『オウム』が突きつけるもの 1995.8.15
ハンニャ・ハウス通信 NO.17
*この文章は、4年前のものです。現在(1999年)からみれば修正すべき点も多々ありそうですが、ある意味で、当時の雰囲気をつたえるものもあるように思い、そのまま掲載します。
一、事件としての『オウム』
すべてが『オウム』のやった事なのか?
『オウム』の犯罪は間違いない。誰もがそう思っている。私もそう思う。否定の余地はほとんどありそうにない。
だが、私たちはここであらためて、冷静になって考えてみたいと思います。『オウム』の関与は否定しえないとしても、どの事件に、どのように関わっていたのかは自明ではありません。報道される情報の全てが事実だということも、また信じがたいからです。
「───では、オウムに関して報道されているものの、どれぐらいが事実なんですか?「そりゃあ、半分以上はガセ、ウソの報道です」」
山形務というジャーナリストの質問に、こう答えているのは、「ある公安当局の幹部」だといいます。これは『週刊プレイボーイ』8月15日号に掲載された記事ですが、この公安幹部によれば、オウム報道の六五%はウソだという。しかもそのウソは、公安当局が意図的に流しているものだというのです。引用をつづけましょう。
「───では当局は、なぜ事実ではない情報を流すのですか。「それには主にふたつの理由があります。一つは、それが報道されることでマークしている人間がどう動くのか見ているということです。つまり、捜査上の作戦として、わざと虚偽の情報を流すということですね」───それは、指名手配中で潜伏しているオウム信者がどう動くかということですか?「それもあります。でも、それだけではないです」───といいますと?「信者以外の人間にも、注目している人物はいるいうことです。それ以上は言えません」───もうひとつの理由とはなんですか?「当局の中にも、いろいろ調べてわかっているけど、とりあえず全部オウムの犯罪ということでまとめてしまおうと考えている人たちがいるということですよ」(中略)───オウムの背後にオウムとは違う何かがあって、それが捜査を抑制してしまう原因になっているわけですか?「だから、言えません。想像力を働かせるなり、ご自分で取材なさったらいかがですか」」
そしてこの幹部は、マスコミが公安の流す情報(リーク情報)にばかり寄りかかって、独自の取材をしないことを逆に憂えているというのです。
「『あれもオウム』『これもオウム』という情報をリークされて、それをそのまま信じて書くのは取材とは言えないんじゃないかと、そう申し上げているんですよ」───しかし私たちは、情報源は捜査当局に頼るのが一番と考えていますが…。「当局は本当のことも言いますけど、重大事件になればなるほどウソの情報も多く流します。その理由は、さっき言いましたよね」───ええ。「それをヒントにして、ご自分たちで取材されて、そうして裏を取るなりするのが本当の取材ではないのですか。私たちが捜査情報をリークする(洩らす)のは、マスコミのみなさんに期待していた部分もあったわけですよ。例えば、先ほどあなたは“圧力”という言葉をお使いになりましたが、仮にそういうものがあったとして、そうすると我々はそれ以上の捜査は難しくなるわけです。としたら、その壁を乗り越えるために、マスコミにあえて情報を流して、派手に記事に書いてもらえば、当局はそちらへ向かわざるを得なくなる。“圧力”の壁があったとすれば、マスコミがそれに小さな穴を開け、その穴が大きくなって壁を壊すようなことになる。そういう形で疑獄事件に発展した事件があったのも、マスコミで働く方ならご存知でしょう?ところが今回は、視聴率が稼げて、雑誌や新聞の部数が伸びるものだから、全部のマスコミが『すべてオウムの犯罪』という方向にいっちゃったでしょう。そういうことですよ。我々とすれば、マスコミに期待していた部分もあったのに、今回は完全に期待はずれでしたね」」
発言のニュアンスを読み取ると、地下鉄サリン事件、松本サリン事件、假谷氏失踪事件、国松長官銃撃事件などの一連の捜査をすすめる過程で、オウムの背後に、オウムとは違うある巨大組織の関わりが分かっているのだが、公安当局の内部で、全ての事件をオウムのせいにして済ませてしまおうとする上層部の意思があり、それがより核心的な捜査の進展を阻む圧力になっている。マスコミに流されるリーク情報の中には、それらの情報を鵜のみにせず、むしろその真偽を確かめようとするマスコミの独自の取材が、事件の核心に迫りたい現場の捜査官や一部の幹部を、外から援護する力となってくれることを期待して流されているものもあるのだ、ということになるでしょう。この幹部が今あえてこのような発言をするのも、『すべてオウムで一件落着』という方向が固まってしまった現在では、「完全に期待はずれでしたね」と言わざるをえない一方、まだマスコミの取材いかんでは核心に迫ることができるのだという、落胆と期待と警告の入り混じった、公安のある部分の意思をあらわしているのかも知れません。
国松長官銃撃事件について、この幹部はこのように語っています。
「マグナム弾は、ヘタに扱うと撃った反動で腕の骨が折れると言われています。そんな銃を扱えるのは、どういう人ですか?射撃のプロじゃないと扱うのは無理だと思いますよ」──ロシアで射撃訓練をした程度ではダメですか?「あなたがご自分で射撃訓練なさってみたらいいでしょう(笑)。マグナム弾を使って、あの距離で、わざと頭をはずして腹部や臀部を狙って撃てるようになるかどうか」(中略)「先年起きた、ある企業の役員クラスの人物の射殺事件との関連性について調査中とだけ申し上げておきます」
だに完全黙秘を貫いていると聞いていますが」と言い、実行犯については、「オウム信者『も』いるということじゃないですか」と言っています。
実行犯が自供したという報道がなされると、私たちは「そうか、やっぱりな」と思ってしまいます。はじめから報道の推移を見守らなければという立場をとっている者でも、「自供」という報道には弱いのではないでしょうか。正直いって私自身、犯人が自供したという報道に接すると、「そうか、自供したのか。ならばやってしまったのだろう」という感想に傾きます。供述の内容については報道がたえず変わるので、かなりいい加減な報道であると分かりますが、自供の事実そのものがでっちあげられているとすると、私たちはマスコミ報道に対するより厳しい、批判的な眼差しをもたなければならないと思います。
サリンの生成については、このように言われています。
「「捜査当局は、不完全なものでも、とりあえずサリンに近い物質は上九(一色村)で製造できたと考えています。しかし、その場合でも、製造モデルとするためのサリンは上九以外の別な場所から運び込まれていたのではないかと見ています。その運び込まれた研究・分析用のサリンの搬入について、上祐や青山が知っていたと思いますか?」」
ここでこの幹部は重要な示唆をしています。彼は「研究・分析用のサリン」と明示しているのです。上九(一色村)でつくられる以前のサリンならば、それはオウム以外の組織によって作られたものに他なりません。サリンを所有する国が世界中にどのくらいあるか私は知りませんが、すくなくともイラク、ロシア(旧ソ連)、アメリカが所有しているのははっきりしていますし、それ以外にも多くの国家が軍事用・研究用として製造・所有していることは想像に固くありません。日本国内でも在日米軍と自衛隊がサリンを所有していることを、下里正樹というジャーナリストが暴露しました。その後自衛隊の担当官が事実を認めましたが、あくまでも「研究・分析用の少量のサリン」であると語っています。右の幹部の発言から推測するならば、『オウム』はすでにサリンを保有しているどこかの外国か、あるいは国内の米軍か自衛隊かの、いずれかの組織から何らかのルートを通じてモデルとなる「研究・分析用のサリン」を入手していたのだ、ということになります。それがどの組織であっても、捜査に“圧力”がかけられる充分な理由になるのでしょう。村井氏が殺されたのは「実際は“暗殺事件”だということです」。そこまでは今の報道でも分かります。しかしなぜ“暗殺”されたのか?それはサリン製造にかかわるこのルートを、いいかえればその組織を知っていたのが、「上祐や青山」ではなく村井氏だったからなのだ、とこの幹部は示唆しているのです。
「───村井氏が病院に運びこまれる救急車の中で『〇〇〇にやられた』と言ったとされ、上祐氏は『3文字の団体名』と言っていました。「私もそう聞いています」───それは『ユダヤ』だとか『ユダ』だとか報道されていますが。「ほお、村井さんは『ユダ』とか『ユダヤ』とか言っていたんですか(笑)」───という報道が多くありますよね。違うのですか?「さあ、知りません。同乗していた上祐さんか救急隊員に、直接お聞きになってみたらいかがですか。万が一、答えたら、多分、違う答えが返ってくると思いますよ」
さらにこの幹部は、「ですから、村井氏の周辺の人間関係をお調べになったらいかがかと先ほど申し上げました」と、くり返し村井氏の周辺の人間関係を調べろと言っています。それはたんなるオウム内部の人間関係ではありません。「彼のオウム入信時にまでさかのぼる」人間関係です。この「村井氏の周辺の人間関係」を調べたとき、いったい何が出てくるのか。恐らくは『オウム』以上に恐ろしい、何者かの影がそこには張りついているのではないか。そんな気がします。かって帝銀事件で毒殺犯とされた画家(平沢貞道画伯)がおそらくは無実で、その背後には、警察が追求できない巨大な組織の存在があったのであろうという、これもまた推測にすぎない推測と、よく似た思いがいだかれます。日本はかって国家的に毒ガスや細菌兵器の生体実験を行っていた国ですが、当時の組織の重要人物が、いまだに医学界や政財界の重要人物でありつづけているという話を耳にしたことがあります。こういう話を聞いたり、まして口にしたりしただけで、どこかマンガ・チックな『オウム』どころではない、ほんとうのそら恐ろしさを感じるのは、私だけでしょうか?
