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「ISHIKAWA」に注目 |
☆★☆★2009年04月08日付 |
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プロ、アマ問わずゴルフを楽しむプレーヤーにとって憧れの舞台と言えば、一九三四年からアメリカ・ジョージア州のオーガスタナショナルゴルフクラブで開かれているトーナメント「マスターズ」が挙げられる。世界の男子プロゴルフ競技で四大メジャーのひとつに数えられる大会で、注目度が最も高い。 ほかのメジャー(全米オープン、全英オープン、全米プロ選手権)と違い、出場選手が限られることから出場するのも難しい。まさに「名手」のみに出場権が与えられることで知られている。 大会前には過去のチャンピオンだけで食事をする「チャンピオンズディナー」のほか、「パー3コンテスト」といったさまざまなイベントが開かれ、近年は「ゴルフの祭典」とも称されている。歴代チャンピオンには、最多優勝六回というジャック・ニクラスをはじめ、四回優勝のアーノルド・パーマーなど、往年の偉大なプレーヤーが名前を連ねている。 マスターズの魅力は、何と言っても大会が開かれるオーガスタナショナルゴルフクラブにあり、その光景を見ただけで「球聖」と呼ばれたボビー・ジョーンズのゴルフに対する思いに触れることができるからにほかならない。 ボビーは同クラブ創設者の一人。生涯アマチュアを貫きながら一九二〇年代前半から一九三〇年まで、世界のゴルフ界で圧倒的な強さを見せたプレーヤー。コースへの熱い思いはテレビで放送される映像からも十分に伝わってくるほどで、「世界で最も美しいコース」と言われている半面、各ホールは鏡のグリーンと例えられるほどボールの転がりが良く、スコアメイクに苦しむ危険なホールの連続で、「世界で最も難しいコース」としても有名だ。 その難コースで毎年開かれるマスターズ。今年は現地時間の九日(木)から十二日(日)までの四日間予定されているが、その伝統と格式ある大会に、日本から十七歳の高校生プロ・石川遼が出場する。 石川と言えば「ハニカミ王子」の愛称で呼ばれ、高校一年生だった一昨年、岡山県で行われたプロゴルフツアーの「マンシングウェアKSBカップ」に出場し、十五歳のアマチュアで優勝した。 男子プロの国内大会でアマチュアが優勝したのは、昭和五十五年のツアー「中四国オープン」で達成した倉本昌弘以来二人目。さらに、昭和五十二年の日本オープンでセベ・バレステロス(スペイン)が記録した二十歳の国内男子ツアー最年少記録を大幅に更新したほか、女子ツアーの宮里藍が平成十五年に十八歳で優勝した記録も塗り替えた。 今では世界のトップに立つタイガー・ウッズでさえ、プロの大会で優勝したのは二十歳になってからだっただけに、石川の偉業ぶりがうかがえる。 ゴルフを始めたのは、六歳のころ父親に練習場へ連れて行ってもらったのがきっかけという。中学校では陸上部に所属して足腰の筋力と体力を鍛えたことが現在のパワー溢れるスイングに十分生かされている。 小学生になってからクラブを握り始め、わずか十年足らずで国内のトッププレーヤーに成長した石川。もちろん、素質や環境に恵まれたこともあるだろうが、何よりも練習に練習を重ねてきたこれまでの努力の賜物であることは間違いない。 マスターズという世界最高の夢の舞台で、果たしてどのような活躍を見せてくれるのか。若武者「ISHIKAWA」のプレーから目が離せない。 国内では、TBS系列(県内はIBC)で十日(金)から連日早朝テレビ放送が予定されている。また今年も眠い目をこすりながら早起きし、テレビ観戦が楽しみな季節を迎えた。(鵜) |
「ISHIKAWA」に注目 |
☆★☆★2009年04月08日付 |
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プロ、アマ問わずゴルフを楽しむプレーヤーにとって憧れの舞台と言えば、一九三四年からアメリカ・ジョージア州のオーガスタナショナルゴルフクラブで開かれているトーナメント「マスターズ」が挙げられる。世界の男子プロゴルフ競技で四大メジャーのひとつに数えられる大会で、注目度が最も高い。 ほかのメジャー(全米オープン、全英オープン、全米プロ選手権)と違い、出場選手が限られることから出場するのも難しい。まさに「名手」のみに出場権が与えられることで知られている。 大会前には過去のチャンピオンだけで食事をする「チャンピオンズディナー」のほか、「パー3コンテスト」といったさまざまなイベントが開かれ、近年は「ゴルフの祭典」とも称されている。歴代チャンピオンには、最多優勝六回というジャック・ニクラスをはじめ、四回優勝のアーノルド・パーマーなど、往年の偉大なプレーヤーが名前を連ねている。 マスターズの魅力は、何と言っても大会が開かれるオーガスタナショナルゴルフクラブにあり、その光景を見ただけで「球聖」と呼ばれたボビー・ジョーンズのゴルフに対する思いに触れることができるからにほかならない。 