The Art of STEPHEN KING

日本語で読めるスティーヴン・キングの著作
作品のストーリーに触れる場合があります。くれぐれもご注意のほど。

スティーヴン・キングのホームページ作成に伴い、現在再読中です。
読後次第順次更新いたしますので、完成までしばらくお待ち下さい。


BLUE BUTTON キャリー
 Carrie
 ISBN*-**-******-* 初版:1975/05/20 翻訳:永井淳 新潮社
 ISBN4-10-219304-9 初版:1985/01/25 翻訳:永井淳 新潮文庫
 狂信的な母親に育てられた風変わりな母親の権威と、止まるところを知らぬクラス・メートたちの悪意、それに自身の肉体の変化も重なって、彼女は極度に追いつめられた。そして誰も知らなかったのは・・・彼女が念動能力の持主であることだった。キャリーの精神が完全にバランスを崩した時、チェンバレンの街は炎に包まれる・・・。話題作家の処女長編。

 非常に有名な作品であり、キング曰く「ブランド・ネーム」にまでなったとのことである。あまりにも有名な作品である反面、あまり読まれていない作品であるらしい。作品の組み立ては、本文の間に、新聞記事、書籍、調査委員会の記録等が挟まれており、作品の構成として、非常に意欲的な作品になっている。また、描写も無駄がなく、抑制がきいている。例の固有名詞によるリアリティの付加も行われている。が、やはり、現在のキングの圧倒的な力量は片鱗はあるものの、残念ながら感じられない、ような気がする。
 更に、後のキングの作品の登場人物の原形らしき、人々が多く登場する。また、ブライアン・デ・パルマが監督した「キャリー」も素晴らしい。映画と小説の相乗効果があった作品である。(「2001年宇宙の旅」風のね)
 しかし、キングは、この作品をゴミ箱に捨て、それを拾って読んだタビサ(キング夫人で小説家)に説得され、完成させた作品だとは驚きである。当時キングは、メイン州ハンプデン・アカデミー高校の英語教師をしていた。
BLUE BUTTON 呪われた町
 'Salem's Lot
 ISBN*-**-******-* 初版:1977/10/25 翻訳:永井淳 集英社
 (上)ISBN4-08-760086-6 初版:1983/05/25 翻訳:永井淳 集英社文庫
 (下)ISBN4-08-760087-4 初版:1983/06/25 翻訳:永井淳 集英社文庫
 20世紀のアメリカ。メイン州の田舎町に”永遠の不死”という宿命を背負った吸血鬼が蘇った。非業の死をとげた人々の霊がとりつくマーステン館が町に不吉な影をおとす。不可解な死者が増える・・・。吸血鬼の見えない恐怖に徐々に変質し、崩壊していく町を不気味なリアリティで描く最新恐怖小説。

 本作は、キング曰く「キャリー」の脱稿後余勢を駆って書き上げた中編小説を膨らませた、「ドラキュラ」(ブラム・ストーカー)の「文学的イミテーションのようなもの」であるらしい。しかし、我々にとって本作は、ブラム・ストーカーの構築した世界観を破壊することなく、現代アメリカに蘇らせ、ブラム・ストーカーの創作した様々な足枷を枷とせず、かのドラキュラの末裔をすら感じさせる手腕、そしていつもながらの圧倒的なリアリティを持った傑作である。
 本作では、あまりにも簡単に吸血鬼のコロニーが現代アメリカに構築されてしまいます。そこが非常に恐ろしくもあり、美しくもあります。
 かの、ピーター・ストラウブは、本作が吸血鬼を題材にしていることが表現されているところまで読み、「これは驚きだ!なんと吸血鬼とは!この一節には、ほとんど息がとまりかけてしまった・・・。」という言葉を残している。いかに吸血鬼というテーマが、手垢がついた題材であるかということを表現しているのである。キングは今や定番化し、パロディの題材でしかない吸血鬼を本格恐怖小説として蘇らせたのである。「文学的イミテーション」とはいえ、キングの手腕に脱帽である。ただ、ブラム・ストーカーとの符号があまりにも多いような気がします。
 ブラム・ストーカーから始まった吸血鬼の系譜は、キングで一つの頂点を極め、アン・ライス等の亜流を生んだ。
BLUE BUTTON シャイニング
 The Shinning
 初版:1978/03/** パシフィカ
 (上)ISBN4-16-727558-9 初版:1986/11/10 翻訳:深町眞理子 文春文庫
 (下)ISBN4-16-727559-7 初版:1986/11/10 翻訳:深町眞理子 文春文庫
 景観荘(オーバールック)ホテルはコロラド山中にあり、世界で最も美しいたたずまいをもつリゾート・ホテルのひとつだが、冬季には零下25度の酷寒と積雪に閉ざされ、外界から完全に隔離される。そのホテルに一冬の管理人として住みこんだ、作家とその妻と5歳の少年。が、そこには、ひそかに爪をとぐ何かがいて、そのときを待ち受けるのだ!

