で、城壁の中はというと、これがごくありふれた自動車修理工場だったり、繊維問屋だったり。
工場のおやじにその仰々しい構えの理由を聞くと、「昔はリマ市内だって夜盗とか例のセンデロ・ルミノソみたいな武装ゲリラが出没したもんだ」。彼らは鋼鉄で装甲したトラックで突っ込んできて銃を乱射し、金目のものをごっそり奪っていく。
警察に助けを求めても「今、忙しいから」と埼玉県警みたいな答えしか返ってこない。それで自衛のために門を頑丈にし、望楼を建て、武装したガードマンを配置して敵襲に備えたものだという。
それが昔話になったのは「フジモリ大統領のおかげ。彼が連中を退治してくれて、望楼も今は無人になった」。
センデロ・ルミノソ壊滅も夜盗退治以上に市民を安堵させた。中国の文革に心酔したアヤクーチョ大教授、A・グスマンをリーダーとする組織は八〇年代からテロと略奪を始め、三万人以上を殺してきた。誘拐した若い女性をジャングルのアジトに囲って、子どもを産ませ、ヒトラー・ユーゲント風に純粋培養したグスマン信徒も育てていた。
そのグスマンをフジモリ氏は就任翌年にリマ市内のアジトで捕まえる。当然、血みどろの報復が予想されたが、フジモリ氏は逮捕と同時に複数の愛人に囲まれて、高級ウイスキーをあおる豪勢な彼のアジトの日々を公開する。「彼の部下はあれですっかり幻滅し、組織はあっという間につぶれた」とエスプレソ紙の記者はいう。「ツボを心得た采配ぶりだった」
フジモリ大統領が次に退治したのが官僚だった。もともとこの国には公務員試験と名のつくものはなかった。実力者、有りていにいえばスペイン系白人の名門ベラウンデ家とか、あのデクエヤル家とかの威光で縁故採用されてきた。
例えば小中学校が八千三百校も不足しているというのに、文部省には三千五百人もの縁故官僚がいて、ほぼ全員が役付きというでたらめぶりだった。フジモリ氏は三千五百人のうち三千人をクビにして、その代わり、毎週一校ずつ学校を建設していった。
国会にもメスを入れた。上下院あわせて二百四十二議席のほとんどが名門につながる白人で占められ、国民所得がたった百ドルなのに議員年金は一人五千ドルといった議案をどんどん通してきた。
それを一院制百二十議席と半減し、ついでに年金も廃止した。九二年のいわゆる「大統領のクーデター」による改革である。
ほとんどGHQみたいな大改革だが、おかげで毎年一〇〇〇%以上というインフレを一けたに押さえ込み、マイナス続きの経済成長率もプラスに転換させた。
しかし、このフジモリ大統領に対して欧米、とくに中南米はわが家の裏庭と思っている米国は一貫していじめに回ってきた。
その代表格が中南米問題の権威とされるM・シフター・ジョージタウン大教授で、彼はペルー国会の機能を停止させた例の大統領のクーデターを根拠に「ペルーにやっと根づいた民主主義を覆す危険な準軍事政権」と批判し「フジモリを倒してこそペルーの民主化がある」と言い切る。
ここでいう「民主主義がやっと根づいた政権」とはその前のガルシア政権を指すが、この時代にペルーは未曾有の七六〇〇%のインフレと経済成長率マイナス一二%を生み、左翼ゲリラと夜盗をはびこらせ、独り白人特権階級だけが肥え太った。要するに、どんなに腐敗しようと、「親米的な白人政権なら民主主義政権」というのが米国の見方だった。
このときはシフター史観は通用しなかったが、さて、この九日の選挙である。憲法規定すれすれの三選をねらうフジモリ氏に米国は前回をしのぐ規模で反フジモリ・キャンペーンを仕掛けてきた。
まずカーター・センターが現地を視察して「大統領の地位利用」「軍部との結託」疑惑をぶちあげ、米メディアもひたすら「いかがわしい」と書き立てる。
そしてとどめが米国務省。すべての疑惑があたかも真実かのように「重大な懸念」という最大級のいじめコメントを発表する。
英国エコノミスト誌も「対抗馬の夫人がベルギー人」と特筆したうえで、その対抗馬のスローガン「チーノは日本に帰れ」を念入りに紹介する。チーノとは中国人などアジア人を指す蔑称だが、この記事は読みようで明らかな人種差別発言にも取れる。
◇
大統領の健闘を祈りたいところだが、奇妙なことに縁ある日本政府はむしろ米国と歩調を合わせてきた。大統領の初訪日のさい、政府高官が「日系だからって特別待遇はしない」と言い放って以来、その冷たさは続く。
もしかしたら、頭数だけで無能な議会、利権と天下りに熱中する官僚群を小気味よくやっつけた彼に、本能的な恐怖心を持っているためだろうか。