ボビーは同クラブ創設者の一人。生涯アマチュアを貫きながら一九二〇年代前半から一九三〇年まで、世界のゴルフ界で圧倒的な強さを見せたプレーヤー。コースへの熱い思いはテレビで放送される映像からも十分に伝わってくるほどで、「世界で最も美しいコース」と言われている半面、各ホールは鏡のグリーンと例えられるほどボールの転がりが良く、スコアメイクに苦しむ危険なホールの連続で、「世界で最も難しいコース」としても有名だ。 その難コースで毎年開かれるマスターズ。今年は現地時間の九日(木)から十二日(日)までの四日間予定されているが、その伝統と格式ある大会に、日本から十七歳の高校生プロ・石川遼が出場する。 石川と言えば「ハニカミ王子」の愛称で呼ばれ、高校一年生だった一昨年、岡山県で行われたプロゴルフツアーの「マンシングウェアKSBカップ」に出場し、十五歳のアマチュアで優勝した。 男子プロの国内大会でアマチュアが優勝したのは、昭和五十五年のツアー「中四国オープン」で達成した倉本昌弘以来二人目。さらに、昭和五十二年の日本オープンでセベ・バレステロス(スペイン)が記録した二十歳の国内男子ツアー最年少記録を大幅に更新したほか、女子ツアーの宮里藍が平成十五年に十八歳で優勝した記録も塗り替えた。 今では世界のトップに立つタイガー・ウッズでさえ、プロの大会で優勝したのは二十歳になってからだっただけに、石川の偉業ぶりがうかがえる。 ゴルフを始めたのは、六歳のころ父親に練習場へ連れて行ってもらったのがきっかけという。中学校では陸上部に所属して足腰の筋力と体力を鍛えたことが現在のパワー溢れるスイングに十分生かされている。 小学生になってからクラブを握り始め、わずか十年足らずで国内のトッププレーヤーに成長した石川。もちろん、素質や環境に恵まれたこともあるだろうが、何よりも練習に練習を重ねてきたこれまでの努力の賜物であることは間違いない。 マスターズという世界最高の夢の舞台で、果たしてどのような活躍を見せてくれるのか。若武者「ISHIKAWA」のプレーから目が離せない。 国内では、TBS系列(県内はIBC)で十日(金)から連日早朝テレビ放送が予定されている。また今年も眠い目をこすりながら早起きし、テレビ観戦が楽しみな季節を迎えた。(鵜) |
「ISHIKAWA」に注目 |
☆★☆★2009年04月08日付 |
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プロ、アマ問わずゴルフを楽しむプレーヤーにとって憧れの舞台と言えば、一九三四年からアメリカ・ジョージア州のオーガスタナショナルゴルフクラブで開かれているトーナメント「マスターズ」が挙げられる。世界の男子プロゴルフ競技で四大メジャーのひとつに数えられる大会で、注目度が最も高い。 ほかのメジャー(全米オープン、全英オープン、全米プロ選手権)と違い、出場選手が限られることから出場するのも難しい。まさに「名手」のみに出場権が与えられることで知られている。 大会前には過去のチャンピオンだけで食事をする「チャンピオンズディナー」のほか、「パー3コンテスト」といったさまざまなイベントが開かれ、近年は「ゴルフの祭典」とも称されている。歴代チャンピオンには、最多優勝六回というジャック・ニクラスをはじめ、四回優勝のアーノルド・パーマーなど、往年の偉大なプレーヤーが名前を連ねている。 マスターズの魅力は、何と言っても大会が開かれるオーガスタナショナルゴルフクラブにあり、その光景を見ただけで「球聖」と呼ばれたボビー・ジョーンズのゴルフに対する思いに触れることができるからにほかならない。 ボビーは同クラブ創設者の一人。生涯アマチュアを貫きながら一九二〇年代前半から一九三〇年まで、世界のゴルフ界で圧倒的な強さを見せたプレーヤー。コースへの熱い思いはテレビで放送される映像からも十分に伝わってくるほどで、「世界で最も美しいコース」と言われている半面、各ホールは鏡のグリーンと例えられるほどボールの転がりが良く、スコアメイクに苦しむ危険なホールの連続で、「世界で最も難しいコース」としても有名だ。 その難コースで毎年開かれるマスターズ。今年は現地時間の九日(木)から十二日(日)までの四日間予定されているが、その伝統と格式ある大会に、日本から十七歳の高校生プロ・石川遼が出場する。 石川と言えば「ハニカミ王子」の愛称で呼ばれ、高校一年生だった一昨年、岡山県で行われたプロゴルフツアーの「マンシングウェアKSBカップ」に出場し、十五歳のアマチュアで優勝した。 男子プロの国内大会でアマチュアが優勝したのは、昭和五十五年のツアー「中四国オープン」で達成した倉本昌弘以来二人目。さらに、昭和五十二年の日本オープンでセベ・バレステロス(スペイン)が記録した二十歳の国内男子ツアー最年少記録を大幅に更新したほか、女子ツアーの宮里藍が平成十五年に十八歳で優勝した記録も塗り替えた。 