■5.「まるで絵に描いたような工作員の経歴だ」■
デンソーは林を横領容疑で警察に告発した。約2週間後、自宅前で張り込んでいた刑事が、帰ってきた林を逮捕した。
愛知県警の捜査で、林は自宅のパソコンから大量のメールを送受信していたことも判明した。また、この数ヶ月で日中間を3往復もしており、重要な情報を中国側に手渡していた疑いが強まった。
林の経歴も明らかになった。1986(昭和61)年、北京の大学卒業後、ミサイルやロケットなどを開発する中国国営の軍事関連会社に勤務。1990(平成2)年に企業派遣の留学生として来日し、都内の工学系大学を卒業して、2001(平成13)年にデンソーに入社した。
デンソー側は、林の来日前の経歴を全く知らなかった。林が経歴書に書かなかったからである。林は入社前から、デンソー のハイテク技術を盗み出そうとしていたのだろう。
林は在日中国人の自動車技術者が集まる「在日華人汽車工程師協会」の副会長も務めていた。対日工作に詳しい公安幹部はこう語る。
「軍関連企業を経て、日本に留学、在日中国人グループのリーダー的存在というのは、まるで絵に描いたような工作 員の経歴だ」。
■6.渡り歩く工作員■
しかし、パソコンが破壊されていたため、愛知県警はデータが盗まれた確証を得ることができず、林を処分保留で釈放した。
その後、林はどこに姿をくらましたのか不明である。いまごろ何食わぬ顔をして、別の日本企業に潜り込んでいる可能性もある。
経済産業省が、平成18(2006)年秋、製造企業357社から回答を得たアンケート調査では、全体の36%の企業が技術流出が「あった」、あるいは「あったと思われる」と答えている。
しかし、ほとんどの日本企業は産業スパイの被害にあっても公表しない。法整備も不完全なため、警察に被害届を出しても、犯人が逮捕され、十分な処罰を受ける見込みもないし、企業イメージを悪くさせるだけだからだ。
■7.「北京の両親や兄弟に何があってもしらないぞ」■
日本での中国人留学生は「運用同志」のリクルート対象とされるだけでなく、逆に民主化運動や法輪功などに携わった場合は、弾圧のターゲットとされる。
東京都内の大学に留学している王偉(40歳、仮名)は、平成17(2005)年1月に「民主主義研究会」(仮名)を立ち上げ、月に1回の割合で、10人ほどのメンバーが集まり、議論をしてきた。自由な日本社会では、中国にいる時のように、周りの目や耳を気にすることなく、「共産主義の転覆」といった発言も飛び出していた。
王は会合での議事録を「民主主義研究会」のホームページに逐一、掲載した。中国本土からも賛同のメールが寄せられるようになり、自分たちの活動が中国の民主化に役立っている、との満足感を抱いていた。
勢いを得た王らは、中国人留学生を対象に「中国民主化セミナー」を企画した。日本の政治学者やジャーナリスト、そして中国本土からは「反政府団体」とされている中国民主党幹部2人を招いて、「中国の民主化の行方----共産党一党独裁放棄への道筋」をテーマに座談会を行うこととした。
ところが、メンバーの一人がこんな事を言い出した。
<実は1週間前に、「中国国家安全省の張」という奴から電話があって、「セミナーを止めろ。お前の仲間にも止めるように伝えろ。もし、止めないのならば、北京の両親や兄弟に何があってもしらないぞ」と言ってきた。>
すると、もう1人のメンバーも:
<なにっ、お前もか! 俺にも同じような電話があった。俺の場合、昨日、お袋から電話があって、国家安全省の奴らが親父やお袋と会って、「お前の息子が日本でやっていることを止めさせろ。まじめに勉強するように言え」と言ってきたというんだ。>
■8.「君たちの身の上に大変なことが降りかかりますよ」■
そこに王の携帯電話が鳴った。
「中国国家安全省の張です。2人には伝えてあるのですが、君たちの計画しているセミナーを中止してほしいのです。中止しなければ、君たちの身の上に大変なことが降りかかりますよ」
国家安全省がどうして王の携帯番号を知ったのか。仲間に裏切り者がいるのか。それでも王は、こんなことでセミナーを止めたりはしない、と自信満々に答えた。
しかし、「大変なこと」は2日後に起こった。王がアパート に帰る途中、一方通行の狭い道を猛スピードで突進してきた乗用車にはねられたのである。警察の現場検証では、ブレーキをかけた痕も認められなかったという。
王は1カ月も入院し、他のメンバーも王を避けるようになって、セミナーも中止せざるを得なくなった。王は退院してからも、複雑骨折をした左足を引きずるようになった。中国政府が日本の文部科学省に申請していた奨学金も支給されなくなった。 日本に留まることもできず、やむなく王は中国に帰った。
北京に帰っても、公安要員に常に尾行された。大学の研究室に戻ろうとしたが、教授から「大学の共産党委員会から、君の面倒は一切見るなと言われているのだ」と断られた。就職先を見つけようと、いろいろな会社を回ったが、いったん採用とされても、かならず2、3日後に取り消しの通知が来るのだった。
いまや王は両親のアパートから1歩も外に出ない生活を送っているという。
■9.自国民を不幸にする工作活動■
このように、日本には数千人のプロ工作員がおり、彼らが数万人規模の中国人留学生などを操って、技術を盗んだり、日本での民主化運動の情報を集めたりさせている。だから、長野に数千人の中国人留学生を送り込むことなど、造作もないことなのである。
日本政府や日本企業として、これらの工作員による技術盗用や暴力行為を厳重に取り締まるべきなのは、言うまでもない。同時に感ずるのは、現在の中国政府の工作活動が、いかにその国民を不幸にし、かつ人材を無駄にしているか、ということである。
超合金の開発に携わっていた陳は論文の盗み出しを命ぜられ、民主化活動を志していた王はテロのターゲットとされることで、それぞれの道を断たれてしまった。デンソーの設計エンジニアまでなった林にしても、プロ工作員にされていなければ、もっとまっとうな道を歩めたはずである。
これらの青年たちの能力をそれぞれの志す分野で自由に発揮させれば、中国としても独自の技術開発や健全な社会発展に役立てられたはずである。
結局、独裁国家・中国はその秘密工作活動によって、自国民を不幸にし、自らの健全な国家発展の芽を摘んでいるのである。
杜父魚ブログの全記事・索引リスト(9月2日現在2233本) author : 古沢 襄