BSアニメ夜話『新世紀エヴァンゲリオン』 テキスト起こし: 序破急

庵野秀明、貞本義行、山賀博之の発言集、作品に関する資料などを掲載

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BSアニメ夜話『新世紀エヴァンゲリオン』(2005年3月28日放送) より
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2005年3月28日放送。

氷川竜介氏のコーナー「アニメマエストロ」は、画がないと意味がないので省略。

司会
岡田斗司夫/乾貴美子
特別ゲスト
宮村優子/大月俊倫
ゲスト論客
唐沢俊一/小谷真里/藤津亮太/滝本竜彦
ナレーター
平井誠一

映像: 劇場版 第25話「Air」弐号機と戦自の戦闘シーン

ナレ

日本が世界に誇る分化、アニメーション。その名作を語りつくす「BSアニメ夜話」。今夜取り上げるのは『新世紀エヴァンゲリオン』。

「BSアニメ夜話(題字 島本和彦)」の文字

BGM: 『甘き死よ、来たれ』

BSアニメ夜話、司会の乾貴美子です。

岡田

岡田斗司夫です。

今回は、(レイとアスカの等身大フィギュアを指して)まあ、この二人を見れば分かると思うんですが『新世紀エヴァンゲリオン』です。

岡田

とうとう、この日がやってきましたね。

はい。

岡田

(レイとアスカの等身大フィギュアを指して)これねぇ、受注生産だそうで、こちらの方は、アスカの方はポーズ固定なんだけども、綾波レイの方は全身関節が稼動するこだわりのやつで。まあ、いわゆる給料初任給2か月分、3か月分というふうに言われる、かなりお高いものをスタッフが用意してくれましたので(笑)。

なるほど。そんなエヴァですから、お待ちかねの方も多いかと思います。今夜はスペシャルバージョンです。特別ゲストもお二人お呼びしております。どうぞー(拍手)。

BGM: 『A STEP FORWARD INTO TERROR』

エヴァンゲリオンの仕掛け人、プロデューサーの大月俊倫さんと、ヒロインのアスカを演じた宮村優子さんです。よろしくお願いします。

宮・大

よろしくお願いします。

放送から10年経ちましたけれども、大月さん、その頃のことはまだ覚えてますよね?

大月

あのー、作品の中身のことは、あんまり良く覚えていない。

乾・岡

(笑)。

岡田

大月さん、こういう人なんで、今日はこういうペースで話しましょう。

なんか、はぐらかされそうですけれどもねー。宮村さんは今振り返ってみて、この作品って?

宮村

そうですねぇ。うーん…。当時新人だったので、あのー、いつもものすごく緊張してスタジオに行ってたのを思い出しますね。

あのー、せっかくですからね、アスカの声でひとこと頂きたいですよね。

岡田

あ、そうですね。

宮村

あ、はい、わかりました。

岡田

僕は静かにしてますから。多分、皆録音してると思います。

宮村

(笑)。「あんた、バカぁ?」

おお~~。

岡田

ありがとうございます。

シビレますね~。

岡田

はい。皆これをちゃんと着メロにしたりするようにね(笑)。

宮村

(笑)。

さっそく参りましょう。『エヴァンゲリオン』、どんな作品だったのか、知ってる人も知らない人もまずはこちらをどうぞ。

ナレ

1995年から96年にかけて放送された『新世紀エヴァンゲリオン』。監督は、実写・アニメ両ジャンルで活躍する、庵野秀明。熱狂的なブームを巻き起こした、本格派SFロボットアニメだ。

時に、西暦2015年。使徒と呼ばれる正体不明の生物が、次々と日本を襲う。どこから現れたのか。その目的は。使徒に対抗するのは、国連直属の特務機関ネルフ。ネルフ総指令・碇ゲンドウの息子、碇シンジは14歳の少年。ある日突然、エヴァンゲリオン初号機のパイロットに選ばれる。紫のボディは、シンジの乗るエヴァンゲリオン初号機。青いボディは、エヴァンゲリオン零号機。パイロットに選ばれたのは、寡黙でミステリアスな少女、綾波レイ、14歳。赤いボディは、エヴァンゲリオン弐号機。パイロットは、勝気でプライドの高い少女、惣流・アスカ・ラングレー、14歳。

使徒とは何か。そして、人類補完計画とは…。謎めいた物語が多くのファンを引きつけた。また、キャラクターたちの複雑な家族関係や、心理的葛藤を細かく描いたことが、当時の若者たちを深く感情移入させることになった。

そして迎えた、TV版の最終回。そこでは、期待された謎の解明は行われず、碇シンジの心が回復していく内面のドラマが描かれていた。この結末は、ファンの間でも賛否両論、大論争に発展した。

1997年には、劇場版が公開され、物語は完結した。しかし、人類補完計画を始めとする、数々の謎は残された。解らない結末を推理することも、『新世紀エヴァンゲリオン』の大きな魅力だった。

今、改めてご覧になっていかがですか?

宮村

はい。うーん、もう10年も経ってるんですけども、なんか新鮮に見えましたねぇ。

滝本さんはエヴァにハマった世代ですか?

滝本

ええ、高校の頃ちょうど、生放送、リアルタイムで観てまして。で、それ以来、僕の人生と切っても切り離せないぐらいに、ハマった感じですね。

いまだにエヴァは引きずってますか?

