今日は午後から何もなかったし、天気も穏やかだったので、
ビートル君の夏タイヤ交換でもしようかな〜〜〜
て思ってたら、
アマゾンから本が届いた。
先日注文していた
白岩玄・著「空に唄う」(河出書房新社・刊)
だった。
タイヤ交換は中止にして、さっそく小説を読み始めたら、どんどん引き込まれて、一気に読んでしまった。
※※物語は、23才の新米僧侶の海生が、同い年の女子大生・碕沢さんのお通夜を勤めるのだが、なぜか、彼には亡くなったはずのその碕沢さんが見えてしまう。しかも、彼女は海生にだけしか見えない。自己主張できない引っ込み思案な海生がドキマギしながらも、その同世代の“女子大生ゴースト”と過ごす日々。実際には亡くなっているはずの彼女に自分は何をしてあげられるのか悩みながら、次第に彼女の存在が大切なものに・・・。。そして、、突然の「別れ」。 それが、お寺の日常をベースにした中で展開していくストーリーだ。
“ゴーストに恋をする”っていうのは、よくある設定かもしれないけど、
僕がこの小説に引き込まれてしまった理由は、新米僧侶ならではの日常の描写である。
・住職(ジイチャン)とお参りを分担しているところ、
・朝や夕方の本堂でのお勤めの場面、
・突然入る葬儀、
・クリスマスの季節の対するギコチナサ?
・お坊さんに遠慮なくチョッカイをかけてくれる檀家サン宅の可愛いちびっ子!
・除夜の鐘やお正月のお寺の様子、
・住職の代理で法要(49日)に行かなくてはならない場面での若さ故の遠慮、、、、
・近所に住む学生時代からの悪友、、、
・相談できるちょっと可愛い女友達・・・・
などなど、そういった「お寺に住む人間の日常風景」の描写が、あまりにも僕自身の過去(今もか・・・?)と重なったからである。
なので、小説を読みながら、僕の頭の中に浮かべた「情景」は、僕自身の交友関係や人脈の中での人物でした!!(笑)
それに・・・
ふだん、亡き人が迷ってるとか、タタリがあるとか、いわゆる「霊」といった類の話をする事は、ものすごく嫌いな「真宗僧侶」の僕ではあるけれど、
こういう物語は、罪がなくていい。
突然に彼女がいなくなったあとの描写。
部屋で彼女が使った毛布がそのままだとか、遊んだゲームや食べたお菓子がそのままだとか、着信履歴に残る彼女のナンバーに何度も携帯をかけてみるとか・・・・そういったシーンには、切なくて、苦しくなってしまった。
あと、読みながら思ったのは、
“ゴースト彼女”と お寺の中で一緒にいても、自分以外の家族には見えない、分からない、でも、何となく怪しまれる・・・、そして、そんな関係を友達にも信じてもらえないからこそ語れない・・、それでも、積み重なってく2人の時間と思い出・・・。
これって、“ゴースト彼女”じゃなくても、
周囲に知られずに「水面下」での恋愛をキワドクしてきたような人には重なってしまうのでは??
な〜〜んて、
なぜか・・・泣けてきた僕でした・・・・(大笑)
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