bewaad institute@kasumigaseki

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  • 05/02/2007 (5:42 am)

    経済院卒の霞が関就職

    Filed under: economics, government ::

    一昨日のエントリにいただいたvicinityさんのコメントより。

    ところで私の場合、もしもアメリカ方式の公務員制度が日本で採用されていたと仮定すれば、おそらくそういう方面に職を将来的に得るべく、日本か海外でPh.Dを自力で取って、民間又は党のシンクタンクに行っていたかもしれない、という想像は出来ないわけではありません。

    が、当時の日本では、そこまでせずに一般職として働ける環境があったので(逆に博士号を取れば某府省(某部局)を除き事務系1種職員で採用される可能性及び民間企業への就職の可能性もさらに下がることが見込まれる以上)、経済学部を卒業した後に、さらに上のアカデミックな世界に行くという結論には至りませんでした。いえ、むしろ真っ先に可能性を排除したのが現実です。

    「公務員の若年昇進の是非」(4/30付)へのvicinityさんのコメント

    関連して、某板某スレにて、なぜ日本では院卒がエリート層を形成しないのかという議論が最近あり(スレ違いでしたし、そこでの議論は終わっているので、リンクは張りません)、それも視野に入れつつ論じてみたいと思います。

    まず、「博士号を取れば某府省(某部局)を除き事務系1種職員で採用される可能性・・・もさらに下がることが見込まれる」のでしょうか。形式的には可能性は下がらないでしょうし、でも実質的には下がらざるを得ないのだろうなぁ、というのが私見です。

    #「某府省(某部局)」って、内閣府の旧経済企画庁ですよね?

    その含意は、国I合格者であれば学卒であろうと院卒であろうと平等に扱われるので、それが「形式的には可能性は下がらない」ということです。他方で「実質的には下がらざるを得ない」とは、院卒は学卒よりもコスト(機会費用を含む)を費やしてそのステイタスを入手しているわけで、学卒と平等にしか扱われないのでは、割に合わないとして敬遠されても自然なことでしょう。加えて、就職後には同様にコピー取りなどの下積みをさせるわけで、せっかく手に入れたスキルを思う存分発揮したいという思いも満たされないでしょうし。

    #実際にはこのコストはサンクコストになっているので、それを勘案したところでどうしようもないのですが。

    では、なぜ霞が関においては学卒と院卒を平等に扱うのでしょうか。わざわざ院卒を取り逃がしている側面があるわけで、これは愚策ではないのでしょうか?

    webmasterの管見では、愚策ではないということになります。つまり、院卒の処遇を向上させてより多くの院卒を確保したとしても、コストに見合うだけの便益を組織として得られない、というのが現状ではないかということです。具体的には、次のようなことが言えるのではないでしょうか。

    1. 霞が関に対する批判において、院卒の専門知識によって対応する必要のあるものが極めて少ない。

      霞が関は数多くの批判にさらされ、それを受けて対応しなければならないことが業務の過半を占めるわけですが、その中には、院卒でなければ対応策が思いつかないというものはほとんどありません。なぜほとんどないのかを考えれば、結局は学者その他の専門家による批判が少ないということかと思います。

      霞が関に比べれば、相対的には本石町には院卒が多いと思いますが、それもこうした批判の内容に応じている面が少なからずあるとwebmasterは思います。日銀の方が専門家の批判にさらされる機会が多い分だけ、そうした批判に反論できるだけの人材を確保する必要があるということではないでしょうか。

    2. 大学院で身につけるスキルが霞が関のニーズにそれほどあっていない。

      これは偏見かもしれませんので、誤りであったならば訂正するにやぶさかではないのですが、大学院(とりわけ経済学)で院生が身につけようとするスキルは、政策立案・実施への適用をあまり考えられていないのではないでしょうか。たとえば先日取り上げたyyasudaさんの就職活動において、アメリカの大学等では「オマエの考えた政策(僕の場合はオークション設計)を今すぐ実行すべく政府に売り込めるか?」と聞かれたということですが、日本ではそのようなことはあまり聞かれないのではないでしょうか?

    3. 留学により修士号(人によっては博士号)を取得させることが可能。

      これについては、留学への批判も多い昨今、将来的には環境が変化する可能性はありますが、さしあたり現状においては、ということで。

    しかしながら今後は、院卒就職というものがより重要になっていくのではないか、という気がwebmasterにはします。というのも、ロースクールや公共政策大学院の普及により、法学部生にとって、それらに進むことが優秀さのシグナルとして機能しはじめているからです。とりわけロースクールに進んだ学生は、法曹としての好待遇を勝ち得る可能性が多分にあるわけで、就職市場においてそうした就職先と伍していくためには、学卒を上回る待遇を提示しなければならないはずです。その流れが経済系にも及んでくるのではないでしょうか。

    加えて、キャリア制度に対する批判は根強いのですが、理屈で言えば、同じ学卒対象であるI種とII種に扱いの差を設けることの理屈がつかないということが説明が困難である点でしょう。何らかのキャリア的な存在を残すためにも、あくまで山勘ですが、I種は将来的には、院卒資格になるのではないかという気がするのです。