滝本

ええ。たまに、いまだに1年に一回ぐらいビデオを全巻観返したり。

岡田

なんかよく、世界設定が複雑で深いところが新しくて面白いとよく言われたんだけど、今観るとなんかね、違うような気がしてるんですね。実は、もっと根幹の王道としてのロボットアニメ、あと少年物語として面白いというのがこの作品の魅力なんじゃないかなっていう気がしますね。

唐沢

王道なんですよ。逆に言うと、すごく作りが。特に最初の、初期の方がね。私はこの作品を、なぜかパイロットで壱、弐話という形で観てですね、感想を求められて。あるイベントで観せてもらって、感想を求められて、どうですかっていった時に、この絵の質と、それからストーリーのこれだけの最初の当時からドーンと出すもので、20何話作る気ですかと。一社制作でと。それは無理でしょう、どこかで崩れるんじゃないですか、っていう風に言って。当たったことは当たったんだけども、あそこまでとは思わなかったんで(笑)。

大月さん、今の意見はいかがでしょう。

大月

あのー、壱、弐話観た時には、当事者であることの感激と、同時に恐怖が襲ってきましたね。要するに、今のTVのアニメーションっていうものに対して、庵野さんやガイナックスのスタッフや僕が考えたことはやっぱり、風穴を開けたいと。スポンサー至上主義の考え方に対して風穴を開けたいと。要するに、クリエーターが作りたいものを作って、それを視聴者に観せたら、どういう反応が起こるんだろうみたいなのが、根本にあったんですよね。

まぁしかし、ほんとに大反響のあったアニメなので、視聴者の方からのメールもたっくさん頂きました。

岡田

すごい多いですよね。

BGM: 『Good or Don't Be』

いくつか、ご紹介したいと思うんですが。

渚の少年さん「10年経った今だからこそ期待します。10年前の熱狂の中でのエヴァを取り巻く言説は、どこか地に足が付いていない印象がありました。10年過ぎた今だからこそ出来る議論を期待します。」

これ、プレッシャーかかりますね。

岡田

いや、もう今日はOKだよ、大丈夫、大丈夫(笑)。

マグさん「私は1981年生まれで、エヴァのTV放送時に登場人物たちと同い年でした。当時の私は、純文学小説を読むようにエヴァを観ていたような気がします。その頃読んでいた、夏目漱石や芥川龍之介と同じレベルで、私の中にエヴァは沈殿していて、私の人格の一部を形成しているように感じています。」

たくさんねぇ、日本中にそういう方がいらっしゃるかと思いますが、今回はですね、皆さんに特に気に入っているシーンを選んで頂いて、それをきっかけにトークを進めて行きたいと思います。まずは、大月さんが選んだシーンなんですけれども、「TVシリーズのオープニングアニメ」。じゃあ観てみたいと思います。VTRの振りをお願い致します。

大月

VTR、お願いします。

映像: TVシリーズ オープニング(ノンテロップ)

はい、このシーンです。

岡田

オープニングとしてはかなりカッコいい。

大月

カッコいいですよね。僕はもっぱら、歌作ったっていうだけなんですけど、こういう画面が付いて、非常に興奮したのを覚えています。

藤津

音合わせでキャラが出てくるところって、それまでだと富野さんとか、わりと好きでやったりとか、わりとオープニングのアニメの伝統をギュウっと圧縮して観せてくれたなぁっていう感じですね。だから技のデパートみたいな。

宮村

これ、アフレコの1回目とか2回目は私たち声優も、もう全然この先この話がどうなるのかとか、全然先が見えない中で「オープニングが出来ましたので、ぜひこれをご覧下さい。そして、世界観をこれでわかって下さい」みたいな感じで、大月さんが興奮して持って来て下さったのを覚えています。で、アフレコのスタジオで、皆でこのオープニングを観て「あぁ、すごいかっこいい!」って、一気に皆のテンションが上がって。

岡田

あの当時、明らかに世界で最先端の映像でしたよね。絶対に観た事もないようなものだったから。

大月さん、そういう意識はありましたか?

大月

思い入れはあったんですよね、アニメの主題歌っていうものに。だからもっと、音楽的に精度の高いもの、だけどカラオケ行って歌えるもの、鼻歌で歌えるもの、有線から聴こえてきて普通の一般の歌とも溶け合うもの、色んな自分の中でテーマがあったんですよ。で、僕はこれに関して「全て、99.9%、庵野さんが『エヴァンゲリオン』は好きに作っていい」と。でも、歌は残念ながら、皆で考えて作るものじゃないんで、それだけは任せてくれと言って。もし、つまんない歌が出来たら、いかなる責任も取るからって言って。実はこれに関して、作詞家さん、作曲家さん、アレンジ屋さん、歌い手さんと、アニメのスタッフさんは一切会わせてないんですよ。

ほー。

大月

で、全部自分で。それで、出来た時点で「歌も入れました、もうダメならダメでいいと。全部捨てるから」って言って、庵野さんと摩砂雪さんと鶴巻さん、メインの監督さんたちに聴いて頂いて、なかなか面白いと。まあ、若干のクレームは頂いたんですけど。じゃあこれで行かせてくれと。それで出来たんですよね。

小谷さんはどうご覧になってました?

小谷

今、観なおしてみると、全部、ストーリーとかあれがわかってて作ってるような感じですよね。だから、あの時に出たエピソードのひとつひとつも、全部凝縮されて今入ってるから、計算されつくした作品のオープニングテーマみたいな感じで、出来上がっちゃってるみたいな感じですよね。

岡田

『エヴァ』って観ている人を平伏させる作用があって、観れば観るほど、オープニングとか観なおすと「あ、ここまで作る人あらかじめ考えてたんですか、参りました!」っていう風に、すぐに平伏する気分になっちゃうんじゃないですか。

では続いて、宮村さんの選んだシーンを観てみましょう。第九話の「初号機と壱号機がユニゾンで使徒を倒すシーン」ということです。VTRの振りをお願い致します。

宮村

はい。VTR、どうぞ!

