2009-04-08
■謝罪という名の押し売り
昨日どうしても新しいiPhoneが必要になって、朝ソフトバンク 本郷三丁目店に注文したら、まてどくらせど登録が終わらない。
在庫がないのかと思ったらあるというし、だめなら他の店で買うと言ってるのに「今日中にできますから」と引き止められた。
イライラしながら待っていると、夕方になって「操作をミスしたので手続きがやりなおしになる」と言われ、気がついたら閉店してた。なんだそりゃ。
「もういい、これからヨドバシ行って買う!」
と言うと、「10分まってくれればできます」と言われたが「8時間待ってもできないものが10分でできるとは思えないのでいりません」と言ってそのままヨドバシへ。
8:35にヨドバシに行ったら8:30以降はソフトバンクの受付が終わっているので今日中には渡せないと言われ、仕方が無いのでiPod touch 2Gを買い、会社に取って返して必要な仕事をした。
それで今朝、会社にきたら、新品のiPhone 3Gが置いてある。
「なんだこれは?」
と言うと、
「さはほどソフトバンクショップ 本郷三丁目店の方が謝罪に見えて、キャンセルできないのでということで置いて行きました」
と言う。
キャンセルできないなら昨日の段階で言うべきだし、いまや僕にはいらないものだ。
謝罪にきて押し売りするとかどうかしている。
それぜんぜん謝罪じゃないよ。
謝罪文みたいなものを渡されたが、えんえんと「ソフトバンク本部のせいで契約できなかった」理由が書いてあり、最後に「申し訳有りませんでした スタッフ一同」と締めくくられている。
あのな、結婚式の祝電じゃあるまいし。スタッフ一同はないだろう。
とにかくいらないので、ソフトバンク本郷三丁目店に乗り込んで「店長と話したい」と伝えると、奥から若い店長が出て来て、「昨日できないといったからキャンセルしたのにいまからもってくるのはおかしい」と伝えたら「なんのことですか?」と言われてさらに頭に来る。
現場が勝手に謝罪文を書いて、勝手に端末を押し付けようとしたということなのか、それともしらばっくれているだけなのか、全くわからないけれども、どちらにせよ、そんな対応はあり得ないだろう。
「キャンセルはできませんよ。キャンセルしたければキャンセル料を払って下さい」
などと平然とのたまう。
いやいや、おかしいから。端末が契約出来ないって言ってたのはそちらの都合で、その日のうちにできなければいらない、というのは伝えたはず。
おかしいと思って汐留のソフトバンクに電話したら「法人でも2時間程度で契約出来るはず」と言われた。
うちの会社はこれまで100台以上の端末を買ってきたが、こんな話は前代未聞だ。
ドコモショップ馬喰町店は新発売の端末であっても発売日の当日に持って来てくれたし、KDDIだってどんなに時間がかかっても2時間もあれば手に入る。
やっぱり携帯端末を買うならヨドバシカメラみたいな大きい家電量販店か、iPhoneの発売日に行列ができるような大手のソフトバンクショップでないと安心して買えないようだ。
携帯電話を売ってる人は真面目な人も多いのに、たまにこういう対応をされると本当に業界に失望する。
ちなみにいわゆるソフトバンクショップというのは、代理店が経営しているのであってソフトバンクが経営しているわけではない。
彼らはソフトバンクからブランド使用許可をもらって経営している個人事業主に過ぎないのだ。
だからそれぞれの代理店は独立した会社になっていて、もちろんその中には大きくてきちんとしている会社もあれば小さくてデタラメなところも残念ながらいくつかはあるわけだ。
ところが僕ら消費者からしてみたら、代理店か直営店かなんて解らないから、ソフトバンクの対応が悪いんだと感じてしまう。けれどそれは誤りである。
これはソフトバンクだけでなく、ドコモもauも一緒だ。
だから、会社の規模でいえばヨドバシカメラの方が街のソフトバンクショップよりずっと資本的にも人材的にもちゃんとしていると思う。
ソフトバンクのお客様窓口に電話したら、きちんと対応してくれて、代理店との交渉もしてくれた。
これを読んでいるほかの人も、代理店の対応が悪いから問いってキャリアを嫌いになったりせずに、なにかあまりにも理不尽なことを言われたら、キャリアのお客様窓口に直接言うのがいいと思う。
その方が建設的だし、あまりにもひどいことをしていたら、その代理店はキャリアから認可の取り消しをうけたり、報奨金の扱いが厳しくなったりという制裁を受けるので、理不尽な対応に泣き寝入りするよりはずっといいと思う。
