不寛容ということは、それだけ気持ちに余裕がないということではないでしょうか。戦後の日本は本当に働きづめで、そういう多数の労働者を一元管理するには全ての人間が同じだという前提に立たなければならず、中身よりも表面の美しさが求められたのではないのでしょうか。お互いが本当に理解し合うための対話の時間はなく、会社と家庭、会社と地域の分断、男女の分断というようなことが起きてしまったのではないでしょうか。でもそれではいけないのです。これからはもっとお互いを知るための努力をしましょう。そしてそのための時間を作り出す努力も必要ですね。 |
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共同理解を望むというご意見はもっともだと思います。よりよい暮らしを築くための必要な要件でしょう。 |
眼 2009/04/10 06:34 |
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