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山県有朋

司馬史観のヒーローが伊藤博文だとすれば、悪漢は山県有朋だろう。憲法や議会制度をつくった伊藤に対して、軍や官僚を支配した山県は性格的にも陰気で猜疑心が強く、国民にも人気がなかった。しかし現在の日本の閉塞状況をを理解するためには福沢諭吉より北一輝のほうが重要であるように、伊藤より山県を理解するほうが重要だと思う。

山県を生み出したのは、明治憲法の欠陥である。立憲君主制によって天皇の実質的な権力は制限されたが、内閣は天皇を補佐するという建て前で弱い権限しかなかったため、国家を統括する機関が不在だった。この権力の空白を埋めたのが、「元老」としての山県だった。彼は軍を掌握し、首相を指名する非公式の権限によって、20年以上にわたって「キングメーカー」として君臨した。

陸軍の制度は当初はフランス式だったが、プロイセンの官僚制度を崇拝する山県がドイツ式の中央集権的な軍政に変えた。昇進の基準を厳格な年功序列とし、これが日本の人事制度のモデルになった。内務卿としては、府県・市町村などの地方制度をつくった。このときの山県の基本方針も、中央政府が地方を統制し、知事や郡長などもすべて官選とすることだった。また文官任用令を改正して政治任命を廃止し、高等文官試験によってキャリア官僚システムを創始した。

このように現在の日本の「国のかたち」の多くの部分は、山県がつくったのである。彼にとっての至上命令は、列強による侵略の脅威にさらされている日本が生き残るために軍備を増強することで、そのためには軍人や文官などの専門家に権力を集中する必要があった。このため腐敗した政治家が利益誘導によって官僚機構に干渉する議会を嫌悪し、議会からも軍閥の親玉として攻撃された。この議会と官僚が対立する構図は、現代の日本とよく似ている。渡辺喜美氏が「山県有朋以来の改革だ」と語った国家公務員法改正案も骨抜きにされ、官僚支配はむしろ強まっている。

本書は山県の伝記としては詳細で、伊藤との関係が従来いわれていたような対立だけではなく、むしろ表裏一体の関係にあったなど、新しい指摘もあるが、全体に山県の個人的な側面を強調し、彼のつくった国家制度についての検討がほとんどない。
コメント ( 6 ) | Trackback ( 0 )
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コメント
 
 
 
今も続く課題 (チュー新井)
2009-04-08 14:27:19
政治家としての立場や政党政治に対する対応などは今の官僚組織に通じるところを感じました。また、主権線と利益線を守る趣旨の「外交政略論」も、北朝鮮や中国などの動きを見ていると永遠の課題なのではないか、とも感じました。
同じ著者の「元老 西園寺公望」も読むと、明治以降の日本の政治の動きを再認識できると思いますので、学生や20・30代の方々のみならず、歴史をもっと知りたい方にお勧めです。NHKの歴史番組よりは勉強になると思います。
 
 
 
明治憲法 (青木)
2009-04-08 16:14:55
>山縣を生み出したのは明治憲法の欠陥である。

江藤淳は明治憲法をもちあげていたけれど、実は欠陥だらけでした。
一見すると天皇絶対主義、視点を変えてみると立憲君主制という鵺(ぬえ)のような憲法でした。丸山真男がいうところの顕教(天皇絶対主義)と密教(立憲君主制)です。
憲法にない元老がキングメーカーだったし、内閣総理大臣も憲法に規定されなかったため同輩中の首席でしかなかった。
この点憲法起草者としての伊藤を高く評価することはできません。
 
 
 
国政調査権という二枚目のカード ()
2009-04-08 18:02:46
小沢さんの秘書が起訴された事件で、小沢さんは辞任カードが使えるようになりました。国政調査権カードも使えるようになりました。小沢さんが辞任カードを使うとすれば、裁判所の判決が下りた後になると思いますが、もしも無罪判決が下りれば、国政調査権カードのほうを使うかもしれません。
国政調査権は官僚組織を外科手術する手段としても使えます。検察に使った事例ができれば、どんな官庁に対しても使うことができるようになるでしょう。小沢さんも民主党も日本の統治機構をイギリス型に変更したがってますから、ためらいはないと思います。
阿呆内閣の指図で検察が馬鹿をやったせいで、えらいことになってしまいました。私は、問題点を改善しさえすれば、ドイツ=プロイセン型の統治機構はまだまだ使えると考えているのですが、こうなっては守れそうにないです。イギリス型への変更は不可避でしょうねえ、、、

そうしたほうがよいとの国民判断が下るのであればしょうがないですよ。しかしそれを選挙の論点にできるのか?
 
 
 
山縣有朋 (風竜胆@時空の流離人)
2009-04-08 18:55:28
 山口県の出身ですが、確かに山縣は地元でも高杉晋作や吉田松陰、伊藤博文などと比べても、人気がないですね。
 京都の南禅寺に近い所に、有朋の別邸である無鄰庵を昨年たまたま見つけました。
 ここには、かなり広い庭と大きな池があり、当時の権勢を感じさせます。またここは、明治36年に日露開戦直前に我が国の外交方針を決めた無鄰庵会議が開かれたという洋館も残っています。
 

 
 
 
小沢一郎と山形有朋 (ooibi)
2009-04-08 19:43:50
小沢氏の辞任キャンペーンがこれ程、大々的に行われるのは、何故なんですかね?
自民党時代も恐れられていたとか、新聞で読んだ記憶があります。
民主党支持の森田実氏も小沢氏の権力掌握を危惧している。
衆議院選挙の小選挙区システムを導入したのは、彼でしたね。
自分は、これほど恐れられる人物なら一度、権力を掌握した結果を見てみたいと思っています。
彼は、現代の山県有朋になりうるか?と言う所ですかね?

日本の昭和の敗戦は明治憲法の欠陥から、軍務官僚の独走を招いたせいであると言われていますね。
日本の官僚組織は、山県有朋並みの元勲がいない時が危機だったと言うことですかね?


 
 
 
山形有朋の認識について (tvett)
2009-04-09 11:48:24
 記事を拝読したところ、気になる点があったので、指摘させていただきます。

 あくまでも山形は自分の意志で、日本を動かしたというふうに聞こえますが、これは甚だしい誤りだと言わざるを得ません。

 当時の日本には、既に主権がありませんでした。国政の中枢を担った連中は、軒並み列強の飼い犬だったのです。

 論拠を記せば膨大な量になるので、出展を掲げておきます。『激安タイムトラベル』、本物の地球史が分かる書物です。
 
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