代理店か直営店が見分ける方法のひとつとして、たとえばそのショップの正式な名称を調べてみると「
株式会社○○ ソフトバンクショップ ○○店」となっていたりする。
でも名刺もややこしくて、たとえば今回もらった名刺は「ソフトバンク 本郷三丁目」しか書いてない。
株式会社もなにも書いていないのは、ソフトバンクの社員ではないということだ。
幸い、僕はソフトバンクの社内にも昔からの友達が沢山要るし、電話業界が長いので悪いのは代理店だとすぐに理解できるし、「どうすればいい?」と相談もできるけれども、一般の消費者からしたら紛らわしいのだ。
一部の行き届いていない人のせいでキャリア全体が嫌われたり、ひいては業界全体に不信感を抱かれたりするのは一業界人として大変残念だ。
2009-04-07
■iPhoneとクルマ
iPhoneのカーアダプターを試してみました。
なかなかいいマッチング。
こんなふうにYoutubeでビデオを流しながら走行できます。
横画面にすると文字も大きくなるので、クルマと組み合わせた新しい使い方があるような気がしています。
ラスベガスのタクシーに乗ったら、運転手さんがカーテレビがわりにiPhoneをこんなふうに使っていました。
GoogleMapがあればカーナビにもなるし。
アメリカではカーナビがぜんぜん普及していないので、カーコンピューティングの分野は未開拓。
だから実はiPhoneOS 3.0の「カーナビ機能対応」は多くのアメリカ人にとって福音かも。
一人一台の国だから、実は凄く面白い可能性があるのかもしれません。
2009-04-06
■エミュレートするな。イノベートせよ。
先日、近藤君と話をしていて、ふと彼のiPhoneのホーム画面を見たら腰が抜けそうになった。
真っ白だったのだ。
iPhoneのホーム画面の背景はブラックで統一されていて、販売されているアプリのアイコンというのはどれも工夫がこらされている。
だから普通の人は真っ白になることは有り得ない。
けれども開発中のアプリでまだアイコンを設定していないと、真っ白いアイコンが表示される。
彼のiPhoneは8ページ中6ページくらいが真っ白いアイコンで埋め尽くされていた。
それだけ大量にいろんな実験をしているということだ。
いろんなコードを書いてみて、それから考える。
暇さえあればコードを書いている。
こういう人がイノベーションを起こす人だと思う。
彼はとにかく「なにか面白いものを造る」ということに常に情熱を傾けている。
彼が僕に作品を見せにくるのは、そうして造られた無数の試作のうち、本当に自信のあるものだけなのだ、と思った。
その昔、僕が崇拝しているイギリスのゲーム会社PSYGNOSISがWiredで特集されたとき、そのタイトルは「エミュレートするな。イノベートせよ」だった。
その日本語としての座りの悪さに「もっといい訳はないのか」と思ったけれども、その言葉はその通りだと思った。
なによりPSYGNOSISらしい言葉だ。
優秀なプログラマには二種類居る。
イノベートする人と、エミュレートする人。
また別のプログラマの話をしよう。
昔、僕とコンビを組んでいたBio_100%のtarboは、会社ではほとんど仕事をしなかった。
けれども一日の大半はコンピュータの前に居て、毎日なにかを造っていた。
そうして造られた「なにか」は、たとえばWindowsに常駐してマウスカーソルの移動量やキーのタイプ数、バックスペースの押下数を計測してネットに繋いでグラフ化するプログラムだったり、自分たちが歌った歌や写真やビデオといったものを諸々突っ込んでWeb共有できるマルチメディアデータベースだったり、自宅にあるCSチューナーとビデオデッキをコンピュータに接続した赤外線リモコンで遠隔操作して、キャプチャしたテレビ番組を自動的に会社に送信するシステムだったり、インターネットで画像を次々と検索して額縁に表示するソフトだったりした。98年のことだ。
彼の「発明」の数々はあまりにも膨大すぎて網羅することはできないが、そうした発明の数々は仕事の役には全く立たなかったけれども、彼はひとたび仕事をすれば瞬く間に終えてしまうスーパーマンだった。
よくヒューレットパッカードの15%ルール、Googleの20%ルールの話が出るが、彼の場合、95%は自分の好きなものを造ることに費やされ、仕事をしているのは5%くらいの時間だった。
いや、もっと少ないかもしれない。
それでもなんとなく帳尻があってしまうのだから凄い。
そのあとコンビを組むことになった布留川君も、そういうタイプだ。
tarboほど多作ではないが、気がつくと本が出来ていたり、コンテストで優勝していたり、面白いプログラムを書いていたりする。
