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一時トランジット帰国しても、前半戦総括する時間も無し
2月14日にセントレアを発ち、インドネシアとネパールで予想を遥かに超えた厳しい登山を経験してきた。ニューギニア島では猛烈な泥と大雨に苦しめられた。様々な危険な事もあったが無事に切り抜けて2月25日にオセアニア最高峰カルステンピラミッドに登頂。
帰路のジャングルでは現地ポーターが川に落ちたりとか、往路以上の困難に直面したけど、それらも運良くこなす事が出来た。
更にバンコク経由でネパールに移動。メラピークの登山に入った。こちらは想像以上の寒さに直面。多くの隊が遥か頂上下で引き返す中、3月17日頂上直下まで迫った。
ところが頂上下50mに大きなクレバスが開いており万事休す。頂上直下より無念の下山となる。
とはいえ標高6000m地点からは豪快なパウダー滑降を経験でき、一生忘れられない思い出を作る事が出来た。
しかしその代償は大きく、足裏がトレンチフット(詳細は省略)、指先に軽い凍傷を負ってしまう。今でも足が痺れて痛い。とはいえ僕にはまだまだ大きな戦いが待っている。
明日からはロシアコーカサス山脈にあるヨーロッパ最高峰エルブルースに挑戦予定だ。
更に4月13日からは今回のクライマックス。もしかしたら僕の人生のクライマックスとなるかもしれないエベレスト登山も待っている。
本当は今日一日かけて前半登山の総括記録をまとめたいと思っていた。ところが僕には時間が無い。まだまだ思い出総括よりも先への準備の方が大事なのだ。
そんなこんなでとりあえず今日は此処まで日記をUPしておこう。せめてウィルスより救い出した写真をUPしておきますので、少しでも楽しんでください。
レポートはまたエベレスト後にします。更に臨時報告はこちらまでぜひどうぞ。
それではまた。
泥と雨と雪のカルステン登頂

キャラバンは現地ポーターと共に。時差は2000年あったり

厳しい雨の中、危険な渡渉が続いた

メラピークへの長いキャラバン

メラピーク頂上直下。正面ドームのクレバス下までは登った
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ギリギリまで仕事して出発します
昨夜は病棟と内科の先生方が、遅い新年会兼ねで僕のエベレスト壮行会を開いてくれた。海外ではあまり美味しいものを食べれないだろうし、明日から僕の向かうインドネシアはイスラム圏でお酒が無い。
ここは今がヒーロー?になる時だとばかりに、飲んで食べて更に歌って夜遅くまで過ごした。
今日はいよいよ仕事の最終日。朝から外来待合室は、座れない患者さんがが出るほどの満員だ。
二日酔いの頭を抱えながら、ひたすらの秒単位外来を続け、僕のいない期間の段取りを少しでも作っておく。自分のためにも患者さんのためにも、必死のラストスパートだ。午後は申し送り事項をまとめる事と先々の指示を出しておく事でこれまた忙しい。分娩や急患受診も最後まで続く。先ほど見えた第一弾代務先生が天使の様に見えた。
明日朝早くに僕は自宅を愛車チョモランマ号に乗って旅発つ。15年前にチョモランマ登山のために貯めたお金で買った車に乗り、明日は今度こそ本当にエベレスト登山に旅立てる(まずは高所順応プレ登山ですが・・)。もう感無量で既に今から胸が一杯の気分だ。
とにかく僕はこの半年間準備のために一生懸命頑張った。その準備の9割方は仕事を休むための段取りだ。
自分で言うのも何だが、僕の置かれた環境の中で、こういう状況を作り上げた僕は全くすごい。自分で自分を誉めたい気分だ。これはエベレストへの執念の賜物と言うモノだけでは決して無いと思う。天の時、地の利、人の和が全て絡まりあって初めてなしえた技だ。
既に出発前から僕は十分感動しているが、この感動は世界の最高点で結晶するのだろうか。これから先の僕の行動顛末は概ねブログ、婦日の山と仕事の臨時報告でするつもりだ。
できるだけ海外からも発信しますので、ぜひご訪問下さい。それでは皆様また。これからもよろしく応援をお願いします。
昨夜の壮行会にて。お互い元気に過ごしましょう
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逃げる訳では無いのですが