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    46 Responses to “経済院卒の霞が関就職”

    1. vicinity Says:

      まさか私のコメントがエントリで取り上げられるとは予想外で、大変恐縮しております。

      >「博士号を取れば某府省(某部局)を除き事務系1種職員で採用される可能性・・・もさらに下がることが見込まれる」のでしょうか。形式的には可能性は下がらないでしょうし、でも実質的には下がらざるを得ないのだろうなぁ、というのが私見です。

      経済職の最終合格者の枠の中では、院卒受験生の採用可能性は確かに平等だと思います。ただ、現実に、院卒、特に博士課程まで進んだ事務官の数は圧倒的に少ないので、学生側か、あるいは採用側か、どちらか、あるいはどちらもが、敬遠しているのかな、という印象を述べてしまいました。

      これから修士号取得者が霞ヶ関にも増えてくると思いますが、そういう「実績」を持つ彼らが、これまで私どもがやってきた「雑巾掛け」を喜んで出来るのか、という不安は少しあります。私には、こういう過程でほとんど全てのノウハウを学んできたというトラウマ、もとい、自負があるので、そういう過程を経なくても、補佐級になった時に部下に的確な指示が出せるのか、という疑念があることは否定しません(いえ、決して彼らをいじめたいわけではないのですが。)。

      この疑念さえ晴らせる方法があれば、今後は「博士号取得→課長補佐級」というキャリアパスの導入もあってもいいと思います。居残る人間としては、より広範囲の志ある人材を確保するべく、この程度の変革は必要だと思いますし。
       
      >#「某府省(某部局)」って、内閣府の旧経済企画庁ですよね?
      その通りです。もちろん学士でも可能性はありますが、経済学の院卒に絞った場合、やはり一定人数を毎年確保しているイメージが強いです(中の人のご意見を聞きたいところですが)。

      留学で修士号を取ることについては、費用の面を除いて、職務経験を元に目的意識が明確になっており、より実践的な研究活動が出来るのではないか、と個人的には(経験も含めて)思っております。

    2. 特殊法人 Says:

      Bewaad氏の議論はよかれあしかれ常に現状を所与とするので、そこを是とすれば理解できるご意見です。
      ところで、アメリカではなぜ公務員が(ほぼ)みな博士号取得者なのでしょうか。同じ役所でも仕事の内容が違う(日本ではコピーとりだから?)のか、アメリカの博士号保持者は「調整能力」が高いのから(日本人の院卒は調整できない?)なのでしょうか。

    3. 特殊法人 Says:

      アメリカの公務員(全部)というのは語弊がありましたね。幹部級というか日本でいうところのキャリア組に相当する人々の意味です。相対的に明らかに「高学歴」ですよね。

    4. ASK Says:

      一応制度としては、擬錙畭臑粥↓脅錙畸斬隋高専卒、啓錙畊眤粥△覆里任垢茲諭
      実際は、擬錙畊駑大、脅錙畛簑腓実態に近いイメージかもしれませんが。

      自分の周りの話で恐縮ですが、わが社は、特に就職難だった時代を中心に院卒で脅鏈陵僂諒もちらほらいます。
      匿名を承知でぶっちゃければ、私は某私大から学卒で擬鏈陵僂気譴泙靴燭、自分と同じ大学の院卒の人が同期の脅鏈陵僂砲い泙后
      自分自身大学院に行こうと思っていた時期もあり、仮にも専門を修めた人に対する尊敬というか憧れがある人間だけに、大学院の存在意義を含め、入省当初は制度の矛盾を感じました。
      そもそも学卒が一番有利と言う日本の就職事情を知って院に進んで、さらに自分で就職先を決めたのだから人がとやかくいう事じゃないといわれればその通りなのですが。

      金融庁がロー卒新司法試験合格者を採用してちょっと話題になりましたが、あれも学卒擬錣汎韻限垓なようですね。
      社会人経験を経て入ってくる人も特に人事上考慮はされていませんから、こちらも似たような話ですか。
      ご指摘の通り、結局人事上は学卒と同様扱われることを承知の人しか来ないわけですから、人材を取り逃しているのは確かだと思います。
      年次だけ気にすればいいというのは、確かに業務上も人事上も楽なんですけどね。

      というわけで、エントリを読んで、擬錙甕‖粥↓脅錙畭臑粥↓啓錙畊眤or短大卒、に向かいつつある過渡期なのかもなあと思った次第です。

      そういえば、医官の人はいきなり課長補佐級だったような。

    5. ASK Says:

      追記として特殊法人さんの意見についてコメントさせていただきたいと思います。

      学部生だった頃、「諸外国では社会科学のドクター持ちが経済政策・外交・立法作業などの中心にいるのにも関わらず、日本は学部卒、しかも法学部卒ばかりがやっているのはおかしい。競争力も無い。」みたいな意見はちょくちょく耳にしました。
      思い返すに、経済セミナーとかでしょうかね。
      その頃は、そりゃそうだよなあと思っていたのですが、入ってみると、別に現状は学部卒で回るなあ、むしろ若くて体力のある人間のほうがいいなあ、役所のやっていることなんてだいたいどの国も同じなのにあの国は学費の無駄なんじゃないかなあ、と思うようになりました。
      個人的な意見としては、自分が専門家である必要は必ずしも無くて、専門家の言っていることを理解する能力があればいいのかなと思います。
      少なくとも今まではそうやってやってきたのではないでしょうか。

