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help リーダーに追加 RSS 不寛容の原因

<<   作成日時 : 2009/04/09 19:26   >>

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  不寛容ということは、それだけ気持ちに余裕がないということではないでしょうか。戦後の日本は本当に働きづめで、そういう多数の労働者を一元管理するには全ての人間が同じだという前提に立たなければならず、中身よりも表面の美しさが求められたのではないのでしょうか。お互いが本当に理解し合うための対話の時間はなく、会社と家庭、会社と地域の分断、男女の分断というようなことが起きてしまったのではないでしょうか。でもそれではいけないのです。これからはもっとお互いを知るための努力をしましょう。そしてそのための時間を作り出す努力も必要ですね。

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内 容 ニックネーム/日時
共同理解を望むというご意見はもっともだと思います。よりよい暮らしを築くための必要な要件でしょう。
しかし、中身よりも表面の美しさを求めた結果、分断が起ったとすることは、やや暴論に過ぎると感じられます。そもそも、「中身の美しさ」「表面の美しさ」が別個に求められたとは、どのような観点からそのようなお考えに至ったのか、こちらのエントリーでは見えてきません。どの時代であっても、中身が軽んじられたという断言できる要因があるとお考えになられる方が多くいらっしゃるとも思えません。内面の美しさが求められたことは、古来からの多くの書物・資料を見ても考え至ることができます。
また、お互いを知るための努力ですが、それをされるに越したことはないでしょう。ですが、それの押し付けは如何なものかと思います。各人に個性があるように、各人に内面の美しさの求め方があります。それを考慮されないことは、個性の否定に繋がる可能性もはらんでいると思われます。

2009/04/10 06:34

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