坂本弁護士失踪事件についても、現在の報道ではほとんど『オウム』の犯行で決まりのようになっていますが、わたしたちは慎重であらねばならないようです。山形氏を通じて私たちに情報を提供しているこの公安幹部は、こういう見方をしています。
「───坂本さんは、なぜ拉致されたのでしょうか?報道では、オウムが違法な薬物を使用しているその証拠を握ったからと言われていますが。「そういう理由もあったでしょうね」───それ以外にもあると?「“オウムが困ること”と動機を限定するから見えにくくなるんじゃないですか?」───“オウム以外のどこかが困ること”を知ってしまったということですか。「その可能性は否定しません」───現場には“プルシャ”と呼ばれるオウムのバッジが落ちていました。これは大きな手掛かりだと思うのですが。「バッジについては、もちろんすべて追跡調査しました。が、大事なのは、誰のバッジかということより、いつバッジが発見されたのかということではないでしょうかね」───といいますと?「バッジが発見されたのはいつですか?それをまずちゃんとお調べになってみるべきでしょう。バッジは犯人たちが落としていったものなのか。それとも、後日、誰かによって置かれたものなのか。それに当局は、たいへん注目しているとだけ言っておきます」」
もちろん、この記事もまたある意味での「公安のリーク情報」です。そのまま鵜のみにしてはいけないという原則は、ここでも貫かれなければならないでしょう。もっと疑うならば、この記事そのものが「でっちあげ」の捏造記事である可能性さえ、著者には失礼ですが、ないとはいえません。だがもしそのような立場を採るならば、少なくとも現在行われているテレビ、ラジオ、新聞、週刊誌、月刊雑誌等のすべての情報にたいして、まず疑ってみるという姿勢が必要になると思います。そのうえで、「疑いえない」情報というものは存在しないのですから、なるべく「疑わしさ」の少ない、どうも「確からしい」情報というものを、私たちなりに集積していくほかにありません。そういう目でテレビを見たり、新聞や週刊誌を読んでいると、「これはおかしいよ」という報道はたくさんあるのです。どうも綿密な取材や考察の結果とは思えない、ただの伝聞や推測の情報が、大文字で断定的に踊りまくっています。
いずれにしても、独自の情報源のない私たち一般の人間は、マスコミの報道に依って情報を得るほかにありません。それだけに、マスコミをはじめとするジャーナリストの方々には、ここで「公安の幹部」とされている方自身が警告しているように、公安のリーク情報を鵜のみにしない、緻密で正確な独自の取材をお願いしたい。また、わたしたち自身としては、いい加減な報道に安易に踊らされぬよう、心しなければならないと思うのです。
情報の問題・法律の問題
「オウム真理教がサリン事件や坂本・假谷拉致事件などを本当にやったのかどうかは、少なくとも裁判が始まってもいない今、断定してはならない。」
これは、オウム真理教の元信者で女性歌手のAさんの弁護を、東京弁護士会の当番弁護ルートで引き受けた五十嵐二葉氏の発言です(『週間金曜日』95・6・15号)。同様の発言を、札幌高検検事長である佐藤道夫氏も述べておられます。
「面白いといっては不謹慎かもしれないが、一連のオウム報道は間違いなく面白い。(中略。以下……と記述)確かに面白い見せ物ではあるが、少しく異常ではないか、はたしてこれでいいのかと考える人もいる。(……)犯罪の捜査には、それを任務とする警察、検察という専門の機関が置かれている。それらの機関は、法に定められた手続きに従い、一つひとつの証拠を収集し、積み上げられた証拠に基づいて、検挙、逮捕、起訴の設置を取り、最終的には、裁判所の判決で、刑事責任の有無が決まる。それまでは、どんな人でも、「無罪の推定」を受けるというのが、刑事裁判の大原則である。これだけの疑惑があり、国民が人質に取られているのになにをためらっているのかと、捜査機関の動きの鈍さを非難する声が高く、なかには捜査内容を詳細に公開せよという意見もあった。(……)いつの間にか、一億総評論家の域を脱して、一億総検事になってしまっている。その端的な例がテレビであり、評論家、ジャーナリスト、果ては本来犯人の弁護が仕事のはずの弁護士までもが、得たり賢しと教団側を追求する。検事の取調べも、かくばかりやと思えるほどであるが、いかんせん、明白な証拠は何一つ持ち合わせていないので、相手はせせら笑い、得られるものは何一つない。そのうちに「早川ノート」とか「土谷自白、林自白」とかいって具体的証拠の内容までが登場してきた。これらがもし本物ならば、いささか問題である。捜査によって得られた証拠は、刑事訴訟法によって、裁判以外には使用できず、裁判前に公開することも許されていない。」(『週刊朝日』95・6・9号「法談・余談」)
こういう専門家の言葉を聞いてはじめて、「自白」とか「ノート」だとかの内容の公開が違法なのだということを、私も知りました。だからこそ警察も公式発表をせずに、誰も責任をとる必要のない「リーク情報」でお茶をにごしたり、情報操作をしたりしているのでしょう。
前述の五十嵐氏は、弁護士としての立場からいっそう踏み込んで、裁判所の判決そのものがいつでも絶対とは限らないことを指摘しています。
「「オウム」とは果たして何だったのか。それを日本中のいろいろなところでいろいろな手続きで、日本人が確定していくことになる。確定された結果は、この時代に生きた私たちの歴史の重要な一部になる。裁判はその手続きのひとつだ。その手続き────刑事訴訟法第一条で「事案の真相を明らかに」するための制度とされている裁判で、もし検察、警察の一方的な見方だけが取り上げられ、それが「事実」として歴史に残されていくことになったら、私たちは後世に誤った歴史を残していくことになる。」
「限定された条件の中で、主張と証拠を出し合って少数の裁判官が「事実」と判断していく裁判という手続きは、少し間違えば、およそ事実とは遠いものになる。まして検察、警察の見方とは対立するもう一方の見方である被告人の言い分が封じられることになれば、偏った「事実」がそのまま確定されて「歴史」になってしまう。」(前掲書)
現在(一九九五年八月二日現在)、「村井氏刺殺事件」を皮切りに『オウム事件』の裁判はすでに始まっています。判決はまだ出ていませんが、仮に判決が出されたとしても、五十嵐氏が警告しておられるように、間違った手続き、偏った「事実」によって裁判が行われるならば、それは私たち(日本人)の過ちになると思います。マスコミの報道によって醸成されてしまった私たち日本人の一般的見方が、裁判の公正な進行を妨げ、偏った判決を容易にする、という可能性があるからです。私自身、「地下鉄サリン事件」をはじめとする一連の事件に対して、『オウム』が無関係であった可能性はきわめて少ないと思います。しかし、それらの事件の実行犯として、『オウム』の幹部たちが、あるいは『オウム真理教』という教団が教団ぐるみで深く関与していたとしても、その背景となる事実や事情に関して、現在の報道は充分に信頼に足るものではないと感じます。松本サリン事件で犯人に仕立あげてしまった河野さんにマスコミ各社は謝罪しましたが、現在の『オウム報道』に関しても、マスコミ各社は只今現在反省すべき多くの点があるのではないでしょうか。現在の報道のすべてが虚偽ではないにしろ、全てが事実ではない、かも知れないということについて、おそらく現在のマスコミは深い自覚をもってはいないのではないでしょうか。
ことに、TBSテレビが起こした「サブリミナル事件」は、報道の犯罪といわなければならないと思います。資本の論理に操作された報道機関、そしてそこに帰属している報道人が、どこまで無軌道になれるかということの一つの象徴的な事件ではないでしょうか。そこには、二重、三重の報道人の意識の退廃があると思います。オウムが疑惑をもたれ犯人と目されている事件の報道フィルムのなかに、麻原彰彰の肖像を映した、人間の通常の意識では確認できないごく短時間(1秒の数十分の一)のコマを挿入したこの事件は、事実を理性的に検証すべき報道の責任の放棄であり、視聴者の無意識に『オウム』への関心を植えつけようとしたものですが、それによって視聴率の維持と上昇を計ろうとした明白な「マインド・コントロール」です。意識では判断できない無意識のレベルに情報を流し込むこのような操作を、テレビという圧倒的な影響力を持つメディアが行うことがどれほど危険で卑劣なことか、実行した担当ディレクターやその周辺の人間はまったく自覚していなかったのでしょう。CMでも実は使っているのだからいいじゃないかという意見もあるのですが、CMなら許されるのかどうかはともかく、事は日本中を恐怖と不安に陥れている大事件に関わる報道の中でなされたのだということを、もっと自覚すべきでしょう。一面では、視聴者の無意識に『オウム』犯人説を刷込み、また一面では『オウム教団』の宣伝ともなりうる、このような「視聴率のためなら何でもあり」の姿勢は、報道の堕落以外のなにものでもありません。
二、『オウム真理教事件』の三つの視点
「地下鉄サリン事件」「松本サリン事件」「假谷さん失踪事件」などの多数の事件が、『オウム真理教』による一連と犯行と見なされ、麻原教祖をはじめとする幹部ら多くの信者が逮捕されているこの事態を『オウム真理教事件』とよびましょう。
この『オウム真理教事件』を考えるとき、三つの視点をもって考察することが必要だとおもいます。