遠征装備の準備も昨日で一段落付いた。これから先遠征中に足りないものはたくさん出てくるだろうが、元々飛行機に載せれる重量は限られている。もうここまでくるとなるようにしかならない。ひるむ事無く明後日朝には飛行機に乗ろうと思う。
遠征前に僕が仕事できる日も、残すところ後2日となった。
少しでも代務の先生の負担を減らすため、今日明日は誘発を幾つか入れたが、その分僕は最後まで忙しい。今日も要注意誘発や各種処置、段取りがあり、緊張感の持続はこれから先もずっと必要だろう。
また多くの婦人科ガン患者さんは、僕が臨床を離れる事に関して、複雑かつ悲しい表情をしている。何とか僕の我侭を赦してもらいたいが、ターミナルの方も何人かみえるので、さすがに僕も後ろめたさは感じる。
さて話は変わり、今朝起きたらどういう訳か長男が、リビングで一生懸命勉強していた。
そういえば長男は今日が斐太高校の受験日だった。受験の当日朝に勉強しても、今更それほどの差は無いと思うが、僕もそんな経験はあった気はする。朝は暖かく見守って長男を試験に送り出した。
長男の受験に対して、僕は応援らしい事を何一つしていない。肝心の受験日も忘れかけていた位だ。
せいぜい塾の学費を払い、多少の送り迎えをする事が僕の出来る事だが、どこの家庭でもそんなもんじゃないかと心の中で信じよう(実際は違うかな??)。 なお長男の高校受験の合否の結果が出る頃、僕はインドネシア領ニューギニアのジャングルの中を歩いてる。そんな親は確かに珍しいと思う。
更に午後には、小学校からの依頼で、次男の中学入学に際しての思い出手紙を書いた。手紙を書きながら多少切ない気分になる。
今が旬の三男のサッカーも、これから先当分応援できなくなる。これにも相当の未練はある。
もう今僕は、いろいろなモノに、後ろ髪を引かれまくっている。
こんな状況で山に向かう僕は、確かによほどのモンだと思う。僕は今回の遠征で人生リセット感覚を味わいたいと思っているが、これほど下界に引きずっているものが多いと、簡単にリセット感なんて味わえないだろう。
下界に多くのものを引きずったままで、僕は日本を離れる。そしてその分6月の帰国後には直ぐに充実した暮らしが待っている。その事をとやかく言う贅沢は、僕にはとてもできないのだ。 |
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僕が死ぬ確立は・・
朝から太陽がまぶしい祝日となった。こんな山スキーに良い日に何処にも出かけないのは勿体無い気もするが、僕には3日後から3ヶ月間に亘る連続海外登山が控えている。
代務の先生もみえないし、つまるとこと今日は最後の遠征装備準備に励むのが正解だ。
夜中に分娩は一件あったが、優秀な助産師さんの活躍で僕は出動無しで済んだ。おかげで寝不足は無いし、今日の準備は順調に進んだ。昼の時間には病院お留守番を開業医さんにさくっとお願いし、車で松本まで足を伸ばし足りない山道具を買い足してもこれた。
今回の僕の遠征は、ニューギニア島からコーカサス山脈まであっち行ったり、こっち行ったりの蛙飛び登山だ。
装備のロジスティックスも上手く考えないと、途中で装備不足から二進も三進も行かなくなる可能性もある。色々知恵を絞り、またお金も使って、それなりに装備を工面した。
さて話は少し変わり、この手の海外遠征の重要な準備事項の一つに、生命保険加入と言う大事な事項がある。
言わずもがなの事であるが、超高所登山は非常に危険な行為だ。まして僕のしようとしている登山は、高所若葉マークの中年エベレスト登山と言う、あまりに典型的な危険?行為である。
その手のエベレスト登山をカバーする保険と言うのは、利率も悪く、生命保険としては異常に値段が高いものとなるのは当然だろう。世間に存在する生命保険の中で、最も高い生命保険だと言っても過言でないと思う。
さてさて僕の場合エベレスト登山の保険費用は23万円弱だった。驚くべきは、それで死亡しても降りてくる金額は500万にしかならないという事だ。これは事後処理費用を差し引くとほとんど残らない金額と言えるだろう。
仕方が無いとは言え、やはり高い生命保険だなあと思う。
生命保険会社は、過去の高所登山の記録から、多少の利益が出る様にして、シビアに僕の死ぬ確立を計算しこの値段を出しているに違いない。
そう考えると僕がエベレストで死ぬ確立は、500分の23弱。すなわち25分の1という所だ。つまり4%というわけだ。
これを僕は高いとも低いとも思わない。ただこの確立を数学的、統計的に正しい確立だと受け止める覚悟は必要だ。