      役人といっても、国際会議に出たことのある方や、国際機関に出向された方、さらには専門性の強い部署にいる方等は別の意見をお持ちかもしれませんけれども。

    6. webmaster Says:

      >vicinityさん
      現在あるキャリア制度への批判が引き続き存続するのであれば、「スーパーキャリア」としての院卒採用はなかなか難しいように思える一方、キャリア制度批判の中にも内閣一元採用など「スーパーキャリア」を指向するものもあり、まあ世論が整合的であることは期待できないというのはよくあることですが(笑)、どこまでフィージブルなのかは私にもよくわかりません。ヴェテランの心象をも視野に入れた組織管理としては、いきなり補佐クラスでというのはつらいような気がしないでもないですが、もともとの高等文官試験が当時の大卒が今の院卒以上の相対的学歴価値に着目したものであったことに鑑みれば、それだけのステイタスを院卒が持ち得るのであれば何とかなるような気もしますし。

    7. webmaster Says:

      >特殊法人さん
      (日本の)文系とはことなり理系においては院進が通常であり(少なくとも優秀であることのシグナリング効果は有しており)、院卒就職も普通に見られることからすれば、こと霞が関に限らず、日本の学卒就職市場のそれこそ構造に起因する話だと思います。

      アメリカや国際公務員であればある程度想像は可能で、つまりはシグナルとしての効果を重視して院卒を評価しているのだと思います。そこからの連想でいけば、日本(の文系)においては、院卒がシグナルとしての効果を有していないか、それともシグナルに着目した選抜はあくまで情報の非対称性下での便宜的手法ですから、そのようなシグナルに着目せずとも何らかの形で情報の非対称性が緩和できているのか、理屈で言えばいずれかが理由なのだと思います。

      公務員はさておき、民間企業であれば、実際に院卒のパフォーマンスがよいのであれば、院卒をきちんと採用していることでしょう。幹部公務員の例をお示しですが、民間企業の役員に占める院卒比率も明らかに日本はアメリカよりも低いですよね。デフレ不況の長期化の原因は民間企業役員における院卒比率の低さだ、なんてことでない限りは、アメリカはアメリカでそれが有利である一方、日本は日本でそれが有利であることを仄めかしていると理解しています。

    8. webmaster Says:

      >ASKさん
      おっしゃるように、エントリに書いたことでも、結局はそれが損でない状況にあるというのが大きいのだと思います。院卒でなければ対応に苦慮するような問題が山積しているのであれば、おのずと院卒を優遇して来てもらうような状況になるはずで、そうでないというのは、院卒でなくてもいい(のか院卒でない方がいいのかはともかく)状況にあるのでしょう。特殊法人さんへのコメントでも書きましたが、ことは公務員に限らず、民間でも見られる話ですし。

    9. 特殊法人 Says:

      予想通りのご回答ですが、アメリカで院卒学歴がシグナル「だけ」なわけがないです。専門教育を受けた人材だけが対応できる案件は確かに存在しており、(民間も含めて)日本にも本当はたくさんあるのですが、あたかも無いかのように振舞っているのが事実です。
      それを分かった上で保守の論陣を張られるBewaad氏の本音のところをいつか聞いてみたいものです。

    10. 痴呆公務員若手 Says:

      >専門教育を受けた人材だけが対応できる案件は確かに存在し
      >ており、(民間も含めて)日本にも本当はたくさんあるので>すが

      これが具体的に何をさすのかが問題なのであって、アプリオリに「本当はたくさんある」と言われても議論にならないと思いますが。

    11. 特殊法人 Says:

      >痴呆公務員さん
      失礼しました。例えば世界銀行のサイト、特に採用欄とかご覧になってはいかがでしょう。教育、環境、金融等、様々な分野のエキスパートが募集されています。

    12. 通りすがり Says:

      アメリカと日本の比較をする上で、シンクタンクや大学とホワイトハウスなり各省における人材の流動性と教育制度の違いを考慮する必要があると思います。幹部は特に他の業界で腕を鳴らした方が任用されることが極めて多いので、我々の目に触れるような方々は、実業界出身ならMBA、大学や研究機関出身ならPh.Dなりを有しているのは驚くことでは無いと思います。

      「専攻」という概念自体は日本の専門教育課程よりも柔軟に出来ていると聞いてます。院教育の比重が高くなることは当然ですし、Ph.Dプログラムしか持っていない大学院もあるのでアメリカの人材が高学歴になりがちなのは自然のことかもしれません。

      そもそも回転ドアみたいに人が出入りするので、そういう環境下で仕事が廻るような組織文化が出来ていることは想像に難くありません。その中では暗黙知の代替物として、体系的な知識あるいは自分の蓄積の客体化が必要になると言えるように思えます(国際機関もそういう側面が強いです)。

