日中平和友好条約
佐々木俊夫 羅 福全 矢吹 晋 小森義久 深田匠 東谷暁        

日本国と中華人民共和国との間の平和友好条約

(日中平和友好条約)
昭和53(1978)年10月23日 条約第19号

昭和53(1978)年8月12日 北京で署名
10月18日 国会承認
10月23日 批准書交換・発効
(外務省告示296)


 日本国と中華人民共和国は、
 千九百七十二年九月二十九日に北京で日本国政府及び中華人民共和国政府が共同声明を発出して以来、両国政府及び両国民の間の友好関係が新しい基礎の上に大きな発展を遂げていることを満足の意をもつて回顧し、
 前記の共同声明が両国間の平和友好関係の基礎となるものであること及び前記の共同声明に示された諸原則が厳格に遵守されるべきことを確認し、
 国際連合憲章の原則が十分に遵守されるべきことを確認し、
 アジア及び世界の平和及び安定に寄与することを希望し、
 両国間の平和友好関係を強固にし、発展させるため、
 平和友好条約を締結することに決定し、このため、次のとおりそれぞれ全権委員を任命した。
	 日本国     外務大臣 園田 直
	 中華人民共和国 外交部長 黄  華
       
 これらの全権委員は、互いにその全権委任状を示し、それが良好妥当であると認められた後、次のとおり協定した。

 

第一条
 両締約国は、日本国政府及び中華人民共和国政府は、主権及び領土保全の相互尊重、相互不可侵、内政に対する相互不干渉、平等及び互恵並びに平和共存の諸原則の基礎の上に、両国間の恒久的な平和友好関係を発展させるものとする。
 両締約国は、前記の諸原則及び国際連合憲章の原則に基づき、相互の関係において、すべての紛争を平和的手段により解決し武力又は武力による威嚇に訴えないことを確認する。

 

第二条
 両締約国は、いずれも、アジア・太平洋地域においても又は他のいずれの地域においても覇(は)権を求めるべきではなく、また、このような覇(は)権を確立しようとする他のいかなる国又は国の集団による試みにも反対することを表明する。

 

第三条
 両締約国は、善隣友好の精神に基づき、かつ、平等及び互恵並びに内政に対する相互不干渉の原則に従い、両国間の経済関係及び文化関係の一層の発展並びに両国民の交流の促進のために努力する。

 

第四条
 この条約は、批准されるものとし、東京で行われる批准書交換の日に効力を生ずる。この条約は、十年間効力を有するものとし、その後は、の規定に定めるところによつて終了するまで効力を存続する。
 いずれの一方の締約国も、一年前に他方の締約国に対して文書による予告を与えることにより、最初の十年の期間の満了の際またはその後いつでもこの条約を終了させることができる。

 以上の証拠として、各全権委員は、この条約に署名調印した。
 千九百七十八年八月十二日に北京で、ひとしく正文である日本語及び中国語により本書二通を作成した。
 日本国のために     園田 直
 中華人民共和国のために 黄  華

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入力者:河原一敏 ( k513@xj8.so-net.ne.jp )
  日中関係においても、サンフランシスコ平和条約日華平和条約により、終戦時中国内に残した日本の財産はすべて中国に処分が委ねられ、その価値は、当時の日本の国民総資産の6割以上であった。さらに、武装解除により現在の価値にして数兆円ともいわれる兵器が中国側に引渡されたという。旧日本軍の毒ガス問題は、「負の遺産」といわれるが、この問題を含めて、日中共同声明日中平和友好条約で解決済みと考えるのが国際法の理念に合致する。

 中国に残留した化学兵器の大半が中国側の手で埋設されたのは、1950年代のことであり、中国国内においては終戦直後から被害者が出ている。この問題を含めて、1972年の日中共同声明で解決済みである
 佐々木 俊夫 衆議院議員政策秘書 諸君4月号 平成16年

<日本軍が遺棄したのか?>
・中国は1951(昭和26)年の段階で化学兵器の存在を知っていたという。ならば平成2年まで、何故日本に通告してこなかったのだろうか。
 この間の昭和47年9月には、日中共同声明が発せられ、「中華人民共和国政府は、中日両国国民の友好のために、日本国に対する戦争賠償の請求を放棄することを宣言する」としている。もし日本軍が遺棄した化学兵器であるというのならば、間違いなくそれらは戦時中の物質であるのだから、この表明の中の放棄された賠償請求に含まれると考えるべきではないのか。