とにかく自分を信じ、結果この保険費用が無駄?となる事を、ひたすら願い祈るのみだ。今はそうとしか言いようが無い気がする。 |
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クアアルプとのほろ苦い別れ
3ヶ月以上臨床を離れるために、この半年間僕は毎日何らかの準備段取りを続けてきた。
その出発を4日後に控え、準備もいよいよ大詰め最終段階を迎えている。
どんなに減らそうとしても減らない病院業務はそれなりに最後まで僕を苦しめる?が、それでも直ぐ先に出口が見えていると思うと元気が出る。
昨日はそんなこんなで頑張って、何とか早く帰宅できた。そこで子供の塾の送り迎えの合間に久しぶりにクアアルプにフィットネスバイクを漕ぎに出かける。
クアアルプと言うのは、高山を代表する高級ホテル、アソシアの隣に立つ自称?健康温泉施設だ。バブル華やかかりし頃にデビューし、バブル崩壊と共に途端に経営が行き詰まり、一度倒産寸前となった。それをお年寄りのリハビリに使われるという理由で公金投入延命され、現在に至っている。
なお僕はこの施設で、お年寄りがリハビリしている姿を一度も見た事はない。
基本、カップルと家族向けのバブリー施設と言って間違いないだろう。倒産の危機に瀕してから入場料は安くなり、温泉付きの一回利用料は回数券で500円程度である。それでも僕の行く夜間はたいてい施設内はガラガラだ。
これは先行き暗いぞという雰囲気漂う施設なのだが、僕はそういううら寂しい施設が何故か好きで、大体週1回のペースで、運動不足対策にせっせと利用していた。
ところがこの施設もついにこの3月一杯で廃止が決まった。
理由は施設の老朽化に伴う改修資金不足で、来るべき時が来たと言うイメージだ。なお数年前には何故か沸き起きたクアアルプ存続署名運動は今回は全く無い。現状を見ればこれは仕方ない事なのだろう。
と言う訳で昨夜は多分僕のクアアルプ利用最終日になるだろうと思い、ややメランコリック?な気分でクアアルプに向かった。もちろん余った回数券の払い戻しも要求する。
ところがまず回数券は4月じゃないと払い戻せないと受付で言われた。なお4月に僕は日本にいる予定は無い。ちとつまらん話だ。
金額は全く違うが、どこぞのバブリーな破産ゴルフ場会員権みたいなものだと、思ったりする。
更に、さすが廃止寸前施設らしく閉館時刻も早まっていた。その結果バイク漕ぎによるワークアウトはどこか中途半端な形で不十分になる。
だからどうと言う訳ではないが、そんなほろ苦いクアアルプとの別れを、なぜか妙に悲しく思う僕なのでした。
いつも空いているフィットネスルーム。ここで流した汗も思い出と共に消えます(なんてね)

回数券払い戻しは4月のみ。閉鎖施設の世知辛さなのでしょうか
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働きすぎなの老化なの
昨日は代務医のいない日曜日だった。とはいえ運良く深夜の呼び出し電話無しで済む。各種問い合わせはあったが、お陰で寝不足感は無い。
今日は朝一番で職員健診があり、外来前に病院健診センターでメタボ健診を受けてきた。普段は検診する側なのだが、たまには検診される側に移る事も重要だ。
癌家系の家庭に生まれた関係上、僕はメタボ健診より、どうせなら胃カメラや大腸ファイバー、全身CTなどの検査を受けたいと思う。とはいえこれらの検査項目はお上が指定した健診項目なので、どうやら自分勝手に変えれないらしい。
僕の場合さすがにメタボの心配は無いのだが、今日の健診で気になったのは右目視力が急に衰えていた事だった。
僕は中学生の時に強度近視のため、不本意ながら眼鏡男になった。
その後20歳くらいまでは乱視も加わりどんどん視力が悪くなる一方だったが、20代あたりからは視力悪化も下げ止まり、この20年以上悪いなりに視力の変化は無い。
ところがこの半年間で、急に右目の矯正視力が1,2から0,6に落ちていた。どうもこれは気になる結果だ。
さて今日の仕事も何時もながらに大変だった。外来の最中に突然の検査と要注意分娩が入る。
外来終了後には入院患者さんに対するやや難しい処置2件に往診、一休みする間もなく近所の開業医さんから緊急手術の手伝い依頼が来て出動。更に分娩がもう一件追加されれ病棟回診もある。息つく暇無い仕事の時間がひたすら続いている。
さてさて今回の視力悪化の原因は果たして何だろうか?