      日本の官僚・公務員の競争力が低い(政策立案あるいは人間としての能力)と言われるのは、暗黙知に依存しがちな仕事のスタイル、政策立案上の制約条件(他に抱えている仕事・納期・政治状況・法律の縛り・予算査定)、外部の人間と競争関係にないといったところが影響しているだけで、院卒の有無が影響しているわけではないはずです。

      組織の内部の知見の蓄積で解決出来ない「複合領域」的な課題は、組織間の関係あるいは調整の仕組みという制約がアドホックに乗っかりますし、個々人の仕事量が増えればその分個別事案に割かれる時間はより一層短くなります。その辺りを鑑みると、院卒採用や、人事院の留学制度の効果も含めて、日本の組織文化のあり方自体が変わる中で、霞ヶ関がどうするのか、どういう方向に舵を切るのか、自己解決出来ない難題に直面しているような気がします。

    13. 通りすがり Says:

      >>特殊法人さん
      世銀は確かにその分野の専門家を求めていると聞いています。ただオープンになっているものはマスターないしPh.Dを要求していますが、必ずしもそれに固執しているわけではありません。

      例えば金融庁で「金融政策立案一筋○○年、こんな実績があります」という杵柄があれば、学卒でも十分専門家として見なされます。無論、組織で仕事をしていること、人事育成上そうした専門家の育成を想定していないことを鑑みると、そういうアプローチは意外と難しいと言わざるを得ませんが。

      「専門教育」を受けた人材でしか対応できない案件というよりは、「専攻」という概念があるにしても幅広く学ぶことが奨励される学部教育ではフォロー出来ない知識や知的トレーニングが要求される案件という意味でしかないというくらいに考えておいた方が相場に近いかもしれません。

    14. 痴呆公務員若手 Says:

      世銀に限らず、米国の公共機関の多くで採用要件に博士課程があるという事実は、私も恐らくbewaadさんも知っているわけです。その事実を踏まえてシグナリングじゃないかと言っているのであって、「専門教育を受けた人材だけが対応できる案件」というのが具体的に何なのか、そしてそれがどういった観点から求められているかを提示して頂かないと反論にならないと思っております。

      日本の大学院も退院後すぐに即戦力として使える人材を輩出できるようになれば、自ずと採用する側も院卒を要件とする気がします。逆に言うと、日本の大学院教育がそれほどの価値がないと現状では判断されているということでしょう。(大学院に行っているやつよりも、数年先に就職してOJTを積ませたやつの方が「使える」という組織の判断。)
      「専門教育を受けた人材だけが対応できる案件」をプレゼン出来ること、これは学卒よりしっかり専門的な勉強した院卒が学卒以上の待遇を得るために必須の能力だと思うのですが、残念ながら日本の大学院ではこの手の指導は非常に少ない。もっとも採用する側が学卒ばっかりだから、正当に院卒の能力を評価出来ていないんじゃないかという懸念は必ずしも無いとは言えませんがね。

      >>日本の官僚・公務員の競争力が低い(政策立案あるいは人間としての能力)

      いきなり人間としての能力が低いと言われてしまうと何とも切ない気分になります(笑)

    15. koge Says:

      どうなんでしょう。欧米でも日本でも「18歳まで初等教育」化していて、理系はもちろん文系でもマスターまで行かないと「専門教育」を受けたといえないのは確かですが、日本では「大学全入」から「大学院全入」になりかかっていて、かつ学部段階のように学校暦によるシグナリングも効いてない現状では、そうなり得るのか、またそうなることで改善するのかどうかは正直眉唾物のような気が…。法律or経済学の『技官』化してしまう可能性もありそうな。
      >留学で修士号を取ることについては、費用の面を除いて、職務経験を元に目的意識が明確になっており、より実践的な研究活動が出来るのではないか、と個人的には(経験も含めて)思っております。
      これは社会科学では学部段階からそうなんじゃないかと思います。研究者志望であれ官僚やビジネスマン狙いであれ、むしろ全部「社会人大学院」にしてもいいんじゃないかと思います。まあ今の文系大学生はかなりの部分「勤労学生」ではありますが。
      >日本の官僚・公務員の競争力が低い(政策立案あるいは人間としての能力)
      >日本の大学院教育がそれほどの価値がない
      まあ、少なくともある種の研究者はコミュニケーション力・「人間力」がなくてナンボな部分があるのは否めませんが、それに甘えてそれらがなさすぎて学卒就職できなかった学生の受け皿としてしか機能していない院があるのもまた事実なわけで…

    16. ROM Says:

      院卒にしかできない仕事を考えてみましょう。学部卒の中の人に「そんな仕事ない」と言われても説得力ないですし。

      たとえば経済政策ならアメリカのCBOがやっているような仕事はどうでしょう?税制変更のマクロ経済への影響をDynamic Analysisで分析することなんか学卒でできますか?しかも、プロの経済学者と張り合える品質で。

    17. atsurao Says:

      私の知る限り、アメリカのundergraduateでは、経済学専攻であっても、微積分を一切使わないレベルです。最近の日本の学部卒がどの程度かは分かりませんが、一昔前であれば法学部向けの近代経済学の授業を4単位真面目にとっていれば、アメリカの経済学士レベル程度の知識は身に付いていたはずです。実用的な知識として教えられていたかは別ですが。
      まあ、優秀な学生は飛び級してさっさとgraduate schoolに行って、あっという間に追い越して行っちゃうんですけどね。

