■国民案じ「厳しい経済、心苦しくも」
お互いにお贈りしたいのは、「感謝状」−。天皇、皇后両陛下は、ご結婚50年に先立ち行われた宮内記者会との記者会見で、そろってこう述べられた。会見で両陛下はともに寄り添ってきたこの半世紀を振り返り、お互いの労苦を心からねぎらわれた。また、陛下はこれまで両陛下を支えた人々への感謝を述べた際には、声を詰まらせて感極まった表情を浮かべられた。まさに、感謝のお気持ちに満ちた記者会見となった。
陛下は記者会見の冒頭、「多くの人々からお祝いの気持ちを示されていることを、誠にうれしく、深く感謝しています」と述べられた。一方、「国民生活に大きく影響を与えている厳しい経済情勢の最中のことであり、祝っていただくことを心苦しくも感じています」とも述べ、景気悪化に苦しむ国民を案じられた。
陛下は、皇后さまについて「常に私の立場と務めを重んじ、私生活においては昭和天皇をはじめ私の家族を大切にしつつ、私に寄り添ってきてくれたことをうれしく思っています」と感謝の念を示された。
皇后さまも「50年の道のりは長く、時に険しくございましたが、陛下が日々真摯(しんし)に取るべき道を求め、指し示してくださいましたので、今日までご一緒に歩いてくることができました」と、陛下に謝意を述べられた。
≪プロポーズのお言葉≫
「陛下はどのような言葉でプロポーズされ、皇后さまはどのような言葉を伝えてご結婚を決意されましたか」という質問があった。
陛下はこれに対し、「当時、何回も電話で話し合いをし、ようやく承諾をしてくれたことを覚えています。プロポーズの言葉として一言で言えるようなものではなかったと思います」と振り返られた。
皇后さまも「婚約のころのことは50年を超す昔むかしの話で、プロポーズがどのようなお言葉であったか正確に思いだすことができません」と述べられた。
ただ、陛下は「私が皇太子としての務めを果たしていく上で、その務めを理解し、支えてくれる人がどうしても必要であることを話しました。承諾してくれたときは、本当にうれしかったことを思いだします」と付け加えられた。
皇太子・同妃時代の昭和59年、ご結婚25年を前にした記者会見で、「妻として夫として、お互いに点数をつけるとしたら何点ぐらいでしょうか」という質問があった。陛下は「点をつけるのは難しいが、まあ努力賞というか…」、皇后さまは「私もお点ではなく、感謝状を」と述べられている。
今回も、その時のお答えを踏まえて「改めて言葉を贈られるとすればどのような言葉になりますか」という質問がなされた。陛下はこれに対し、「感謝状です」とはっきりおっしゃった。
陛下は「皇后はこのたびも努力賞がいいとしきりに言うのですが…」と付け加えて会場は笑いに包まれたが、続けて「これは今日まで続けてきた努力を嘉(よみ)しての感謝状です。本当に50年間よく努力を続けてくれました。その間にはたくさんの悲しいことやつらいことがあったと思いますが、よく耐えてくれたと思います」と、皇后さまの長年のご努力をねぎらわれた。
皇后さまも「このたびも、私はやはり感謝状を…。何か、これだけでは足りないような気持ちが致しますが、心を込めて感謝状をお贈り申し上げます」と述べられた。
≪感極まられ…≫
「ご夫婦としてうれしく思われたこと」という質問に対し、陛下は「二人が健康に50年を迎えたこと」を挙げられた。「何でも二人で話し合えたことは幸せなことだったと思います。皇后はまじめなのですが、面白く楽しい面を持っており、私どもの生活にいつも笑いがあったことを思いだします」と、皇后さまの明るさに支えられてきたことを強調された。
陛下はお答えの最後に、「結婚50年を、本当に感謝の気持ちで迎えます。終わりに、私ども二人を50年間にわたって支えてくれた人々に、深く感謝の意を表します」と述べられた。この時の陛下は、感極まって涙をこらえるような表情を浮かべられた。
≪新しい皇室と伝統≫
「お二人で築き上げられた時代にふさわしい新たな皇室のありよう」についても質問があった。陛下は憲法で規定された象徴天皇制について、「象徴とはどうあるべきかということはいつも私の念頭を離れず、その望ましいあり方を求めて今日に至っています」とした上で、「大日本帝国憲法下の天皇のあり方と日本国憲法下のあり方を比べれば、日本国憲法下の方が、天皇の長い歴史で見た場合、伝統的な天皇のあり方に沿うものと思います」と明言された。
また、「守ってこられた皇室の伝統」についての質問もあった。皇后さまは「伝統があるために国や社会や家がどれだけ力強く、豊かになれているかということに気付かされることがあります」とする一方、「型のみで残った伝統が社会の進展を阻んだり、伝統という名のもとで古い慣習が人々を苦しめていることもあり、この言葉が安易に使われることは好ましく思いません」との考えを示された。
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