やはり最大の原因は、暗い穴の中をひたすら覗き込む僕の仕事にあると思う。しかし単なる老化という説もある。もしかしたら高所登山対策のコンタクトレンズ装着手技が関係してるかもしれない。
このまま特別なトラブル無くば、僕はこの土曜日から約3ヶ月間臨床を離れる。その間暗い穴の中を覗き込む事はしないで済むだろう。
仕事から一時でも離れる事で、慢性の肩こり、背部痛が治り、体脂肪率も各段に減り、視力も回復する。そんな理想的なパターンを少し期待しているが。それはちと甘すぎるだろうか。 |
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想像するだけでワクワクします
一週間後に12年ぶりの海外出発を控え、まあまあ好天の週末が来た。
ある意味この土日は山スキービックデイとなる可能性もある素敵な週末だ。とはいえ今週末はさすがに代務の先生は誰も高山に来てくれていない。
これから先3ヶ月間も日本を離れるといのに贅沢ばかり言ってられない。この土日は仕事と装備確認などで時間を過ごそう。
もちろん各種仕事もあり、昨夜も寝る前に一回分娩出動を要した
。その他心配な入院患者さんもいるが、優秀な看護師さんらにできるだけ仕事を任せて僕は楽をする。こういうのも、僕がいない間、仕事を上手く回すためのリハーサルだと言えなくもない。
とういわけで様々な準備、雑用、家族サービスetcで、この週末は過ごした。10数年ぶりの埃被った昔の装備を引っ張り出し、乾かしてまた使おうと、入念に装備チェックを繰り返す。
さすがにエベレスト頂上アタック時に使う装備はほとんど新品で揃えたが、それ以外はできるだけ従来の装備を繰り返し利用し、少しでもかかる費用を節約しようと努める。
土曜の午後には装備チェックの一環で、エベレスト頂上アタック時に使う予定の装備を身に付けてみた。まるで宇宙服のような感じだ。これだけの装備を身につけるだけでも楽でない。
本番ではこの上に、低酸素、低気圧、低温等の各種悪劣な環境が加わり、酸素ボンベも身に付けなければならない。これは大変な事だぞと改めて思う。
しかしこれも好きでやる事だ。僕には今まで経験した事の無い新鮮な時間がこれから待っている。こんな格好でエベレスト頂上稜線を歩く自分をイメージすると、心が躍りワクワク感が否応無しに高まってくる。
着ているだけで汗が吹き出るモコモコ装備

果たしてどの靴でどの山を登るのでしょうか?
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税金はきっと行ったり来たり
昨日も一日中様々な訴えを聞き続けて、更に重症患者さんの診察や、各種処置、検査に追われ続けた。手術事無いものの仕事が一段落着いた時には、脳内ドーパミンを使い切った様な感じがして、疲れがジワリと体から溢れだす感じだ。
もし僕が日本を離れた後でも、これだけの患者さんが押し寄せたら、代務の先生はとても一人で診察しきれないと思う。
下手するとこれは危険な状況だ。とにかく今の僕は、何とか少しでも一時的に患者さんを減らし、かつ落ち着かせるよう、あの手この手を毎日模索している。
さて僕が日本を離れている2月中旬から6月始めというのは、いわゆる日本では年度代わりの時期といえる。保険更改や税金の各種手続き、多方面から各種アンケートが届くのもこの時期だ。僕がいない間これらの事は、ほとんどおざなりになる。
その多くはそれほど重要と言えないだろうが、中には重要なものもある。何か手続き関係で忘れ物が無いかと気が気でなかったりする。
そういえば確定申告もこの時期とちょうどぶつかる。ところが確定申告の2月16日から3月16日の間、僕は完全に海外で過ごす。
仕方が無いので昨夜疲れて回らないボンヤリ頭で、送られてきたばかりの確定申告書を作成しておく事にした。
そしたら例年なら多少の還付あるはずの税金が、計算上今年は申告納税が必要となってしまった。
何がどうしてこうなったかは良く分からないが、複雑怪奇、意味不明、魑魅魍魎の税金制度の中で、真面目で正直な僕が節税できる要素は、僕にはとても分からない。
というわけで僕は日本にいなくても、郵送や振り替えを利用し、源泉徴収に更に追加で税金を払わないといけない。