    18. adhoc Says:

      「大学院で身につけるスキルが霞が関のニーズにそれほどあっていない」

      現役官僚のbewaadさんに、そうあけすけに言われちゃったらねぇ、、、、

      自分の知る限り、経済学でアメリカの大学院と日本のトップ校(5校ぐらい)で提供していることが、そう質的に異なっているとは思わないんですよ。向こうでPh.D.取ったって、どんどん英語でpublishできるわけでもないし。

      教育というのは、「消費者が生産要素の一つである産業」(Rothchild and White, 1995 JPE)なので、大学院を出ると実務に就けるという期待が社会に広く共有されない限り、大学院の教育成果が実務的になることはありません。

      国際機関やFRBは、経済学の大学院を回ってリクルートするでしょう。日本の院にも来ている。日本も、キャリアについては公務員試験をやめて、法・経の大学院を回ってリクルートすりゃいいんじゃないですか。そしたら、実務志向の人材が大学院に来るかもしれない。

      現状で大学教員が、新しい大学院生にアカポス以外の立派な仕事につけるなんて幻想を抱かせたら、サギですよ。

      ぼく個人は、文系の大学院重点化なんか東大とか一部に限って、残りの大学は学部教育に専念した方がよいと思ってますけど。

    19. 鍋象 Says:

      日本では、プロより信用を大事にするんですよ。信用というのは、過去の働き具合がわかってるという意味です。学部卒は雑用レベルから初めて働き具合を見てから、それなりの仕事についていくわけで、その段階に至るまでに通常3年くらいかかります。3年くらいかけて、こいつは信用できる人間だと確かめつつ徐々に仕事を任せていく。

      院出て就職した人は、学部生との違いを求めるけど、会社側からすると単に2年遅れただけにしか見えない。そのくせ待遇面で優遇しなきゃならないとなると、あほらしくて採用してられない。
      例えば、財務部門で採用する人材が仮に会計士補の資格を持っていても、いきなりプロ扱いはしない。そもそも簿記1級すら持っていない人間が上司になるわけで。

    20. ASK Says:

      >たとえば経済政策ならアメリカのCBOがやっているよう
      >な仕事はどうでしょう?税制変更のマクロ経済への影響
      >をDynamic Analysisで分析することなんか学卒でできま
      >すか?しかも、プロの経済学者と張り合える品質で。

      経済でも法律でも、そういった高度に専門的な分析・調査はやっぱり学卒だと厳しいと思います。
      役所によりけりだとは思いますが、現状の霞が関は、そういう専門的な仕事は任期付きの研究官を雇って行うか、各種シンクタンクなりに委託してしまうことが多いと思います。
      研究官に議員や審議会委員への根回しやマスコミ対策をさせることはほとんど無く、またプロパー職員に高度に専門的な調査・分析をさせることもそんなにはありません(日銀は違うのかな)。
      自身調査課と名づけられたセクションにいましたが、各種論文なり専門書なりを漁って、場合によっては研究官に調べてもらって、それを専門家ではない国会議員や記者にもすぐ理解でき、かつ役所にとってあまり問題の無いような1枚の資料にデフォルメしてまとめるというのが主な仕事でした。
      好意的に解釈すれば、役割分担が出来ているということだと思いますし、自虐的に解釈すれば、理解も覚束ないくせに都合のいいところだけ適当に薄めて利用しているといったことになるのかもしれません。

    21. adhoc Says:

      教育再生会議では、「大学院重点化したのにアメリカみたいに質が高まらない」などと文句を言っています。では、あそこの委員さんたちや産業界・官界が何を大学院に求めているかというと、あまり明らかではない。

      基本的な発想は「セーの法則」で、大学院が人材を供給すればいずれ社会が需要するはず、というものです。で、どんな人材が欲しいのかというと、本当は彼らもわかっていない気がします。

      おいしいものが出てこないと店主を罵倒しているのだが、ではどういうものが食べたいかと聞いても、客の側に特にアイデアはなく、なんだかわからないけど、おいしいものがあるはずだから、それを出せ、と言っている。

    22. webmaster Says:

      >特殊法人さん
      >専門教育を受けた人材だけが対応できる案件は確かに存在しており、(民間も含めて)日本にも本当はたくさんあるのですが、あたかも無いかのように振舞っているのが事実です。

      非貿易財を扱う企業であればさておき、貿易財を扱う企業が雇用すべき院卒を雇用していない(ことによって生産性が劣っている)のであれば、それこそ国際競争に敗れてしまうはずですよね? にもかかわらずそうなっていないのは、
      1.「専門教育を受けた人材だけが対応できる案件」は、少なくとも生産性に有意な影響を与えるほどには存在していない、
      2.ノーベル賞受賞者の田中耕一さんのように、「専門教育」はOJT等でも可能であり、必ずしも大学院を経なければならないわけではない、
      のいずれかではないでしょうか。市場競争の洗礼を受ける民間においては、少なくとも「あたかも無いかのように振舞っている」と、あたかも見たくない現実に背を向けているようなことが実態ではないと思います。