映像: TVシリーズ 第九話のユニゾンシーン

どうしてこのシーンなんですか?

宮村

はい。アスカが出てきて、かっこよく敵を倒す一番いいところなんですけど、普通だったら戦いのところなので、爆発音がしたり、ロボットの音がしたりするはずなんですけど、あそこ全部音楽になっちゃってるんですけど、台本ではセリフがあったんですよ、ちゃんと。

へぇー、そうだったんですか。

宮村

だから「うおー」とか、シンジくんとあれ(エヴァ初号機)はシンクロして戦ってるんですけど、シンクロしながら、最後のライダーキック、シンジ役の緒方さんと「シンクロしているので、寸分違わずに叫びを言って下さい」って言われて。そこ、何回もリテイクしたんですよ。なのに、使われてなくて。

一同

(笑)。

宮村

ふざけんなよって思ったんですけど。そういう、細部にまでこだわるんですけど、結局最後はそれかよ、みたいな。

一同

(笑)。

宮村

いっぱい、スタッフさんも泣かされたことが多いんじゃないでしょうかね。監督が、ほんとにこだわる方だったので。

岡田

ダビングってあるじゃないですか。普通の人が使うダビングじゃなくて、アニメ業界で音と絵をミキシングすることをダビングって言いますよね。あのダビングの時ぐらいに、やっぱり決心できるんですよ、「これは音楽だけでいける!」って。その時には多分、心の中で声優さんに手を合わせて「ごめんね」って謝りながら。切っちまえと。

使われてないのは、いつ知ったんですか?

宮村

オンエアーですね。

一同

(笑)。

宮村

すごい、シンジ役の緒方さんと苦労して、ほんと寸分違わずに「うおぉぉぉぉー」っていうのを、何十回もやらされて。まあ、やらされることが仕事なのでいいんですけれどもね。

監督には言ったんですか、あそこ使ってないですねって。

宮村

言いました。

そしたら何て言ってました?

宮村

「んー、……うん」ぐらいですね。

一同

(笑)。

藤津さん、エヴァの声優陣はいかがですか?

藤津

まあ、バランスがいいと言いますか。林原さんって、当時例えば「スレイヤーズ」ってすごい元気のいいリナをいう主人公をやっていた方が、無口な神秘的な女性キャラをやるとか、「セーラームーン」で出ていた、中性的な魅力だった緒方さんを少年役に起用するとか、新人という宮村さんがいて。で、逆に碇ゲンドウは立木さん、ベテランの方がいて、しかも補佐の冬月が清川元夢さんといって、庵野監督がずっと登場してもらってる方に、という形で。わりと、バランスがいいと言うか、全体の世界がうまく固まっているようなキャスティングだと思いましたけど。

滝本さん、何か印象に残っているセリフはありますか?

滝本

うーん。やっぱり「逃げちゃダメだ」とか。テストとか、よく締め切り前とかになると頭の中で「逃げちゃダメだ」、自然と繰り返されますね。

アスカのセリフだと何かありますか?

滝本

これもですね、やっぱり「あんた、バカぁ?」。……そうだよ、バカだよ俺は。

一同

(笑)。

続いては、滝本さんが選んだシーンを観てみたいんですが、「第四話」と「劇場版25話のシンジが落ち込んでいるところ」だそうです。

岡田

(笑)。

では、滝本さん、VTRの振りをお願い致します。

滝本

VTR、どうぞ…。

映像: 第四話「雨、逃げ出した後」 連れ戻されたシンジのシーン

映像: 劇場版25話「Air」の「最低だ、俺って…」と落ち込んでいるシーン

このシーンを選んだのは、どうしてなんですか?

滝本

シンジくんは主人公なので、ヒーローじゃなきゃダメだと思うんですよ。それで、ああいう「もう嫌だ、死にたい」「やってられない」とか、そういうシーンがとてもヒーローらしくて、尊敬したという。

ほぉー。自分を重ねるようなところもあったんでしょうか?

滝本

あの、シンジくんの状況に立たされた場合、100人中100人が「よし、人類のためにかっこいいロボットに乗って、すぐ隣には美少女がたくさんいて、かっこよく戦うぞ」と思うと思うんですが、シンジくんは全く戦わず、逃げようとするんですけど、この場合、逃げたりする方がはるかに辛い。辛いと言うか大変だと思うんですよ。それなのに、逃げるというのは偉いなぁ。つまり、「地球の運命とか、正義のためにとか言うより、中学生の僕の心の、個人的な悩みの方が重要なんだ。だから俺は逃げるんだ」という風にして逃げて、結局、劇場版の最後まで、彼は全く戦わず、逃げ続けるわけですが、それがとてもかっこいいなぁと思って、尊敬しました。

藤津

戻ってきても、いわゆる、普通行って戻ってきたら、成長してたりするんですけど、あんまり変わらず、似たようなと言うか、さらに状況が悪くなって、もう一ぺん同じことを、TVだと2回か3回繰り返しますよね。あれは、ある意味、画期的と言うか。それまでは、普通はああいうエピソードだったら成長エピソードだって思いがちだけど。すごい特徴ですよね。

滝本

そしてこれが、物語の根幹に関わることで、とにかく成長しないで逃げ続けるというのが、物語に対して嘘をつかない、誠実に。途中でシンジくんは強くなったり、「よし、戦うぞ」みたいにやったら、まるっきり嘘くさくなると言うか。最後まで、逃げてくれたことに対して、とにかく、深い感謝の念と尊敬を。