tarboの凄いところは、作るモノが、たとえどんな間に合わせのものであろうと、統一された美学があることだ。
画面は美しく、楽しく、なにより全て造った本人が一番楽しめる発明だった。
彼は自分で造ったソフトを誰よりも使っていた。
プログラムを書くときもメールを書くときも自分で造った「キーボード入力支援ちゃん」を多用した。
いずれ時間が経つと、たとえば画像検索というタブがGoogleに搭載されたり、ビデオデッキを預かって内容をインターネット送信するサービスが登場したり、予測変換が標準で採用されたりといった変化が起き、時代がtarboのスタイルを追従してきたことは多い。
もちろんtarboの発明品の数々は門外不出だったから、それらは誰かが同時に考えついて同時に展開していたのだと思うけれども、tarboが自分を楽しませるために造った発明が結果的に時代を先取りしていたことは興味深い事実だ。
僕はtarboの発明品に刺激され、いくつかソフトを造った。tarboと一緒に働いているときが僕にとっても一番多作な時期だった。
tarboの発明に比べると僕の発明は凡庸でつまらないものだったが、僕らは競うようにプログラムを書いて行った。
その時期の最後の発明が、「携帯電話で遊べるゲーム」で、結果的にはそれが二人の仕事になってしまい、結果的には会社の本業も変えてしまった。そういう「儲かる解」に行き当たらなかったとしたら、tarboがどんな発明を続けていたのかとても興味がある。
実を言うとドワンゴを去る時に一番残念だったことの一つは、tarboの発明品の数々をもう見れなくなってしまうことだった。
彼のような人の場合、経済的な成功とは無関係に、自分が作り出すものと、自分の環境にしか興味が無い。たとえ世界中の誰もtarboやその発明品を知らなかったとしても、僕は彼を認める。偉大なプログラマだ。
あの頃を思い出すと、今の僕は頭でっかちに考え過ぎているような気もする。
それは僕が経営者になってしまって、発明のリスクを考えなければならなくなってしまったからだ。
投資と、効果。
経営を前にすると、どうしても「広まる発明」「お金になる発明」を無意識のうちに求めていた。
いつのまにかそうなっていた。
けれども自分でも「そうか」と思ったのは、先日大手ベンチャーキャピタルの担当者と面談をしたときだ。
「御社は我々のようなベンチャーキャピタルの投資マネーを一切受け入れない方針でやられていますね。それはなぜなんですか?」
「なぜなら僕らの考える仕事というのは、お金さえあればできるというものではないからです。また、VCの資本が入ると、期限を切られてしまい、さらに日本の株式市場に上場すれば、年率20%の成長を求められます。しかし、そういったやり方で成長して行くのは本当に大発明があったときだけです」
「いまやられている事業でもいくつか特許をとられているじゃないですか」
「でもそれは単なる発明であって、大発明じゃないんです。大発明というのは、もっと爆発的に広がるもののことです。そのときは、その瞬間から儲かってる訳ですよ」
「垂直立ち上げということですか。そうなると確かにVCは必要ないですね。けど、それをなだらかな成長曲線にすることはできないんですか?」
「今、本業としてやっている事業を無理に拡大しようとすれば、逆に本業が中途半端になってしまいます。VCから資本を受け入れると、それは上場を約束したということですから、上場のためのコストが掛かります。そのせいで既存のお客様に迷惑をかけては本末転倒だと思います」
「ではどういう成長戦略を描かれているのですか?」
「本業をしっかりやりながらも、宝探しは続けるということです。本業をしっかりやりすぎて宝探しをしない、というのは、将来を見誤ります。それは結果的に会社としてもお客様にも迷惑をかけてしまうことになる。宝物は掘らなければ絶対に出てきませんから、掘り続けます。掘り続けていると、副産物も沢山でてきます。そこから将来を予想したり、本業の方向性を決定づけたりすることもできます」
「そういうことをするには資金が必要じゃないですか」
「いまのところは、別に必要ないと思います。生きて行くのに充分なお金があれば、僕はたとえ一人ぼっちになってしまっても、考えることをやめたりはしません。それで残念ながら、僕と僕の会社は一生大発明ができなかったとしても、僕はそれで満足なんです。日々の発明で出会う新鮮な驚きが僕の宝物だからです」
ホンダの原付バイク、ソニーのトランジスタラジオ、どちらも小メーカーが時代を変革させた大発明だ。
