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八木秀次先生講演内容その1見出しは当サイト管理人によるものです■国を思う心がない文部官僚お配りしたレジュメに沿って説明したいと思います・・・ですが「ゆとり教育」という気分ではありません。拉致問題で頭の中は一杯です。おそらく皆さんもそうだと思います。今回の拉致の問題で北朝鮮が人でなし国家だというのがあきらかになりましたが、外務官僚の人でなしぶりも明らかになったと思います。責任感のなさ、国を思う心の決定的な欠如、国家主権という意識はまったくない、あるいは前のアジア・大洋州局長、現シンガポール大使の槙田邦彦の「たった十人のことで日朝国交正常化交渉が止まっていいのか」という血も涙もない発言、等々ですね、北朝鮮側に怒りの矛先を向けるべきではありますが、それを助長させた我が国の人でなしの面々にも怒りが向くと思うのです。こういう構造は実は外務省のみではない。今日のメインテーマである「ゆとり教育」も文部官僚が行っている極めて犯罪的な行為と私はみています。いくつか証拠を挙げてみたいと思います。■「ゆとり教育」の背景には左翼イデオロギーがあるレジュメの冒頭に「教育とは次世代の国民を育てる事業である」と書きました。つまり教育というのは縦軸を認識しなければならないものです。次の世代、次の日本を担う人々を育てるのが教育です。しかし文部科学省にはそのような認識が欠如しているとしか思えません。現在の文部事務次官に小野元之という人がいます。彼は昨年の8月20日の毎日新聞紙上で驚くべき発言をしています。「大学では過激な学生運動をしていて権力を倒すには暴力が必要であると本気で考えデモもした。しかし本当に世の中を変えるには内部に入ってやらねばと公務員になりました」これはどういう発言でしょうか。つまり暴力革命を肯定し、内部に入って世の中を変えるためにあえて文部官僚になったんだ、とこう言っているのです。このあと「実は反省しました」というのは一つもない。そのままシレッと述べているのです。この発言は意味があるのです。「ゆとり教育」というのは日本の教育界に伝統的なアメリカのプラグマティズム、デューイの教育思想、プラス1960年代のアメリカ発の新左翼の運動から展開されている子供解放運動 〜子供たちを教室の壁から学校の枠から解放しようという運動〜 からでてきたイデオロギーが背景です。ですから「ゆとり教育」というのは単に授業時間を減らすとか教科書の内容が薄っぺらになるという話ではなく、その背景にイデオロギーがあることに注意しなければならないと私は思っています。■「ゆとり教育」は愚民化政策今週水曜日(9月18日)に産経新聞の「正論」欄に私が引用したものをここでも紹介します。「ゆとり教育」を理論面から支えている国立教育政策研究所というのがあります。そこの面々が書いている本がこの『学力低下論批判』(黎明書房)です。これはこの研究所の現役やOBが書いています。編者はOBで現在、上智大学教授を務めている加藤幸次という方です。この人の記述をそのまま引用しておきました。『学力低下論批判』というのですから「ゆとり教育」の導入によって学力が低下するのではないかという国民の懸念に対して反論をしているわけです。どういう反論か。「確かに、学力を『読み、書き、計算する力』に限定して捉えることは、わかりやすく、国民一般の関心を呼び起す。しかし、それはIT時代にふさわしくない。…分数にしても、小数にしても重要なことは分数や小数の意味を理解することであって、計算は計算機の方が正確かつ迅速にしてくれるのである。子どもたちに分数や小数の不思議さやおもしろさを教えるべきであって、計算は計算機に任せるべきである。同じことは『漢字や英単語』についても言える。漢字や英単語など識別できれば充分で、正確にスペルしなくてもよい時代にある。重要なことは、相手に伝えたい内容をしっかり持つことである。正確に綴ることは電子事典に譲るべきである」こういう驚くべき発言です。計算は計算機に任せ、漢字や英単語は電子辞典に任せればいいんだ、そんなことは学校で教えなくていいんだ、とこう言っているのです。これが「ゆとり教育」の根底にある考え方なんです。4月から学習指導要領が施行されましたけれど、一言で申しますと、かつてイギリス・アメリカで失敗した教育政策をそのまま導入しているにすぎない。