今では世界のトップに立つタイガー・ウッズでさえ、プロの大会で優勝したのは二十歳になってからだっただけに、石川の偉業ぶりがうかがえる。 ゴルフを始めたのは、六歳のころ父親に練習場へ連れて行ってもらったのがきっかけという。中学校では陸上部に所属して足腰の筋力と体力を鍛えたことが現在のパワー溢れるスイングに十分生かされている。 小学生になってからクラブを握り始め、わずか十年足らずで国内のトッププレーヤーに成長した石川。もちろん、素質や環境に恵まれたこともあるだろうが、何よりも練習に練習を重ねてきたこれまでの努力の賜物であることは間違いない。 マスターズという世界最高の夢の舞台で、果たしてどのような活躍を見せてくれるのか。若武者「ISHIKAWA」のプレーから目が離せない。 国内では、TBS系列(県内はIBC)で十日(金)から連日早朝テレビ放送が予定されている。また今年も眠い目をこすりながら早起きし、テレビ観戦が楽しみな季節を迎えた。(鵜) |
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危険なアドバルーン |
☆★☆★2009年04月07日付 |
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日本と朝鮮半島とは一衣帯水の距離にあり、古くから密接な関係がある。鎌倉時代に蒙古軍が来襲した時も半島が拠点となったし、逆に豊臣秀吉が明を攻めようとした時も、まず半島に上陸した。 日本古代史や中国史に詳しい岡田英弘氏の『歴史とはなにか』によると、日本が建国したいきさつも、実はこの半島をめぐる攻防がきっかけだという。白鳳時代、古代日本と同盟関係にあった百済が、唐と新羅によって滅亡。 半島での拠点を失うことから天智天皇は六六三年、大軍を送って百済復興を意図する。しかし、白村江の戦いで唐の水軍に大敗。逆に、唐・新羅連合軍から日本列島が攻撃される心配が浮上した。 天智天皇はまもなく死去。その皇子が一旦即位したが、すぐ実力で皇位を継いだ天武天皇(天智天皇の実弟)は自身の即位正当性と、独立国家としての立場を主張するネライで『日本書紀』や『古事記』の編纂を命じたという。 記紀が主張する日本建国の時期は、紀元前六六○年。これが神武天皇東征による皇紀元年となるわけだが、始皇帝による秦の建国は紀元前二二一年。つまり、この年を中国の建国とした場合、日本はそれより四百年以上前に成立していたことになる。 初めて、海外からの軍事侵攻という脅威に接した天武天皇は、歴史を構築して理論武装する一方、九州には防人を動員して国土防衛に当たらせた。 巨大船舶や航空機など交通機関の発達した平成の時代を迎えても、日本と朝鮮半島の重要性に変わりはない。しかし、第二次大戦や朝鮮動乱による半島の南北分裂を経て、特に日本と北朝鮮との関係は未だに「近くて遠い国」の域を出ない。 五日に発射された「人工衛星」なる飛翔体は、この岩手県上空を通過して太平洋上に落下したとされる。大気圏外に飛び出す長距離弾道ミサイルと人工衛星の打ち上げは、技術的には同じだと解説されている。 本当に人工衛星なら、他国の頭越しでなく、真上に打ち上げれば良さそうなものだが、ハナから目的は政治的思惑が強いため、「飛翔体は衛星軌道に乗らなかった」のは最初から分かっていたことだ。 幸いと言おうか、飛翔体の発射は北朝鮮側の目標地点である太平洋上に落下したため、本県にも気仙地方にも落下物はなく、住民もまずはホッと一安心。しかし逆に考えれば、発射の成功は、日本全域や米本土さえ直接ミサイルで狙えるということにもなる。 北緯三○度線は、大船渡市の碁石海岸付近から気仙地方を通過しているが、同じ緯度線上に北朝鮮の首都・平壌がある。飛翔体打ち上げは、平壌から北の舞水端里とされるだけに、水平方向に発射すれば当然この気仙地方からやや北の上空を飛ぶことになる。 今回は、米国の若き指導者オバマ大統領に対し、「お若いの、さあどう出る」と観測アドバルーンならぬミサイルを打ち上げたものだが、今後も折を見ては飛翔体発射が続くことは間違いない。 事は単に岩手や三陸沖の安全にかかわる問題にとどまらない。北朝鮮の強硬姿勢は、特に日米韓三国を刺激し、国交や貿易が狭まり、ひいては北朝鮮国内の国民が一番の被害を受けることになるだろう。 国連軍が機能しない現状で、北朝鮮が一番恐れるのは米軍のみ。米大統領から「現体制維持」の確約を引き出そうとする瀬戸際外交に対し、日本の取りうる方策は何か。 かつて天武天皇は理論武装と防人動員の策を併用したが、国防と外交は国政の柱。今回の発射を機に、拉致を含む懸案解決に不退転の姿勢を示せるか。改めて国会には与野党の垣根を越え、両国国民のためにもなる具体的な対応策を望みたい。(谷) |
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目指せ「岩手っ子で日本一」 |
☆★☆★2009年04月05日付 |