僕はそういうものをいつか発明したいと思っていて、だから「世界に広まるもの」「お金になるもの」を求めていると言える。
僕がiPhoneを積極的にやっているのは、それが最先端の戦場だからだ。
ソフトウエアの大発明が爆発する可能性を秘めた、3.5インチのフロンティアなのだ。
iPhoneという発明は、かつてのソニーにとってのトランジスタに匹敵するかもしれない。
けれども僕が本当に造りたいものはもっとずっと、未来のもので、それはおそらくもっと画期的なものだ。
僕にとって短期的なビジネスは重要だけれども優先順位は高くない仕事で、実際に重要なのは「いつか見つかるかもしれない凄い宝物」を探し続けるということだ。
iPhoneが登場するまでの間、僕は5年くらい手探りの状態が続いた。
とりあえず造った小さな発明品であるUBIMEMOで糊口をしのぎ、受託開発で食いつなぐという苦しい時期も、フルブラウザを携帯電話で造ったりした。商売は考えてなかったから、無料でスタートして、今も無料のままだ。
ブラウザなんかで課金しても、そこで得られる利益なんかたかが知れているし、実際にはサポートしたり苦情に対応したりする方がずっと大変だろうと思った。
無料のフルブラウザは僕らの上げたアドバルーンだ。
三日で作り、一週間で仕上げた。
それを見てやってきた太田君(id:kzk)は、レンダリングサーバをゼロから書き換えた。
この頃、ベンチャーキャピタルの方々も山ほどやって来られた。
けれども、ケータイ用のフルブラウザで上場を目指す気は全く無かった。どうせすぐにもっと良いものが出ると思っていた。それが「ケータイ」ではなく、iPhoneだということまでは、さずかに解らなかったけれども。
あのときは命拾いをしたと思う。
もし誘惑に負けて、VCから資本を受け入れていたら、上場ブームでもあったから上場するくらいは確実にできただろう。けれども、そのあとのことを考えるとゾッとする。
若くて優秀なプログラマ達を、ケータイ電話でパソコンのエミュレートをするという後ろ向きな仕事に投入し続けなくてはならなくなっただろうからだ。
あの頃、わんさかとやってきたベンチャーキャピタルの人たちは「フルブラウザで上場しましょう」なんて無責任に煽って来た。彼らにしてみれば上場さえすれば株主や会社のことなんか関係ない。株をさっさと売っぱらって、あとはゴミクズのように朽ち果てて行くのを見ていたっていいわけだ。
僕は自分の発明にそれほど自信がないから、いわゆるシリコンバレーのベンチャー企業みたいに「単騎流し買い」は出来ない。
僕は自己愛が凄く強いから、自分とその仲間達が造った発明品への執着が抜けなくて、会社をもっと大きい会社に売り払って悠々自適な生活を送る、なんてこともできない。
それに、ソフトウエアの世界ではトランジスタや青色ダイオードのような解りやすい大発明というのはなかなかうまれにくい。
実験を繰り返して壁を乗り越えるという感じではない。
出たとこ勝負のところはある。Twitterが成功した理由と、Lingrが成功しているとは言えない理由をどうやって論理的に説明できるのか。
僕はLingrはいいと思った。けどTwitterに負けてしまったと思う。
あとからならなんとでも言える。けど、トライしたエジケンは偉い。
大事なのは、次にどうするかだ。
僕はエジケンほどの度胸はないから、あんな凄いものを造ったとしても、そこに社運を賭けるなんてことはできない。
だからこそ、多作でなければ宝物を掘り当てるのは難しいだろうと思っている。
とりあえず造って、良さそうなら世に出してみる。
その繰り返し。
「儲かる」というのは世間に認めてもらえる、ということでもある。
けれどもそれは結果であって僕の求める目的ではないのだ。
だからベンチャーキャピタルの人たちの考え方とは相容れる部分が少ないのだ。
けれども、経営者としての僕がやっていることと、ベンチャーキャピタルがやっていることは、本質的には同じことである。
いくつか有望そうなテーマを見つけ、予算を割り当て、事業化の方法を探る。
ひとつだけでは心配だから、平行していくつも造る。ベンチャーキャピタルがポートフォリオを組むように、僕は事業のポートフォリオを組むわけだ。
経営者としては、会社が儲かり続けなくては困る。
儲かった利益の部分で発明をするわけだから、そもそもの部分では利益を出さなければ行けない。
トータルでいくら利益がなくなったとしても、株主と役員に対してそれは投資だと説明できる。
それから盛田昭夫の「メイド・イン・ジャパン」を読んで、唸った。
苦心の末、国産初のテープレコーダーを発明したときの話だ。
