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【萬物相】金正男

 1978年2月、1カ月前に北朝鮮に拉致された韓国の女優・崔恩姫(チェ・ウニ)さんが、金正日(キム・ジョンイル)総書記(当時は政治委員会委員)の公邸に招かれた。家族だけが集まって行われた金正日氏の36歳の誕生日パーティーでのことだった。崔さんはぽっちゃりとした子どもに「名前は何ていうの」と尋ねた。その子は無愛想な表情で、「何で人の名前を聞くの」とつぶやいた。すると、金正日氏は「大人が尋ねたら、“はい、わたしは○○です”と返事しなきゃダメだろう」とたしなめた。金正日氏はパーティーの間中、当時7歳だったこの子を自分のそばに置いていた。

 金正日氏の長男、正男(ジョンナム)氏は幼いころ、父親の愛情を独占していた。誕生日には軍服を着て、階級章を付けて誇らしげにしていた。5月10日の誕生日が近付くと、北朝鮮ではプレゼントを買いに行くグループが召集された。公邸に物資を運び込む護衛司令部第2局第9部のメンバーが、日本や香港を経由し、はるばるドイツやオーストリアまで出かけた。ダイヤモンドが埋め込まれた時計、金メッキを施したおもちゃの拳銃、電子ゲーム機、ブランド物の服や運動靴まで、正男氏の誕生日プレゼントに100万ドル(現在のレートで約1億円)もの大金が使われていた(李韓永〈イ・ハンヨン〉著『金正日が愛した女たち-金正男の従兄が明かすロイヤルファミリーの豪奢な日々』より)。

 金正日氏は80年、正男氏をスイス・ジュネーブのインターナショナル・スクールに留学させた。正男氏の流ちょうな英語とフランス語はこのとき身に付けたものだ。正男氏が国外へ出ている間に、金正日氏は舞踊家の高英姫(コ・ヨンヒ)夫人と結婚し、二男の正哲(ジョンチョル)氏と三男の正雲(ジョンウン)氏をもうけた。それまで正男氏だけを一心に可愛がっていた金正日氏の愛情は、正哲氏と正雲氏にも注がれるようになった。正男氏は後継者争いで常にトップに立っていたが、90年代後半、幹部の子どもたちの前で「わたしが後継者になったら、改革・開放を行う」と述べたことで問題になった。

 正男氏が父親に見捨てられたのは、96年に金正日氏の前妻の甥である李韓永氏(97年にソウル市内で射殺)の母親で、正男氏の叔母に当たる成恵琅(ソン・ヘラン)氏が西側に亡命したことがきっかけだったという。正男氏は2001年、ドミニカ共和国の偽造パスポートで日本に入国しようとして強制送還された後、外国を転々とした。04年に高英姫夫人が死去した後も、平壌へ自由に出入りすることはできなかった。海外で時々記者と会ったときは一言二言コメントするものの、後継者問題については一切言及していない。

 そんな正男氏が今年1月、北朝鮮ではタブー視されている後継者問題について「父だけが決めることだ」とコメントした。その10日前には「(北朝鮮のミサイルを迎撃するという日本の方針について)自衛のためには当然のことだ」と述べ、「迎撃すれば戦争だ」という北朝鮮当局の意向に異を唱えた。今月8日に報じられた日本のテレビとのインタビューに対し、「わたしが後継者だとしたら、マカオでこんな格好(トレーニングウエア姿)をして遊び回っているわけがないだろう」と話した。正男氏の歯に衣着せぬ発言は、後継者候補から外されているためだという見方も出ている。北朝鮮では神のような存在である金正日氏も、息子たちだけは意のままに操れないようだ。

崔秉黙(チェ・ビョンムク)記者

朝鮮日報/朝鮮日報日本語版

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