一つの視点は、一連の事件は本当に『オウム真理教』の犯行なのか。これについては、冒頭の「事件としての『オウム』」にすでに述べましたが、現在の報道を百%信じることはできないということ。報道のより緻密で正確な取材が望まれるということですが、どこまでも犯罪に関与した事実を明らかにすることが問題です。週刊誌やスポーツ新聞などで、まことしやかに報道される教団内部のスキャンダルを、犯罪の事実と混同してしまうことは危険です。スキャンダルは、ある人物や団体が怪しいとみなされると必ず出てくるものですが、相手は「犯罪者」なのだから何を書いてもいい、どんないい加減なことを書いてもゆるされるという、ジャーナリズムの安直な姿勢を、わたしたちの興味本位が支えています。わたしたちのスキャンダル好き(もちろん私自身をふくめて)も直せるようなものではありませんから、せめて、仮にそれらのスキャンダルが事実であったとしても、スキャンダルは犯罪の事実を証明するものではないということを、はっきりと認識しておかなければならないと思います。
第二の視点は、『オウム真理教』が一連の犯行に関わっていたにせよ、あるいはそうでないにせよ、『オウム真理教』という集団がかかえている問題点についてです。これは、『オウム真理教』をたんなる詐欺師に率いられた集団とみるか、あるいはすくなくともある種の宗教団体とみるかによってずいぶん視座が異なってきます。私自身は、『オウム真理教』は基本的に宗教団体であると考えます。その視座から、宗教団体としての『オウム真理教』の問題を考えてみたいと思います。
第三の視点は、この『オウム真理教事件』が現に持ち、また今後持ちうるであろう社会的な意味についてです。
第一の視点について、私自身には「事件としての『オウム』」に述べた以上のことを語る能力がありません。それぞれの専門家のはたらきを待ちたいと思います。
しかし第二の視点、第三の視点については、私自身多少なりとも宗教にかかわるものとして、真剣に考えてみなければならないと思います。それは『オウム』が私自身に、またわたしたち自身に「突きつけている」ものだという気がいたします。
三、教団としての『オウム』
最初に、わたしはオウム真理教を表す 『オウム』というこの言葉を、括弧を付さずには用いたくないということを表明しておきます。というのは、オウムとは『ウパニシャッド』や『ヴェーダ』にまでさかのぼるインドの聖なる音であり、ヒンドゥー教のみならず仏教にも、たとえば密教の真言の冒頭に独立する最上の讃歎句「口奄」として採り入れられている、尊重すべき(と私は考えています)言葉だからです。
聖なるオウムについてすこし説明します。
古代インドの聖典『サーマ・ヴェーダ』は、オウムについてこのように語っています。「オウムの字音は一切を貫く、オウムの音は実にこの一切なり」
『マーンドウーキヤ・ウパニシャッド』にも、こう言われています。
「オウム!といえるこの字は全宇宙なり。その解釈をあげん。過去といい、現在といい、未来という。一切は実にオウム字なり。他の三世を超越したるもの(梵の本体)もまたオウム字なり」(『ウパニシャッド全書』二・東方出版*大正時代に刊行されたこの全書では、オウムに「口奄」の字があてられています。)
オウムはカタカナ表記ではオームにもなりますが、古代インドでは一字の梵字です。現在のインドでは梵字から発展したデーヴァナーガリー文字の一字で書かれますが、『オウム真理教』のシンボル・マークは、このデーヴァナーガリー文字のオウムをデザイン化したものだと思います。デーヴァナーガリー文字のオウムは現代のインドではよく見かける文字で、街頭の壁などに書かれているのを見ることもあります。オウムは梵(ブラフマン=宇宙の根本原理)を一字で表す象徴ですが、またA.U.M(ア・ウ・ム)の三文字に分解されて、それぞれブラフマー・ヴィシュヌ・シバという、宇宙の創造・維持・破壊を司る三神に配されます。密教では「ナゥマク(帰命したてまつる)」と同義に用いられる場合もあり、この場合は「ナム」、浄土教や日蓮宗で「南無阿弥陀仏」「南無妙法蓮華経」と称えるあの「南無」とも同義だということになります。「阿吽(あうん)の呼吸」ということを言いますが、これも「ア」は始まり、「ウン」は終わりをあらわすもので、「アウム」すなわちオウムから来ているのではないかと思います。運慶が作った東大寺の仁王像(金剛力士)、「阿」形の力士と「吽」形の力士は、二体でオウム!と叫んでいるわけです。つまりオウムは、そのなかに宇宙の創造から破壊までの一切をふくむ、古代インド、ヒンドゥー教、また仏教のある部分にもかかわる最高の音、最も聖なる象徴なのだということです。
このようにオウムは決して『オウム真理教』を表す言葉ではありませんし、そう誤解されては困るのです。ですから、『オウム真理教』を語るときには、私はかならず括弧付の、『オウム真理教』あるいは『オウム』と記して、誤解を避けたいと思います。
「ヴァジラヤーナ」の教え
『オウム』の教祖麻原彰晃は、しばらくは「マハー・ヤーナ」(大乗)を掲げていましたが、近年は「ヴァジラヤーナ」(金剛乗)ということを言いだしていたようです。日本に伝承された密教は、平安時代に空海によって、『大日経』『金剛頂経』の二系統の密教教典が入ってくるのですが、これらは密教の歴史の中では中期の教典に属します。その後『金剛頂経』系の教典群が続々と制作されて、インド後期密教、チベット密教などへ発展していきます。この『金剛頂経』以後に発達した『金剛頂経』系の後期密教を、「大乗」にたいして「金剛乗」(ヴァジュラ・ヤーナ)と呼ぶことがあります。麻原教祖はそれを看板にしたわけですが、その麻原流「金剛乗」の教えを検討することが、「教団としての『オウム』」を考える上で、またこの『オウム真理教事件』を考える上での最大のポイントだと思います。「ヴァジラヤーナ」を言いだす前の『オウム』の教義は、教義自体をみるかぎり特別に問題視する必要のないものです。ある面では評価してもよい部分もありますし、私自身、その一部を肯定的に評価したことがあります。しかし「ヴァジラヤーナ」に至って、麻原教祖は大きく道を踏み外してしまった。「金剛乗」自体についてもまたとんでもない過ちを犯したと考えます。
この麻原流「金剛乗」の教えについて、立花隆氏が手際よくまとめているものがありまので、まずそれを見ましょう。
「ヴァジラヤーナの教えとは何かというというと、救済のためには、あえて悪をなすことが必要になることもあるという教えなんです。(中略)これは、わかりにくい教えですから、麻原自身の言葉を引用してみたいと思います。ここに、『ヴァジラヤーナコース・教学システム教本』という本があります。教団内部でヴァジラヤーナの教えについてまとめたもので、オウムの信者の中でも、ある程度ステージが高いものに対してしか、この教えは伝えられていません。「例えば、ここに悪業をなしてる人がいたとしよう。そうするとこの人は生き続けることによって、どうだ善業をなすと思うか、悪業をなすと思うか。そしてこの人がもし悪業をなし続けるとしたら、この人の転生はいい転生をすると思うか悪い転生をすると思うか。だとしたらここで、彼の生命をトランスフォームさせてあげること、それによって彼はいったん苦しみの世界に生まれ変わるかもしれないけど、その苦しみの世界が彼にとってはプラスになるかマイナスになるか。プラスになるよね、当然。これがタントラの教えなんだよ。ただ、これは深遠で難しい。どうしても心の弱さがが出ると。そこまで断定的に判断するすることはできないと。ただ君たちがだよ、今生で最終解脱を考えているんだったら、最も強い心の働きを持ちなさいと。だまして、教化できる範囲っていうのは決まってるんだね。相手が真理と、それから真理じゃない中間状態にある場合は、だまして真理へ連れてくることができると。しかし完璧に悪業をなしていて、もう全く真理との縁がないと。この人はトランスフォームしたほうがいいんだ、本当は」トランスフォームというのは要するに殺してしまうという意味です。つまり、悪人は生きていてもどんどん悪業を重ねるだけで、その人の転生は悪くなる一方なのだから、殺してやったほうがその人のためになるというのです。そして、殺すことでヴァジラヤーナの道を実践する者は、最終解脱することが約束されているのだから、強い心をもって実践せよというのです。小乗・大乗の道によって最終解脱することはなかなかむずかしいが、金剛乗の道なら必ず最終解脱するというのです。」(『週刊文春』95・7・27号)
そして『オウム』の人間がなぜサリンを撒いたかについては、こう見ています。
「マスコミ報道では、サリンをバラまく人間には、教団内部で出世が約束されていたから、それにつられてやったんだというような卑俗な解釈が一般的でしたが、ただの出世欲にかられただけなら、人を殺すことまでやろうとは思わないでしょう。やはり、彼らの本当の動機は、それが殺される人のためにもなると同時に自分の最終解脱にもなるという殺人の宗教的合理化理論を本当に信じてしまったことにあるのでしょう。」
立花氏のこの見方は、ある程度正しいと思います。確かに、たんなる出世欲でこれだけの殺人ができるものではありません。そこには必ず宗教的な強い力が働いているはずです。その力はまずおそらくは「尊師絶対」の思想であり、「尊師」のいうことには逆らえないという、絶対の服従を要請する力であったと思います。その際、行為を正当化する理論なしに人間は動けない。第二次大戦中の日本の特攻隊員は、その行為を自分に納得させてくれる思想を必死にもとめたでしょうし、日本に原爆を落としたエノラ・ゲイの搭乗員もまた、その人類史に例のない大量殺戮を合理化する思想を必要としたでしょう。