けれども最初は全くと言っていいほど売れなかった。
MADE IN JAPAN(メイド・イン・ジャパン)―わが体験的国際戦略 (朝日文庫)
- 作者: 盛田昭夫, エドウィンラインゴールド, 下村満子
- 出版社/メーカー: 朝日新聞社
- 発売日: 1990/01
- メディア: 文庫
「製品は、それ自体がどれだけ画期的だったとしても、売れるとは限らないのだということを、井深さんと私は思い知った」
このとき、プロフィールから推定すると、盛田昭夫29歳である。
テープレコーダー開発のいきさつは、ソニーのWebにも掲載されている。
http://www.sony.co.jp/SonyInfo/CorporateInfo/History/SonyHistory/1-02.html
Sony Japan|Sony History 第1部 第2章 これだよ、我々のやるものは
あまりにテープレコーダーが売れないので、盛田昭夫は自分は発明をやめて販売に専念することを決めたという。
「発明なら井深大という天才がいる。彼の発明を世に認めさせるのが自分の使命だ」
と、盛田は思った訳だ。
井深大は、当時42歳くらいだから、テープレコーダーという大発明をするに至るには、相当な熟成が必要だったのだと思う。
彼はこのテープレコーダーを売るためにいろいろな場所を渡り歩いた。
戦後の混乱期でもあったから、前向きな仕事をしている人は少なかったのではないかと思う。
裁判所がテープレコーダーを買ってくれて、ようやく商売として帳尻があった。
盛田と井深ですら、テープレコーダーを造るためには番頭を説き伏せなくてはならず、当時の東京通信工業(今のソニー)は盛田の実家から借金を重ねて居たのだという。
それまでの東通工は、ラジオの修理で食いつないでいた。
盛田によれば、「ラジオの修理はほどほどに儲かったけれども、それだけを続ける気は毛頭なかった」ということだ。
本田宗一郎も、バイクの修理屋だけ続けていたらもっと確実に大金持ちになれただろうが、敢えて自社でバイクを製造することに挑戦した。
イノベーションはいきなり結果だけが出てくる訳ではない。
その過程には無数の失敗と挫折があると思う。
それを支えるのはイノベーションへの飽くなき情熱だ。
それを確認した。
2009-04-05
■プレゼンテーションのデザインパターン
昨日、名古屋のAppleStoreで開かれたイベントに参加してきました。
経費削減と、せっかくの景気刺激を有効活用するため、僕の愛車で東名高速を使って名古屋入り。
バイトから新入社員に格上げされたY君と、最強のアルバイター研究員、近藤君と三人でいつものようにインバーターを使って車中開発をしながらの珍道中。滑り出しは上々でした。
しかしいざ実際にY君のプレゼンを見てみると、思わず「これはひどい」というタグを付けたくなるていたらく。スライドは奇麗に作ってあるし、内容も悪くないはずなんだけど、なにもかもが空回り。
僕はだいたい、新人には一度はこうやって入社早々*1にプレゼンを喋らせてみてライブの感じを掴んでもらう、というのをやります。
彼もその後多いに反省していて、しきりにアドバイスを聞きたがったのですが、そのまま反省会をしながら大阪のたこ焼き屋に向かってしまったので有耶無耶に。
そこで彼と、彼のように新しい会社でショートプレゼンをする若い人たちのために僕なりにショートプレゼンにとって大切だと思っていることについて。
なぜなら、プレゼンとはビジネスマンにとって最も重要な能力のひとつだからです。
どんな場合でも、プレゼン能力の高さが求められます。
自分の企画を他人に説明する場合、部下を指導する場合、企画コンペで競争に勝つ場合、新製品を消費者に紹介する場合、などなど。
プレゼンが下手な人は出世することはできません。
職域は年功序列で自動的に上がって行くかもしれませんが、華々しい舞台で活躍することはできません。
なにがしたいのか解らない人の言うことを聞く部下は居ませんし、何が売りたいのか、どんなものを売りたいのかわからない営業マンの製品を買うお客さんもそんなに居ません。
従って、ほとんどあらゆる場面でプレゼン能力というのは求められるのです。
これはビジネスマンとしての基礎能力であるにも関わらず、大学などでも殆どちゃんと教えてもらえないことのひとつです。