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「きょうは野球の予定じゃなかったけど、センバツ甲子園で花巻東が準優勝したことで、こっちを話題にしよう。それにしても見事な戦いぶりだったねぇ。決勝戦は一球が明暗を分けたが、県勢、そして東北勢として初の栄冠を得てもおかしくなかった」 「まったくだ。大会前からエース菊池くんは大リーグも注目する屈指の左腕として評価されていたし、長崎・清峰の今村くんも右腕では一、二を争う好投手だった。力投型投手を擁するチームが優勝戦を争うことって意外と少なく、連投の疲れで八強とか四強で姿を消していくことが多かった」 「剛球投手の菊池くんは一回戦で150`を記録したけど、さすがに決勝戦の球威はやや落ちたよう。それでも140`台。あの速球はヤマでも張らない限り、高校生では打ち崩すことはできない。決勝打となった清峰九番の二塁打は出合い頭みたいだった」 「それだけに悔やまれる1点だったけど、菊池くんは神様が(優勝するには)まだ早い。日本一の投手になって戻ってこい≠ニ言っているのだと思う、とコメントしていた。この謙虚さがいいじゃないか。夏にはさらに大きく成長した姿を見せてくれそうだ」 「うん。でも、試合終了直後は号泣していたねぇ。甲子園での涙はつきものだが、有名なのが『泣くな別所、センバツの花』だろう。別所さんって知ってるかい?」 「プロ野球・南海(ソフトバンクの前身)や巨人で通算310勝した大投手だったのを知っているけど、アマチュア時代のことは分からない。何があったの」 「もちろん聞いた話。昭和十六年のセンバツ甲子園に神戸・滝川中(旧制)のエースとして出場した際、準々決勝で走者として本塁に突っ込んだが、捕手と激突して左腕を骨折した。別所は右腕なので左を三角巾で吊って投げ続けたものの、延長戦で負けた。翌日、大阪毎日新聞があのフレーズで報じたという。菊池くんの涙を見て思い浮かんだというわけ」 「そんなことがあったのか。花巻東の快挙はもうひとつ。それはベンチ入り全員が岩手っ子だということ。東北・北海道勢としては平成十六年夏と十七年夏に駒大苫小牧が連覇し、優勝旗が津軽海峡を渡ったが、道外からの留学生≠ェいた。百年近い歴史のある甲子園大会で純然たる東北、北海道勢の栄冠はまだないんだ」 「岩手っ子だけのチームなら、昭和五十九年のセンバツでベスト4になった大船渡がそうだった。大船渡はもっと狭く、わが気仙地区出身者だけのチーム編成で大躍進した。花巻東の快進撃にしたがって岩手県勢としては二十五年前の大船渡以来≠ニ、ずいぶんマスコミをにぎわしてくれた。大船渡の快挙が再評価されるとともに、知名度アップにも貢献してくれたということだね」 「ところで、花巻東の準優勝と宮城・利府の四強で東北高校球界に対する見方が変わったと思うが、果たしてどの程度なのだろう。ともに昨秋の東北大会ベスト4だったし、そこで優勝した青森・光星学院には中学で全国優勝した二戸出身のエースがいる。レベルは上がっているようだけど」 「今年のセンバツに花巻東と利府を選んだ選考委員の慧眼には感心したが、ここまで勝ち上がるとは思っていなかったろう。菊池くんらを育んだ少年硬式野球や練習機材、環境の充実、優秀な指導者の招聘などが背景にあるのは間違いない。大船渡が甲子園を目指したように、花巻東にも岩手出身者で日本一を≠ニいう合言葉があったという。優秀な人材の県外流出防止も欠かせないと思うよ」 「気仙地区には少年硬式野球はないけど、軟式から硬式へスムーズに移行できるよう、中学生のKボール野球と取り組まれている。学校の枠を超えたチーム編成で東北屈指の強豪と聞く。気候や地域の支援態勢など練習環境は悪くないので、多くの優秀な選手が育ってほしいねぇ。当面、花巻東を軸にした今年の夏の県大会は目が離せないぞ」(野) |
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天井知らずの高校生 |
☆★☆★2009年04月04日付 |
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M君 あ〜あ、早く退院したいなあ。流動食にもさっぱり慣れないし、ヤダヤダ。味の薄い病院食でいいから、自分の口で食べたいな。師匠はボクより入院が長いのに、よく飽きないですね。
師匠 誰も好きで入院してるわけじゃないし、それに師匠はやめてくれないかな。どうもこそばゆいんだが、M君はアゴの骨折で入院したんだよね。痛かったと思うけど、高校生は新陳代謝も旺盛だからすぐ治るよ。流動食はノドに違和感はあるし、時間もかかるし大変だよね。でも、その体験をしたから自分の口で物を食べられるという、ごく当たり前の事が実は幸せなことなんだと気づいたんじゃないか。
M君 そうは言っても…。でも、四月から二年生なので後輩もできるし、修学旅行もあるし、もう少しだから頑張ります。
師匠 今時の高校って、修学旅行はやっぱり外国?