    23. webmaster Says:

      >痴呆公務員若手さん
      私がいうのもなんですが(笑)、役所で言えば統計部門なんていうのはその典型だろうと思います。

      その他の分野でそれほど院卒が生きないのは、エントリでも書いた話ではありますが、日本の(文系)大学院で、どれだけ就職後に役立つスキルを叩き込んでいるのかに依存している部分も大きいのではないでしょうか。

    24. webmaster Says:

      >通りすがりさん
      実際に能力に差があるかどうかはさておき、能力を備えていることのわかりやすさに差があることは事実で、それがゆえに結果が出ないとどこまでも評価が下がる、というのは先日の左翼に関するエントリに相通じる話かと思います。

    25. webmaster Says:

      >kogeさん
      大風呂敷を広げるなら、いわゆる文系では研究と実践が相当程度乖離していて、学生自身が選択的に履修を考えないことには実践への応用もおぼつかない、なんてことが言えるのかもしれません。

    26. webmaster Says:

      >ROMさん
      エントリでも書いていますが、そういう批判に晒されるのであれば、もちろん必要になると思います。しかし実際には、国会質問にせよマスメディア対応にせよ、そのようなものに迫られることがないからこそ、現在は必要ではないと認識してます。

    27. webmaster Says:

      >atsuraoさん
      私は思いつきませんでしたが、確かにアメリカでは、undergraduateがリベラルアーツ中心であるがゆえに、院に傾斜しているという部分があるような気もします。例えばビジネススクールなんて、学問的レヴェルは日本の学部と大差なかったりもするわけで、MBAホルダーであるがゆえに学歴優位といわれてもなぁ、というのはありそうな。

    28. webmaster Says:

      >adhocさん
      私も決してそれが望ましいと思っているわけではないんですが、実際のところどうしたものでしょう・・・。

      エントリでも書いたロースクールや公共政策大学院、とりわけロースクールについては、実際にロースクールで見につけるスキルに意味があるというよりは、シグナリングによってその修了生に価値が見出されるという側面があると思います。仄聞する限り、院進を勧めるのは殺人だ(by 飯田先生)というような状況では、縮小均衡なのかもしれません。少ないからシグナリング機能が小さく、シグナリング機能が小さいので(研究分野以外では)評価されにくく、評価されにくいからさらにシグナリング機能が小さくなり・・・。

      再生会議委員や財界がどうかはよくわかりませんが、官界では、メディア研究あたりはニーズが大きいのかな、と個人的には思います。

    29. webmaster Says:

      >鍋象さん
      プロの世界(会計事務所や法律事務所)でも、資格をとったばかりでは下積みだったりもしますよね。

    30. webmaster Says:

      >ASKさん
      お示しの例を踏まえますと、アウトソース可能かどうかという観点も有益かもしれませんね。まあコアコンピタンスでないことは明らかで、その意味では自然な棲み分けであるような気がします。

    31. 特殊法人 Says:

      >Bewaad氏
      専門教育と生産性は無関係なのでしょうか。
      [磴┐亶眦教育に巨額の税金を投入しているフィンランドの潜在成長率は3%以上といわれています。日本と同じ少子高齢化で人口成長率はゼロなので殆どTFPです。
      日本の理系は院卒が非常に充実しています。そして日本の国際競争力の源泉は製造業です。
      おそらく日本が最も弱いのは(官も民も)マネジメント能力でしょう。マネージャーというのは非貿易財ですし、日本は言語と社会という参入障壁で守られています。
      官における専門性が必要な具体例は、まあ、言うまでもないでしょう。

    32. 特殊法人 Says:

      少なくとも道路や米より、教育という財にはよほど大きな外部性があると思います。専門家という人材の市場において、Bewaad氏は「必要なら企業が採るはず(あるいは民間が大学院を作る?)」という市場原理主義のようですね。道路や米も「必要なら民間が勝手に作るはず」という気がしますが、こちらは官が介入する。
      なかなか面白いです。

    33. 銅鑼衣紋 Says:

      >教育という財にはよほど大きな外部性がある

      それ自体は全く同意しますが、問題はその実現の過程
      が再分配という形態をとることでは?所得制限が付い
      ても付かなくても、教育に公的資金を投入することは
      再分配に他なりませんよね。ところが、日本ではそれ
      は社会主義だといわれて頭から否定されつつあるよう
      に思うのは考えすぎ?

