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元特攻隊員64年目の再訪、比叡山山頂「桜花基地」の6人

 終戦の日(昭和20年8月15日)に大津市の比叡山山頂に完成した秘密特攻基地に配属されていた元海軍特攻隊員たちが今月9日、戦後60年以上を経て初めて現地に集う。爆薬を搭載し敵艦に体当たりする特攻機「桜花」(四三乙型)の基地で、当時、桜花の最年少飛行兵だった横浜市に住む浅野昭典さん(80)が呼びかけた。浅野さんは「戦友と再び比叡山を訪れるのは最初で最後になるだろう」と話している。

 基地は本土決戦に備え、大阪湾への侵攻を阻止するために建設された。標高約840メートルの山頂に設けたカタパルト(発射台)から、火薬を爆発させ打ち出すのが目的だった。秘密基地だったため資料はほとんどなく、施設も戦後進駐軍に爆破されたため、一部の軍や地元関係者にしか知られていなかった。

 浅野さんらによると、桜花隊と呼ばれた飛行兵40人を含む軍関係者約100人が、725部隊として配属された。カタパルトは金属の組み立て式で、資材は山すそからケーブルカーで運搬。施設は終戦の日に工兵部隊から海軍に引き渡される予定だったが、特攻機はまだ届いておらず、終戦で結局、だれも飛び立つことはなかった。

 元飛行兵のうち、浅野さんが連絡を取ってきたのは6人。6人は戦後、個々に比叡山を訪れるなどしてきたが、そろって現地を訪れたことはないという。しかし、いずれも80代で「これが最後の機会」と浅野さんが呼びかけた。浅野さんは「現地を訪ね平和を祈り、自分自身や亡くなった戦友たちのさまざまな思いを鎮めたい」と話している。

 

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