M君 よそは知りませんけど、ウチの学校では自分たちで行き先を決めてます。先輩たちはオーストラリアでしたけど、ボクらも外国になるかどうか。それを決めるのも楽しみです。
師匠 部活はテニスだったっけ。ポジションはどこ?
M君 前衛です。ボクは脚には自信があるので走り回る後衛かなと思っていたら、監督が「お前は前衛をやれ」と言うことで…。でも、前衛も反射神経が要求されるし、やってみると結構面白いです。 師匠 高校を卒業したら東京に行くって言ってたけど、もう進路を決めてるの? M君 とにかく東京には行きたいです。将来は料理人になりたいんだけど、今は普通科だし、進路を間違ったかなあ。野菜やキノコも嫌いなので、コックさんになれないかも。
師匠 そう簡単に諦めることはないよ。確かに早い段階で進路が決まれば、勉強する科目もはっきりして効率的に時間は過ごせるかも知れない。でも、回り道することで、一直線組には見えない風景を見ることだってあるさ。向上心さえ持っていれば、必ず自分の心が燃えるような目標に出合えるから心配ないよ。 嫌いな食材のあるコックさんだって面白い。だって、苦手な食材をどう調理すれば自分が食べられるようになるか工夫するだろうから、好き嫌いの激しい子どもたちにも対応できるようになるんじゃないの。
M君 でも、やっぱりボクには無理かな。人生ってどう生きればいいか、難しいですよね。
師匠 高校生で人生と来たか。なかなか、人生とはこういうもんだと言い切るのは難しいね。適当な言葉が思い浮かばないけど、入院患者はこうして毎日ベッドに横になって天井ばかり見てるね。では、その天井という意味をM君はわかるかな。「井」という文字は水の流れなんだ。その水流の戸口が井戸ということになる。井を水流と考えると、天井の意味が分かってくるね。昔は日本の家屋は全部木造だったから、火事が一番怖かった。そこで室内の高い所を天井と呼び、水流にあやかって建物の防火に願いを込めた。 つまり何が言いたいかというと、M君が自分の目の前にある天井の意味を知らないということは、今自分が生きていることの意味、人生の意味を知らないことと同じなんじゃないかな。仮に、その意味を知らなくても天井には天井の、M君にはM君の役割があり意味がある。青天井という言葉は知ってるよね。その上昇を誰も遮るもののない真っ青な空だ。この青天井こそ、未来ある高校生の特権じゃないだろうか。
M君 何となく分かるような、分からないような。とにかく、今は高校生活を自分なりに全力で過ごせばいいということですね。
師匠 そこまで分かれば大したもんだ。あっ、看護師さんがやって来たぞ。もう消灯時間だから、今晩はこの辺でおやすみ。 M君 はい、おやすみなさい。(谷) |
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今年の新入社員は… |
☆★☆★2009年04月03日付 |
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「環境問題に関心が強く、折り目正しい。小さくたためて便利だが、使う時には大きく広げる必要がある」 財団法人・社会経済生産性本部が分析した、今年の新入社員の特徴である。 同本部は彼らについて「採用面接の際に環境保護(エコロジー)や、社会貢献、コンプライアンスといった問題について関心をもっていると話す学生が多い。節約志向(エコノミー)で無駄を嫌う傾向がある」と指摘。 分析は「酷使すると長持ちしない(早期離職)が、意外に耐久性に優れた面もあり、活用次第で有用となるだろう」と続き、一日から社会人となった新入社員を『エコバッグ型』と命名した。 新入社員タイプの命名は一九七三年度からスタートした。現在は、学識経験者などで構成される同本部の「職業のあり方研究会」が多くの企業・学校などの就職・採用関係者の協力のもと、新卒入社者の特徴を調査、検討し、発表している。 最近では、売り手市場入社組の二〇〇八年度の新入社員を、会社への帰属意識が低めで、磨きすぎると目標地点を越えてしまったり、はみ出してしまう『カーリング型』と命名。 前年の〇七年度は、損得勘定で銘柄(会社)の物色を継続し、早期転職が予想される『デイトレーダー型』、〇六年度は、表面は従順だが、さまざまな思いを内に秘め、時にインターネット上の日記を通じ大胆に自己主張する『ブログ型』とそれぞれ名付けている。 実際は、新入社員も十人十色。性格もそれぞれで、個性も違う。そんな彼らをひとつの型にはめ込み、十把一絡げにして論じることはできないが、各年度の新入社員タイプは時代の雰囲気や世相を反映し、「なるほど」と思わせるところが少なくない。 