岡田

僕、ちょっと異論があるんですけど、シンジくんは逃げたんじゃないと思うんですよ。逃げたんだったら、四話で逃げれるはずなのに、同じところをぐるぐる回ってたり、ネルフの近所にキャンプ張って泊まってたりしますよね。あれ、逃げたんじゃなくて、スネたんですよね。

滝本

つまり、普通に「もう俺はエヴァに乗らない」とか言って、逃げるのではなく「あー、もうどうしようかなぁ」ってグルグル、悩みながら…。

岡田

いや、そのぐるぐるっていうのが、いかにもすぐに捕まえてくれそうなところで逃げる感じが、僕はスネたんだって思って。

小谷さんは、シンジは逃げたっていう風に見ましたか?

小谷

逃げるって言うか、成長しない子、あるいは成長して、じゃあ一体何になるかって言うと、アムロの場合だったら、やっぱり一人前の戦士になること、戦うことが男になることと同義になってるのに、碇くんの場合はそうじゃなくって、男にならないんですよね。そこがねぇ、今までの男のヒーローとちょっと違うかなぁ、みたいな感じはしますよね。

岡田

成長しない理由って、多分、このアニメが本質的にエンターテインメントを目指してないから……だと思うんですよ。

唐沢

純文学なんでしょう。

岡田

だから、これって文学なんですよ、どう観ても。よく、文学が影響受けたとか、よく言うんですけど、そうじゃなくて、ほんとにこのアニメ『エヴァンゲリオン』の作品自体が、僕はもう文学だと捉えてるから。これを文学と捉えられないところが、日本の文学界のダメなところ、賞とかをあげないところがダメなところなんですよ。芥川賞をあげればよかったんですよ。そうしたら、日本の文学は絶対成長した。『エヴァ』に芥川賞が一番正しいんですよ。

小谷

『エヴァ』に芥川賞、いいですよねぇ(笑)。

唐沢

エンターテインメント界というところというのが、純文学みたいなものがうちの中にまさかね、この業界の中に純文学的なものが入って成功するなんて、絶対思わなくって。つまり、アニメというものは完全にエンターテインメント、こちらの視聴者の方が王様で、我々をさあ!いかに楽しませるかと思ったら、そうじゃなくて、一歩も二歩も踏み込まなければ、つまり作者の内面に踏み込まなくちゃいけない世界っていうものが、ドーンと展開されたっていうんで、皆びっくり仰天したんですよね。感動とかなんかとは違って、びっくり仰天だったんです。

宮村さんは『エヴァ』を純文学だと思ってました?

宮村

いや、その文学とか純文学だとかいう話は、今ここで「はぁー」っていう、「はぁー」って聞いてました。

岡田

いや、純文学だと思うと、あの騒ぎのつじつまが全部合うんですよ。

一同

そうかなぁー(ざわざわとなる)。

藤津

文学とか、そんなに騒ぎになったものって、ないじゃないですか。

唐沢

そんなことはないでしょう。

一同

(ざわざわとなる)。

岡田

ここ30年間なかったから、だから『エヴァ』が純文学という衝撃を与えたんでしょう。30年間、みんな純文学と言うのは文字で、小説だと思っていたから。

唐沢

純文学は商売にならないっていう風に思ってたんですよ、みんな。純文学が売れなくなってきたから。ところが、売らなくなってしばらく経ったから、これっていうのは、ものすごく新鮮に見えたんですよね、バーンと。

岡田

だから、もし文学じゃなくてエンターテインメントだったら、主人公って成長してるんですよ。「ドラえもん」ですら、ジャイアンは劇場版で成長するんですよ(笑)。いいヤツになるんですよ。主人公が成長せざるを得ないのが、エンターテインメントの宿命であり、長所であり、欠点なんですよね。

滝本

いや、エンターテインメントであっても成長しないことはできますよ。

岡田

ふむふむふむ。

滝本

僕は物語的には『エヴァ』は、充分にエンターテインメントの手法で作られてると思いますよ。

岡田

手法は、僕、そう思いますよ。

滝本

だから、書かれてる内容が小説的にグダグダ回っててもエンターテインメントであることはできるし……。

唐沢

いや、確かにエンターテインメントだと思いますよ。だから、純文学とエンターテインメントが両立するっていう風に、エンターテインメントの人達が思ってなかったの。ところがちゃんと純文学だって、読んでワクワクすることもあるし、それからそこでもって「萌え」ということもね、できるしということにようやく気がついた。それで視野が広がったということですよ、この作品で。

滝本さんはブームの当時、関連本とか読まれました?

滝本

ええ、読みました。

どれぐらい読みました?

滝本

出てるのは大抵読んだんですけど、あと、『エヴァ』に関する記事とかたくさん読んだんですけど。…なんですかね。当時、こういう番組(BSアニメ夜話)とか、TV番組とかは少なかったんですけど、そういうのを観て、高校生とか大学生だった僕は「なんだ、このTVとかに出て、わかったようなことを言っているクズ共は!俺が一番、世界で一番俺が『エヴァ』を解ってるのに、こいつら何、戯言を」。

一同

(笑)。

唐沢

そういう人が100万人ぐらいいたんですよ。

滝本

だって、少し、1年前ぐらいでしたら、飲み会で『エヴァ』に話が出るのも変なんですけど、「エヴァ、あの劇場版って、結局なんか失敗作だよねぇ」とか言われた瞬間、(拳を振り下ろして)ガン!「お前に何がわかるんだ、このやろー!ぶっ殺すぞ、このやろー!お前ごときに、『エヴァ』の素晴らしさがわからないお前なんて死んでしまえ!」というぐらい、怒りが。