エベレスト登山で文無しになる予定の僕としては、これは痛い出費だ。国会では今、定額給付金の議論が盛んだが、このままでは定額給付金も生活の充てにしないといけないだろう。
世の中の制度には無駄が多すぎる。定額給付金はいいから、税金を簡潔にかつもっと安くしてくれよというのが、僕の本音だ。
税金はきっと行ったり来たりするものだ。僕は高い住民税を払っているが、市はその税金で産科医確保の予算を付けてくれた。学生時代には、大学医学部で、道楽学生の僕に多額の税金を使ってくれた。
その後散々働いて、それなりのお返しを社会にしていると思うが、税金を払う事について文句を言う事は無い。
ただ、世の中の仕組みや成り立ちが、だんだん分かる年になってきて、ちっと公金の使い方には無駄が多すぎると思う。できればこれからは払った税金分くらい、世間にもっとコミットしないとと、確定申告書を書きながらマジに思っていたりする。
こういう応援には感謝してますよ
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長男からのプレゼント
久しぶりに分娩室からの電話で朝が始まった。昨日より残った要注意分娩の方の心拍が下がり、緊急手術が必要との連絡である。今日の外来も間違いなく混む。外来と手術がぶつかるとそれは100人近い患者さんに大きな影響を与える事となる。もちろんその後のしわ寄せも大変だ。
僕が日本を発つまでに、僕の残された外来は今日も入れて後5回だ。
一日外来をずらすと、夏の帰国後まで受診できない患者さんも現れるだろう。中にはシリアスな問題を抱える患者さんも多い、一人部長の僕には、一日の外来でもしわ寄せ吸収できる余裕は無い。
何とか緊急手術は外来終了後になるように、上手い事指示を出してから急いで病院に向かった。
外来は予想通り猛烈に混んだ。その間運良く分娩が予想以上に進でんでくれる。
何とか経膣分娩可能な状況になってきたが、ちょうど外来の真っ最中に胎児心拍が下がり出した、大至急で吸引カップをかけてくれと言う連絡が外来に入る。
待合室に溢れかえる患者さんを待たせた状態で、急いで分娩室に向かい押したり引いたり何とか分娩させた。これで緊急手術は避けれたが、会陰裂傷も大きく縫合には時間がかかる。
疲れて外来に戻ると待ちくたびれた多くの外来患者さんが一斉に振り向いた。まだまだこれから先に続く仕事を思うと、中々辛い瞬間でもある。
こういう事は産婦人科では日常の出来事だ。とはいえこういう暮らしを延々と続けていれば、さすがに誰でも勘弁してくれと言いたくなるに違いない。もう少しでこういう暮らしともしばし離れる事が出来る。
その後も山での戦いの日々が続く訳だが、強烈な高所体験できっと人生リセット感覚は味わう事ができる気はする。
さてさて僕が日本を離れている期間は約3ヶ月半だ。これを僕は決して長いとは思わないが、僕の子供等にはこの3ヶ月間は相当長いに違いない。
最初に僕がエベレスト挑戦すると言った時、子供等は総じて「そうか頑張れ」と言う顔をした。
次いでその為に3ヶ月間自宅を離れると話したら、今度は彼等の顔が一斉に凍りついた。それはそうだと思う。
長男にはこの春高校受験がある。次男は中学進学。三男にはサッカーの戦いに転校問題も無い訳ではない。
子供等はそれぞれ難しい課題を抱えている。しかしそれでも僕は行く。彼等の前で、僕は決してひるむ姿を見せてはいけないと思っている。
そういう中長男が乏しい小遣いから、僕に本を買ってくれた。
三浦雄一郎の冒険家という本で、75歳エベレスト挑戦の姿がかなり克明に書かれている。特に次男の超高所からの奇跡の生還が強烈だ。
僕のエベレスト挑戦は、当初チベット側からだったが、先週急遽ネパール側からの登山に変わった。ネパール側登山の状況が書かれたこの本は、きっとかなり役立つに違いない。
この本は子供が親に買ってくれた人生最初のプレゼントだ。もしこの本のお陰で僕が生きて帰れたら、子供等にどれほど感謝しても感謝しずぎるという事は無いだろう。
今の僕にこれほどリアルな本も少ない。心して読もうと思う
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もう何でもありです
遠征準備と仕事の追い込みに追われて、アップアップの日が続いている。