井上嘉浩という青年は、「尊師」の命令であれば自分の考えを一切はさまずに服従する忠犬だったと言われていますが、そういう者もいたでしょう。しかしほとんどの幹部たちは、「天皇陛下のために死ね」と言われればその理由を自分なりに納得する必要のあった大多数の特攻隊員やふつうの兵士たちと同様に、もし「サリンを撒け」といわれてほんとうに実行したのなら、「サリンを撒く」正当な理由を求めたでしょう。そしてその中には、ある程度は納得した者、本当に信じたもの、そしてとうとう最後まで正当化できぬままに実行部隊として「狩りだされてしまった」者もいたのではないでしょうか。たとえば医師であった林郁夫という人は、もし彼が実行犯であるならば、最後まで良心の呵責にさいなまれた人だったのではないでしょうか。特攻隊員であった林尹夫という人の残した生前の日記(たしか『わがいのち月明かりに燃ゆ』という題だったように記憶します)が出版されていますが、この若者もまた、「敵を殺すために死ね」という「天皇」の至上命令を、自分に納得させるための必死の努力をしています。林郁夫は林尹夫に似ている、と感じます。
いずれにしても、「地下鉄サリン事件」の実行犯が『オウム』の信者たちであったならば、正当化の理論は麻原流「ヴァジラヤーナ」の教えであったわけです。何よりも麻原教祖自身、自分流「ヴァジラヤーナ」の教えを思いつかなければ「サリンを撒け」などと命令できなかったでしょう。麻原流「ヴァジラヤーナ」の教えは、言葉として説法されている限りでは、『オウム』が実行犯であることも、麻原が命令者であることも証明しません。その点は踏まえておかなければなりませんが、しかしその教説をまともに信じれば今回のような事件を必然的に引き起こすという意味で、徹底的な批判をしておかなければならないと思います。私は麻原自身が、自分流「ヴァジラヤーナ」の教えをあるていど本気で信じこんだと思います。仏教ではこういう誤った考えを邪見といいますが、邪見というものがどれほど恐ろしいかを、麻原流「ヴァジラヤーナ」の教えは体現しています。
立花氏は引用の論考の中で、ヴァジラヤーナを麻原の独創であるかのように記述していますが、これはどこまでも麻原流「ヴァジュラ・ヤーナ」の教えであって、歴史的な「金剛乗」の教えではないということを、はっきりさせなければいけません。立花氏の論考はこの点で誤解を生む余地がありますので、注意する必要があります。
歴史的な「金剛乗」は、インドから中国・日本に伝来した密教そのものをさす言葉としても用いられています。たとえば金岡秀友氏は、「密教とは時間的に「最終期の仏教」であり、価値的に「最究極の仏教」であることを自認していた仏教である、といわなくてはなるまい。「金剛乗」という自称は、まさにこの点の自覚であった。」(『アジア仏教史・インド編IV密教』はじめに/佼成出版社)と書かれています。金岡氏の解説にしたがって、「金剛乗」という言葉の歴史をもうすこし尋ねてみましょう。
「われわれが密教と呼ぶものに相当する古代インド語───この場合梵語───は「秘密乗」(グヒヤ・ヤーナ)ということばであるが、書物の題名やその作品中に、この呼び方が登場する機会は極めてすくない。(中略)また、わが国での密教の体系を代表する宗団は真言宗といわれているが、これに相当する「真言乗」(マントラ・ヤーナ)といういい方もインドにあることはあるが、このいい方もその用例は『成就法鬘(サーダナ・マーラー)』などによっても極めて少ない。(中略)このように、日本と中国との間で一般化した呼び方と、インドにおけるそれとの間には、かなり内包・外延においてちがいがある。その同異をたしかめるためには、インドにおけるそれを確認しておかなくてはならない。多くの学者がさまざまな実例を蒐集し、その軽重を判断して、代表的とみられる用語を挙げているけれども、誰によっても、必ず認められている呼称は「金剛乗」(ヴァジュラ・ヤーナ)であろう。」(前掲書・四五〜四六頁)
「金剛乗」の呼称は弘法大師空海の著作にも見られます。またインド・チベットに展開した後期密教の分類の仕方には種々のものがあり、「金剛乗」「倶生乗」「時輪乗」の三つが並列して置かれることもあります。あるいはそれに「タントラ」の名を付す場合もあり、後期密教の全体を「タントラ仏教」と呼ぶ学者もいます。しかしいずれにしても、「ヴァジュラ・ヤーナ」の名が、インドにおける後期密教の全体において有力な呼称であったことはまちがいありません。
「先に見たように、密教がそのまま金剛乗(ヴァジュラ・ヤーナ)であるか、いつから金剛乗という呼び方が一般化したかは異論の多いところであるが、『金剛頂経』出現以前にこの呼び方が行われたことは考えられず、これから以後、密教がインドの地に行われなくなるまで、それは金剛乗、あるいは「金剛大乗」(ヴァジュラ・マハー・ヤーナ)の名で呼ばれることとなる。」(前掲書・一〇五頁)
という金岡氏の解説からもわかるように、「ヴァジュラ・ヤーナ(金剛乗)」とは、仏教の後期段階である密教のインドにおける代表的な呼称であり、さらに限定すれば、『金剛頂経』以後の、『金剛頂経』系(『金剛頂経』をふくめた)の密教を表す言葉として考えるのが妥当だろうと考えます。
日本密教、ことに『金剛頂経』の研鑽を中心とする東密(真言密教)の人々は、この意味でまさしく「ヴァジュラ・ヤーナ」を学ぶ人々なのですから、麻原教祖のいう「ヴァジラヤーナ」の教えに対して、何か物申す資格は充分にあるはずです。この方々が学ぶ密教の教え、真言の教えの中に、殺人を正当化する教えが果たして存在するでしょうか。仏教を学ぶ者のすべてがそういわなければならないように、しかしまたそれ以上に、「ヴァジュラ・ヤーナ」を学ぶ密教の人々は、「否!」と叫ばなければならないのではないでしょうか。
「ヴァジュラ・ヤーナ」の教えに、麻原教祖のいうような教えがあるわけではない。ただ密教には、昔空海が大先輩の最澄にさえ、密教はめったなものには教えられないといって『理趣経』の閲覧を拒んだという逸話があるほど、場合によっては誤解を生じやすい要素があるということは言えます。麻原教祖の考える「ヴァジラヤーナ」は、日本密教よりもやはりインド後期の密教やチベット仏教をイメージしているようです。麻原教祖はなぜこのような誤解、あるいは曲解を生じたのか。麻原の邪見は何をもとにして出来したのか。
そのもとがまったく無い、というのではない。
チベットに伝わる聖者物語の中に、こういうエピソードがあるのです。
十一世紀の前半、インドにナローパという聖者がいました。当時ナローパは、ヴィクラマシーラ仏教大学の有名な学者でした(*注─中沢新一/ラマ・ケツン・サンポ共著〔改稿〕『虹の階梯』中公文庫二一四頁。*平河出版社版『虹の階梯』初出では、この大学は「ナーランダー大学」とされているが、改稿版では「ヴィクラマシーラ仏教大学」と修正されている)。しかし彼は、精神の導師(グル)に出会うということがどういうことかを、いまだに深く考えてみたことがありませんでした。ある夜、ナローパの夢の中に彼の守護神であるターラ女神があらわれ、ティローパを探せと告げます。女神の教えでは、ティロ−パは遠い過去からナローパの師であったというのです。これを聞いたナローパは、おしげもなくヴィクラマシーラ大学学頭という名誉ある職を辞して、東方へ向けて旅に出ました。持物は僧衣と錫杖だけです。ナローパはティローパを求めて東インドをさまよいましたが、誰もティローパという偉大なグルのことを知りませんでした。そこでナローパは聞き方を変えて、自分はティローパという男を探しているのだが、といって尋ねまわったのです。するとある人が「乞食のティローパなら知っているが」と言います。ナローパは一応その乞食にも会ってみようと思い、居所を聞いておきました。乞食のティローパは一軒のあばら屋に住んでいました。ナローパがあばら屋に入っていくと、そこではティローパが生きた魚と死んだ魚の混じった桶の前に坐り、一匹づつ魚をすくいあげては火にあぶり、焼きあがると指でつまんで食べています。それがすむとまた別の魚を同じように焼いて食べるのをくりかえしていました。ナローパは彼にぬかずいて言った「私に教えをおさずけくださらんことを」。だがティローパは、自分はただの乞食にすぎないと言うだけでとりあおうとしません。ナローパは何度も何度もぬかずいて教えを乞うた。そこでようやくティローパは口を開き、彼の行為の意味を教えるのです。
「この時のティローパの行動には深い意味がこめられている。ティローパほどの卓越した密教行者には、魚のような生き物を動物の状態から救いだし、より恵まれた環境に移してやれる力がそなわっていた。そこで魚を焼いては食べていたのである。これはインドの成就者の中に昔からおこなわれていた方法で、別の有名な成就者サラハなどは矢で射殺して生き物を救い、また別のある成就者はこの法をおこなったため「狩人」と呼ばれていたという。」(中沢・前掲書)
麻原教祖のヴァジュラ・ヤーナ解釈は、おそらくはまずこのエピソードをもとにしていると思われます。すでに注の中でも示したように、このエピソードは中沢新一氏の『虹の階梯』という本に出てきます。中沢氏の『オウム』の信者に対する影響は、氏自身もいうようにかなり大きなものがありそうですし、麻原教祖自身、中沢氏からはずいぶん盗んだものがあると思われます。もちろんそれは中沢氏の責任というわけではありません。麻原教祖は原始仏教からも阿含宗からもヒンドゥー教からもいろいろなものを盗んでいますから、問題は、それが正しい学びになっているか、それとも邪な誤解や曲解になってしまっているかということです。