ちなみに、筆者が新卒入社した一九八四年度の新入社員タイプは『コピー食品型』。当時の分析は「外見のみ本物風で手間いらずだが、歯ごたえなく、栄養も心配」というものだった。 筆者ら一九六〇年代前半生まれは、今では死語となった「新人類」世代だ。それまでの団塊の世代などとは違う新しい感性や価値観が社会的に注目された。個人的には「物怖じしない」「常識にとらわれない」といった感覚を持っていたが、社会的には「自分勝手」とか「無感覚・無感動」といったマイナスイメージの方が強かったようで、新入社員タイプの分析結果も非常に厳しいものとなった。 今年の新入社員は、そんな新人類世代を親に持つ「新人類ジュニア」世代でもある。 彼らはよく、直接対話のリアルコミュニケーション能力が足りないといわれるが、周囲の空気を読む能力に長け、集団への親和性が高い。 「意外にも耐久性に優れている」と評価されたのは、金融危機や経済不況の荒波に揉まれ、企業を取り巻く環境の厳しさが身にしみているからだろう。少し醒めた目で世の中を見ているが、正社員として社会のマス目に収まるにはどうしたらよいかをしっかりと考え、必要な努力と行動は惜しまない、という一面もあるのではないか。 こうした分析、評価は、新入社員のためというよりも、彼らを受け入れる会社側の、人材育成への自覚を促すためにあるものだと思う。 冒頭の「使うときには大きく広げる必要がある」「活用次第で有用となる」という分析は、早期離職傾向のある新人類ジュニアの新入社員をいかに上手に使いこなし、育成するか、という会社側の課題を指摘している。 新人類ジュニア世代の戦力度とともに、『コピー食品型』や揉まないと熱くならない『使い捨てカイロ型』(八五年)、期待した割には変わり映えしない『日替わり定食型』(八六年)など、中間管理職となった旧・新人類の成長度、力量も測られる。(一) |
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情熱は約束を守る |
☆★☆★2009年04月02日付 |
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日々の取材の中で、夢について考えさせられる機会が最近数多くあった。三十を手前にした私にも、叶えたい夢というものがある。正確に言うと、叶えたい夢があったことを、取材を通じて思い出させてもらったのだ。 自分の夢のことを考えるとき、必ずセットになってついてくるものがある…それは「高校野球」だ。昨日も花巻東高校の活躍に一喜一憂しながら、ひどく懐かしい気持ちになっていた。 初めて進路について真剣になったときの心境を、今も忘れない。高校三年の夏休みだった。そのころ私は、部活を引退しても受験勉強に現実味を持てず、朝から甲子園中継ばかり観ていた。 ほぼ全試合、取り憑かれたかのように観戦した。ブラウン管に映るのは、同年代の少年たちが白球に右往左往する姿。一九九七年、その夏の試合内容を逐一記憶しているというわけではない(現ソフトバンクホークスの和田毅投手が二年生で出場しており、押し出しのフォアボールでサヨナラ負けを喫したことだけ妙に鮮明だが)。 心に深く刻まれたのは、「この人たちと私は一体どこが違うのだろう」という強烈な思いだった。 おそらく「嫉妬」とか「羨望」という言葉が当てはまると思う。 私は一面識もない高校球児たちに激しく嫉妬していた。同じ年に生まれ、同じようなものを見てきたはずなのに、どこで違ってしまったというのか。「自分は何一つ為せていない」という焦燥感が全身を苛んだ。 逆に言えばその焦燥感が、進路と正面から向き合わせてくれたとも言える。懸命になれること、自分だけが成し遂げられると胸を張れることを見つけたい、という思いが生来の怠け者を駆り立てた。 幼いころからボンヤリと、教師か本の編集者になりたいという気持ちがあった。全く異なる職種のようで、「人に物事を伝える」という意味で似ている。自分は凡才だと早くに気づいていたせいか、表舞台に立つより「圧倒的な才能を近くで見せてもらいたい、送り出す側になりたい」という気持ちが強かったのかもしれない。 成績が芳しくなかったので高三の秋から猛勉強し、マスコミ就職に実績のある大学へ進学した。そこで、今の夢に直結する明確な目標を見つけ、その夢を叶えるために東京の出版社へ入社した。 段階を一つ踏むごとに自信が生まれた。相変わらず同年代の優れた人を見ると胸がざわついたが、それは糧にもなった。仕事も三年を過ぎるころには、やりたいことと、できることのギャップが埋まり、我が夢もそう遠からず実現させられるという確信があった。 しかし、社会人になって五年目、私は目標半ばで岩手へ戻ることになったのである。 