
■“親日”台湾映画に噛みついた中国の狼狽(1)
『海角7号』に熱狂した台湾庶民はやっぱり親日だった。
中国発のネガティブキャンペーンの舞台裏を暴く
ノンフィクション作家 河添恵子
「『海角七号』観た?」
「何回観た?」
この半年余り、台湾全土を席巻してきた挨拶がこれ。昨年八月下旬の一般公開以来、数カ月を経ても各地の映画館前が長蛇の列となり、興行収入が五・三億台湾元(約十四・五億円)を突破、空前の大ヒットを記録した映画『海角七号』(魏徳聖監督)のことだ。
「一九四五年十二月二十五日」--と、いきなり日本語のナレーションで物語が始まる。映像は荷物を抱えて引揚船に乗り込む日本人たちの姿。
「友子、太陽がすっかり海に沈んだ。これで本当に台湾島が見えなくなってしまった。君はまだあそこに立っているのかい?」と男性のナレーションが続く…。
フィナーレは、台湾最南端のビーチ(屏東県恒春)で開催された日台ジョイントコンサート。地元のデコボコバンドが台湾の歌としても浸透する『野バラ(紅梅塊)』を大合唱…。
このファースト&ラストシーンでも分かるように、『海角七号』の軸は日台の絆だ。字幕は国語(北京語)だが、登場人物による台湾語、国語、日本語でのポップな掛け合いで「台湾の今」を表現。その折々に、引揚船の中で日本人教師が台湾人生徒「友子」へ綴った六十年前の恋文(それこそ日本の映画でもあり得ないほど情緒的!)が、日本語のナレーションでオーバーラップしていく。そして日本人と台湾人の二つの恋愛--戦前の“せつない愛”と現代の“イマドキ愛”がシンクロする。
そんな“親日的映画”が、日本の植民地だった台湾で大ヒット。しかも熟年世代のノスタルジーのみならず、日本のアニメ、漫画、Jポップス、ドラマなどをシャワーのように浴びて親しんできた若年層はもちろん、蒋一族の「反日教育」をバリバリに受けてきた中年世代にまで受け入れられている。
最近話題の村山談話の中に、「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えた」という文言があったが、中国政府の画一的な対日感情や韓国の恨み節だけが「アジアの人々の声」ではない。それをこの映画を観て是非、知ってほしい。とくに村山さんと浜田防衛大臣には。
続く
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【略歴】河添恵子氏
昭和38(1963)年、千葉県生まれ。名古屋市立女子短期大学を卒業後、1986年から北京外国語学院、翌87年から遼寧師範大学へ留学。主に中国、台湾問題をテーマに取材、執筆活動を続ける。『台湾 新潮流』(双風舎)、『中国マフィア伝』(イースト・プレス)、『中国人とは愛を語れない!』(並木書房)など著書・訳多数。
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