 すずめばちは何を予告する使者だったのか?鏡の中に青火で燃えるREDRUMの文字の意味は?・・・・・・小止みなく襲いかかる怪異の中で狂気の淵へと向かう父親と、もうひとつの世界へ往き来する少年、恐怖と憎しみが恐るべき惨劇へとのぼりつめ、そのあとに訪れる浄化−−−恐怖小説の第一人者による「幽霊屋敷」テーマの金字塔的傑作

 「この腐れあま。よくも殺してくれたな」ウェンディに背中を刺されたジャック・トランスは濁声で叫んだ。

 ダニーを追いつめ、あと一歩というところで、ジャック・トランスは自分を取り戻し「ここから逃げるんだ。急いで。そして忘れるな、パパがどれだけおまえを愛しているかを」と言った。

 この物語は父親と息子の愛と嫉妬の物語である。父親はジャック・トランス、息子はジョージ・ハットフィールド或いは、ダニエル・アンソニー・トランス。ジャックはその優れた素質ゆえにジョージを愛し同時に嫉妬する。その愛と嫉妬故にジャックはジョージを陥れ、対決し地位を仕事を失ってしまう。
 オーバールック・ホテルは、ジャックを利用してダニーを手に入れようとする。ジャックを騙して。ジャックは自分が求められているものと思っているのだ。オーバールック・ホテルが自分ではなくダニーを求めているのを知ったジャックは、その愛と嫉妬のため愛するダニーの破壊を望み自己の復権を目指す。が、ジャックは愛故の自我崩壊の道をたどる。

 今回「シャイニング」を読み直して感じたのは、何故か「恐くない」ということだ。「恐い」のではなく「悲しい」のである。ジャックはウェンディに疑われ、アルにも愛想をつかされている。アルマンにさげずまれ、ダニーに同情されている。グレイディはジャックに失望し、ホテルには騙されている。行き場の無いジャックの「悲しみ」がホテルにつけ込まれる。ジャックは自分を認めて欲しいのだ。

 本作はアメリカ近代文学史としても、意欲的な作品で、本作内で戯曲が創作され、本作自体も5幕の戯曲風に配置され、アメリカ近代文学史上貴重な1ページを飾るような気がします。系統的にはJ・アービングに近く、学校のシーンや、取り返しのつかない失態を犯してしまうところも正に、J・アービング的である。

BLUE BUTTON ハイスクール・パニック
 Rage
 ISBN4-594-00365-6 初版:1988/11/22 翻訳:飛田野裕子 扶桑社ミステリー文庫
 「二年前のことだ。そのころから、ぼくのあたまはおかしくなりはじめた・・・」
 プレイサーヴィル・ハイスクールの最上級生である、ぼく(チャーリー・デッカー)は五月のある晴れた一日、教室で二人の教師を父のピストルで射殺した。あっというまのできごとだった。警官隊に包囲された、ぼくとクラスメートたちが体験する、まるで白昼夢のような、しかし緊迫した時間・・・。モダンホラーの巨匠スティーヴン・キングが高校生の不安な心の世界を鮮やかに描いた、異色の青春サスペンス小説!

 「良い授業は一生のたからもの」

 本作が書きはじめられたのは、キングがハイスクールの最上級生だったころ − チャーリー・デッカーと同年齢 − で、当時は "Getting It On" というタイトルで、「キャリー」が出版される2年前に、実際に出版されそうになった作品である。実際は、リチャード・バックマン名義で、1977年に出版された。

 チャーリー・デッカーは知性と癇癪をあわせ持った少年である。デッカーは校庭の芝生にリスを見つけたある日、比較的大きな癇癪を起こす。知性に裏付けされていたであろう癇癪を。
 教師を射殺し教室に立て篭もったデッカーは、教師や警官を論理的に愚弄し、ある生徒をクラスメイトの協力で破壊し、最終的には故意に警官に自分を射撃させる。故意にである。予定調和的な終焉を、ある意味裏切る印象的な結末である。