このエピソードに、「人を殺して救済せよ」などという教えがふくまれているはずがないことは明らかです。しかし、大馬鹿者ならばそういう誤解をしかねない要素がふくまれているとは、言えるかもしれません。麻原教祖がもしこのエピソードをもって、「ヴァジラヤーナ」には「人を殺して救済せよ」という教えがあるのだと言い張るならば、大馬鹿者というほかにない。まずそのことだけは言っておかなければなりません。
ティローパは、魚を食べていただけです。わたしたち人間が魚や豚や牛や野菜を食べて生きているように、同じことをしているだけなのです。ただティローパがわたしたちと違うのは、わたしたちは他の生き物の幸福などほとんど考えないのに、ティローパは真剣に、またまったくユニークでユーモラスな仕方で、魚たちの幸福を願っていたということです。
このエピソードが意味するものについて、また麻原流「ヴァジラヤーナ」の教えについては、より詳しい考察が求められると思います。たとえば浄土真宗の祖親鸞聖人は、「自分が死んだら加茂川に投げて、自分の肉を魚たちに与えてほしい」と遺言されていますが、この親鸞聖人の心と、ティローパの心は別のものではありません。同じ心が流れていながら、その表現はまったく違う。表面的に見れば正反対のものです。麻原には親鸞聖人の心はもちろん、ティローパの心もすこしも伝わっていない。ただ、親鸞聖人の言葉から麻原の誤解が生まれてくる余地はありませんが、ティローパの行為からは、その余地無しとは必ずしも言い切れない。そういう問題が残されています。
『瑜伽師地論』の文
仏教の重要な論典に『瑜伽師地論』というものがあります。インドで生まれた大乗仏教の二大潮流、空の思想を説く「中観派」と、唯心の思想を説く「瑜伽行唯識派」のうち、後者である「瑜伽行派」の基本的聖典です。これは当時学問的な考究のみが重視されていた仏教の傾向にたいし、具体的身体的なヨーガ行の実践を主張する人々が登場してきたのです。「瑜伽」とはヨーガのことであり、したがって「瑜伽行派」とは「ヨーガを行ずる人たちの派」というほどの意味です。『西遊記』に出てくる三蔵法師、玄弉三蔵が国禁を犯し命懸けで天竺へ旅立ったのは、この聖典を求めてのことだったと言われています。この、瑜伽行派の聖典中もっとも古いテキストでもある『瑜伽師地論』のなかの「菩薩地」という品(いまでいえば「章」のようなもの)に、こういう記述があります。
「まさに知るべし菩薩の哀愍の依処に略して五種ありと。何らをか五となすや。一には有苦の有情、二には悪行の有情、三には放逸の有情、四には邪行の有情、五には煩悩随眠の有情なり。」(*註─巻の第四十七・本地分中菩薩地第十五第二持随法瑜伽處菩薩相品第一/『国訳一切経』印度撰述部138瑜伽部三・大東出版社蔵版一九九頁*旧漢字は新漢字に訂正し、また一部の漢字をひらがなに改めた)
真実の道を求める人(菩薩)が哀れみをいだく相手には、おおまかにいって五種類の人たちがいると言って、それぞれを説明しています。地獄などで苦しんでいる者たちは有苦の有情。行為や言葉や心で悪行ばかりをなして、しかもそのことにみずから愉快を感じているものは悪行の有情。欲望のままに暮らして遊び呆けている者は放逸の有情。そして第四に邪行の有情を、こう語っています。「あるいはまた有情定んで苦、行悪、放逸にあらずといえども、しかも妄見に依りて種々なる苦解脱の行を修行す。いわく諸欲を捨て、悪説の法と毘奈耶(ビナヤ・戒律)との中において出家する者なり、是の如きを名づけて邪行の有情となす。」
『オウム真理教』という集団を考えるとき、私にはこの文が正確に、彼らの姿を言い当てているように思われます。
『オウム』の信者たちは確かに苦からの解脱の行を修行し、諸欲を捨てて出家した、あるいはしようとした人たちであったでしょう。それは間違いないと思います。しかしその依りどころが、妄見であった。現世の諸々の欲望を捨てるつもりで出家したが、出家して入った教団は、悪説の法と戒律とが支配する場所であった。
マスコミの情報をそのまま信じるのではなく、半分ほどに割り引いて考えたとしても、以下のような点は否定できないのでしょう。
一、 布施の強要。全財産の布施が問題なのでも、布施の額が問題なのでもなく、それが強要によって行われるということ。そういうものは布施とは言わないのです。
二、金銭目当ての資産家拉致、監禁。
三、脱会信者の拉致。
四、地域住民とのトラブル
それ以外にも、教団内のリンチ殺人やら、現在疑惑のもたれているかずかずの事件など、いまさらここに改めて記す必要のない衆知のことです。今右に記したのは、どう控えめに見ても認めざるをえない、最低限のことだけです。一般信者のほとんどは、殺人事件とも拉致監禁とも無関係な人々でしょう。また麻原流「ヴァジラヤーナ」の教えに呪縛されていた者も、幹部を中心とする一部の人間だけだったのではないでしょうか。信者の多くは、動機は様々であったにせよ、彼らなりに真面目な気持ちで入信したのだろうと思います。それが、いつの間にかとんでもない方向に教団が暴走していってしまった。彼らと同じく道を求める者のひとりとして、そのことがとても悲しいし残念でなりません。
『涅槃経』の文
親鸞聖人の主著『教行信証』(「化身土・本」巻)の中に、『涅槃経』〔迦葉品〕の文が引かれています。
「「一切梵行の因は善知識なり。一切梵行の因、無量なりといえども、善知識を説けばすなわちすでに摂尽しぬ。」我が所説のごとし、一切悪行は邪見なり。一切悪行の因、無量なりといえども、もし邪見を説けばすなわちすでに摂尽しぬ。」(『真宗聖典』三五二頁)
梵行とは、諸欲を捨てた清らかな行い。善知識とは導いてくださる方、先生、師というべき人。その行いが本当に清らかなものとなるかどうかは、よき師に出遇うかどうかにかかっているというのです。つまり、一見清らかに思える行いも、邪見を破る師の智慧に導かれて本当のものになる。ところが『オウム真理教』の信者たちは、邪見を破るどころか、むしろ邪見を増大させる師につかまってしまった。そこでは清らかなはずの行いが、転じて悪行そのものになってしまう。善のはずだった行いが悪の結果を生んでしまう、という逆転が起こるのです。
「善男子、四の善事あり、悪果を獲得せん。何等をか四とする。一つには勝他のためのゆえに教典を読誦す。二つには利養のためのゆえに禁戒を受持せん。三つには他属のためのゆえにして布施を行ぜん。四つには非想非非想処のためのゆえに繋念思惟せん。この四つの善事、悪果報を得ん。」(『涅槃経』〔迦葉品〕)
経典を読む(読誦は声に出して読む)ことも、戒律を守ることも、お布施をすることも、仏の教えを思念することも、みな世間的な善よりもいっそう優れた善事なのですが、その心が、他より優れたものになりたい心、名声や財産を欲しがる心、他に隷属する心、何も思わないことが最も優れていると思う心、によって動かされているならば、かえって迷いの世界に沈んでしまう。しばらくは解脱できたつもりになっても、また戻ってきて輪廻の中に埋没してしまう、というのです。どんな修行者の中にも、こういう心が混じっています。だからこそ、そういう心を指摘して正しく導いてくださる善知識が求められるのですが、悪知識はそういう心を指摘して正してくれるどころか、むしろ増大させてしまいます。
チベットの教えにも、修行者を襲う危険の一つとして、こう言われています。
「誤ってよこしまな導師についてしまう。よこしまな心をもった導師は、真理を逆立ちさせて弟子に吹き込むので、学べば学ぶほど真理から遠ざかってしまう。これに対しては、まちがいなくすぐれたラマ(導師)を選ぶことにつきる。」(ロンチェン・ラプジャム『如意の宝庫』───中沢新一『虹の階梯』〔改訂版〕九六頁より)
一切の悪行の因は邪見であり、その邪見を説く者は悪知識です。
麻原の「ヴァジラヤーナ」解釈はまさに邪見そのものであり、麻原はまさに悪知識として、数知れぬ信者たちを悪行に引き入れてしまった。一連の事件が本当に麻原の指示によるものであったなら、その責任は死をもっても償えぬものです。
神秘体験
『オウム』の信者たちが、報道される『オウム』の犯罪疑惑を聞いてもなお『オウム真理教』という教団を捨てきれないのは、一つには、初期にはクスリを用いずに実際に自分の身体で経験した神秘体験によっているだろうと思います。
それはシャクティーパットという、麻原教祖が弟子の眉間に親指をあてるという「技法」によって与えられました。眉間は、クンダリーニ・ヨーガでは「アジュニャー・チャクラ」とよばれる生命エネルギーの重要なポイントであり、(麻原流)シャクティーパットとは、ここを通じてグル(師)が弟子にエネルギーを注入することです。これによって弟子たちは、それまでに経験したことのない種々の超常体験をするのです。『イニシエーション』という教団発行の書物の中に、信者たちの体験が語られていますので、すこし引用してみます。
