2009年4月10日 (金曜日)

ライブじゃない伝え方

室蘭市と登別市にある大谷高校。

いつもお世話になっている校長先生から電話をいただき、
来月のそれぞれ2校での「花まつり」の講師をお願いされた。

「大谷高校」へは、3年に一度くらいの周期で BOSANソングライターKONOの「法話ライブ」に呼んでいただき、歌ったりしている。

昨年の春の「花まつり」にも行ったばかりだから、
次回はもう少し先だと思ってたので
「2年連続の法話ライブ?」
と思ったら、

今回は「法話ライブ」ではなく、
「法話」だけでお願いします、とのこと。
つまり、生徒サンの前で【お話】を45分くらいで、とのこと。

24歳からオリジナルの歌と法話を合体ミックスした“BOSANソングライターKONOスタイル”でやってきたけど
【ギター】も【歌】も【サングラス】もナシで、
大谷高校に「仏教の話」をしに行く……


実はナント!初めてなので〜〜〜〜〜す(*´▽`*)

いやいや、
それがお坊さんの法話としては「本来のスタイル」なんですね。〈今までが邪道(笑)〉

さて、
ライブじゃない伝え方で
生徒サンの前で何を語るか?
また 大切な「ご縁」をいただきました。

そして、同時に
大切な「課題(テーマ)」もいただきました。


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2009年4月 7日 (火曜日)

春の日ドライブ

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今日は、
ゆるやかなスケジュール。

おまけに、
あまりの天気の良さに
家の中にいたくないっ!

…と言うわけで、
午後からドライブへ。

高速道路を1時間少し。

久々に
北広島の【コストコ】へ。

歩き疲れて
買い物用の“巨大カート”にもたれて
店内ウロウロの図…

買い物して歩くにも
体力がいるぜ(汗)

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2009年4月 5日 (日曜日)

タイヤ交換2つの気持ち

タイヤ交換2つの気持ち

今日、
ビートル君の夏タイヤへ交換完了。

まだ雪は降るかもしれんけど、
ま、僕の住む地方あたりなら大丈夫でしょう。


毎年、
冬タイヤ取り外した時、

・「あぁ、また雪道シーズンを無事に終えることができたなぁ…」

・「ひゃっほう!春だなぁ♪」


という、
2つの気持ちになりますわ。

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2009年4月 4日 (土曜日)

ロウソクの火

お仏壇(お内仏)の灯明(ロウソクの火)は何を表しているのか?

それは
私の“闇”を、仏の“光”に照らして明らかにしていただく、

という意味があります。

仏の“光”とは、
お釈迦様(仏)の覚られた「ものの見方」、つまり【智慧(ちえ)を表します。

  

ある先生の解釈によると、

【智慧】の
「智」とは、この世を生きるために働かせる認識能力、
「慧」とは、現象の真実の姿を見つめる認識能力。

まとめると、
【智慧】とは、

“事実をどこまでも事実として ありのままに認める働き”

ということであり、
それは、
「縁起」というものの見方に目覚めて開かれてくる「ものの見方」だ、と説きます。

それでは、その【智慧】とは、どんなふうに「ものを見る」のかというと・・・・  

******************************

すべての存在は種々の条件により【因縁】
仮にそのようなものとして成り立っている
【五蘊仮和合】
ゆえに条件次第で変化し
【無常】
独立的存在をもたず
【空・無我】
互いに依存する
【お陰さま】

以上は、以前に何かの本からメモしたものです(何の本は失念してしまいまました)

******************************

・・・・またまた難しいですね(苦笑)

 

でも
お仏壇のロウソクの火は、

そういう「教え」にワタシ自身を照らす意味があるのです。

決して、線香に火をつける為の「火だね」ではありません(笑)。

 

あと
法要の最中にロウソクの炎が大きく燃えだしたりしたら
「あ!亡くなったバアチャンが帰ってきたんだ!」
と自己流に解釈する方が以外といるんですが、
(そう思いたい「情」としては分かりますが)、

ロウソクの炎が大きくなったのは、ある「条件」のもとでそうなった「事実」であり、それ以上の意味はないと思います。

ま、自由ですけど・・。

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2009年4月 2日 (木曜日)

綾瀬サン

綾瀬サン

さて、
4月に入った。

テレビをつけると
入社式やら進級・進学の話題。
京都の兄貴のとこも、甥っ子が高校に、姪っ子が中学に入るのだが、
やはり4月になると「春っ♪」って感じがしていいな。

しかし、年度が変わっても
お寺には
“新入僧侶”が入ってくるわけでない。

特に変化のない私も
「仕切り直し」
がしたくなって、
新しい「着物」をおろしてみた。
でも
たいして気分は変わらないわ…(笑)

さて
頑張るか!