 本作を読み返して感じたのは、これはキングによる「ライ麦」ではないか。ということである。デッカーとホールデンの奇妙な対比と相違に心が奪われる。ホールデンは、崖から落ちそうでそれに気付かない少年達を陰ながら助けることを望み、自らはある意味崩壊する。デッカーは自らの知性と癇癪で、多くの自覚しない生徒を救い、一人の生徒を破壊し、自らの崩壊を望むが、それも叶わない。
 「シャイニング」では、J・アーヴィング的なアプローチがなされ、「ハイスクール・パニック」では、JD・サリンジャー的なアプローチが、そして「呪われた町」はブラム・ストーカーの文学的イミテーションであるとキングは自ら言い放つ。作家として独り立ちした頃の野心的なキングの文学への傾倒が見え隠れするような印象を受ける。

 本作は、軽く目をつぶれば、非常に良く出来た小説である。「教育とは何か」「優れた教育者には何が必要か」という事柄を考えさせられる、良い小説である。全ての教育に携わる人達に呼んで欲しい秀作である。
BLUE BUTTON 深夜勤務  Night Shift 翻訳:高畠文男 扶桑社ミステリー文庫

BLUE BUTTON トウモロコシ畑の子供たち  Night Shift 翻訳:高畠文男 扶桑社ミステリー文庫

BLUE BUTTON デッド・ゾーン
 The Dead Zone
 (上)ISBN4-10-219306-5 初版:1987/05/25 翻訳:吉野美恵子 新潮文庫
 (下)ISBN4-10-21893073 初版:1987/05/25 翻訳:吉野美恵子 新潮文庫

 ジョン・スミスは人気者の高校教師だった。恋人のセーラとカーニバルの見物に出かけたジョンは、屋台の賭で500ドルも儲けた。なぜか、彼には当りの目が見えたのだ。愛を確認しあったその夜、ジョンは交通事故に遭い、4年半の昏睡状態に陥った。誰も彼が意識をとり戻すとは思わなかったが、彼は奇跡の回復を遂げた。そして予知能力も身につけた。そして・・・・・、彼の悲劇が始まった。

 まがいものの神≠ノなってしまったジョンの苦悩は続いた。人は誰でも将来を教えてもらいたがるが、それは決してその人に幸せをもたらさない。その上、彼にはすべてが見通せるわけではなかった。頭の一部に黒い塊=デッド・ゾーンがあって、そこにある情報は出てこないのだ。それでも彼には予知できた・・・・・有力な大統領候補のスティルソンが、国をどこに率いていくつもりなのかを。

 本書は、1976年から1977年の間に執筆され、1979年にヴァイキング・プレス社からハードカバーの形態で出版された、キングの長編小説第五作目の作品である。

 試験中の静かな教室。早々と解答を終え、試験官である教師に答案を提出しようと立ち上がる女子学生。答案を提出する女子学生の手と教師の手が一瞬触れ合った。その瞬間、教師が突然こう言い放った。「すぐ家に帰りなさい。君の家が火事だ。」騒然となる教室。

 キングは「ザ・スタンド」脱稿後の余波をかって、自らあたためていた、このアイディアを基に、「デッド・ゾーン」を執筆することになった。

 ジョンの友人ヌゴは、スティルソンをヴェトナムの『笑う虎』というゲームの虎だと言う。
 一方ジョンがワイザック医師の母親がまだ生きている。と告げた時、その場にいた看護婦は『貧弱な造りの檻の中の虎を見るような目つきで』ジョンを見た。ジョンとスティルソンは、同類なのである。
 ヌゴはヴェトナムで、人食い虎を仕留めるために、亡くなった女性を餌として仕掛けた。さらにヌゴは『神の姿に合わせて創られた人間を餌にして罠を仕掛けるというのは恐ろしいことだよ、でも、悪い虎が小さな子供たちをさらっていくのに何もしないのは、もっと恐ろしいことだ』と語る。悪い虎、人の味を覚えた『笑う虎』スティルソンをヌゴは殺せ。と言っているのだ。 しかしジョンはこう考えていた。『竜を退治すれば、その歯が軍兵に変わって、ますます大きな殺し合いになるばかりだ』と。しかし同時に、この問いをも投げかけている。『もしタイム・マシーンに飛び乗って1932年に戻ることができたら、おまえはヒトラーを殺すか?』と。ジョンはスティルソンについて調べ始め、逐一ノートに記録していくことになり、そのノートは七冊を超えることになる。
 そして、ジョンの予見通り、キャシーズが落雷による火災で焼け落ちる。狂信的な亡き母親の声が聞こえる。『あなたの務めを果たしなさい。ジョン。』
 母親に導かれるように、スティルソン暗殺計画を練り始めるジョン。もし、このキャシーズの一件が無かったならば、彼は精神世界において、神の啓示を受けた。という理由のもと犯罪行為を犯す、多くの所謂異常性格犯罪者と同じ人種になってしまうのである。ジョンに取っての転機となったキャシーズの一件は、私達読者に対しても、ひとつの大きな証拠、ジョンは狂っている訳ではない。ジョンは世界を救おうとしている。になっているのだ。
 そして、ジョンは自らを、『神の姿に合わせて創られた』自らを餌にして、『笑う虎』、グレグ・スティルソンを政治的に仕留めることになる。
 そして、ジョン・スミスの最後の力は、セーラ・ブラックネルのもとに発動するのである。
 『きみはまだあのろくでもないコカインをふがふがやっているのかい?』

