李敬宰(い きょんじぇ)さんは日本国籍を取得し、4月に地元の高槻市議選に
出ることになりました。立候補するにあたってのご本人のさまざまな想いをお聞き
したいと思います。
李敬宰(い きょんじぇ)さんからのコメント・・・
「『李敬宰はなぜ韓国人なのか』と、ずっと自問し続けてきた。
答えが出せないうちに、娘が『ミユンはなんでかんこくじん』
と聞いてきた。誤魔化した。
2001年、『特別永住者等の国籍の取得に関する特例法案』が公表
された時、在日韓国・朝鮮人の生き方の中に『コリア系日本人』
というものも加えたいと強く思った。自問し続けてきたことへの
答えを見つけたのかもしれない。そして、まず、法案を成立させ
て『コリア系日本人を政治の世界に排出しよう』と考えた。
政治世界の多民族共生化だ。しかし、法案は店晒し。多民族共
生は遠のくばかり。
18才で高槻むくげの会を設立し、当時は、どこへ行っても一番若
かった私も、もう、52才。政治の世界に身を飛び込むにはギリギ
リの年齢か。
2005年李敬宰は2007年4月に実施される地方統一選挙の高槻市
議選に向けて立候補の準備をはじめた。しかし、ご承知の通り、在
日韓国・朝鮮人には参政権がない。帰化の手続き経て、2006年6月21
日に日本国籍を取得した。2007年4月は、大きな、大きな節目となる」。
◆第6回 「国籍を考えるひろば」を開きました
テーマ「あなたはナニジンですか? 〜無国籍から見える世界〜」
講師 陳天璽(ちん てんじ、Lara, CHEN Tien-shi)さん
日時 8月27日(日) 15時〜17時
略歴 1971年、横浜中華街生まれ。国立民族学博物館助教授。
華僑・華人問題をはじめ、移民・マイノリティー問題、国境・国籍問題に取り
組む。
学術書として『華人ディアスポラ―華商のネットワークとアイデンティティ』
(明石書店)があるほか、自らの無国籍体験を昨年、『無国籍』(新潮社)
としてまとめて話題を呼んだ。
講演者の略歴は下記のサイト、http://www.minpaku.ac.jp/staff/chen/01.htm
を参照して下さい。
◆第5回 「国籍を考えるひろば」を開きました
テーマ 「余は如何にして日本国民となりし乎−朝鮮学校出身・在日
韓人二世の創造的日本国籍取得観」
講師 河明生(かわ・めいせい)さん
略歴 講演者の略歴は、http://www.jita.jp/kawa/を参照して下
さい
第5回は、数年前に日本国籍を取得された河明生(かわ・めいせい)さん
からご自身の体験に基づくお話をしていただきました。
著書
1 河明生『韓人日本移民社会経済史−戦前篇』明石書店、1997年2月、
2 河明生『ケ−ススタディ・企業者史−企業者活動と企業者精神の異質性』
ア−トン、 2001年。
3 河明生『マイノリティの起業者精神−在日韓人事例研究』、(株)ITA、
2003年。
4 河明生『新・経営史−企業者史の視点』、(株)ITA、2004年。
共著
1,平川均・石川幸一編『新・東アジア経済論ーグローバル化と模索する東アジ
ア』、ミネルヴァ書房、2001年。
2,法政大学産業情報センター編『ケース・スタディー 日本の企業家史』、文眞
堂、2002年。
3,法政大学イノベーション・マネジメント研究センター編『ケース・スタディー
戦後日本の企業家活動』、文眞堂、2004年。
学術論文
「民族的マイノリティに属する企業者の精神-東京圏在勤在日二・三世韓人企業者
の意識調査より」
(『研究論集』第19号所収、神奈川大学大学院経済学研究科、1993年9月、)
「韓国華僑商業-1882年より1897年迄のソウルと仁川を中心として」
(『研究論集』第23号所収、神奈川大学大学院経済学研究科、1994年11月、)
「日本におけるマイノリティの起業者活動−在日一世朝鮮人の事例分析」
(『経営史学』第30卷第4号所収、東京大学出版会、1996年1月、)
「マイノリティの「起業者精神」−在日一世韓人と在日二・三世韓人との比較」
(『経営史学』第33巻第2号所収、東京大学出版会、1998年9月、頁)
「ビジネス啓蒙の企業家活動−福沢諭吉と渋沢栄一」2001年4月
(法政大学産業情報センタ−研究プロジェクト「日本の企業家活動シリ−ズ)
「マイノリティの起業家活動−ロッテ創業者・重光武雄と日清食品創業者・ 安藤
百福」
(法政大学産業情報センタ−研究プロジェクト「日本の企業家活動シリ−ズ)
2001年10月。
◆第4回 「国籍を考えるひろば」を開きました
テーマ 「日本人として生きる表明とその自由、それを保証する日本国籍を
―― 日本国籍は日本の市民権」
講師 青柳敦子さん
略歴 宋斗会氏との出会いで在日の国籍問題を知り、在日二世の日本国籍 確認訴訟に取り組む。
共著「日本国籍確認訴訟資料集・生きる権利としての国籍を」
編集「報告・浮島丸事件訴訟」(南方新社)
著書「朝鮮人徴兵・徴用に対する日本お戦後責任」(風媒社)
