中国からの修学旅行 Part 2
その訪問で、私が受けた印象は忘れがたい物です。大変多く考えさせられる事柄がありました。この文章を書き出す為に私は学生の論文と作文を読みました。そこで、私と学生、私が知っている多くの日本へ渡航した中国人が感じる恨みから尊敬、そしてさらに恨みへと戻る心理変化を発見したからです。このような心理変化は、他の国を訪問しても起こりえない心理変化なのです。それは、日中間の特殊な歴史に起因しているからでしょう。日中間の戦争が終わってかなりの時間がたちましたが、しかし、それが中国人民の心と感情に残した傷は、消せるものではありません。だからこそ、我々は日本の歴史教科書問題や靖国神社参拝の問題に対して、あのような強烈な反応を示すのでしょう。我々は、この国家の過去を恨んでいるからです。日本からの訪問者を接待する毎に、私は彼らに構内の史料館にある抗日に関する文字や写真を見せないようにする事はできません。彼らは、いつも子細に眺めて、時には黙り込みます。時には、やましさを表される事もあります。私は、四中にこのような歴史と交友があることによって、彼らが四中にを尊重し、彼らが四中と交流をする。これが日本という民族の性格でしょう。
しかし、あなたがもう一歩日本を理解すれば、この民族に心から敬服せざる得なくなります。
はっきり申し上げますと、私は日本人が中国人より聡明だとは思いません。日本人が思いつくことを中国人が思いつかないとは思いません。しかし、私は、日本人ができる事を中国人ができないという事は認めない訳にはいかないのです。そして、その差は、甚だしい。
いったい何故なのでしょう。この弾丸の国は、こんなにも光輝く奇跡を作りました。これは、我々世代、そしてそれ以降の数世代が真剣に考えないといけない問題です。もし、20年前に日本に来ることができたら、我々は、日本のそびえ立つビル群の都市、発達した交通、精巧な電気製品、美しい自動車に圧倒されたでしょう。当時我々は貧しかった。我々は、見識がなかった。
しかし、現在、我々は、これらの物質的な物には無関心です。今日我々が目を引かれるのは、日本人と交流するときに、彼らから感じるあるものなのです。一種の特質。あるいは、一種の元素。私は心を痛めながらもこの元素が我々には少なく、全く見られない人もいるという事を認めざるを得ません。しかし、日本では、多くの事柄からそれを感じる事ができます。正確にいうとその存在を感じる事ができます。
私はそれを「国民精神」と呼びます。この国民精神は彼らの行動を通して国家形成を可能にします。この国民精神は、彼らに自発的に企業と国家の利益を守らせます。そしてその国民精神は、彼らに自発的に社会の秩序と環境を良好に保たせ、それぞれの人に「自己管理をさせ、社会への弊害を減らす。」事を自己の行動規範たらしめるのです。この国民精神が、この民族をしっかりと結びつけているのです。私は、国民の素養はこのような精神によってのみ具現化できるものだと思います。私は、この国民精神は、日本立国の根本であり、日本が作り上げた奇跡の原因であると思います。国家にこのような国民がいて、このような精神があり、文化があれば、みんなが敬服するでしょう。
つづく
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コメント(3)
?好、次のも期待していますね。
おもしろかったです。
2008/11/20(木) 午前 10:05
中国に長く住んでますと、日本のいろいろな良い所が思い出されます、中国もあとどれ位たつと日本みたいになるのでしょうかね???。
2008/11/20(木) 午前 10:18
九州男児さんの「日本みたいに」という表現に少し戸惑っております。
私は、中国はどれだけたっても日本みたいにはならないと思います。
たぶん、そういう意味で言われているのでは無いとは思うのですが。
2008/11/22(土) 午前 10:13