「精神世界にまったく興味がなかった私が、大好きな人に勧められ、オウムに入会し早一年になろうとしています。この一年を振り返り、シャクティーパット、神秘体験と私の心の動きについて綴ることにします。まずはシャクティーパット、この最初の体験が、私を修行の道へと導いたのです。昨年の六月にセミナーに初参加、この時シャクティーパットを受けました。前もって先生から、「セミナー中に神秘体験をするだろう。」とは言われていましたが、それがこのシャクティーパットの時だったのでした。その時の様子はこうでした。先生のエネルギーが私のアージュニャー・チャクラに注入され、私の尾てい骨のムーラダーラ・チャクラを熱くさせ、そのエネルギーに引っ張られるように、熱が上へ上へと昇りつめました。それに伴い心臓の鼓動が非常に速くなり、呼吸が荒く乱れ、全身がしびれ、そして硬直していき、自分の思い通りにならないという状態となったのでした。この時、頭の中では(これはどういうことなのか?)と思いながら、私の最初のシャクティーパットは終わりました。先生は、この状態を『歓喜』だと教えて下さいましたが、私には何のことだか少しもわからず、自分の身体であって自分のものではない感覚の原因を知りたいと思ったのでした。(……)最初は偶然に起きたことが、今では、意識をアージャニャー・チャクラに集中することによって、ムーラダーラ・チャクラから各チャクラを通ってクンダリニーが上昇し、身体もシャクティーパットと同様の反応をするのです。これによって、初回のシャクティーパットの時の疑問が解決し、修行の道へまた一歩進み出したのです。〔佐藤律子(二十九歳)日赤勤務・臨床検査技師)」
次の体験は、もっとはっきりとした内容を語っています。
「私は昔から人間が生きることの意味について知りたくて仕方がありませんでした。しかし、どんなに偉大といわれる哲学者や思想家も私の疑問には答えてはくれなかったために、次第に私は宗教的なものに興味を持ちはじめました。それまでは宗教など馬鹿々々しいもの、と見向きもしない私でしたが……。とにかく超能力を得て真理を知りたいという目的と、夢も希望もない人生から何とか救われたいという気持ちからセミナーに参加してみようと思ったのです。最初は、チャクラやクンダリニーといったものが本当に存在するのだろうかと半信半疑でした。また、シャクティーパットも私の場合は虹色の光の軸が見えただけで、期待していた程のセンセーショナルな体験もできなかったので、少しがっかりしたものでした。(……)こうして、毎日少しずつ瞑想し、何回かセミナーに参加してシャクティーパットを受けるうちに“見えない世界”は確かに実在するのだという確信を得ることができるようになりました。自分自身が数多くの神秘体験をするようになったからです。
最初の頃は、白銀の点が見えたり、何かが背骨に沿って動くのを感じたり、尾てい骨が恐ろしい程熱くなるのを感じました。その後幽体離脱をしたり、今の地球上では見たこともないような文字のビジョンを見たり、またある時は夢の中で友人とリアルに会話し、しかもその時に友人から聞いた話が現実と一致するものだった、という不思議な体験をしたりしました。そしてついにクンダリニーの覚醒を体験するに到りました(その日はなぜか『生死を超える』を手にした日だったのでした)。まず微熱が二日間続き、喉が痛くなり声が出なくなってしまいました。そして数日後、眠っている時に背骨がものすごく熱くなるという体験をしました。その熱は日常生活で経験するものとは異なり、何か未知のエネルギーによるものという感じでした。(……)
最近では、現世的な享楽への関心が次第に薄れ、穏やかな日々を送れるようになりました。いつかの説法で聴いた、「人は外的な条件によって幸福になったり不幸になったりするのではない。」ということを本当に真理であると思えるようになった気がします。そして、知りたくて仕方がなかった自分の生きることの意味も直観的ではありますがだんだんとわかり始めてきたように思います。(萩沢隆子(二十六歳)修行者・津田塾大学卒)」
この女性の体験談は、『オウム真理教』に入信した人たちの体験、動機のひとつの典型を示しているように思います。現在幹部といわれている人たちもまた、多かれ少なかれ同じような過程を経て、体外離脱や、彼らがアストラル・トリップと名づけている、異次元の世界で過去や未来を見、あるいは地獄や天界などを見て歩くという体験をしているのです。『オウム真理教』信者で文化人類学者の坂元新之輔氏が、「この私の神秘体験とね、同じもの用意できるんならしてみてくださいって言いたいよ」と、『朝まで生テレビ』の打ち上げで叫んでいた(切通理作『お前が人類を殺したいなら───おたくジェネレーションとオウム真理教───』宝島30/95・8月号)というのも、こういう裏付けがあるからです。坂元氏の意図を、もうすこし落ち着いた場でなされた彼自身の発言で補足しておきます。「私はこの過程を経験して初めて、これほどの技術の裏付けがあるならば、アルタード・ステーツと言うんですか、個人の意識変容の体験が社会問題を解決していく可能性があると考えるようになりました。私がみたオウム真理教の技術はかなり再現性が高かったですからね。多くの日本人がこの過程を経験すれば、現行の法学が前提としている人間観は、いやが応でも変更せざるをえなくなります。私はそこに初めて個人の意識変容が静かに社会全体を改革していく通路を発見したように感じました。」(『文化、反自然、そしてオウム真理教』imago臨時増刊「オウム真理教の深層」中沢新一・責任編集所収)
麻原教祖が用いた「シャクティーパット」について、永沢哲氏が優れた解説をおこなっています。「インドでも、クンダリニーの覚醒は、長い期間にわたるマントラやハタヨーガ、呼吸法などのトレーニングによってはじめて可能になるものだとされ、その過程で、パワフルな導師から、直接的に霊的なエネルギーが注ぎこまれるイニシエーションが、迅速な覚醒のためには必要だとされる。(……)シャクティ・パットは、ふつう、凝視(トラタカ)によって、両目と額の中央にある「第三の眼」からエネルギーを送り、クンダリニーを尾骨から徐々に上げていったり、頭頂ないしその上の空間に手をおいて、手のひらから頭頂のサハスラーラ・チャクラに、エネルギーを入れることによっておこなわれる(これ以外にも、方法は、さまざまにある)。ただ、シャクティ・パットは、きわめて直接的なもので、導師にとっても、弟子にとっても、影響が大きいので、あまり頻繁にはおこなわれないのがふつうだ。」(『わが隣人麻原彰晃』前掲─imago臨時増刊「オウム真理教の深層」中沢新一・責任編集所収二二二頁)
「クンダリニー」(シャクティと呼ばれることもある)とは、尾てい骨の根元(ムーラダーラ・チャクラ)に眠っているとされる根源的生命エネルギーのことで、これを覚醒することによって至高体験を得ようとするヨーガを、クンダリニー・ヨーガと言います。麻原教祖は、シャクティーパットを公開することによって、不特定多数の弟子たちのクンダリニーを一遍に覚醒させようとしたわけです。このシャクティーパットを行う能力について、麻原教祖は相当の自信を持っていたらしく、「日本でこれができるのはおそらく私一人だけだろう」と自負しています。実際、シャクティーパットについての麻原教祖の記述、またそれを受けた弟子たちの体験談を読むと、麻原教祖がシャクティーパットの能力を持っていたことは認めていいと思います。そしてそのことが、「日本で唯一の最終解脱者」という錯覚を彼にもたらしたのではないかと思います。
のちに信者の数が急速に増えるとともに、一人あたりに与えるシャクティーパットの時間は短くなっていきますが、初期においては、クンダリニーが目覚めるまで、一時間でも二時間でもエネルギーの転送をおこない、そのために逆に精神的混乱に陥ってしまった者もたくさん出ていると、永沢氏は書いています。永沢氏のこの論考はたいへん良いものですので、『オウム』を真剣に考える人には一読してほしいと思います。一部分だけ引用しておきます。
「インドのヨーギ(ヨーガ行者)たちは、何十年もヒマラヤにこもり、心身のエネルギーの微細化を極限までおしすすめてからでなければ、なかなか、人前には姿をあらわさないし、シャクティ・パットもおこなったりしない。それは、イニシエーションがもっている危険性について、十分に熟知しているからだ。麻原師は、弟子たちが急速に増え始めるとともに、この問題に本格的に直面するようになったのである。数百人にシャクティ・パットをおこない、憔悴しきって、倒れたことも何回もあった。この頃、高熱を発しながら、クンダリニーが覚醒するまでエネルギーを注入しつづける彼の悲壮なまでの姿は、弟子たちに強烈な印象を与えた。『生死を超える』からほぼ半年後に出版された『イニシエーション』の中に収められている、当時の弟子たちの体験談を読めば、彼がただのイカサマ師ですますことのできない存在の仕方をしていたこと、弟子たちが彼の中に大乗菩薩道の強烈な慈悲の力をみた理由について、理解することができる。」
私も同感です。麻原教祖は、クンダリニー・ヨーガの修行によって確かにあるレベルの体験を得たのだと思います。そしてそれを「解脱」だと信じた。さらに彼は、シャクティーパットを通じて、同じようなプロセスを多くの人間に公開することができ、それによって世紀末の破滅を乗り越えていくことができると、本当に思ったのです。しかし彼は、自分の力を過信してしまった。ヒマラヤのヨーギたちが修行に修行を積んで、それでもなお公開しえない秘密を、自分はすでに公開しうるだけの存在になったのだと思い上がってしまった。クンダリニーの覚醒は確かにヨーガの秘奥とされるものですが、直ちに解脱を意味するものではないのだということを、彼は吟味しなかった。自分を「最終解脱者」とする錯覚と小喬慢が、彼にその吟味を怠らせたのだと思います。
魔境のおそろしさ
