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戦時グラフ雑誌の宣伝戦―十五年戦争下の「日本」イメージ [著]井上祐子

[掲載]2009年4月5日

  • [評者]保阪正康(ノンフィクション作家)

■事実より「主観」 国家宣伝の実情

 大日本帝国は、満州事変から続く一連の戦争を「聖戦」と称した以上、それを視覚化して国際社会に訴えなければならない。どういう「国家宣伝技術者」たちが、どのような媒体でいかなる方法で訴えたのか。本書はそれを丹念に検証した。

 ジャーナリズム論分野のテーマとみられがちだが、著者は国家宣伝の内実が、日本社会の特異性のもとで奇妙な構図をもっていたとの認識で記述していくために、政治史、文化論、果ては心理学にまでその関心が広がっていく。「聖戦」「戦争の正当性」「東亜新秩序」などを視覚化するとどうなるかの写真、キャプション、それにレイアウトなどはいかにも日本的で、改めてその背景を考えざるを得ないのだ。

 「十五年戦争期の日本では、受け手側の受容の構造を考慮することなく、宣伝者側の主張や価値観を一方的に発信することを宣伝と考える傾向があった」と著者もいう。ありていにいえば、宣伝の意味がわかっていなかったということだろう。

 著者は、一連の戦争期に刊行されたグラフ誌(「NIPPON」「FRONT」「アサヒグラフ海外版」など)の大半に目を通している。それだけに説得力のある分析が多い。日中戦争下で「LIFE」に掲載された日本軍の爆撃を伝える「上海南駅の赤ん坊」の写真は世界の1億3600万人もの人びとが見て、反日感情を高めたという。これに対して日本側のグラフ誌も、これはデッチあげとの反論記事や写真を掲載する。が、根拠を示すことができずにアメリカのイエロージャーナリズム批判に終始するだけであった。

 日本のグラフ誌は情報局の規制もあって、つまりは主観を客観化するのに必死だったといえる。英米ではとにかく宣伝の主要な骨格は「事実」に根ざしている点にあり、それを表現に転化していく技術があった。つまり正確に報道すること、それが図らずも宣伝になっていたというのである。

 本書に示される日本のグラフ誌は「報道宣伝力」(土門拳の言葉)に欠けていたとの指摘は現代への至言でもある。

    ◇

 いのうえ・ゆうこ 63年生まれ。京都外国語大学非常勤講師(日本近・現代メディア史)。

表紙画像

復刻版 NIPPON

著者:金子 隆一

出版社:国書刊行会   価格:¥ 99,750

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