その理由は、ひとつには、大学教授はプレゼン能力が多少劣っていても、アイデアや研究成果が独創的であれば聴衆がうまく汲み取ってくれるため、学会などではプレゼン能力による差異がつきにくい。ひいては、プレゼン能力が多少劣っていても大学教授になれてしまうので、学生わきちんと指導できない、という指導力の問題があると思います。また、学会は特定分野の専門家の集まりであるため、多少解りにくくても想像で補えてしまうという点もあります。
ところがビジネスマンの場合、相手が常に自分と同等か、それ以上の専門知識と教養を持っていることはほとんど期待できません。なにしろ売り物にしているのはその「専門知識」なのですから、相手が持っていることは殆どの場合、あり得ないわけです。
Y君のプレゼンは弊社の製品が全て入っているもので、スライドとしても奇麗でした。
この美的感覚は褒めていいと思います。
けれども、奇麗なだけのスライドではなにも伝わりませんでした。
なにがいけなかったのか?
出てくるものを順番に説明するだけでは、聞いている人はとても退屈です。
一枚一枚のスライドがバラバラに独立しているので、そもそも肉声でそのプレゼンを聞く意味がなく、そう、まるで教科書の朗読のように、右から入って左から抜けて行くのです。
良いプレゼンとは、必ず物語を持っています。
物語とは、要するに起承転結です。
ところがこの起承転結をプレゼンに組み込むというのはそんなに簡単なことではありません。
結果として起承転結になるようなデザインパターンがあります。
これは音楽でいえばコード進行のようなものです。
僕が考える「良いプレゼン」とは、「テーマがあり、物語として筋が通っていること」です。
しかし、それだけ言われてもどうやってテーマをプレゼンに導入したらいいのか解らない人も多いと思うのでデザインパターンの形にしてみました。
以下は、僕が今までやったプレゼン、見たプレゼンをもとにしています。
とはいえ、プレゼンのデザインパターンは論として確立されていないので、名前などは適当です。
- 疑問→解決パターン
疑問の提示から解決までを追うパターンで、最もオーソドックスなやり方です。
例えば単品の製品プレゼンの場合や新企画の提示に使えます。
A-状況 今、市場環境はどんな状況か、今はどうか?を紹介
B-疑問 Aパートで示した状況における矛盾や問題点を指摘
C-解決 Bパートの疑問を解決策としての製品の紹介
D-応用 Cパートで示した解決策を応用した事例を紹介
- 未来→対策パターン
今は必要ないけれどもいつか必要になるであろうソリューションや対策製品を訴求するためのプレゼンです。
A-状況 今、市場環境はどんな状況か、今はどうか?を紹介
B-未来 Aパートで示した状況をそのまま拡張していった未来を予言
C-問題 Bパートの未来を予想した場合に起きる問題を提示
D-対策 Cパートの問題に対する解決策を提示
- テーマ→バリエーションパターン
複数の製品を紹介するときに使う方法です。
一見バラバラな製品であっても、その根底に流れるテーマは同じであることを示し、それぞれの製品が事業ポートフォリオ上でどんな位置づけにあるかを説明します。
事業計画書などにも使います。
A-問い まず聴衆に問いかけます。できるだけ普遍的な問いが望ましいと思います。
B-主題 Aパートで示した問いに対応するテーマを示します
C-変化 Bパートで示した主題に対するバリエーションを示します。製品などの紹介です。
D-俯瞰 Cパートで紹介した製品群をもう一度俯瞰し、それぞれの製品の方向性などの違いとロードマップを示します。
- ミスディレクションパターン
プレゼンテーション全体ではなく、部分的に使用します。
聴衆の関心を特定の方向に誘導し、意図的に裏切ることでセンセーションを与えます。
A-偽の主題 誘導したい方向を最初に宣言します。もちろんそれが嘘であることは言いません。
B-偽の詳細 意図的に誤った言い方で偽の主題を膨らませます。
C-偽の誇張 偽の主題を誇張し、聴衆に疑問を抱かせます。
D-自爆と解決 自ら構築した偽の主題の矛盾点を指摘し、解決します。
長いプレゼンであっても、上記のデザインパターンを1,2個組み合わせれば作ることができます。
たとえば、スティーブ・ジョブズが最初にiPhoneを発表したときのプレゼンは。「疑問→解決パターン」と「テーマ→パリエーションパターン」の組み合わせで出来ています。
「携帯端末について考えよう」と疑問を呈し、「最良のポインティングデバイスはスタイラスやハードウェアキーボードではなく、指とフルタッチスクリーンである」と結論づけます。
- 疑問→解決パターン
A-状況 TreoやWIndowsMobileなど、いろんなモバイル端末がスタイラスを採用している
B-疑問 最良のモバイル端末とはなんだろうか?