藤津

今の滝本さんの成長するで、さっきのシンジが成長の話で思ったんですけど、『エヴァ』って成長してもどこに行くか、よく分からないんですよね、あの世界だと。アムロって、戦場があって、社会があって、頑張ってる大人がいるんで、そこの一員になるっていう、成員になるっていうことで、大人のイメージがあるわけですけど。『エヴァ』って、大人ってお父さんしか、ほとんどいなくて。

岡田

あの世界に大人はいないですよね。

藤津

他も、ほとんど大人、一般社会みたいな描写はなくて、第3新東京市も結果的に人のいない街なので。『エヴァ』って、あの環境をシンジが卒業した時に、どこ行くかっていった時に。

小谷

ネルフに就職?

藤津

みたいなことしかなくて。それが見えないから、成長させようがない構造に、最初からなっているっていう気はちょっとしたんですよね。

では続いて、小谷さんの選んだシーンを観て参りましょう。拾九話「暴走したエヴァンゲリオン初号機が使徒を食べてしまうシーン」です。では、VTRの振りをお願いします。

小谷

はい。じゃ、VTR、お願いします。

映像: 第拾九話「男の戰い」 エヴァ初号機が暴走するシーン

小谷さん、なぜこのシーンなんですか?

小谷

いや、気持ちいいじゃないですか(笑)。

岡田

何が?

小谷

いやー、あのねぇ、この拾九話の前に、ゲンドウの前で「僕はエヴァに乗ります!」って乗ったんですよね。そしたら、もう、ものすごくわけのわからない使徒にやられちゃって、それでシンジじゃなくって、エヴァの方が勝手に暴走し始めてですね(笑)、それで怪物化しちゃうっていうシーンなんですよね。だから、私の目から観ると、エヴァってシンジくんのお母さんの細胞が入っていて、心…、魂が入っていて。男の子がもう、全然男にならなくて、戦えないのに、女の人の方が頑張ってんじゃん、とか思って(笑)。拘束具を外すぐらい、女の人を縛っているような拘束具を外すぐらい、パーっと弾けて、それで暴走して行くっていうところに、何かある種のすごいエネルギーを感じて、それでこのシーンをもう、好きで好きでたまらないんですね。

非常にスカッとするシーンだったんですか?

小谷

まあ、私的にスカッとしたんですけど、男の人が観て、気持ちよかったかどうかはわかんない。

岡田

僕が観ると、やっぱり燃えますよ、あそこは。つまり、鬱屈してた主人公なんだけれども、絵が暴走してくれるから、すごい楽しいし。

藤津

小谷さん、ちょっと伺いたかったのは、エヴァの中でお母さんとか、女性ってわりと主人公を誘惑する、悪いポジションて言うか、わりと本人達は辛い境遇に置かれているにも関わらず、主人公をそこへ閉じ込めようとする役を担わされてて、わりと、碇ゲンドウに甘いじゃないですかっていう気がするんですよ。そのへんって、どうご覧になってたんですか?

小谷

うーん、まあ、だから、やっぱりその女の人がああいう世界で生きて行く時にはですね、体も心もバラバラにされて、システムの中に埋め込まれちゃって。それで、そういう状態で碇ゲンドウを盛り立てて行くような方向で行かなきゃいけないし。シンジくんて、閉じ込められてたプリンスですから、プリンスを甘やかして、そして、いい子いい子しながら戦わせるように仕向けなきゃいけないはずだったのに、なんか上手く行かなくなっちゃって、暴走しちゃうっていう、そういう感じ。

滝本さんの好きな女性キャラは誰ですか?

滝本

綾波レイですね。大抵、男性の視聴者は綾波レイが好きだと思うんですが。やはり、綾波が大好きですね。

小谷

どうして?どうして?

滝本

え?これが、言葉では何とも説明出来ないんですよ。なぜかと言いますと、人を好きになった理由は口で説明出来ないじゃないですか。

岡田

いや、そこは物書きとして言語化するとどうなんですか?

滝本

だって、…綾波ですよ!

一同

(爆笑)。

藤津

いいなぁ、今の。

小谷

よく分かりました。

滝本

好きになるに決まってるじゃないですか。

ではここで、『エヴァンゲリオン』の魅力を、さらにもう一歩深く踏み込んで楽しむためのコーナーをご覧頂きます。

氷川竜介氏のコーナー「アニメマエストロ」は省略

一同

(拍手)。

氷川さん、ありがとうございました。なるほど、そういう見方もあるんですね。

岡田

うん。

大月さん、『エヴァンゲリオン』は今のシーンのように、実験的な手法が多いですけれども、当初からそういう作品にしようと思ってたんですか?

大月

それはあったですね。メインのスタッフがみんな、ATG映画、当時の70年代後半、80年代前半のATG映画とかみんな好きで。仲間内でよく、終わったあとよく飲んだりとか、きったない居酒屋でねぇ、飲んだりしてたんですけど、その時に実はアニメの話って、全然しないんですよ。そのATG映画の話とか、TVのドキュメンタリーの話とか、「ああいうの新しいよね」とか、例えば「NHKの番組であれ面白いね」とか、そういう話なんですよね。だから、何らかのアニメを模倣するとか、アニメの話っていうのは全然しなかったですね。それはよく覚えてます。

宮村さん、『エヴァンゲリオン』の後半の録音の時の雰囲気って、どんな感じでした?

