中川昭一前財務・金融相が2009月2月にバチカン博物館を視察した際、立ち入り禁止区域に入り警報機が鳴ったという報道に対し、「全くの誤報だ」とマスコミ批判をしたが、鈴木宗男衆議院議員が政府に提出した質問主意書がきっかけで、ウソを言っているのは中川元大臣だということがわかった。鈴木議員はこの3年半で約1600件の質問主意書を提出している。一議員平均の400倍にあたり、全国会議員が提出した数の半数以上を占める。バチカン博物館に関係した中川議員に対する質問主意書も3回に及び、「質問主意書の鬼」ともいえる存在だ。
■国会開催時には1日最低3件の質問主意書
鈴木議員が質問主意書で指摘したのは、朝日ニュースターが09年3月14日に放映したCS番組での話。出演した中川元大臣はメディアを痛烈に批判していた。09年2月にバチカン博物館を訪問した際、
「足取りはフラフラとおぼつかなく、言葉もはっきりしなかったという。案内役の説明を聞かずに歩き回ったほか、入ってはいけないエリアに足を踏み入れたり、触ってはいけない展示品を素手で複数回触ったりした。そのため警備室の警報が少なくとも1回鳴ったという」(朝日新聞09年2月21日)
と報道されたことに対してだ。
中川元大臣は警報機も鳴っていないし、バチカン博物館から注意もされていないし、酒の臭いもしていない、と主張。それはバチカンの関係者も認めていることだとし、
「記者会見の延長線上で『さもありなん』と報道されたが事実とは違う。日本を代表するメディアが取材までしているのに、(間違った報道は)残念な事だ」
と痛烈にメディア批判を展開した。
このテレビ放送での中川前大臣の発言に対し、「違っているのではないか」と、鈴木議員は09年3月27日付けで質問主意書を出した。実は、09年2月23日にも中川前大臣のバチカン博物館訪問に関する質問主意書を出していて、09年3月3日付けの回答は、
「中川前財務大臣からは『体調が悪かったため、見学中に入ってはいけない区域に入ってしまって警報が鳴ったのは事実だ。関係者に迷惑をかけることになり申し訳ない。』とのコメントが出されていると承知している」
となっており、テレビでのマスコミ批判発言と違っていたからだ。
鈴木議員の今回の質問主意書に対し、政府は09年4月7日付けで回答した。その中身は、09年3月3日付けの回答は、中川大臣の事務所を通じてのコメントで、政府が改めてバチカン博物館に事実関係を聞いたところ、「警報機は鳴った」という説明を受けた、というもの。鈴木議員が中川元大臣のウソを暴いた形だ。
■「過去の因縁とは関係ない」と鈴木事務所
質問主意書とは、国会議員が政府に対して説明を求める質問文書のことで、すべての国会議員が提出できる。質問主意書の数を検索すると、この3年間で提出した議員は15%に満たない。多い議員で50〜60件。300件近い議員も1人いるが、鈴木議員の衆議院事務所によれば、この3年半で1600件出したのだという。そして、国会開催時には、1日最低3件の質問主意書を出すことを決めているのだそうだ。
なぜこれほど多くの質問主意書を出し続けているのか。鈴木議員の衆議院事務所によれば、鈴木議員の「新党大地」は一人会派のため、国会質問の機会を得られることが難しい。そうした中、質問主意書ならば国会議員なら誰でも提出でき、内閣の真意を問い質すことができるため、鈴木議員のような立場の議員にとっては、非常に有効な政治活動、と考えているためだという。06年9月には鈴木議員の国会質問書を集めた単行本「鈴木宗男の国会質問主意書 全255本」も出版された。
中川元大臣のバチカン博物館訪問に関する質問主意書はこれで3件目。徹底的に追及する姿勢を貫いた。鈴木議員は中川元大臣の父親・故中川一郎氏の元秘書。一郎氏が自殺し、選挙地盤を二人のどちらが引き継ぐのか激しい争いが演じられた。この2人の因縁がなにかとメディアで取り上げられるが、今回については、過去の因縁などとは全く関係のないことだと、鈴木議員の衆議院事務所はJ-CASTニュースに説明している。
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