たよ」と語る日本語世代の張さん。
「映画館でも観たけれど、DVDが発売されてすぐに買った。家族四人が一人平均三度は観ている」と四十代のママ。
台湾映画界の巨匠・侯孝賢監督も「素晴らしすぎる! こんな台湾映画を待っていた」と絶賛。ちなみに侯監督による、玉音放送に始まる終戦直後からの台湾社会を深く掘り下げた映画『悲情城市』は、一九八九年のヴェネチア国際映画祭でグランプリを受賞している。
このように昨年の下半期から新年にかけ、台湾中の老若男女が『海角七号』をツマミに大いに盛り上がったが、これを苦々しく見つめていたところがある…。
そう、中国だ。
続く
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【略歴】河添恵子氏
昭和38(1963)年、千葉県生まれ。名古屋市立女子短期大学を卒業後、1986年から北京外国語学院、翌87年から遼寧師範大学へ留学。主に中国、台湾問題をテーマに取材、執筆活動を続ける。『台湾 新潮流』(双風舎)、『中国マフィア伝』(イースト・プレス)、『中国人とは愛を語れない!』(並木書房)など著書・訳多数。
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