宮村

そうですねぇ。最後の方はですね、壱話、弐話のペースで絵が全部入ってるとか、ではなくて、もう台本も出来てない週とかありまして、いつも、アニメのアフレコは一週間前に台本が渡されるんですけども、一週間前には台本が出来てませんと。で、当日の台本が来て、フィルムもオン・エアーされるのは絵が入って、色が付いてますけど、全然色が付いてなくて、コンテ撮っていってコンテが映ってたりとかして、そこに線が流れるんですけど、その線が流れてる間は、赤色はアスカとか、黒はシンジとかそういう風に、アフレコし「あー、今回も線画多いなぁ」って思って、最終回観たら、そのまま流れてたから(笑)。

一同

(爆笑)。

滝本さんは最終話をどんな風に観ました?

滝本

確かですね、僕はその頃、高校生で、学校が終わってからシブヤくんとオオクラくんの家に行って、みんなで観てたんですが、記憶が残ってないんです、その後。ポカーンと。

衝撃で?

滝本

いや、何なんだろう。……空白が、記憶に空白が。

続いて、藤津さんの選んだシーンを観たいと思います。「劇場版26話の実写映像のシーン」だそうです。では、VTRの振りをお願いします。

藤津

では、VTR、どうぞ。

映像: 劇場版 第26話「まごころを、君に」 実写パート

なぜまた、このシーンを…。

藤津

今のシーンそれぞれにも、本編に、ストーリーに絡んで意味があると思うんですけれど、そもそも実写シーンがなぜ必要だったのかって言うのが、ここで僕、取り上げた理由なんですけれど。日本のアニメって、リアルってことをすごく大事にして進化してきたんですね。そのリアルって何かって言うと、いろいろ解釈あるんですけれど、一つは、記号が集積した絵に過ぎないキャラクターに生々しさを感じるっていう要素が一つあって。これって実は、かなり矛盾と言うか、倒錯した要素なんですけれど。その記号の操作で生々しさを喚起出来ないかって言うのが、アニメの進化の、一つの課題だったと思うんですね。で、『エヴァ』の場合って、キャラクターは比較的漫画チック、かなりリアルにも描ける優れたキャラクターデザインなんですけれど。それに対して、わりとエキセントリックな死とか狂気っていう要素を入れることで、主人公達を追い詰めて、切迫感を出すことで、生々しさを得てきたわけですけれど、その先って言うんですか。そこまで行って、かつ、しかしじゃあ、その先に何があるのか、その先にリアルが作れるかって言った時に、やっぱり絵は絵でしかないというのが出てきたと思うんですね。もう、これはもう人間でやらないと到達出来ない生々しさを求めちゃったっていう。アニメでやってたはずが、結果的にそれは「実写じゃないとダメなんじゃないか」という裏返り方っていうのが、特にTV版から劇場版の大きな変化で、そこがまあ、一番面白くて、逆にそれは後の庵野監督が「ラブ&ポップ」や「式日」で自分なりのリアルを追求して行く転換点でもあると思うし。そういう意味で、ここの実写シーンを選びました。

宮村さん、実写シーンには出演されてたんですか?

宮村

してました。声優として『エヴァ』に出演させてもらっていて、事務所から実写パート撮るんだと聞いた時は、「え?なんで?」と思ったんですね。今、おっしゃったような、監督の中にリアルを追求するとかいうことをですね、監督ご自身は考えてらしたかどうかは分からないし、また私たちに、声優役者陣に語ることもなかったので、なぜって思いながら行きました。TVドラマとかの役者さんじゃなくて、何で声優さんにさせるのかなぁと。そのへんの説明も何もないし。そういう監督の99.9%思い通り、色んなことをさせてあげようとしたプロデューサーがほんと、偉いなぁ(笑)と思います。あの時も、私、大月さんに「監督の意図がよく分からないんで、もうどうしたらいいですか」とか、色々相談したんですけども。

大月さんは、庵野監督の意図は100%理解してたんですか?

大月

いや、そういう相談はないですね。一番あれだったのは、……公開が春で、映画が公開する・出来なかった。で、夏に公開する・出来ました、みたいなすさまじい一年だったんですよね、実は。今、みなさん純文学っておっしゃって下さったんだけど、僕らのやってる動き、なんかやっぱり、…こんなこと言っていいのかな、純文学っぽかったですよ。とりあえず、だから走り抜けなきゃなんない。とりあえず映画公開まで持って行かなきゃなんない。色んな蓄積ありましたよね。私は、中野のボロアパートに住んでたんですけれど、夜中の窓全開して、絶叫しましたからね。

もう、極限状態だったんですか?

岡田

何で絶叫したんですか?

