皇室

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特集:天皇、皇后両陛下ご結婚50年(その1)

 ◇皇室に新風送り、「国民と共に」貫く

 天皇、皇后両陛下は10日、結婚50年を迎えられた。軽井沢でのテニスを通じた出会い、そして結婚。民間からの初の皇太子妃誕生という「物語」に国民は高揚し、皇室へのイメージを新たにした。お二人は、その後の子育て・教育、夫婦のあり方にも皇室に新しい風を送り込み、国民の間に分け入って直接の触れ合いを重ねてきた。そこには時代と国民に寄り添い、「国民と共にある皇室」を目指す姿勢が貫かれていた。【大久保和夫】

 ◇夫婦の役割分担

 「本人の意思というものが一番尊重されなければならないことだと思っています」。85年の記者会見で天皇陛下は、長男の皇太子さまのおきさき選びにどのくらい親の意向が反映されるかとの質問に対して「皇族の結婚の場合は、皇室会議の議を経るとか、(略)多くの普通の結婚とは異なった面がある」としながらも「結婚は、両性の合意でなければならないというような点など、普通の結婚と非常に似ている、同じ面があります」と強調した。自らの結婚において、旧皇族・華族や学習院出身者などから選ぶという従来の皇室の因習にとらわれず、民間出身の美智子さまを伴侶として選んだ基本的考えがにじみ出ていた。その考えは、皇太子さまはじめ3人のお子さま方の結婚でも踏襲された。

 「家庭づくりについては、孟子の中に『国のもとは家にあり』という言葉がありますけど、やはり家庭という身近なものの気持ちを十分に理解するということによって初めて遠い所にある国民の気持ちを実感として理解できるのではないかと思っています」。結婚25周年に当たっての記者会見では「家庭づくりの基本的な考え」を聞かれて天皇陛下はこのように答えていた。

 また、30年前の記者会見で、皇室では初めて自分の手で子供を育てたことについて聞かれた陛下は「皇室で初めてといっても、三笠宮家とかを含めれば初めてというわけでは決してない」としたうえで、かつては他の家で子供を育てるということは一般家庭でもあったことに触れ「皇室だけの習慣ではなくてあったわけです」と述べている。さらに「それが今は、そういうことではなくて個人が自分の家の中で育てるようなことになった。皇室の慣習というか、慣例というものもそういう社会の動きと一緒になっていくというふうのものなのではないでしょうか」とし「特にこちらが新しく始めたというようなものではないんですね」と、社会全般の動きに合わせて、皇室の子育ても変遷してきた、との認識を語っていた。

 象徴的な場面がある。98年の長野冬季パラリンピック競技会場でのことだ。両陛下のところでウエーブが途切れないよう、皇后さまが陛下の了解を得て、とっさに加わり、両手をあげた。天皇陛下はにこやかな表情で見ていた。会場は一段と盛り上がった。その場のムードを大事にし、ご夫妻で役割を分担する--。あらゆる場面でそれぞれが求められ、相手に求める役割を果たしてきていることを示している。

 長年侍従を務めたOBが、天皇陛下から言われた印象深い言葉を語ったことがある。「いつも国民の目線に立って見ること」--。両陛下の歩みは「国民と共にある」ことを基本にしながら、たゆみなく思いを巡らした日常の中での小さな積み重ねの上に築かれた半世紀だった。

 ◇公私の矛盾、克服した半世紀--評論家、和光大名誉教授・岸田秀氏

 日本における「天皇」は、統治権力に正統性を付与する存在で、人間的な欲望を持っていないとか、清らかな存在だとかいう一種の幻想が国民にはある。半分神様のような存在として期待されている。天皇陛下は、幼いころから、そうした教育を受けてこられたわけだが、50年前に皇室に入られた皇后美智子さまはそうではなかったわけで、大変な苦労をされたし、その環境の中で非常によくなさってこられたのではないか。

 私は、誕生日も2日違いで天皇陛下と同年代で、小学6年生で敗戦を迎えている。この世代は戦争の記憶が強烈に残っている。天皇陛下は、父である昭和天皇の苦悩も肌で感じており、戦没者に対する強い思いがあり、戦争に対する反省も強くお持ちだ。一つ違いの美智子さまもお気持ちは同じで、日本のあるべき方向については、お二人の思いは一致している。

