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コラム中野晴行のまんがの「しくみ」


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プロフィール:中野晴行(なかの・はるゆき)
1954年生まれ。和歌山大学経済学部卒業。 7年間の銀行員生活の後、大阪で個人事務所を設立、フリーの編集者・ライターとなる。 1997年より仕事場を東京に移す。 著書に『手塚治虫と路地裏のマンガたち』『球団消滅』『謎のマンガ家・酒井七馬伝』、編著に『ブラックジャック語録』など。『マンガ産業論』で日本出版学会賞奨励賞、日本児童文学学会奨励賞を、2008年には『謎のマンガ家・酒井七馬伝』で第37回日本漫画家協会賞特別賞を受賞。 近著『まんが王国の興亡 ―なぜ大手まんが誌は休刊し続けるのか―』は、自身初の電子書籍として出版。

まんが王国の興亡
 
最新コラム 2008/02/27
システマチックで確実だが均一的?
近頃の漫画家デビュー事情

この季節になると、打ち合わせのために出かけた出版社のロビーや編集部の打ち合わせスペースで、新人の持ち込み風景を見かけることが多くなる。夏休みとともに、春は持ち込みの季節。とくに、専門学校や大学を卒業した漫画家の卵の持ち込みが増えるらしい。

 気になってのぞいてみるとみなさん、絵は確かにうまい。2年なり4年かけて専門の先生がみっちり教えただけのことはある。聞けば、スクリーントーンの削り方まで教えてくれるらしい。それどころか、どの出版社のどの雑誌を狙えばいいのか、編集者との応対はどうすればいいのかまで教えているそうだ。何人デビューさせたか、が学校の評価に繋がるのだから当然である。

 出版社側も新人発掘、育成に関しては熱心で、いまやほとんどの雑誌に「新人賞」がある。持ち込みも「大歓迎」で、私が漫画家をめざしていた30ン年前とは隔世の感がある。あの頃は、新人賞はほとんどなかったし、「原稿を見て欲しい」と電話をしても、めんどくさそうな応対がほとんどだった。

 持ち込み原稿を見て、編集者が「いける」と感じた作品があれば、新人賞に応募させて、デビューとなる。そのままデビューというケースもないではないが、受賞してデビューさせたほうが、インパクトは強い。作品を見て「デビューさせるのはまだ無理」と判断した新人でも、どこかに見込みがあれば担当編集者がつく。実にシステマチックである。ボツ原稿の山から、鳥山明という金の卵が誕生したのはあまりにも有名な話だ。


 新人の発掘・育成が出版社にとって急務となったのは戦後間もない昭和20年代。子ども向け雑誌が創刊ラッシュとなり、漫画家は不足した。各出版社はさまざまなところから描き手を捜した。大阪でブームになっていた「赤本」と呼ばれる単行本の市場からは、手塚治虫や「ダルマくん」の田中正雄らがスカウトされる。「イガグリくん」の作者で、当時は手塚治虫最大のライバルとされた福井英一はアニメーター出身だ。街頭紙芝居の絵描きやカット描きから転身した漫画家も多い。ある漫画家は、新聞記者をしていたときに偶然飲み屋で隣り合わせた漫画出版社の社長にスカウトされた、という。
 当時は子ども漫画の描き方を教える学校もなく、ベテラン漫画家の弟子になるか、独学がほとんど。「矢車剣之助」の堀江卓からは「夜店で買った漫画単行本をまねて描き方を覚えた」と聞いたことがある。

 昭和30年代くらいまでの漫画雑誌の、ごった煮的な面白さは、漫画家のキャリアパスの多様さから生じている、と考えることができるが、この牧歌的手法では不確実で無駄も多い。一方で、今のシステマチックな漫画家教育や漫画家発掘・育成手法は確実性が高いかわりに、均一な作品を生みやすいという弊害をはらんでいる。編集者の悩みもこのあたりのジレンマにあるようだ。

 もう6,7年前になると思うのだが、某お役所から「漫画家のキャリアパス調査への協力のお願い」と言った内容のアンケート用紙が送られてきたことがあった。私は漫画家ではないけれど、社団法人日本漫画家協会というところに属しているので、会員全員に送られたものが届いてしまったのだろう。

 コンテンツ産業振興の一貫として、漫画家のキャリアパスを調査して、今後の人材育成の参考にしよう、という意図はだいたい察知できる。しかし、国がコミットするとますます均一化が進むのではないか。そんな懸念を感じずにはおれなかった。

 あの調査はその後どうなったのだろう?
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