欲張りの僕は登山ではカルステンピラミッドとメラピークとエルブルースとエベレストの準備を同時に進め、仕事では未だに多くの分娩や処置をこなしている。
今日も秒単位外来に、各種処置、更に経過中の要注意分娩の方もいる。というのにちょっとの隙間を見つけて、農協や郵便局、ドラッグストア、100円ショップ、大型家電店等も回ってきた。
自分で言うのもなんだが、多くの楽しみな登山を目前に控えて、今の僕は相当ハイテンション状態にあると思う。
さてさて昨日は夜中の時間に、遠征に持っていく薬品整理を自宅で行った。
今回は僕にとって初めての、そしておそらく最後の超高所登山となる。8000mを越えた事すら一度も無い中年お父さんがエベレストに登ろうと言うのだから、はっきり言って不安だらけだ。客観的に言ってかなりの冒険と言えるだろう。
という事もあり、今回のエベレスト登山はもう何でもあり状態となっている。僕も若い頃はシェルパレスやら無酸素やらそんな登山に憧れたものだが、今はすっかり身も心も変わった。
もう酸素ボンベでもシェルパでも固定ロープでも、安全な登高の為なら何でも使う。
その一つに高所順応に役立つ薬品というのがある。具体的にはダイアモックスという利尿剤、ACE阻害剤やカルシウムブロッカーと言う降圧剤、血をさらさらにする低用量アスピリンなどだ。
僕は高所の怖さもそれなりには知っている。もちろんこの手の薬品は皆用意した。
岐阜のMisao先生に協力していただき、できれば使いたくは無いがステロイドや強心剤、鎮痛剤系の注射薬も用意した。
ここまで来るとほとんどドーピング登山という話もあるが、高所登山の厳しい現実の前にはそんな事気にしていられない。もう何でもありなのだ。
あと4ヶ月後にはこれらの登山も全て終わっている。その段階で自分が五体満足でいられるか、元気に健康に歩いていられるか、そして気持ちよく仕事復帰しているか。
それは僕の人生の究極の大問題であるのだが、もうやれる事やって後は天に祈るしかないのだろう。
できれば使いたくは無いですが・・・
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知覚過敏もあります
エベレスト及びその高所順応プレ登山の準備が嵐の大詰めを迎えている。エベレスト登山ルートはチベットの政情不安定を理由にネパール側からの登山に変更になった。
それに伴い登山にかかる費用も変わり、準備にも多少の違いが出る。とはいえ僕は北からでも南からでも大丈夫の様に、気持ちを準備していた。きっと事故さえなくばどちらからでも山と向き合える心構えはできていると思う。
さてさてそういう高所登山に備えての準備の一つにデンタルケアというのがある。僕は昔から甘い物好きで、仕事の合間や疲れた時に、ほとんど毎日チョコレートを食べる人間だ。というわけで年がら年中虫歯が耐えない。
登山の最中に虫歯が悪化したら大変だ。歯が痛くて山に登れませんでしたじゃ、洒落にもならない。
そういう事で僕は今時間を見つけては近所の歯医者通いを繰り返している。5日間をかけた歯垢取りが一段落して、今は知覚過敏の部分に薬を塗りつける治療中だ。
結構流行っている歯医者で、一回通院するのにそれなりの時間もかかるし、お金も馬鹿にならない。
しかもこれで登山中に虫歯にならないという保障は無いのだが、それでも背に腹は変えられない。
準備大詰めとなっても僕は歯医者通いをギリギリまで続けなければならないだろう。歯を削ると共に、ただでさえ少ない準備時間も削られている感じがして、気が気でなかったりする。
僕には今山ほどやる事はある。装備とか資金繰りとかの事意外にも、仕事上の段取り、住民税、所得税、健康保険、年金、登山の保険、旅行の保険、家族の生活費等々、もう数えられないくらいだ。
準備と仕事のストレスで歯を悪くして、知覚過敏で歯医者通いというのも冴えない話だ。とはいえ何か一つ人と違う事をやろうと思えば、そこには大変な苦労が伴うのは当然だ。
また一つの事をしっかりできる人間は、また幾つモノ事もしっかりできる。
そう思いながら、決して逃げ出さず、最後の準備の詰めを誤らない様にしたい。 |
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いつまで続く泥るみぞ