 他方、子供の時に受けた軍国主義教育への反省から人権を重視し、個人の自由を大切にする思いも強く、皇太子さまはじめお子さま方の教育にも反映しており、一般国民と変わらないライフスタイルをとるようになってきた。また、日本の家族の代表とも受け取られてきている。

 しかし、公的立場としての「神聖な存在」と「個人の自由や人権」とが一致しないつらさが、皇族にはあり、一人の人間として見た場合には、矛盾にさらされている。両陛下の50年の歩みは、こうした状況を両陛下の個性、力量、不断の努力で克服してきた半世紀だったが、今後はどのような皇室が求められるか、次世代の課題になってくるだろう。(談)

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 ◇天皇、皇后両陛下のあゆみ(1933~93年)

1933(昭和 8)年

     12月23日 皇太子明仁親王(現天皇陛下)誕生

1934(昭和 9)年

     10月20日 正田美智子さん(現皇后陛下)誕生

1941(昭和16)年

     12月 8日 太平洋戦争開戦

1945(昭和20)年

      8月15日 終戦

1947(昭和22)年

      5月 3日 日本国憲法施行

1952(昭和27)年

      4月28日 サンフランシスコ平和条約発効

1957(昭和32)年

      8月19日 お二人が軽井沢のテニストーナメントで出会う

1958(昭和33)年

     11月27日 皇室会議で美智子さんを皇太子妃に決定し発表

1959(昭和34)年

      1月14日 納采(のうさい)の儀(結納)

      4月10日 ご結婚

1960(昭和35)年

      2月23日 浩宮徳仁親王(現皇太子さま)誕生

      9月22日 日米修好100周年を記念し米国へ。ご夫妻初の外国訪問

1965(昭和40)年

     11月30日 礼宮文仁親王(秋篠宮さま)誕生

1969(昭和44)年

      4月18日 紀宮清子内親王(黒田清子さん)誕生

1975(昭和50)年

      7月17日 沖縄国際海洋博覧会出席のため沖縄を初訪問。ひめゆりの塔で火炎瓶を投げつけられる

1980(昭和55)年

      2月23日 浩宮さまが成年式

1983(昭和58)年

      6月    浩宮さまが英国オックスフォード大に留学(2年間)

1984(昭和59)年

      4月10日 結婚25年(銀婚式)

1985(昭和60)年

     11月30日 礼宮さまが成年式

1988(昭和63)年

      3月    浩宮さまが学習院大大学院人文科学研究科博士前期課程を修了、礼宮さまが学習院大法学部政治学科を卒業

      8月    礼宮さまが英国オックスフォード大大学院留学(2年間)

1989(昭和64、平成元)年

      1月 7日 昭和天皇逝去(87歳)。天皇陛下即位

         8日 新元号「平成」施行

      2月24日 昭和天皇の「大喪の礼」

      9月12日 皇室会議で礼宮さまと川嶋紀子さんとの婚約決定

1990(平成 2)年

      6月29日 礼宮さまと紀子さまが結婚。秋篠宮家創設

1991(平成 3)年

      2月23日 皇太子さまが「立太子の礼」

     10月23日 秋篠宮ご夫妻の長女眞子さま誕生。天皇陛下初めての孫

1992(平成 4)年

      3月20日 紀宮さま、学習院大卒業

     10月23日 日中国交回復20周年で中国を訪問。陛下は日中間の過去について「私の深く悲しみとするところ」と述べる

1993(平成 5)年

      1月19日 皇室会議で皇太子さまと小和田雅子さんの婚約決定

      4月23日 全国植樹祭のため沖縄を天皇として初めて訪問。20万人の犠牲に触れ「深く哀悼の意」をお言葉で述べる

      5月18日 皇居に新御所が完成。12月8日に引っ越し

      6月 9日 皇太子さまと雅子さまが結婚

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 ■人物略歴

 ◇きしだ・しゅう

 1933年12月25日生まれ、香川県出身。早稲田大学卒。心理学者。「ものぐさ精神分析」など著書多数。

毎日新聞 2009年4月10日 東京朝刊

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