誰に強制されたのでもない。やむない事情こそあったが、あくまで自分の選択で戻ってきたのだ。 …どれほどそう言い聞かせても、心の奥底にはずっと悔恨が潜んでいたのだと思う。 Uターンを止めてくれる友人もあったが、「どこにいようと、目標を実現するのは自分の努力次第だから」と応えてきた。事実、そう信じることで故郷へ戻る自分の背中を押してきたのだ。 だが、一番その言葉を信じられなかったのも自分だった。岩手へ戻ってからの二年の間に「どうせもう無理なんだ」という気持ちが、あれほど心血を注いできた夢への情熱を上回ってしまっていた。 変わったのは、昨年十二月に編集局へ異動となり、人に会う機会が増えたことからだ。その中で冒頭に述べた「夢を思い出させてくれる出会い」がいくつもあった。 彼らに共通するのは、自分に言い訳を作らないところだ。「田舎にいるから」「年が年だから」といった建前。これは即ち私自身がし続けてきた言い訳なのだが、それを障害と見なすのは甘えに相違ないのだと気づかされた。 彼らは夢を「叶うか叶わないか」ではなく「叶えるか、叶えようとしないのか」で見ている。 恥ずかしい…私もかつてはこうやって邁進してきたはずなのに、いつの間にか全てを周りのせいにして、ただ一つの持ち味である向上心までなくしかけていた。 「情熱は約束を守る」 大学時代に出会い、私の夢そのものとなったある人の言葉が、今も胸に刺さる。「こうなってみせる」と自分自身に誓った約束を果たせるのは、自分の情熱だけだ。私は私との約束を守らねばならない。 高校球児を見て「何一つ為せていない」とうつむいていた十七歳の私に、一つだけ伝えられるのだとしたら。今なら、「十数年後のお前は、何かを為す途上にあるみたいだよ」くらいは、言ってあげられるかもしれない。(里) |
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お宝発見!汚泥から金 |
☆★☆★2009年04月01日付 |
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取材先で「何かいい話はないかね」と、よく尋ねられる。年がら年中、不景気風が吹いているとあって、世間は景気のいい話題に飢えているのだ。 こんな時、「山ほどあってば」とホラの一つも吹かせたいところだが、なかなか気の利いた話が見つからない。と思ったら、あるところにはある。「エープリルフール」ではない耳寄りな話が。 ところは、諏訪湖で有名な長野県諏訪市。地元紙の長野日報や信濃毎日などによると、諏訪湖流域下水道豊田終末処理場で処理した汚泥に「金」が含まれていることが、県と日本下水道事業団の調査で分かった。同事業団によると、下水道の汚泥から金が検出されたのを確認したのは全国初という。 「塵も積もれば山」ならぬ、「汚泥も溜まれば金」である。まるで夢のような話だが、欽ちゃん風に「なんでそうなるの?」「どれくらい金が採れるの?」に対する答えは、こうだ。 諏訪地方の汚水が集まるこの処理場では、汚れを沈殿させて濃縮、脱水して焼却し、その焼却灰に含まれる温泉成分中のヒ素の溶出を防ぐため、溶融結晶化施設で一六〇〇度の高温で溶かしている。それを冷却して再結晶化したものを、主に建設資材の人工骨材として利用しているという。 溶かす過程で溶融炉の煙突から飛散する灰は、フィルターで集めてドラム缶に保管する。調査によると、この飛灰一トン当たり約千八百九十グラムの金が含まれていることが分かった。年間五トン強の排出量として、十キロ近い金が飛灰から採れる計算になる。 県諏訪建設事務所では、貯蔵していた一年分の飛灰五トンを昨年十月から売却し始めた。収益は年間約一億七千七百万円かかる溶融結晶化施設の維持管理費に充当しており、飛灰の処理費(年間約六百万円分)も浮くとしている。 同処理場では、二十年も前から汚泥に金が含まれていることが分かっていた。が、金の相場価格が当時、一グラム当たり千五百円程度で、経費的に赤字となっていた。 ところが、最近は金価格が高騰。相場が二十年前の約二倍、一グラム当たり三千円前後とあって、愛媛県の金属精錬会社に売却したところ、二千万円以上を売り上げた。まさに「廃棄物の山から埋蔵金を掘り当てた」に等しい。 では、なぜ諏訪の終末処理場に集まる汚泥にだけ金が含まれているのか。その理由は解明されていないが、県諏訪建設事務所では「メッキ工場や温泉が多い地域特性が主な要因では」とみている。 諏訪湖周辺には、時計やカメラに代表されるように金メッキなどを扱う精密機械工場が千社ほどある。「それらの工場から金が混ざった下水が排出されているのではないか」というのだ。 もう一つは、温泉成分に由来する可能性だ。