麻原彰晃をただのペテン師とする見方もあります。天才的な詐欺師という人もあれば、猪瀬直樹氏のように「サイコパス(異常人格)」と決めつける人もいます。彼の生い立ちや盲学校時代のエピソードなども流布しています。貧しい家庭に身体的なハンディを背負って生まれ、あるていど優秀な能力を持ちながら挫折を繰り返してきた、そこから社会への憎しみが醸成されていったのだという心理的な解釈があります。あるいは、多少は目の見える弱視だった彼は、盲学校時代は他の生徒たちに比べて優越的な立場にあり、乱暴者として恐れられていたともいいます。給食のおばさんに投げつけたという悪魔的な言葉も伝えられています。何でも、いつか殺してやるが、自分は直接には手をくださない、誰かにやらせれば自分は犯罪に問われないのだ、というような内容だったといいます。これもどこまで信憑性のあるものか分かりませんが、こういう話を聞くと、自分は命令を下すだけで実行はすべて弟子たちにさせていたといわれる現在の疑惑にも符合するようで、性格的な問題が当時からあったのだという説も理由無しとはしません。ただ猪瀬氏のように「サイコパス」というレッテルを張りつけて事たれりというのは、余りにも表面的でしょうし、人間そのものへの見方も皮相にすぎると思います。
中沢新一氏は、麻原教祖のヨーガ体験はかなり正確なものだと言います。岩上安身氏との対談の中で、麻原には何らかの神秘体験があったんだろうと言う岩上氏のことばに、「あります。僕にはわかります。彼の『生死を超える』っていう本の中に記述してあるのは、ヨガの正確な体験です。」(『悪夢の誕生』月刊現代・7月号)と反応しています。真宗大谷派の僧侶でユング心理学者でもある目幸黙僊氏は、アメリカから日本に講演に来られたとき、麻原教祖について「仏魔一体」の体験をしたヨーガ行者として評価しました(8月3日・東京『真宗会館』)。おそらくアメリカに在住しておられて余り情報が伝わっていないということも有るかもしれませんが、しかし自らもヨーガを行じておられる(私にはわかります)目幸氏がそのように言われる心も、私にはうなづけたのです。氏は会場で自ら「オウム!」の聖音を発声してみせましたが、その響きの中に、氏自身「仏魔一体」の深い体験をされていることを私は感得しました。中沢氏はチベットの導師について本格的な修行をしている、チベット密教(ニンマ派)の行者です。目幸氏は麻原教祖について、「一歩まちがえば自分もそうなっていたかもしれない」と言われましたが、それは多少なりとも真剣にヨーガにふれたことのある者の、誰もがもつ感想です。
私自身はクンダリニー・ヨーガの正確な体験を語る資格はありません。多少の実践と体験はありますが、いい加減なものです。しかしやはりインドで、仏と魔にともに出遇う体験をしています。ヨーガの体系の中に位置づけるならば、バクティ・ヨーガ(帰依のヨーガ)が私の道だったと思います。そこには何の特別な能力も知識も必要ありません。ただひたすら仏を信じるだけのことです。ヨーガとは簡単に言えば「集中」することですが、専心に集中して、分裂しているものを結び付けることです。その体験を、私自身はインドで受けた「洗礼」だと考えています。その後、日本に戻って真宗の僧侶になりましたが、帰国してから得度するまでに六年の期間があります。その間、自分なりにインドでの体験の意味を考えていたのです。実は私自身、インドで「ハルマゲドン」の予告を受け、それを伝えに日本に帰ってきた人間だったのです。
その意味で、麻原彰晃を私はアサハラくんと呼んでみたい気持ちがあります。人ごとではないのです。私自身は、真宗の門を敲いて、善知識に遇い、自分が愚かなただびと(凡夫)であることに気づかせていただきました。真宗の一僧侶として、自分のインド体験をどう真宗の教えのなかに位置づけるのか。あるいは宗派を超え、国籍を越えて、現代の人類がほんとうに求めている教えのなかに、宗派としての「真宗」をどう位置づけることができるのか。私の一生の課題です。真宗の善知識に出遇ったことは、私にとって涙も涸れ果てるかなじけなさでありました。仏と魔にともに出遇ったインドの体験は、私の魂を根底から揺さぶり、一生の道を決定させるものでした。私に今、真宗の寺を住持する職をたまわったのは、お前はこの課題を一生かけて問いつづけいくのだという、如来の勅命であります。
ただびとであること。凡夫であること。真宗が私に教えてくださったのはそのことです。しかもそれは、如来の前でただ人であることです。わたしたちが本当にただ人であることができるのは、如来の前、如来の智慧の光に照らされてです。如来を神といってもいい。その智慧において、その光において私たちがただびとになれる時、その智慧を如来と呼ぼうと、その光を神と呼ぼうと、同じでしょう。ただびとであることにおいて、私たちは神を見、如来の声を聞くのです。南無阿弥陀仏は、わたしたちをただびとに呼び返す如来の声です。もし現代に再誕の仏陀が現れたなら、その方は必ずただびととしてわたしたちの中に混じり、わたしたちに「ただびとになろう」「ただびとに帰れとわたしたちを呼んでおられる如来の声を聞こう」と勧めてくださるはずだと、わたしは思います。その声は実はどんな人の中にも微かに流れ、その光はどんな人の中にも微かな輝きをはなっている。キリスト教徒であろうと、仏教徒であろうと、ヒンドゥー教徒であろうと何教徒であろうと、それは同じ。ぎゃくに何教徒でもなくても、それは同じです。宗教とは、「その声をよく聞こうよ」「その光をもっとよく見ようよ」と、それぞれの言葉で呼びかけているだけのことです。だから何教徒にならなければ救われないと言うような宗教は、現代では、ないほうがいいのです。そういう伝道が必要だった時代はあるでしょう。しかし現代では、ある特定の宗教が、世界で唯一の存在を主張すべき根拠はなにもありません。言葉がわかってみれば、日本語も英語も同じ意味をあらわすことができます。ただびとのかけがえのない意味を、日本語がわかる人は日本語で聞いてください、英語でわかる人は英語で聞いてください、インド語でわかる人はインド語で聞いてください、ということです。宗教も宗派も同じ、「我が宗こそ絶対」というような宗教・宗派は、ただびとの光をむしろ見えなくしてしまう。ただびとの声をかき消してしまう。だからむしろ無くなってください、いや無くならなくてもいいから、変わってください、気づいてください、ということです。
『幸福の科学』という新興宗教があります。大川隆法という人が主宰で、霊界から日蓮上人やら坂本竜馬やら天照大神やらノストラダムスやら、ほとんどありとあらゆる聖人・偉人のメッセージを受け取るということで、たくさん本が出ています。ああいう霊言、チャネリングとも口寄せともいいますが、そういう現象があること自体を否定する必要はないのです。大川くんほどではありませんが、私もそういう現象を体験していますから、頭からそれを嘘だとかペテンだとかいうのは間違いだということを知っています。しかしそれが本当に日蓮上人からのものであったり、坂本竜馬からのものであったり、というのは大いに疑ってよいです。もしかしたら狐や狸(もちろん譬喩としていっているのです)がバカシテいるのかも知れません。ともあれ、問題はその内容です。誰のメーセージであれ、そのメッセージがうなずけるものであれば受け取ればいいし、おかしいものはきちんと批判すればいいのです。私も何冊か呼んでみました。滑稽なものもありますが、簡単には無視できないものもあります。力があるのです。芸能人や作家など知名人の信者も多いようですが、『オウム』と同様にやはり人を魅きつけるものを持っています。相当のエネルギーが出ています。ですから、たんにペテンと決めつけるだけでは、『オウム』の信者が納得しないように、『幸福の科学』の信者も耳を貸そうとはしないでしょう。夥しい、統一のないメッセージの内容について云々する暇はありませんが、大川くんは自分が再誕の仏陀だと言っています。それどころか、エル・カンターレとかナンタラ・カタラとかいう、宇宙の創造主であるとさえ言いだしています。妄想ですが、こういう妄想が力をもってしまうということが、非常に危険です。私がいわんとするのは、「犯罪予備軍であるわけのわからぬカルト宗教を取り締まれ」ということではありません。こういう発想自体が問題なのですが、それについては別の機会に発言します。今私が指摘したいのは、大川くんは権力になろうとしているということです。『幸福の科学』教団内では受験社会そのものの階級構造があるようですが、その頂点に立つ大川くんは、たんなる組織のトップでも、教団の長でもなくて、創造主を名のる絶対の権力者です。それは宗教教団として、絶対に堕落するあり方です。「カルト教団」としてでもなく、「犯罪予備集団」としてでもなく、同じく宗教の道を歩むものとして、そのことははっきりと批判しておきます。それから今『幸福の科学』は、自民党の代議士をもちあげて総理大臣にしようとしていますが、もしそういうことが実現したならば、総理大臣という国家権力の背後に、宇宙の創造主というそれこそ何ぴとも批判しえない絶対権力が君臨するということになってしまいます。わたしたちの国はすでに五十年以前、「現人神」という妄想を絶対権力として祭り上げた歴史をもっています。それがどのような惨劇を、国外の人々にも、国内の人々にももたらしたかは、いうまでもないでしょう。大川くんの妄想は、麻原くんの妄想より小さいわけではありません。「犯罪集団」として弾劾できるうちはまだいいのです。恐ろしいのは、宗教が合法的な絶対権力を求めた時です。