今朝テレビを見てたら、化粧品のCMに綾瀬サンが出ていて、
少しだけココロが踊ってしまった。もうすぐ40歳なのにお恥ずかしい…

振り返れば、
アイドルやタレントなどの芸能人に対して……

・10代の頃は恋をした。(例えば、菊池桃子に)

・20代になると、恋はしないが 妄想は抱いた。(例えば、石田ゆり子に)

さすがに30代も終わろうとしている今は、「恋」もしないし、「妄想」も抱かない(笑)
《もし、そんなんならヤバイ(汗)》

ただ綾瀬サンを見ると
なんだかお気に入りの「絵画」をしずかに鑑賞しているような
なんかホッとするような……

つい
コンビニで雑誌の表紙に彼女を発見してしまうと……、

買ってしまうんだよな。

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空に唄う

今日は午後から何もなかったし、天気も穏やかだったので、

ビートル君の夏タイヤ交換でもしようかな〜〜〜

て思ってたら、

アマゾンから本が届いた。

先日注文していた

白岩玄・著「空に唄う」(河出書房新社・刊)20090402174605

だった。

タイヤ交換は中止にして、さっそく小説を読み始めたら、どんどん引き込まれて、一気に読んでしまった。

※※物語は、23才の新米僧侶の海生が、同い年の女子大生・碕沢さんのお通夜を勤めるのだが、なぜか、彼には亡くなったはずのその碕沢さんが見えてしまう。しかも、彼女は海生にだけしか見えない。自己主張できない引っ込み思案な海生がドキマギしながらも、その同世代の“女子大生ゴースト”と過ごす日々。実際には亡くなっているはずの彼女に自分は何をしてあげられるのか悩みながら、次第に彼女の存在が大切なものに・・・。。そして、、突然の「別れ」。 それが、お寺の日常をベースにした中で展開していくストーリーだ。

  

“ゴーストに恋をする”っていうのは、よくある設定かもしれないけど、

僕がこの小説に引き込まれてしまった理由は、新米僧侶ならではの日常の描写である。

・住職(ジイチャン)とお参りを分担しているところ、

・朝や夕方の本堂でのお勤めの場面、

・突然入る葬儀、

・クリスマスの季節の対するギコチナサ?

・お坊さんに遠慮なくチョッカイをかけてくれる檀家サン宅の可愛いちびっ子!

・除夜の鐘やお正月のお寺の様子、

・住職の代理で法要(49日)に行かなくてはならない場面での若さ故の遠慮、、、、

・近所に住む学生時代からの悪友、、、

・相談できるちょっと可愛い女友達・・・・

などなど、そういった「お寺に住む人間の日常風景」の描写が、あまりにも僕自身の過去(今もか・・・?)と重なったからである。

なので、小説を読みながら、僕の頭の中に浮かべた「情景」は、僕自身の交友関係や人脈の中での人物でした!!(笑)

 

 

それに・・・

ふだん、亡き人が迷ってるとか、タタリがあるとか、いわゆる「霊」といった類の話をする事は、ものすごく嫌いな「真宗僧侶」の僕ではあるけれど、

こういう物語は、罪がなくていい。

 

突然に彼女がいなくなったあとの描写。

部屋で彼女が使った毛布がそのままだとか、遊んだゲームや食べたお菓子がそのままだとか、着信履歴に残る彼女のナンバーに何度も携帯をかけてみるとか・・・・そういったシーンには、切なくて、苦しくなってしまった。

   

あと、読みながら思ったのは、

“ゴースト彼女”と お寺の中で一緒にいても、自分以外の家族には見えない、分からない、でも、何となく怪しまれる・・・、そして、そんな関係を友達にも信じてもらえないからこそ語れない・・、それでも、積み重なってく2人の時間と思い出・・・。

これって、“ゴースト彼女”じゃなくても、

周囲に知られずに「水面下」での恋愛をキワドクしてきたような人には重なってしまうのでは??

な〜〜んて、

なぜか・・・泣けてきた僕でした・・・・(大笑)

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