昨日は午後に手術が2件、それなりに緊張を要する手術だったが、それ程の寝不足手術では無かった。軽い二日酔いを感じながらも、手術自体は問題なくこなす。
いちおうこの2件の手術を済ませたら、14日の日本出発まで僕には大きな予定手術は入ってない。各種処置や分娩はたくさん残っているが、もし緊急手術が入ってこなければ、これで僕はエベレスト登山後まで手術しないですむ。
これはやはりそれなりの開放感があった。昨日2件目の手術が終わり閉腹に入った時には、肩の荷が軽くなった様な開放感をじわりと感じた。
今日は朝からひたすらの外来が続く日である。僕がしばらく仕事を休むという事をどこかで知ったのだろう。多くの駆け込み形の患者さんが受診された。
中には手術が必要な方もいるが、今更手術を組む時間的余裕は僕には無い。何とか僕の帰国後まで手術無しで持たせる様、あの手この手の工夫をこらす。
猛烈な秒単位外来の合間には、分娩や各種処置も入り込み、今日も相当に忙しかった。前後の状況を何も知らない代務の先生が、いきなりこれと同様の仕事をせよと言われても絶対にできないと思う。
今はとにかく、僕の不在に備えできることなら外来患者さんや入院患者さんを徐々に減らして行きたい。
ところがそんな考えは全く甘くて、今日も外来はあまりの慌しさに患者さんも笑ってしまう(もちろん秒単位診察に不服そうな方の方が多いですが・・)ほど混み、病棟には要注意の患者さんが多く入院していた。
どうやって上手く代務の先生方に引き継ぐか、世の中には不可能な事もあるわけで、やはり心配はある。昨日の閉腹時に感じた開放感を味わうのは、どうやらまだ早すぎる様だ。
あと日本を発つまで実質10日残すのみとなった。僕は今、公私共に焦りの塊みたいなものかもしれない。
看護師さんの中には「先生これから長いこと休むんでしょ。私等は休めないのだから、先生は仕事しなさいよ」とおっしゃる方も見える。ところが様々な事情を知る僕には「世の中そんなに単純でないよ」と反論したい気もする。僕は普通なら看護師さん以上に休める訳は無い状況なのだ。
とはいえ今はじっと我慢して、プッツンせず、何とか少しでもスムーズに事を進め準備していくしかない。それが唯一無二の選択肢に違いないのだ。 |
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子供は走り、親は飲む
この土日は三男の少年サッカー大会(城西招待)が岐阜市内の河川敷サッカー場で開かれ、そのお世話で岐阜まで出かけていた。三男の所属する高山FCの保護者の一員として、、少年サッカー観戦を楽しんでくる。
土曜の夜はサッカー選手の子供等と共にグリーンプラザというスポーツ者用宿泊施設に泊まったが、もう既に何度も泊まりの遠征サッカーを経験している子供等は、もう十分自分の事は自分でできた。
父親の僕に、子供らの面倒見る必要はほとんど無い。試合以外の時は、親さん、監督、コーチらとひたすら酒飲んでばかりいた気がする。
一方子供等は、生活態度が駄目だったり、試合で思惑通りのプレーが出来なかったりしたら、即退団とか途中帰宅を命ぜられる。それが怖いのか元々なのか、もう皆真面目で良い子ばかりという感じだ。
喧嘩したり悪さしたりする子はいなくて、試合が終わると、風呂入り、飯食って、反省ノートを書くと、騒ぐ事も無く速攻で寝てしまっていた。
その一方親さんらは、夜遅くまでうるさく飲んで夜更かしだ。朝起きるのも子供たちの方がよっぽど早くて、親さんは飲みすぎで疲れていたりする。
試合の方でも子供達は寒い中良くがんばって、一日目は3勝1敗、2日目は2勝1敗1分けと、まあまあの良い結果を出してくれていた。
というわけで高山帰宅後も親さんらは、子供等の成果と成長を祝って2日連続の祝杯?となった。
一方肝心の子供等は家帰って、祝杯ならず宿題となる。
小学校5,6年生ぐらいの子供等は、社会性というのが芽生えて、実に保護者や監督コーチ等のいう事を良く聞く。
一方その親さんらは、だんだん立場も上になり、そろそろ社会性が失われてきて、自分勝手の行動をしたりする。その際たるものが自分の海外遠征なのだろうが、そんな事を思って少し複雑な少年サッカーの週末なのでした。
子供たちはひたすらに走ってました

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