2008.09.08 Monday
在日中国スパイ数万人 伊勢雅臣
■1.長野を埋め尽くした赤い中国国旗■
4月26日、長野の町を赤い中国国旗が埋め尽くした。産経新聞はこう報じている。
<長野市の北京五輪聖火リレーは、3000〜4000人もの中国人留学生がコース沿道や式典会場を埋めつくすなか、「中国、頑張れ」とのシュプレヒコールが響き渡った。
組織化されたような応援の一方、沿道ではチベット支援者の前をふさぎ、振り向きざまに「中国はひとつだ」と吐き捨てる中国人留学生の姿も見られた。ある在日チベット人は沿道で中国人留学生に囲まれ、「うそつき」呼ばわりされたという。
海外での聖火リレーの中国人留学生の応援をめぐっては「体を使って相手の動きを封じ込めていいが、暴力は振るわない」などの指南書が参加者に配られた。中国人留学生たちは「応援は自発的だ」と口をそろえ、チベット問題には「別問題」と一様に口を閉ざした。ある留学生は「私たちは理性的に愛国心を表現している」と中国政府と同じ言葉を繰り返した。>
中国の工作機関が、その動員力を垣間見せた瞬間であった。
■2.「日本にいる中国のスパイは数万人規模」■
オーストラリアに政治亡命した中国の元外交官・陳用林が米国議会で証言したところによれば、
・オーストラリアだけで中国の工作員は千人以上いる。スパイ防止法のない日本には、その数倍以上いるのは常識。
・専門教育を受けたプロの工作員(基本同志)によってリクルートされ、金銭を受け取って工作に協力する者(運用同志)は、その数倍から十数倍いる。
とすると、日本に潜伏するプロの工作員は数千人規模、さらにその協力者は数万人規模ということになる。日本のある公安関係者は「末端の活動家や協力者を含めると、日本にいる中国のスパイは数万人規模に達するのではないか」との見方を明らかにしているが、よく符合する。
留学生からの「運用同志」のリクルートがいかに行われるか、東北の有力国立大学の博士課程に在籍していた陳慧文(仮名)が明らかにしている。陳は研究内容を盗んで中国に送った事が発覚し、取り調べを受けたのだが、その過程での自白である。
<実は、先生方は知らないかもしれないが、日本の主要な大学には、学部生や大学院生、研究員を中心とした中国人留学生の組織が作られています。年に1〜2回、東京の中国大使館の教育処から幹部が派遣されてきて、大きな大会を行い、中国政府や共産党の重要な指示を伝えられます。>
■3.中国大使館教育処の指示■
中国からの国費留学生は政府から学費や生活費を出して貰っており、かつ政府機関から身元保証を受けている者が大半だ。さらに国費留学生は、将来は中国に戻って政府系機関に就職する者が多い。だから、中国大使館に命ぜられたら、会合に参加せざるを得ない。
<1年前の会合で、教育処の幹部が「諸君の所属している研究機関や研究室での研究内容を具体的に提出してほしい」と言い出したのです。しかも、「論文などの具体的な形になっていれば、なお良い」ということでした。>
陳の所属する研究室は画期的な超合金の開発を行っていた。 陳は大使館からの指示に従って、研究室のパソコンから論文の原稿を盗み出し、大使館の幹部に渡した。
それが上海の大学に送られ、米国の学術雑誌に発表されたのである。この論文に注目したドイツの大手自動車会社が、自動車ボディ用のプラスチック合金の共同開発を持ちかけたという。
自分たちの研究内容が盗用されたことを知った東北の大学は、上海の大学に抗議し、結局、中国側もそれを認めざるをえなくなって、米国の学術誌に論文取り消しを求めた。
陳は、研究データを盗み出したことは認めたものの、あくまでも中国大使館の指示に従っただけで、上海の大学への受け渡しには関わっていないと主張。「日本での研究を続けさせてほしい」と涙ながらに懇願したという。
まじめで勉強熱心な陳は、とても盗みをするような人物には見えなかったという。しかし、大使館の指示に従わなければ、国費も打ち切られ、帰国しても就職の道を閉ざされる。陳には盗みをするより他に道はなかったのであろう。
■4.「デンソー」中国人エンジニアの産業スパイ活動■
中国人による産業スパイ事件として有名なのは、米国で逮捕された2人の情報技術者の件だ。
2006(平成18)年12月、カリフォルニアのシリコン・バレーにあるIT企業で働く中国人技術者2人が、中国政府が推進するハイテク研究発展計画のために、マイクロプロセッサの設計情報を盗み出したとして逮捕された。2人は容疑を認め、経済スパイ法違反の適用を受けている。
同様な事件が日本でも起きて、産業界を震撼させた。大手自動車部品メーカー「デンソー」のエンジン関連部門で設計を担当していた中国人エンジニア林玉正(仮名)が大量の設計情報を中国に送っていた事が発覚したのだ。
平成18(2006)年の10月から12月にかけて13万件以上のデータが引き出された結果、社内のコンピュータ・システムがたびたび異常停止した事が、発端だった。コンピュータの通信記録から、林の仕業と判明した。
会社側は林を追求したが、林は「私は何もしていません」と突っぱねた。「それでは、君の家に行って確かめさせて貰うよ」と言うと、「そこまで疑うのなら、勝手にすればいいでしょう」
マンションの前で、林は「散らかっているので、ちょっとの間、外で待っていて貰えませんか」と独りで部屋に入った。しかし、林は30分しても出てこなかった。ドアを叩くなどして、ようやく部屋に入ると、パソコンはハンマーで叩かれたように壊されていて、ハードディスクのデータ復元も無理だった。
翌日、林は出社せず、中部国際空港から北京に高飛びした。
つづく