      あと、実学主義で社会科学はお寒かったアメリカの場
      合、ユダヤ系学者が大規模に流入したから、突然初期
      条件がジャンプしたという特殊事情がある。だが、日
      本の悲惨な社会科学系の教員のレベルをみれば、ここ
      に公的資金を投入するのは、当面はもの凄い浪費とし
      か見えないだろうと言うこと。

      まあ、あり得るのは日本自身がフルブライトみたいな
      プログラムに金を出し、日本人を大量に海外に出すと
      か、破格の待遇で海外の教員を呼ぶとかでしょうな。

    34. adhoc Says:

      教育再生会議が提案しつつある、「大学院教育はトップ30にのみ認め、院生の生活費まで含め充実した補助をする」という方向は良いと思います。文系では30というのも多すぎでこの半分ぐらいでいいかもしれません。現状では、どこもかしこも大学院重点化をやらされて、このままでは共倒れです。大学院をやらない米国型カレッジ名門校こそ、大学院をやらずに地方文系が生き残る道だと思いますが。

      問題は、教員が大学院所属になっていて、大学院縮小がそのまま教員ポストの縮小、リストラに直結することです。でも、これもおかしな話で、文系では学生の大半が学部生なのだから、教員数は学部生数に比例させるべきです。

      教育再生会議には、給料下げられてもいかまわないから、大学教員の院所属から学部所属への格下げを認める改革方向を打ち出して欲しいと思っています。それで初めて、カレッジ型学部教育で質を向上させるという選択肢が可能になります。

    35. webmaster Says:

      >特殊法人さん
      フィンランドの潜在成長率と教育への公的支出との関係はなんらかの形で実証されているのでしょうか? 理系の大学院について、文系よりは充実しているでしょうけれども、欧米(のトップクラス)に比べれば予算等においては恵まれていないといわれている中、製造業が日本において比較優位にあることの源泉は、院卒の充実にあると言えるのでしょうか?

      大学院教育に外部効果があるとして、となれば院卒は供給過少となるというのが予想される状態です。すなわち、企業などがもっと院卒を欲しいといっているにもかかわらず、十分な供給がなされない、というのも大学院教育にみながフリーライドして適切なコスト負担がなされないから、ということで。もともと新卒就職市場での院卒の取り扱われ方についての議論だったところ、院卒をどれだけ生み出せるかについての外部性を持ち出されてもなぁ、とは正直な気持ちです。

      仮にマネジメント能力が専門教育の欠如によるものだとして、ではビジネススクールを作れば問題は解消するのですか? 先にも書きましたが、ビジネススクールで行われる教育の実態を見れば、少なくともそこで受けた教育・身につけたスキルによってマネジメント能力が陶冶されるというものでは決してないでしょう。

    36. webmaster Says:

      >銅鑼さま
      >まあ、あり得るのは日本自身がフルブライトみたいな
      >プログラムに金を出し、日本人を大量に海外に出すと
      >か、破格の待遇で海外の教員を呼ぶとかでしょうな。

      明治時代から進歩してないってことですか・・・orz

    37. webmaster Says:

      >adhocさん
      文部科学省もそのような方向性は以前から持っているわけですが、それこそ総論賛成各論反対の嵐で、結局うまくいっていないというのが最近の動向です(代表例がロースクールでしょう。あんなにたくさん作って・・・)。再生会議で実際のスクリーニングまでできれば話は変わってくるでしょうけれど、そこまで踏み込めるかどうかは、個人的にはそれほど期待できないように思っています。

    38. vicinity Says:

      コメントありがとうございました。今後も霞ヶ関に居残る私としては、細かい待遇はさておき、今後院卒の志望者が増えていくとすれば、きちんと志ある人材を発掘し、そして繋ぎ止める手段を考えねば、と真剣に考えています。

      >先にも書きましたが、ビジネススクールで行われる教育の実態を見れば、少なくともそこで受けた教育・身につけたスキルによってマネジメント能力が陶冶されるというものでは決してないでしょう。

      個人的には非常に耳が痛い話なのですが、米国のビジネススクールは、マネジメントの基礎となる分野を、実践的な課題解決の(疑似)体験を通じて、体系的に学ぶ場である、と思います。もちろん、あえて体系的に学ばなくても、自ずと会社で全てを習得できる人はいるでしょう。他方、ビジネススクールを出てもその先の組織において学んだことがそのまま当てはまるわけではなく、役立てるには様々な工夫が必要なことは言うに及ばないと思います。

      ただし、現状のOJTだけではマネジメント能力の養成には何ら寄与しないケースもありうるので、個々の能力と人間関係に頼りすぎず、霞ヶ関の中でも体系的に教え込む必要性もあるのかな、と個人的には思います。「俺の背中を見て学べ」と言われて学べる部下はたしかに優秀なのでしょうけども、昨今そんな上司の態度は「指導能力の欠如」と言われかねませんし。

      人材が重要だと言われている割に、人を育てるという観点が人事上すっぽりと抜け落ちている気がするのは、きっと気のせいではないはずです、残念ながら。

    39. koge Says:

      >TOP30のみ大学院
      気持ちはわかるんですが、戦後の日本人は「上層部はエリート、現場は中堅それぞれをちゃんと分けて育成する」旧制学校のようなやり方への拒否反応が激しすぎて、大学もLSも院も大衆化されすぎてしまうんですよね。だから欧米ではMBAやDr.が民間でもエリート扱いされていますが、日本ではそういう明示的なエリートコースは国家1種だけで他は大卒以上ならば建前上皆横一線と、キャリア的なものへの批判が強いんでしょうね。
      横並び志向を通り越して複線型への嫌悪感で、ナンバーワンやオンリーワンだけで2番目3番目の役割を認めないというか。話は全然変わりますが、日本でいわゆる「ダービーマッチ」が根付かないのもそのせいなのかも。横浜ではフリューゲルスが潰れ、関西ではホークスは九州へ逃げバファローズは消滅、タイガースの一人勝ちになっているように。
      高度成長期はそのような単線型のほうが有利だった時代なのかもしれませんが、今はその逆で複線型のほうが有利な時代になっているのでしょうか?で、「構造改革」派が目指しているのもそのような、悪く言えば格差社会なのかも。