まさに「ゆとり教育」は愚民化政策。さっき読み上げたとおり、計算機と電子辞書に頼ればいいというんですね。しかしG8教育大臣会合の議長サマリーによれば「IT時代にはむしろ国民の基礎的な学力が必要だ」というのが諸外国の認識なんですね。例えばインターネットでネットサーフィンしようと思えば、そこで読み書きする力が必要になってくる。少なくとも正確に識別する力が必要なんです。英単語が正しいものかどうか識別するには、基本的な読み書きができなければできるはずがない。英語の力が少ししかなければ英語の文章は読みとることができない。IT時代にはむしろ国民の基礎学力が必要だというのが諸外国の認識であり、いま諸外国は国を挙げて教育の再武装、国民の教育を徹底させようとしているわけです。しかし、我が国は逆を行っている。まさに「ゆとり教育」は愚民化政策としかいいようがありません。数年前でしょうか、学習指導要領の導入が決まった時点で、日能研という進学塾が駅貼りのポスターで、お父さん世代、お兄さん世代(「ゆとり教育」以前)、この4月から子供たちが使う教科書を単純に並べている印象的なポスターがありましたが、それをみると今、子供たちが使っている教科書はお父さん世代の教科書の半分なんですね。今回、学習内容の3割減というのが問題となっていますけれども、すでにその前に3割減らされているんですから、0.7×0.7=0.49、今回で半分になっている。これで親が子供たちの学力低下を心配しないわけにはいかない。したがって数年前から「2002年ショック」と言われていたのです。まさにショックですし、この4月は日本を大きく衰退の方向に向ける画期であると、かつて私は書いたこともあります。■社会の階層化が進むおそれ7割以上の親が学力低下を心配しています。公立の小学校、中学校に子供たちを預けるわけにはいかないという声が大きくなっています。まだ東京では私立に逃げ込むこともできます。しかし私立に行くには経済力が必要ですから、このリストラ時代に経済力がなければ公立を選ばざるを得ません。経済力のない家庭の子供たちは文部科学省の馬鹿な政策によってますます馬鹿にされる、そういう事態になります。したがってますます階層化が進むのではないかという指摘も数年前からされているわけです。また地方に行けば私立もないわけです。そうすると都会と地方の格差も出てくるというとんでもない事態がおころうとしています。■間違った文科省の認識 〜アジアでいちばん勉強しない日本の子供なぜ文部科学省が「ゆとり教育」なるものを推進しようとしているのかというと、文部科学省の認識によりますと今の子供たちは勉強のしすぎだというのですね。勉強しすぎなのでそのストレスがたまってやがては校内暴力、場合によっては人を刺し殺すということになってしまう、そのストレスが内に向かえば引きこもりや不登校になってしまう、そういう認識を持っているわけです。しかし、今の子供たち、たくさん勉強していますか? しているわけがないですね。平成11年の東京都の調査によりますと、中学校2年生の家庭学習時間は42%が家で1分も勉強していません。東京には私立中学がたくさんあります。私立中学・公立中学の平均が42%というわけで、私立にはたくさん勉強させるところもありますから、公立はおそらくほとんどが勉強していないということなんでしょう。このようにまったく勉強していないというのが実態なんです。勉強していないからストレスが溜まるはずがないんです。もしストレスが溜まるにしても、大人がやるべきことは、少々勉強したぐらいでストレスが溜まるのであれば、それに打ち勝つぐらいの強い心をつくってやるのが大人の責任だと思います。ストレスが溜まるんですね、じゃあ軽くしましょうよ、というのが文部科学省の認識なんですね。実はもう我が国の子供たちはゆとりだらけです。アジアでいちばん勉強しないといわれています。具体的な数字も挙がっています。■IT大国インドでは子供に19×19の九九を叩き込むここに「IT大国インド」と書きましたが、インドの子供たちは猛烈に勉強しているんですね。インドはIT大国と現在いわれていますが、アメリカのシリコンバレーにいけば、インド系研究者がゴロゴロいる。なぜかというとインドでは19×19の九九があるらしく、それを子供たちに徹底的にたたき込んでいると。それで小学校時代にコンピューターなんかまったく触らせないそうです。