数年前この『ハンニャ・ハウス通信』に、『幸福の科学』会員の若者へむけた「T君への手紙を」を書きました。中断したままになっていましたが、忘れていたわけではありません。私なりに考えをまとめたり、様子を見たりしていたのです。ようやく、はっきりとした物言いができるようになりました。脱会したほうがいいと思います。この世の特定の人間に、神や再誕の仏陀を妄想する必要はありません。神は君自身の心の内に住み、再誕の仏陀は、ほんとうにただびとに帰ることが出来たとき、そういうわたしたち一人ひとりの中に誕生するのですから。『幸福の科学』がもし意味ある教団として人々を導くことができるとしたら、それは大川くんが自分の妄想を破り、譬喩としての創造主や仏陀の存在に気づくことができた時だと思います。
アサハラくんの話しにもどりましょう。
アサハラくんは魔境にはいったのだと思います。長く座禅を組んでいると、幻覚を見たり、日常では体験しない身体の変化を感じたりすることがあります。禅ではそういうものを全て魔境として退けてしまいますが、幻覚・イメージ・身体変化といったものが直ちに魔境というわけではありません。そういう体験を誤解して、自分を尊師と呼ばせたり、自分を神や仏陀と錯覚してしまう、そういうことが魔境なのです。それから、仏伝に「降魔成道」の物語があります。釈尊が悟りをひらかれるとき、悪魔の軍勢が、美女となって誘惑したり、軍隊となって襲いかかったりしてきたという話です。ああいうことも、現代的な解釈では、釈尊の心の中の葛藤を譬えたものとして、心理的に理解されてしまいます。譬えという理解でいいのですが、ヨーガの中では実際に、そういう体験がおこります。自分自身の心が幻覚となって現れている。唯識でもチベット密教でもそのように解釈しますから、心理的な解釈も間違いではないと思います。ただしヨーガ体験の中では、仏伝の物語に描かれているまさにそのようなありかたで、実際に体験される出来事であり、たんなる文学的な創作ではないのです。幽霊を見たり現実の人間を見たりする、視覚的にはそのように実際に目に見えますし、夜中に金縛りにあったりする、そのように身体的な影響も受けるのです。精神分裂病の世界というものがまさにそうなのですが、それはわたしたちの精神のあり方、存在のあり方が異次元にはいりこんだ時の、実際の体験です。それは心の現れです。しかしそれはユング心理学で集合的無意識の領域をいうように、たんなる個人的な無意識の現れではありません。個の心を超えた、類的な無意識の顕現です。「魔を降ろす」とは、そういう無意識の世界、異次元の領域を存在しないものとして否定することではなく、魔を魔として見破ることです。分裂病の問題も、基本的にはそこにあると私は思います。ヨーガを行ずる者は、魔を魔として見破りつつ、類的な無意識の闇に潜む仏と魔、神と悪魔の分裂を、自らの個的な意識の明るみの場において統合しなければなりません。さらに、異次元の存在を体験として知りつつ、しかも日常の現実に、ただの人として帰ってこなければならないのです。
ヨーガ、ことにクンダリニー・ヨーガは、身体内の各チャクラ(エネルギー・センター*7つを代表としてその数には諸説がある)を覚醒させて、最終的には頭頂のサハスラーラ・チャクラまでエネルギーをひきあげていく技法ですから、その過程でさまざまな超常体験、神的な、魔的な体験をすることになります。魔の力は圧倒的なものです。あえてそういう言い方をすれば、それは体験したものでなければ分からない、人間の力では抗することのできないエネルギーです。日常世界の善悪や倫理の観念は、そこでは全く無力です。戦場では、平和な時の善悪や倫理は吹き飛んでしまうでしょう。それと同じことが起こるのです。さらにそこでは、魔と神が同じ姿で現れてきます。アサハラくんは彼の幻覚、ヨーガ体験といっても神秘体験といってもいいのですが、その中でシバ大神の姿を見、そのお告げを聞いています。アサハラくんが見たシバ大神は、獣の長い牙をもって、『ヨハネ黙示録』に出てくる神と同じ姿をしていたと彼は述べています。一九八九年に発行された『滅亡の日』というコミックの中には、『ヨハネの黙示録』を解読せよという突然のシバ神の啓示を受けて、彼がどのように『黙示録』を解釈していったかが詳しく描かれています。彼は本気でハルマゲドンを信じ、本気で自分が「滅亡の日」の救済者であることを信じています。この中で、彼は弟子たちとこういう会話を交わしています。「現代はね、恐怖の神々の時代なんだよ!」「恐怖の神々?」「神には平和の神々と恐怖の神々といらっしゃるわけだけど、たとえば『旧約聖書』で見てみると、モーゼの「出エジプト記」までが平和の神々の時代で、それ以降は恐怖の神々の時代になっているね」「たしかヒンドゥー教でも恐怖神カーリー・ユガの時代に入っていることになっていますよね」「うん。チベット仏教の『死者の書』の中にもね、こんな一節があるよ」「死後の光の経験の後、平和の神々がまずやってきて、私たちを救済してくれる。それでも救済されなかった人々は、恐怖の神々によって救済される───とね。あまりにも煩悩的になったこの地球人類は、優しい顔をして法を説くだけでは、救済されないだろうしね」「もし人間の悪業が積もってしまったら、恐怖の神々はカルマの法則を使って、それを具現化させて、それを悟らせようとするんだね。したがって神の激しい怒りの裁きと言われるものも、実は神の愛の現れなんだよ」。しかしこの時期の彼は、まだ自分でハルマゲドンを起こそうと考えていたわけではありません。彼が自分に与えられた「命をかけた使命」と考えていたものは、「まずハルマゲドンは回避できないが、オウムが頑張って多くの成就者を出すことができれば、この被害を少なくすることができる。ハルマゲドンで死ぬ人々を世界人口の四分の一に食い止めることができる」というものでした。
これより前の一九八七年に発行された前述の『イニシエーション』では、「ハルマゲドン」の言葉は出てきませんが、核戦争には言及されています。日本人は戦中・戦後の苦しい時代に功徳を積んで、現在の豊かさを得た。しかしこの豊かさをたんに享受しているだけなら、せっかくの功徳をすり減らして大変なことが起こる。そして、一九九九年から二〇〇三年までに確実に核戦争が起こる。しかしもしオウムが一九九三年までに世界各国に二つ以上の支部をもつことができたなら、核戦争を回避することができる。なぜそう言えるのか、という彼の言葉の中に、彼の錯覚と、彼のヨーガ体験を意味あるものとするあり得たかもしれない可能性の、両方を見る思いがします。彼は言います。
「それはこういう理論なんだ。各国の支部のリーダー達がね、成就者であったなら、これは仏陀(目覚めた人)だ。釈迦牟尼如来が多くの人々に敬愛されたのと同様に、その国の人々に敬愛されていることは想像するに難くない。その国の人々は知りたがるだろう。「仏陀達の根本はどこですか、仏陀達の根源的エネルギーを発しているところはどこですか」、とね。「それは日本ですよ、オウムですよ。」私達は彼らに伝えることができる。「オウムは、戦争を否定します。殺生を否定します。メンバーは真理しか語りません。真実の生活しかしません。」オウムの心は外国の人々にも必ずや伝わるだろう。いいですか。そうなったとき、日本はだ、外国からの攻撃は受けないようになるだろうね。それはそうだろう。自分達の魂の根源、魂の根源的城がだよ、日本にあるとしたら、それを誰が攻めることができようか。その国の二割でも三割でもオウムの信者がいたら、日本との戦争は避けるだけのパワーがあるだろう。それは確かだよ。」
この時の想定は、日本を中心としたアメリカ・ヨーロッパとの核戦争です。彼は日本が攻撃を受けないことだけを考えています。二年後の八九年には、彼自身が予言した九三年の戦争回避の刻限をまたずに、もはやハルマゲドンは避けられないと考えはじめます。
「彼のヨーガ体験を意味あるものとするあり得たかもしれない可能性」とは、ハルマゲドンは避けられると考えるにせよ、あるいは避けられないと考えるにせよ、「オウムは、戦争を否定します。殺生を否定します」ということを言いつづけることだったと思います。全生活をかけて修行をつづける彼らが、現世の命を捨てても惜しくない神的な体験をしている彼らが、その捨身の心で「オウムは、戦争を否定します。殺生を否定します」と叫びつづけたならば、かれらの心が外国の人々にも伝わり、「仏陀達の根本はどこですか、仏陀達の根源的エネルギーを発しているところはどこですか」という問いが世界中の人々から発せられる、ということはあり得たかもしれない。たとえそれがどんなに可能性の乏しいことであったとしても、あるいは誇大妄想といわれ、気違いとののしられようと、彼らはその道を歩むべきだったと思います。しかし、アサハラくんは、『イニシエーション』の頃のその立場から、いつのまにか方向転換してしまった。『滅亡の日』でもまだ失われているわけではないその立場は、しかしそれ以後、どういう過程を経てか、「成就者」による殺人を救済とする麻原流ヴァジラヤーナの教えに変質してしまった。
しかし変質の芽は、『イニシエーション』の中にも実は胚胎していたのでしょう。ただびとであることを見失い、自分を尊師、解脱者と錯覚し、自分と自分に導かれた『オウム』だけが終末の世界の救済者であると思いこんでしまったこと。この自己中心性に、彼の中に宿っていた権力欲や名声欲や財欲という細菌を培養する温床があった、と私は考えます。それが魔境です。 (つづく。次回は、『オウム真理教事件』の社会的意味を考えます。)