    40. webmaster Says:

      >vicinityさん
      あれって体系的なんですかねぇ(笑)。いや、financeなんかは体系的でしょうけれども、それならば経済学の方がよほどきちんとやっているでしょうし(といいますか、経済学で言えば学部でやるような程度ですよね)、ビジネススクールならではのorganizational behaviorやmarketingなんかは体系的とは言いがたいですし。個人的には、ビジネススクールの存在価値は、シグナリングとコネがほとんどじゃないのかと思ってます。ただ、その価値の大きさは半端ではありませんが。

      なお、霞が関の人材は今のような贅沢が許されるものではなくなっていくと考えていますので、失敗に対する許容度を上げることによる作業量の軽減やワークフローの見直し等の効率化と並んで、人材育成システムの充実は不可避だとは私も思います。

      「人材が重要だと言われている割に、人を育てるという観点が人事上すっぽりと抜け落ちている気がする」との点につきましては、今は地頭がいい人間にとって心地よい人材育成なのだと思います。つまりは自分の自由度が大いに保証され、必要なものは盗んで身につけていくというのは、あれこれ自分にとって大して重要だとも思えないことまで学ばせられるよりは、その手の人間にとって間違いなく好ましいことであるでしょう。しかし、そんな贅沢はあきらめて、それなりの人間でもそれなりに仕事がこなせられるような人材育成にシフトせざるを得ないのが中長期的な方向なのだと考えています。

    41. webmaster Says:

      >kogeさん
      ヨーロッパはさておき(といいますか、あまり詳しくないので・・・)、アメリカは大衆化という話においてはそんなに日本とは違わないのではないでしょうか。ビジネススクールは非常に数多くありますが、授与するMBAがそれなりの商品価値を持っているのはtop30ぐらいまで、というあたりは日本の学部卒と似通っていると思います。

    42. vicinity Says:

      >あれって体系的なんですかねぇ(笑)。
      経済学士でファイナンス専攻の私にはおっしゃる意味がよくわかります…。ビジネススクールの学問(学問というのも憚られるかもしれませんが)が体系的、というのが不適切だとすると、せいぜい「まあ一通り触ります」ぐらいのゆるい感じが精一杯じゃないかと。

      >個人的には、ビジネススクールの存在価値は、シグナリングとコネがほとんどじゃないのかと思ってます。ただ、その価値の大きさは半端ではありませんが。
      もはやその価値を活かせない私が言うのもなんですが(笑)、いわゆるトップ校か否かの差はおっしゃる2つの要素だと思います。同級生にすごい人がいる、というのは羨ましい話のような気がしますが、その前に自分はどうなんだ、と突っ込みを入れたくなることもしばしばです。この意味で、私は学校のランクにはさほど拘らず、ある時期に一通り経営学を触りたい、と思ったというのが動機の一つです…。

      >今は地頭がいい人間にとって心地よい人材育成なのだと思います。
      私もそういう評価をされた人間として採用されたと信じたいのですが、採用してからでもこの業界で使える地頭を鍛えてもらうことは出来ないものかと思案しております。きっかけさえ与えれば、多くの人でも出来そうな気がしないでもないのですけども。

    43. 通りすがり Says:

      ビジネススクールにおける「体系的」というのは一通り関連するコースを取る中で、自分の中で経験とか判断基準を言語化して整理をするという意味での「部分的な(私的な)体系化」という側面が強い印象があります。特にTop10に限った印象ですが。

      つまり、優秀で、多様なバックグラウンドを持つ同級生の中でお互いに自分の持っているものをぶつけ合い、お互いにたな卸しをするところに、MBAの教育機関としての意義があり、その結果として、この教育課程を乗り切った卒業生には上下のコネと、強烈なシグナリングが与えられる、と。

      基本的に「経営学を学ぶ・研究する」というのはPh.D/DBAのお役目であり、「経営を学ぶ・研究する」というのがMBAという棲み分けがあるようにも見えます。MBA⇒DBA/Ph.Dという学生もいるようですし。

    44. webmaster Says:

      >vicinityさん
      逆に考えれば、霞が関においては、留学等に出すか、それとも厳しいことをやらせて自ら這い上がらせるかの2つしか人材育成のすべを知らない人間が多く、それ以外で人材育成を考えろといわれてもなかなか思いつかないだけのようにも思えます。最初はまず、人事担当者に多様な人材育成のあり方を学ばせるための研修が必要なのかも(笑)。

    45. webmaster Says:

      >通りすがりさん
      きれいにまとめていただきありがとうございました。

    46. Koukyo政策大学院修了生の蹇蹇録 Says:

      公共政策大学院雑感2…

      すでに修了して1か月以上もたつので、そろそろ足を洗いたいのですが、もう少し書き残しておくことがあるので・・・。公共政策大学院についてのまとめの続きです。 (more…)

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