◆第3回 「国籍を考えるひろば」を開きました
テーマ「在日コリアンの政治参加の必要性ー
『日本国籍取得論』に不足してい るものと『反対論』に欠けているもの」
講師 高英毅さん
略歴 弁護士(第2東京弁護士会)。1957年大阪生まれ。
在日コリアン2世。83年東京大学卒業。
現日弁連人権擁護委員会委員。
現在日コリアン弁護士協会(「LAZAK」)共同代表。
◆集会を開きました
『在日コリアンに権利としての日本国籍を―
永住外国人から主権者へ』2・5全国集会
●とき 2006年2月5日(日)
午後1時〜5時(午後12時30分開場)
●ところ 在日韓国YMCA会館
チラシはこちらからダウンロードできます。
http://tsudoi0720.at.infoseek.co.jp/060205outline.pdf
在日コリアンとよばれる人々には参政権など一切の公民権が保障されていません。
世界的に見ても異常な事態を打開するため、与党三党が2001年に「特別永住者等の国籍取得の特例に関する法律(案)」を作成しましたが、今なお国会に上程されていません。
私たちは「届け出によって国籍を取得できる」「従前の氏名をそのまま使うことができる」などのこの法案の趣旨に賛同します。
各界の人々が民族や党派をこえ、在日コリアンの人権を確立し、日本の民主主義の基礎をより強固にするために協力されることを心から期待します。
【集会内容】
1.主催者挨拶 李敬宰(い・きょんじぇ。確立協会長)
2.記念講演
「国籍・参政権/わたしの朝鮮」 韓昌祐さん
(はん・ちゃんう。潟}ルハン会長)
「日本国籍取得の機は熟した」 坂中英徳さん
(外国人政策研究所長・前東京入国管理局長・確立協顧問)
3.参加者の意見・討論
* * * 講演者紹介 * * * * * *
韓昌祐さん
1931年、朝鮮慶尚南道生まれ。
終戦の年の秋に渡日。
法政大学経済学部で学んだのち、パチンコ店勤務、名曲喫茶経営などを経て、マルハン(京都市)を創業。
現在は日本のパチンコ業界随一の企業として、パチンコホールやボーリング場などを手広く展開する。
また、経営難に陥った映画館「文芸座」を引き受け、季刊雑誌『青丘』や韓国文化研究振興財団を運営、Jリーグの大分トリニータを財政支援するなど、文化事業やメセナ事業にも積極的に取り組んできた。
そうした功績が認められ、日韓双方の政府から叙勲。
日本国籍への風当たりが強い時期から、「日本に住む以上、国籍を取るのは当然」として、韓国人系日本人の道を主張してきた人物でもある。
坂中英徳さん
1970年、法務省に就職して以来、一貫して出入国管理行政の第一線で活躍し、「坂中論文」と呼ばれる在日コリアンにかかわる政策提言とその法制化に尽力してきたことで知られる。
05.3月、東京入管局長を辞するにあたって、脱北難民の支援に「余生を捧げたい」(『入管戦記』)と述べ、脱北帰国者支援機構の代表に就任した。
◆第2回 「国籍を考えるひろば」を開きました。
講師
玄真行(げん・まさゆき)さん 「そして僕は日本で生まれ育った」
「国籍を考えるひろば」の第2回目は、テレビドキュメンタリーのディレクターとして活躍中の玄真行さん(1958年うまれ)をお招きし、作品鑑賞・講演・質疑応答を行いました。
在日2世の玄真行さんは、台湾で戦後も短歌を作り続けている人々を取材した「台湾万葉集」(NHK衛星)で郵政大臣賞を受賞、その後も数々のテレビ番組を制作し、最近ではアジアの歌手たちを描いた映画「シャウトオブ
アジア」の監督も務めています。
当日は、今年の6月にNHKハイビジョンで放映された「そして僕は日本で生まれ育った」をまず鑑賞しました。この作品は、玄さんとその一家の渡日をめぐる歴史的な背景や日本で生きる思いを、在日コリアン全体の激動の歴史のなかで描いたものです。その後、お話と質疑を通して、「国籍」「民族」「名前」などをめぐって、自由な意見交換をしました。
●なお、玄真行さんの詳しいプロフィールは以下で見られます。
http://www.tvc-net.com/shas/director.html
◆第1回「国籍を考えるひろば」を開きました
講師 松本富生(まつもと・とみお)さん
1937年、朝鮮の慶尚南道うまれ。40代に入ってから小説を書き始め、 「帰化者」としての自らの体験を背景とする短編「野薔薇の道」が、1986年「文學界新人賞」を受賞。その後も、『風の通る道』『慟哭の余笹川』(いずれも下野新聞社)などの小説をはじめ、『愛は理解の別名なり−文学的に語る人権問題と心のありかた』(雁塔舎)などのエッセー集を出して、「帰化者」として、そして何よりも一人の人間として、発言を続けている。
◆「特別永住者等の国籍取得の特例に関する法律案」の法制定に賛同される方を募っています。賛同していただける方は、下記の連絡先までお知らせ下さい。
【賛同人コーナーです】
◆在日コリアンに届出による国籍取得権を!