大人になってから触らせれば十分で子供の時はその前提となる基礎的な学力を身につけさせる。ある方は日本のように小学校の頃からパソコンを触らせていると、パソコンをつくる技術者が育たなくなると言っています。インドは真っ当に幼い頃には「読み書き計算」という基礎的なところを叩き込もうとしています。■「ゆとり教育」と少年非行には相関関係がある今日、土曜日は子供たちが休みです。テレビ東京では朝の7時半から10時までマンガの番組を5本放送しています。子供たちはそれに釘付けだといわれています。子供たちは勉強しなくなったゆとりを何に使っているかというと、ゲームとテレビ、少し大きくなったら携帯電話、そして街をプラプラするのです。「ゆとり教育」と少年非行とは相関関係があるということがだんだん明らかになっています。かつて四当五落といわれみんな受験勉強していた頃に、放課後や休みの日に女子中高生、男子もそうですが、繁華街を大挙してうろつくということがあったでしょうか。なかったはずです。あるいはクラブ活動が盛んで夕陽の沈むまでグラウンドを駆け回っていた頃に、援助交際やオヤジ狩りというのがあったでしょうか。相関関係があるというのは、思春期の子供たちというのはエネルギーを持て余しているんですね、そのエネルギーを別のいいものに変えてやるというのがこれまでやってきたことなんです。それが受験勉強やクラブ活動やスポーツだったわけです。その負担を取り除いてしまえばエネルギーが剥き出しのままになるのです。そのエネルギーというのは、思春期では有り余る力とセックスですね。「小人閑居して不善を為す」といいますが、エネルギーをそのまま解放しているのが今のあり方なのです。学校が子供たちに負担を強いらなくなった。これが少年非行、少年犯罪を助長させるということは十分検証できることですし、すでに検証もいくつかでていると聞いています。こういう具合になんかおかしな世の中に導くというのが「ゆとり教育」というわけです。この4月にさらに負担が減っているということはますます社会腐敗が進行すると位置づけても間違いはないと思っています。■子供の発達段階を無視した生涯学習文部科学省が「ゆとり教育」を導入した理由として、もう一つ「生涯学習のなかでのゆとり教育」ということを言っています。「生涯学習」一見すると非常にいい理念のように聞こえるのです。学校が終わった後もずっと学び続ける、カルチャーセンターに行ったり、大学に入り直したり大学院に入ったりだとか、一生勉強し続けるというふうに多くの人は理解していますが文部科学省の認識はそうではない。もちろんそういう面もあるあるでしょうが、だいたいの部分はそうではない。これはある文部官僚の言い方をそのまま引いておきました「生涯学習とはいつでもどこでも学びたいときに学ぶことだ」と。これは逆をいえば「学校に行っている間には学ぶ必要がないんだ」ということを言っているのです。はっきりそう言っているのです。「必要になったときに学べばいいのだ」と。しかし、これは子供の発達段階をまったく無視した考えと言わざるをえません。「鉄は熱いうちに打て」と言いますけれども、頭の柔らかい子供のときに基礎的なところを頭の中に叩き込んでおかなければ、後になっていくら学びたくなって学んでも遅いのです。今、大学は社会人入学の人をたくさん受け入れていますけれども、18歳19歳で入学してくる学生と社会人で入学してくる学生は決定的に違います。教えていても決定的に違います。社会人の人は頭が固いんです。柔軟な思考ができないんです、残念ながら。頭の柔らかいときに基礎的なところを学んでおかないと、あとになって必要なときに学んでも本人が苦労するのです。ある読者からいただいた手紙の中に、自分の知り合いのお子さん、男の子ですが、小学校5年生ぐらいから中学校卒業まで学校に全く行っていない、不登校だと。その子が16歳になって原付免許を取ろうとしたんだけど何回やっても合格しないんだというのです。原付免許というのはほとんどの人が一夜漬けでパスする簡単な試験です。これが学齢期にしっかり勉強していない子供たちにとっては恐ろしく難しいというのが現実なのです。このように人間には発達段階というものがあるのですが、「生涯学習時代のゆとり教育」という発想は、それをまったく無視しているという話です。 |
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