C-解決 フルスクリーンタッチパネルが最良である
D-応用 iPhoneの紹介
- テーマ→バリエーションパターン
A-問い iPhoneとはなんだろうか
B-主題 これから「再発名された電話」について説明します
C-変化 iPhoneは、Youtube、Mail、GoogleMap、株価、天気予報、Safariも搭載しています
D-俯瞰 ホーム画面を示す。
デザインパターンの組み合わせの中で、いくつか前半や後半部分を省略したり、またはフラクタル的な小集合を作ったりすることもあります。
スティーブ・ジョブズはこうしたデザインパターン以外に、ミスディレクションによるテクニックを使っています。
- ミスディレクションパターン
A-偽の主題 今日発表する新製品は三つあります
B-偽の詳細 「ワイドスクリーンiPod」と「電話」、そして「革新的ネット端末」です
C-偽の誇張 繰り返します。「ワイドスクリーンiPod」、「電話」、そして「革新的ネット端末」
D-自爆と解決 気がつきましたか?実はこの三つは、独立した製品ではなく、一つの製品なのです。
新入社員の方々がショートプレゼンをする機会はこれからも沢山あると思いますが、プレゼンは一生使えるスキルですから、ぜひとも若いうちにマスターして頂きたいと思います。
追記
で、「ぶっつけ本番」についてブコメでいろいろ指摘されたので気がついたのですが、ちょっとこれは書き方が悪かった。本当に何も言わずに「いまやれ」とはさすがに言いません。
「ぶっつけ本番」というよりも、入社早々、という意味でした。
「ぶっつけ本番」だと、準備もなにもなしに、という意味なので誤りでした。
Y君のスライドは事前に彼自身が書いたもので、事前にリハーサルもしており、彼の上司もアドバイスをしていました。
にもかかわらずプレゼンがダメだったように感じたのは、指導が足りなかったせいであると思います。
デザインパターンを書いてみたのは、指導の一環として、こういうふうに教えれば良かったな、というものです。
*1:最初は"ぶっつけ本番"と書いたのですが誤りなので訂正して追記しました
2009-04-03
■ソフトウェアには国際競争力が絶対に必要であると思う理由
日本で最も成功した独立系ソフトウェアベンダのひとつ、ジャストシステムがキーエンスから45億円の第三者割り当て増資を行った。
この結果、キーエンスはジャストシステムの筆頭株主になり、ジャストシステムは持分法適用関連会社となる。
ジャストシステム、キーエンス傘下に 資本・業務提携 - ITmedia News
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0904/03/news076.html
直近三期は毎年10億円以上の赤字が出ており、直前期は30億円にも達していた。
売上高130億円で900人を食わせて行くというのも大変だと思うが、これは結局のところどういうことかというと、どんなに優れたソフトを作っても、マイクロソフトに負けたらダメだということである。
マイクロソフトがOfficeで本格攻勢を掛けてくる直前まで、ジャストシステムのワードプロセッサと作図ソフトの国内シェアはずば抜けていた。
しかし、そこで舵取りを過った。僕の目線から見ると、当時のジャストシステムはマイクロソフトと正面から張り合おうとしているように見えた。
Windows3.0に対抗し、ジャストウィンドウなるシステムを開発。しかしサードパーティの対応状況はほぼゼロで、お寒いものだった。
現在、ジャストシステムの売上高130億円に対し、マイクロソフトの売上高は2兆円。いまや比較することすらどうかという気がするけれども、これが現実なのだ。
当時、まだ高校生だった僕の目から見て、ジャストシステムはPC-9801シリーズでの圧倒的成功にあぐらをかき、国内需要だけに頼って拡大を続けていた。