2/10国籍取得特例法(案)の国会上程を求めて集会
在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会の主催する「国籍取得特例法の制定をめざす2.10集会」が2月10日、午後1時から衆院第二議員会館で開かれました。平日の午後という困難な条件にもかかわらず、愛媛、大阪、京都、滋賀、長野など各地から60余名が参加。会長(大阪高槻むくげの会)の挨拶のあと、金俊熙さん(「コリア系日本人として」)佐々木てるさん(「可能性としてのコリア系日本人)の話に耳を傾けました。) このあと・両副会長などから各党との折渉報告。自民・公明・民主各党ともこの法案に賛成を表明しながら、公明党が提出している永住外国人の地方参政権法案とのからみで党としての態度決定に至っていないのが実情のようです。共産党は反対。社民党は無返答。
若干の討議のあと集会決議を採択。3時15分ごろ閉会しました。確立協としては地方参政権法案と特例法案は性格や目的がまったく違うものであり、与野党にほとんど異論のない特例法案を今国会に上程するよう各党・議員に働きかけていくことになりました。決議文をもって国会議員を訪ねること、新聞等に投書することなど、皆さんの協力をお願いします。
金俊熙さん(「コリア系日本人として」)佐々木てるさん(「可能性としてのコリア系日本人)のお話しの内容は、下記のリンク先をごらん下さい。
http://members.aol.com/kiichigoc/
◆ 毎日新聞で紹介されました。
「牧太郎のここだけの話:コリア系日本人に」 2003年3月1日夕刊
◆ 国籍取得特例法案の国会上程を要請する決議
朝鮮半島のひとびとが日本の植民地支配から解放されて60年になる日が目前です。日韓条約からは40年ということで「日韓友情年」のさまざまなイベントも始まりました。この間、特別永住資格を認められた在日コリアンへの理解もすこしずつ深まり日本社会のあちこちで民族名で活躍するコリア系のひとびとの姿が見られるようになりました。しかし今日なお、在日コリアンに参政権(選挙権・被選挙権など)を中核とする公民権が保障されていない事実に、どれだけのひとびとが気づいているのでしょうか。
この60年の間に在日コリアンは世代を重ね、今は三世、四世が主流となっています。これらのひとびとは生涯を通じて参政権を行使できず、国家公務員、裁判官をはじめ各種公務員になる道も一部をのぞいて閉ざされたままなのです。旧植民地出身者とその子孫が何代にもわたって参政権がないなどという例は世界のどこをみわたしてもありません。日本の民主主義は重大な欠陥をかかえているのです。
2001年に自民党・公明党など与党3党が作成した「特別永住者等の国籍取得の特例に関する法律(案)」は、こうした異常な事態を打開する画期的な意義をもっていると考えられます。
第一番目は在日コリアンに「届け出」による国籍取得権を認めていることです。1952年4月28日、サンフランシスコ平和条約の発効にともない日本政府は在日朝鮮人から一斉に日本国籍を剥奪してしまいました。しかもそれは一人ひとりの国籍選択権を認めず一片の政府通達で実施するという法治主義にももとるやり方でした。このため在日朝鮮人は参政権を失い、主権者としての地位を奪われたのをはじめ、社会保障をうける権利さえ保障されず社会的差別のただ中に放置されたのです。この法案が法務大臣の「許可」ではなく「届け出」による国籍取得を認めていることは、この歴史的過誤の反省の上に立つものと考えられ、実質的に在日コリアン一人ひとりの国籍取得(選択)権を認めたことになります。従来の煩雑で人間としての尊厳を傷つけられかねない「帰化」制度によることなく、在日コリアンは、望めばいつでも日本国籍を取得できる権利をもつことになるのです。
二番目は「従前の氏または名を称する場合にはその漢字を用いることができる」とし、民族名を名のることを保障していることです。従来の帰化手続きでは、ややもすれば朝鮮人のルーツを消し去って民族的にも日本人になることを求めてきました。また尹とか鄭とか、日本の人名漢字に含まれていない姓や名をもつ人は新たに氏をつくったり名を改めたりしなくてはなりません。これは民族的尊厳を傷つけ、同化を強いるものといわざるをえません。この法案はこうした流れとは明らかに違い、少なくとも戸籍上は、民族名をなのり、コリア系日本人(国民)になることを保障しています。
これだけでだれもが民族名を名のって生きられるようになるほど現実は甘くはありませんが、差別を許さないとする市民の運動とあいまって、在日コリアン自身の自覚が高まっていけば、朴さん、李さん、金さん、とルーツを明らかにしてコリア系の日本人として活躍する人が、国会や地方議会をはじめとして社会のあちこちで増えていくことが期待されます。