大月

よく分かんないんですよ。

最後に、唐沢さんの選んだシーンを観てみましょう。「劇場版 26話のラストシーン」だそうです。VTRの振りをお願いします。

唐沢

うーん、…観ますか。どうぞ。

映像: 劇場版 第26話「まごころを、君に」のシンジがアスカの首を絞めているシーン

唐沢

まさに、『エヴァンゲリオン』という作品が騒動を巻き起こし、10年後の今に至るまで、このような番組を作られる、色んな人間が色んなことを言い、そして、言ってみれば純文学とするという意見が正しいとするならば、一人の庵野秀明という人間の中の内面を覗き込もうとしていたという行為。それに、色んな理屈を付けて、自分が正しい、正しくない。またそれを、私や岡田さんのようにある程度クールに眺める。全てのものをひっくるめて、このセリフ一言に象徴されているような気がします。言ってしまうと、『エヴァンゲリオン』の本質っていうようなものは、それまで与えられるのが当然と思っていた若い世代が、与えられないことの快感というものに気がついちゃったことなんじゃないか。少なくとも、与えられるべき回答が与えられなかった。それから、楽しませてくれるべきエンターテインメント性というものが欠落していた。そういうようなものを、欠落というものに、自分の心の中の何かをというものを、補完して、そして完全な作品にした時に、それは完全に自分一人の、自分の中の『エヴァンゲリオン』になる。その作業を多分、10年間、『エヴァンゲリオン』にハマった、『エヴァンゲリオン』に魅入られた人々がずっと続いていて。そしてそれは、自分の中では非常に充実した、自分の内部に於いてはとても楽しい10年間だったかも知れないけれども。でも、ある意味、他人から見れば、それは気持ち悪いと言われて仕方がない行為であったということ。それがだから悪いということじゃないんですよ。でも、そういうことで自分自身を見詰め直すという見方をね、させてくれたような作品だったというように僕は思います。

滝本さんは、あのシーンと今の唐沢さんのご意見、いかがですか?

滝本

確かに、気持ち悪いんですが、…気持ち悪いなぁ、気持ち悪くていいじゃないか。気持ち悪いですよ…。

唐沢

そうそう、いいんですよ、気持ち悪くて。うん。

滝本

いや、でも気持ち悪いのはダメですよ、やっぱ。

小・藤

(笑)。

滝本

気持ち悪いのはダメですよ。……気持ち悪い人は死んだ方がいいですよ。これから家に帰って、10年間、僕は何をやって暮らしてきたんだ。…見詰め直します。」

唐沢

庵野さんの個性というものがね、出して、ちゃんとその人間に色んな受け止められ方をするだけの重みはあったんだろうけれども。ただそれをスタイルだ、という風にして、その後、『エヴァンゲリオン』の大ヒットのゆえに、『エヴァンゲリオン』に影響を受けちゃった作品で、とにかくこのように、難解っぽい感じにするとか、暗くするだとか、主人公を主人公らしくなくするだとか、っていうような。あと、謎を多く出してそれに解決を与えないだとかという。そういうような『エヴァンゲリオン』の色んな語られたところを寄せ集めて作ったような作品が多出して、アニメばかりではなく、小説にもあり、特撮とか、いわゆる映像作品というものにもたくさんありという形で。これの、『エヴァンゲリオン』という素晴らしい作品で、それの評価というものは、私はかなり高いんだけれども。ただし、これが出来た時に私が危惧したのは、これの形状ばかりを取り入れれば成功するんだというような、被れというような作品がね、出てくるんじゃないかなと思った危惧は、残念ながらこの10年間当たってたようなね、そのような気がします。

藤津

いや、でも実際観てると似てなかったりするんですよ。

唐沢

いや、大体『エヴァ』の影響、という一言で済ませられちゃうんですよ。

藤津

むしろ、小説の方。いわゆるセカイ系っていわれるのは『エヴァ』の影響が強かっただろうって思うんですけど。

唐沢

何かって言うと、『エヴァ』から全部を取って来てっていうのはともかく、エンターテインメントの中に『エヴァ』的な要素を入れようみたいなね、そういう姿勢というのは色々、特に特撮系では、名前は出していいのか分からないけれど、それで打ち切りになっちゃったような作品とか、色々あるじゃないですか。

小谷

でも、形にならなかったそれまでの、例えばひきこもりとか、セカイ系とか、美少女が戦うとか、そういうものをはっきりとした形で表して、こういうのが今の問題であるよって言うのが95年のあの時点でね、出してきて、それでどっちかと言うと、それが言われて初めて気がついた、って言うのはあるじゃない?

唐沢

気がつくことは気がつく。その後、気がついたことで、もっとよい作品とかね、そういうものがどんどん生まれてくるのだったら、それはいい混乱であり、いい現象だと思うんだけれども、どうも、未だにその混乱とか混迷のみが尾を引いているような。

宮村さん、みなさんのお話を聞いていていかがですか?

宮村

はい。エンターテインメントの話がありましたけど、私も監督っていうのは、話を決めててとか「こうやりたいんだ!」っていうことがあって、それを「こうやりたいから、こう表現して欲しいんだよ」っていうことを、伝える人だと思ってたんですけど。この最後の「気持ち悪い」っていうセリフもそうだったんですけれども、監督が投げかけてくるんですよ、「こういう時、こう思ったら、どう思う?」みたいな。それは私、アスカ、宮村優子だけじゃなくて、他の役者さんにもみんなそういう風に、「こういう時、こういうことをされたらどう思う?」とか。私の場合は、この最後の「気持ち悪い」っていうセリフは、最終回のアフレコ録ったのに「ダメです。もう一回録り直します」っていう風に事務所から言われて、私一人だけ、最初残される予定だったんですけれども、掛け合いであるシンジ役の緒方さんが、掛け合いなので、セリフが。一緒にやるってことになって、二人、居残りみたいな感じで呼ばれて、行って。最後のセリフはほんとは「気持ち悪い」じゃなくて「あんたなんかに殺されるのはまっぴらよ』だったんです。けど、最後、何回もそれを言ったんだけど『違う、そうじゃないだ、そうじゃないんだ」つって長い休憩になって、私と緒方さんも、「どうしたら、監督の思うようなことが表現できるんだろうねぇ」とか言って。首絞められるところなんて、本当に緒方さんが私にまたがって首絞めたぐらい、ほんとに監督からの要求がすごく難しくて、リアルを求めてたのかなぁ…。その、最後のセリフに関してはですね、これは言っていいのかどうか分からないですけれども、もし、アスカとかじゃないんですよ、いつも言われることが。もし、宮村が寝てて、自分の部屋で一人で寝てて窓から知らない男が入ってきて、それに気づかずに寝てて、いつでも襲われる状況だったにも関わらず、襲われないで私の寝てるところを見ながら、さっきのシンジのシーンじゃないですけど、自分でオナニーされたと。で、それをされた時に目が覚めたら、何て言うって聞かれたんですよ。前からもう、監督変な人だなって思ってたんですけど、その瞬間に気持ち悪いと思って「気持ち悪い…ですかね」とか言って。そしたら「やっぱりそうかぁ」とか言って。やっぱりそうかって言うか…。

