私は陰口は言わない
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作成日時 : 2009/04/10 14:30
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私はある個人をブログで批判することはあります。でもそれは本人の前で言う度胸がないからこのブログに書いているのではなく、本人ときちんと話す機会があれば本人に同じことを言います。でも目上の人に面と向かって批判することは、相手のプライドを思うとあまりしたくないのです。だから私は、このブログを読んで人に言われる前に自分で自分を正して欲しいと思っているのです。そして私は批判すると同時に支援もしているつもりです。
それに黙って我慢して根に持つより、言うべきことを言う方がいいではないですか。私も批判されればきちんと正すことができることは正します。そのように言いたいことを言いあえる関係であるのは良いことだと思うのです。そして、ある個人への批判はかならず普遍性を持つと思うので、それを読んだ人が客観的に自分を見て自分を正してくれればいいなと思っているのです。
次は大佛次郎が悪口と批判について述べた文章です。私はこの文章に同感なのです。
私たちの私生活の中でも、不用意に他人の悪口を云う習慣のひとがいる。批評が中っていることもあるが、その場合でも、席にいない人のことなので、聴いていても決して気持ちのいいものではない。他人を批判するのが悪いのではない。ただ、K君の兄さんが云ったように、その男がいる前で君はそれを堂々と云えるかどうかと云う疑問が、いつも残るわけだ。無論、世間ではそうもはっきり云えない事情もあるし、人間としての遠慮も在る。しかし、そうだったら、本人のいないところでその人を悪く云うことは慎む方がよいように思われる。当人の前で言明する勇気が欠けているのは、批評ではなく悪口か中傷に過ぎない。正しい批評と悪口とはまったく別のものである。戦争以前に外国に出て働いていた日本人は、仕事の上でも華僑のように努力をしないで、お互いに陰口を云い合って暮らしていて、どこの土地でも不愉快な空気があったとも、よく聞いた。誰れだって自分のいないところで悪口を云われるよりも、はっきりと悪く云われた方が気持ちがいい。勇気のない人間だけが、陰でこそこそ喋るのだ。そう思って私たちは、これからは悪口はその人のいる前で云うことにしよう。そうでなく、陰でだけ云うのは、話す当人が卑怯なのだと見よう。そうするだけでも世の中が大分明るくなるのだと思う。
(「鎌倉通信」―昭和24年)『病床日記ほか 大佛次郎随筆全集3』より)
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