私たちは、このような画期的な法律案が作成されたにもかかわらず、この数年間国会に上程さえされなかったことを残念に思います。そこにはさまざまな事情があったと考えられますが、日本人、在日コリアンを問わず、在日コリアンの国籍問題をタブー視し、市民の側から国会に働きかける運動がなかったことも事実です。私たちは、民族差別に反対し、多文化共生の地域と学校をつくるために微力ながら活動をつづけてきました。その経験をふまえ、今、この法案をなかったことにすることは、在日コリアンの未来と日本の将来に大きな禍根をのこすことになると考え、この集会を開催しました。
各党、各会派の国会議員の方々にお願いします。「特別永住者等の国籍取得に関する法律(案)」を今通常国会に上程し、在日コリアンの人権の確立と日本の民主主義のあり方、多文化(多民族)共生社会への展望をめぐってしっかりと議論してください。
朝鮮の解放から60年、日韓条約の締結から40年という節目の年の通常国会がはじまりました。在日コリアンの法的地位の最終的な解決なくして日本と朝鮮半島のひとびとの真の友情は成り立ちえないでしょう。千載一遇の機会を逸することがないよう、集会参加者一同、心をこめて決議します。
2005年2月10日
国籍取得特例法の制定をめざす2.10集会参加者一同

◆在日コリアンの日本国籍取得について
ツルネン マルティ(参議院議員)さん
「コリア系日本人」
在日コリアンの中で新しい運動が始まっている。それは在日韓国・朝鮮人が、いつでも、届け出るだけで日本国籍が取れるようにするための運動である。2001年、与党では既にそのための法制化がされていた。「与党政策責任者会議国籍等プロジェクトチーム」が発表した「特別永住者の国籍取得の特例に関する法律案」のことであるが、その時は与党内で反対の声があがり、国会への提出にも至っていない。
先日、この運動を促進するための集会が東京で開かれ、あいさつを頼まれたので出席した。「在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会」設立記念集会である。桜井よしこさんの基調講演のあとパネルディスカッションなどがあり、100名ほどの参加者があった。
当協議会は昨年11月に創設され、その結成趣意書には次のようなことが書かれている。
・ 最近では、帰化による日本国籍取得者が年間1万人にも及び、累積は約30万人になる。
・ 在日コリアンの結婚相手は圧倒的に日本人が多く、その間に生まれた子どものほとんどが日本国籍という状態になっている。
・ 日本国籍者の中から、「コリア系日本人」という日本と韓国・朝鮮の2つのルーツを大切にする「ダブル」の生き方が生まれている。
・ 日本人の中にも、「コリア系日本人」の存在は日本社会の多様化を促進し、多文化共生社会の創造に大きく寄与すると考え、歓迎する人が増えている。
フィンランド系日本人として私は、この動きを嬉しく思い参加者に心からエールを送った。
私も以前から、届け出るだけで日本国籍が取れる法律がすぐに成立されなくても、少なくとも帰化申請の条件を大幅に緩和するべきだと、主張してきた。しかし、日本国籍を持たない在日外国人たちの、地方参政権の付与がいらなくなるということではない。日本社会で地域住民として日本人と共に暮らす外国籍の人々にも、この二つの選択肢が与えられるべきだと思う。つまり、日本人と同様に地域住民としての権利と義務を持ちながら日本国籍を選ぶか、それとも母国国籍のままで日本に暮らすかという選択である。
国籍による差別のないことが国際社会の理想の姿であると私は考える。
ツルネン マルテイ
* 事務所のご許可をいただきツルネンさんのHPメルマガより転載しました
◆在日に権利としての日本国籍を!
「在日コリアンの日本国籍取得権確立協議会」設立記念集会より
第1部 記念講演会
櫻井よしこさん(ジャーナリスト)
「在日コリアンの友へ(コリア系日本人として活躍を)」

多くの参加者が集まりました


NPO型インターネット新聞JanJan「Japan Alternative News for Justices and New Cultures」(さまざまな正義と新しい文化のために日本から発信するもう一つのニュース)で紹介されました。http://www.janjan.jp/government/0402/0402131089/1.php
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