岡田

あのね『エヴァ』の作り方って、それ僕ね、それすごい正しいと思ってたんですよ。唯一無二なんですよ。って言うのは、人類補完計画って言ってるけど、この中でクライマックスに向けてやってるのは、アニメの作り手補完計画なんですね。つまり、最終話に向かって、声優、作画、プロデューサーという立場がなくなっていったらどうなるのか、って壮大な実験をTVシリーズをやりながらコイツやろうとしてたんですよ(笑)、とんでもないことを。多分、それを目指してたはずですね。なので、庵野監督はやって欲しかったのは、自分の意図、やって欲しいことを伝えることじゃなくて、自分と同じ問題を悩んで欲しかったんですね。

宮村

う~む。

岡田

その意味では、とことん自分と同じ、監督と同じ立場に全員が立った地平を目指したいと。最終回とか、劇場版に至ってはそれを観ている人間までが『エヴァンゲリオン』の問題というのをどうなるのか一緒に考えるという地平にまで行くと、そこまで行くと、完全に観てる側も作る側も、個々のスタッフも、全て融合した状態になるっていうのを目指したんじゃないかなぁ。制作スタッフの思想的な実験までも全部やろうとしてますね。

大月

思い出すんですけど、まずこれ、代理店さんの方に持ち込んで、これをTVでやりたいって言った時に、30いくつだったんだろうなぁ、32、3(歳)だったのかな。その時、僕の応対に出た人はきっちりネクタイ締めてね、年配の方だね、10歳以上上の。ずらっと並んで、「あんた、こんなことやったら会社大損して、あんた会社クビになるよ」って言われたんですよね、真顔で。「こんなことやって、あんた大変なことになるよ。いくらあんた会社に赤字出すの?責任取れるの?」って。複数の、ネクタイ締めた立派なおじさんに言われて。そういうのが、さっき、唐沢さんがおっしゃったけど、この有様ですよね。これやっぱり、NHK通して、きっちり言った方がいいと思う。これがやっぱりね、まずいんだな、浅はかだ。少なくとも僕は、そういう風に言われても、これやった…、やりたいと思ったから。それ以外ないね、今は。

唐沢

一人、この『エヴァンゲリオン』っていう成功例があるから、我も我もと言うんじゃダメなんですよ。ほんとに、会社ときちっとした世間に気持ち悪いと言われて対峙するっていうようなね、そういうやつでやったから、この作品のみがね、今に語り継がれるような唯一無二のものになったんじゃないか、という風には思いますね。

岡田

『エヴァ』ってねぇ、何よりもまず面白いアニメなんですよ。僕、怖いのは、この番組でこういう風にがーっと話してますけど、みんな本気になるのは、何よりも面白いアニメだからであって。今日取り上げた部分はすごいテーマ的な部分中心に取り上げたので、難しいアニメだと思われちゃうのが怖い。何よりもとりあえず、面白いSFアニメであり、びっくりするような映像がすごい出てくる。宮村さんが最初に出てくるアスカ来襲(アスカ来日)の回なんて、絵のタッチ、例えば乗ってるヘリコプターのシートの汚し方の隅々に至るまで、スタッフがこんなアニメ作りたい、こんな映像表現やりたいというのが、すごい高いテンションで見れて、何よりも心躍る面白いSFアニメだっていうのが『エヴァ』の本質の一つなんですね。それと同時に文学性もあったんですよ。文学性もあったから、大ヒット、メジャーヒットしたんですけれども、文学性っていうのは悲しいことに、超ヒットする文学性っていうのは時代とシンクロしているものなんですね。あの10年前の日本っていうのは『エヴァ』を切実に必要としてたから、あんなに『エヴァ』がヒットした。だから『エヴァ』の純文学性がすごい捉えられて、あれの亜流がどんどん出てきたんですけれど。結局、エンターテインメントとして面白いロボットアニメ、戦闘アニメを作ろうというのは、なかなかこの後、出にくい雰囲気になっちゃった。どちらかというと、難しいのばっかりが増えて。でも、何よりも『エヴァ』というのは面白いアニメであるというようなことが中心なので、そろそろもう、10年経ったし『エヴァ』は文学性から開放してあげてもいいんじゃないかなっていう風に、ちょっと思いました。

BGM: 『FLY ME TO THE MOON』

はい。今夜の「アニメ夜話」、ここまでです。また次回、お会いしましょう。みなさんどうも、ありがとうございました。

岡田

ありがとうございました。

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記事に対するコメント (2件)

  1. 渚の少年 (2009年01月09日 06月52日)

    テキスト起こし。お疲れ様でした。
    キネ旬ムック、出して欲しかったですね。

    >10年前の熱狂の中でのエヴァを取り巻く伝説は、
    ここは「言説」です。と、引用された人間から。

  2. ハイム (2009年01月10日 01月55日)

    「誤:伝説 → 正:言説」は打ち間違えのようです。ありがとうございました。

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