彼らはWindowsによってハードウェアの差異が少なくなり、最終的にはハードウェアがなんであるかということよりも、Windows上で動いているということが重要になってくるということを予見できなかったか、真っ向から否定したように思える。
ジャストシステムの一太郎は、未だにバージョンアップを続けており、ATOKも含めてファンも多い。
けれどもそれは全て過去の資産で食いつないでいるという状況であって、これからまた一太郎が盛り返してくる予感というのは全くないのだった。
今改めて一太郎を使ってみると、その出来の良さに驚くとともに、あまりにも変化のないユーザーインターフェースに面食らう。
いまどきのユーザはこのモーダルなメニューを今から覚えようとは思わないだろうし、このレガシーなアプリケーションに新鮮な魅力を感じると思えるのだろうか。
ATOKやXfyなど、極めて革新的な技術を作り出す能力と頭脳があるにも関わらず、時流の変化についていけなかったのは、結局のところ、国際競争力という言葉に尽きると思う。
既に圧倒的に勝利をしてしまったマイクロソフトが「勝った理由」などいくら並べても無意味だ。
OSにバンドルしたこと、Windowsと一緒に売り込んだこと。一太郎をバンドルしようとしたメーカーに圧力を掛けたこと。
それら全ては、ジャストシステムがまともに闘おうと思えば手段が無かったわけではないはずだ。
事実、GoogleやFacebookやYahoo、それにアップルは、マイクロソフトが築き上げた価値世界をオーバーテイクして今や彼ら自身が勝者となっているわけだ。
こういう話をマイクロソフトだけが勝っていた時代に言っても誰にも理解されず、マイクロソフティすらそんなことは理解しようともしなかったが、僕が笹塚に出入りしていたハタチの頃、しみじみと痛感したのはマイクロソフトの「闘う意志」の強さだった。
今では想像すらできないが、Windows3.0当時のマイクロソフトは「劣勢」とすら言われていたのだ。
「誰もWindowsなんか買わないよ。一太郎が動かないんだから」
そんな台詞もあちこちで聞こえた。
そういう状況にあぐらを掻いていたのは事実だと思う。
だからマイクロソフトはWindowsをバンドルするようメーカーに求めた。
そのためにありとあらゆる手段を使い、手を尽くした。
そもそも、Windowsとは、当初は別売り商品だったのだ。
一太郎はWindowsがあったから負けたのでは決して無い。
Windowsを前に何も有効な手が打てなかったから負けたのだと思う。
それまでの時代は、MS-DOSもWindowsも全て別売りのソフトだったのだ。
僕はこの戦争の末期をたまたまマイクロソフトの側から見ることになった。
もう時効だと思うが、その頃のMSKKの社内キャッチフレーズは「JUST DO IT」だった。
「ジャスト、どいて」という意味である。
こんなに敵を意識して組織的に展開するという仕事のやり方は、あまり日本的ではなかったと思う。
しかしアメリカでは、「戦略」と呼んだ場合、それは軍事作戦に匹敵する理論的合理性を求められる。
マイクロソフトHQの営業部門は元軍人が仕切っていて、新人研修ではまず男女問わず廊下を匍匐前進するところから始まる、という伝説がある(僕は現場を見たわけではないが、社内でまことしやかにささやかれていた伝説だった)くらいに、彼らは「戦略」という言葉を本気で使っていた。
日本人やビジネスマンは「経営戦略」という言葉を使うことが多いが、その多くは単なる精神論や後づけの「勝ち自慢」であって本当のストラテジーとはほど遠いように思う。
これはおよそどんなソフト、どんなサービスにも言えることだ。
国際競争力のない製品は、いずれ滅びる。
特にグローバル化が進行した現在ではその傾向は強まっている。
ビジネスとは、ルールのある戦争なのだ。