<問2>
両陛下にお尋ねします。お二人が知り合われてからこれまでにさまざまな言葉のやり取りがあったと思います。いろいろなエピソードが伝わっていますが、陛下はどのような言葉でプロポーズされ、皇后さまは陛下にどのような言葉を伝えてご結婚を決意されましたか。銀婚式を前にした会見では、陛下は皇后さまに「努力賞」、皇后さまは陛下に「感謝状」をそれぞれ差し上げたいと述べられましたが、あらためて、お互いに言葉を贈られるとすれば、どのような言葉になりますか。ご夫妻としてうれしく思われたこと、苦労されたこと、悲しまれたこと、印象に残った出来事、結婚されて良かったと思われた瞬間のこと、夫婦円満のために心がけられたことなど、お伺いしたいことは多々ありますが、お二人の50年の歩みの中で、お心に残ったことについて、とっておきのエピソードを交えながらお聞かせください。
<天皇陛下>
私のプロポーズの言葉は何かということですが、当時、何回も電話で話し合いをし、ようやく承諾をしてくれたことを覚えています。プロポーズの言葉として一言で言えるようなものではなかったと思います。
何回も電話で話し合いをし、私が皇太子としての務めを果たしていく上で、その務めを理解し、支えてくれる人がどうしても必要であることを話しました。承諾してくれた時は本当にうれしかったことを思い出します。
結婚50年にあたって贈るとすれば「感謝状」です。皇后は「この度も努力賞がいい」としきりに言うのですが、これは今日まで続けてきた努力をよみしての感謝状です。本当に50年間よく努力を続けてくれました。その間にはたくさんの悲しいことやつらいことがあったと思いますが、よく耐えてくれたと思います。
夫婦としてうれしく思ったことについての質問ですが、やはり第一に2人が健康に結婚50年を迎えたことだと思います。2人のそれぞれのあり方についての話し合いを含め、何でも2人で話し合えたことは幸せなことだったと思います。皇后はまじめなのですが、おもしろく楽しい面を持っており、私どもの生活にいつも笑いがあったことを思い出します。また皇后が木や花が好きなことから、早朝に一緒に皇居の中を散歩するのも楽しいものです。私は木は好きでしたが、結婚後、花に関心を持つようになりました。
語らひを重ねゆきつつ気がつきぬわれのこころに開きたる窓
婚約内定後に詠んだ歌ですが、結婚によって開かれた窓から、私は多くのものを吸収し、今日の自分を作っていったことを感じます。結婚50年を本当に感謝の気持ちで迎えます。終わりに私ども2人を50年間にわたって支えてくれた人々に深く感謝の意を表します。
<皇后さま>
たくさんの質問があって、全部はお答えできないかもしれません。とりわけ、婚約のころのことは、50年を超す昔、昔のお話で、プロポーズがどのようなお言葉であったか、正確に思い出すことができません。また、銀婚式を前にしてお尋ねのあった同じ質問に対してですが、このたびも私はやはり「感謝状」を、何かこれだけでは足りないような気持ちが致しますが、心を込めて「感謝状」をお贈り申し上げます。
次の、夫婦としてうれしく思ったこと。このようなお答えでよろしいのか……。嫁いで1、2年のころ、散策にお誘いいただきました。赤坂のお庭はクモの巣が多く、陛下は道々クモの巣を払うための、確か寒竹だったか、葉の付いた、細い竹を2本切っておいでになると、その2本を並べてお比べになり、一方の竹を少し短く切って、渡してくださいました。ご自分のよりも軽く、少しでも持ちやすいようにと思ってくださったのでしょう。今でもその時のことを思い出すと、胸が温かくなります。
昭和天皇の崩御後、陛下はご多忙の日々の中、皇太后さまをお気遣いになり、さまざまに配慮なさるとともに、昭和天皇が未完のままお残しになったそれまでのご研究の続きをどのような形で完成し、出版できるか、また昭和天皇の残されたたくさんの生物の標本をどううすればちりぢりに分散させず、大切にお預かりする施設に譲渡できるかなど、細やかにお心配りをなさいました。こうしたご配慮のもと、平成元(89)年の末には皇居の植物が、平成7(95)年には相模湾産ヒドロ虫類の続刊が刊行され、また、平成5(93)年には昭和天皇ご使用の顕微鏡やたくさんの標本類が国立科学博物館に、平成7(95)年には鳥類の標本が山階鳥類研究所に、それぞれ無事におさめられました。印象に残った出来事はという質問を受け、この時の記憶がよみがえりました。
結婚して良かったと思った瞬間はという、難しいお尋ねですが、もうエピソードはこれで終わりにさせていただいて、本当に小さな思い出を一つお話し致します。春、コブシの花が取りたくて、木の下でどの枝にしようかと迷っておりました時に、陛下が一枝(いっし)を目の高さまで下ろしてくださって、そこにほしいと思っていた通りの美しい花がついておりました。うれしくて後に歌にも詠みました。歌集の昭和48(73)年のところに入っていますが、でも、このようにお話をしてしまいましたが、それまで一度も結婚して良かったと思わなかったということではありません。
この50年間、陛下はいつも皇太子、また天皇としてのお立場を自覚なさりつつ、私ども家族にも深い愛情を注いでくださいました。陛下は、誠実で謙虚な方でいらっしゃり、また常に寛容でいらしたことが、私がおそばで50年を過ごしてこられた何よりの支えであったと思います。
毎日新聞 2009年4月10日 5時00分(最終更新 4月10日 14時11分)