・敗戦によって接収された日本軍の武器弾薬は、ソ連軍を通じて中共軍へと渡っていたのだ。

・化学兵器を誰が遺棄したのかを証明する責任は、管轄当事者である中国にこそあるのだ。どうしても知りたいなら、日本より先ずロシアにでも尋ねればよかろう。

・中国内に残留している化学兵器の大部分は、日本の全面的な武装解除によりソ連、ひいては中国に引き渡されたものであり、「遺棄」化学兵器には当らないのだから・・・。
 羅福全 台北駐日経済文化代表処代表 正論5月号 平成16年

 ・日本も、やっぱり中国とは付き合っていかなければならない。中国についていえば、世界で責任ある大国になってもらいたい。日本は中国の中の冒険主義的な側面をディスカレッジ(思いとどまらせる)する、お互い、もう敵対関係じゃないですよ。台湾も同じなんです。中国が責任ある大国になれば、アジアは、安定する。⇒反日教育にどう対処するかが大きな問題である。将来に大きな禍根を残す。

 ・江沢民が軍事委員会主席であるかぎりは、まだ本当の胡錦トウ時代の到来とはいえないですね。中国は、軍を掌握している人物が最高実力者ですから。

 ・調査船を見逃せば、中国は「あ、こういうことをやってもいいんだ」と解釈するようになるんです。
 矢吹 晋 横浜市立大学教授 諸君5月号 平成16年

 江沢民が三つの公式文書において、日本は謝罪していないとして、72年の共同声明、78年の平和友好条約、そしてみずからが関る98年の日中共同宣言に、謝罪がないというとき、それは98年の共同宣言が希望通りには書かれなかったと不満を述べているにすぎないのだ
 古森義久 日中再考 扶桑社文庫

 ≪インターネット論断に登場した主張≫
・「中日両国の二千年の歴史を遡っても、両国は一度も平等で友好な関係を持ったことはない。唐の時代も日本が中国の先進の文化や技術を学び取ろうとしただけで、友好ではなく師弟の関係だった。宋や明や清の時代も日本は中国に敵対的だった」
・「中日の友好は過去にも現在にも将来にも存在しないのだ」
・「そもそも二つの強い国が存在しあいながら友好ということはありえない。一方が他方に服従ふる以外に、強国間では本音と本音、利害と利害の対立が存在するというのが現実なのだ。中国が語る『中日友好』には日本が正しい歴史認識を持ち、アジアや中国への野望を捨てるという期待が前提として込められている。だが日本はそうした野望は捨てないから、『友好』も幻想なのだ」
・1960年ごろ中国は自国の示す政治三原則や貿易三原則をのむ企業を「友好商社」とみなし、「友好取引」への参加を認めたのである。中国側の政策に従えば、初めて「友好」とされたわけだ。中国当局は今なおこの「友好」という言葉に盛り込む政治ファクターを消していない。
 深田匠著 「日本人が知らない『二つのアメリカ』の世界戦略」高木書房より

 日中間に未来など存在しない。
 日本と中国との関係とは、実にイスラエルとパレスティナ、インドとパキスタン、かっての米ソのような関係と同一のものであり、中国人は明確にそれを意識し、日本人だけがそれに気付かずに「日中友好」という実在しない幻想を見ている。日本は一方的に夢を見続けているのだ。それが楽しい夢ならば良い。しかしこの夢は永遠に終わることのない悪夢なのだ(119頁)。⇒日米安保の下、日本が国防意識と防衛能力を強化している限り大きな武力衝突は起こらないだろう。後はどちらかの文明が自壊するかだろう(真中)
 東谷 暁 ジャーナリスト 諸君18年2月号

 <中国側は、・・・「中ソ同盟条約は今や名存実亡である。名は存しても実は亡くなっている。それは廃棄に等しく心配に及ばぬ」と言うのである。・・・しかし、しかし、である。この論法は、将来某年某月某日、中国が突如として日中友好条約の反覇権条項は今や名存実亡であると言い出し、覇権主義に走る余地をのこしていないか>(中江要介元中国大使)
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