長野県内は東日本の日本海側一帯に広がる「黒鉱ベルト」に含まれており、「地中の鉱床に含まれる金が温泉に溶け出した」との指摘がそれ。 処理場の近くには、戦国時代に武田信玄が金を採掘したとされる金山跡もある。だったら気仙にも金山跡がボコボコある。今でも掘れば、金のかけらの一つや二つ出てくるかもしれない。 如何せん費用対効果という壁がある。気仙には諏訪湖周辺に点在するような精密器機工場群もないし、大量の汚水を処理する高度な溶融炉も、大規模な温泉地もない。あるのは金掘りたちの夢の跡くらいなものだ。 とはいえ、“他山の金”をただ指をくわえて見ているだけではつまらない。「廃坑から金発見」「ズリ石から金抽出」「気仙の家は砂金の上に建っている」。このあたりから“山師”のホラ話が生まれそうな気がする。(孝) |
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かばねやみの節句働き |
☆★☆★2009年03月31日付 |
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自称「カリスマ主夫」。育児はともかく、炊事、掃除、洗濯と「家事三原則」をまずは無難にこなしている、といいたいところだが、掃除だけは苦手。これは物ぐさのしからしめるところで、炊事は生きるために必須。洗濯は洗濯乾燥機という利器がある。しかし掃除は来客でもない限り誰からもとがめられることはないので、つい後回しになってしまうのである。 日曜の午後、ついに決意した。よし今日は大掃除だと。寝室の綿ぼこりが気になり始めていたし、台所のガス回りに付着した油膜がいかにもむさくるしくなってきている。居間、洗面所、トイレなどの床も本物?の主婦が見たら「まあ」とマユをひそめるだろう。しかしなかなかその気にならないのが物ぐさたるゆえんで、この決断は大袈裟にいえばまさに「清水の舞台から飛び降りる」覚悟に匹敵するだろう。 さて、寝室の窓を開け放って見て驚いた。まあよくも貯め込んだものだ。綿ぼこりをである。これで粘膜を鍛えているわけだから花粉症にもならずに済んでいるわけだ。掃除機と化学モップを使ってきれいに除去していると鼻が刺激されて思わずくしゃみが出た。おそるべし綿ぼこり。 ストレッチなど一切していないので、腰をかがめる姿勢が要求される床掃除は老骨にこたえる。そこでモップ式の掃除用具に、紙、布製などさまざまな雑巾を取り付けてごまかしてきていたが、本日はごまかしを拝してバケツプラス雑巾という昔ながらの掃除法を採用することにした。 なるほどこれは汚れがよく落ちる。普段は丸く掃き、丸く拭くため「おいてけぼり」になっている四隅まできれいに(それなりにだが)仕上げし、まずは満足のいく結果となった。小中学校時代、「週番」が教室を見回って掃除の状態を「優良可」で評価したものだが、これなら週番が「優」をくれるだろう。 次はガスコンロの上にある排煙ダクトの清掃である。そのフィルターを取りはずしてみてこれまた驚いた。油でべとべとしている外見から覚悟はしていたが、たわしで洗剤とお湯を使いながらごしごし洗い流しても、中からにじみ出してくる油膜性分が途切れることはないのである。何年ぶりの掃除だから、フィルターは飛散した油をたっぷりと吸い込んでいるはずにしても、これではフィルター変じて引火性物質と同断である。くわばらくわばら。 結局、大掃除は四時間にも及んだ。それでも少なからずをやり残したのだから、家を守ることのいかに大事で大変かを身をもって知らされた。ふだんからこまめにやっておけば、日曜の午後を安息に過ごすことができるのである。 当地には「かばねやみ(怠け者)の節句働き」ということわざがある。怠け者が何を思ってかある日猛然と働きだす(ただしその時だけ)ことをたとえたものだが、この日の当方はまさにその典型だった。ビフォー、アフターの歴然たる結果を見て思わずこのことわざを思い出し、こみあげてくる笑いを抑えきれなかった。 しかしまだ途上である。やり残した部分をそのまま放置するわけにはいかない。これは続行しなければなるまい。そう考えるのも、カリスマ主夫として名実を共にするための宿命であろうか。 それにしても世の主婦たちの「偉業」には心底から敬服せざるを得ない。「風呂、飯、寝る」などといって亭主面をしていられるうちはいいが、「長い間お世話になりました」とプイと出て行ってしまわれた時の落差を亭主族たちは考えた方がいい。 掃除機の音までが快く、油汚れを落とすクリーナーの威力も再認識した。命を洗濯した思い。(英) |
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