 また、本作品は1983年、鬼才デビッド・クローネンバーグによって映画化されている。
 主役のジョン・スミスにはクリストファー・ウォーケン、下院議員グレグ・スティルソンにマーティン・シーン、バナーマン保安官にトム・スケリット、その助手フランク・ドッドにニコラス・キャンベルというキャストで映画化された本作品は、キングの原作の映画化作品としては、傑作の部類に入るのは勿論の事、公開当時からクローネンバーグの代表作の1本ともなっている非常にクオリティの高い、良質の映画に仕上がっている。

 更に、本作品は2002年頃に、テレビ・シリーズ化される。という企画もあがっている模様である。

 なお、本作品は、メイン州キャッスル・ロックを舞台とする一連の作品群の長編第一作目でもあり、また同時にキングの作品世界を構築する、作品間のクロスオーバーな展開の片鱗を既に見ることができる。
BLUE BUTTON 死のロングウォーク
 The Long Walk
 ISBN4-594-00453-9 初版:1989/07/25 翻訳:沼尻素子 扶桑社ミステリー文庫
 近未来のアメリカ。そこでは選抜された14歳から16歳までの少年100人を集めて<ロングウォーク>という競技が行われていた。それは、コースをただひたすら南に歩くだけという単純なものだったが、このレースにゴールはない。歩行速度が落ち、三回以上警告を受けた者は次々に射殺され、最後に生き残った一人が決まるまで続く文字通りの「死のレース」なのだ。昼もなく夜もなく、冗談を交わし、励ましあって歩き続ける少年たちの極限状況を、鬼才キングがなまなましく描いた空前の異色作!

 本書は、リチャード・バックマン名義で発刊された、キングの初期の作品である。因みにキングは、この作品をメイン州立大学オロノ校の1年生だっだころに書き上げた。
 非常に、困難な作品である。何故なら作品の設定上、ラストが見えてしまうのである。だが、ラストへ読者を導く手腕は、現在のキングから見ると稚拙さは否めないながらも大変素晴らしい。ある意味、予定調和的な、こうならなくてはいけないラストへと、疾風怒濤のように突き進む。そして、少年たちもゴールを目指し、南へと進む。そして読者も・・・。
 この作品には、父親の存在が希薄な家庭環境が多く登場する。何故か?それを補うためにか、少佐が存在する。
BLUE BUTTON ファイアスターター  Firestarter 翻訳:深町眞理子 新潮文庫

BLUE BUTTON クージョ
 Cujo
 ISBN4-10-219303-0 初版:1983/09/25 翻訳:永井淳 新潮文庫
 子供好きの忠犬クージョは、体重200ポンドのセント・バーナードだが、コウモリにひっかかれて狂犬病をうつされた。理由のない腹立ちに苛まれて、心ならずも飼主を襲う犬。たまたま訪れたドナとタッド母子は、炎天下、故障した車に閉じこめられた。人の不和、不安の象徴とも思えるお化けの影の下、狂った巨犬と容赦ない灼熱に悩まされる恐怖を克明に描いて、ひたすらコワイ長編。

 批評家達には非常に評判の悪い作品です。偶然の要素が非常に強く、キングの超常現象的要素が薄い作品である。が、私が思うに、超常現象的要素を完全に排除した方が良かったのではないかと思う。あまりにもその点で中途半端なため、どちらに考えて良いのかわかりません。
 しかし、非常に良く出来た作品です。全く関連の無いプロットが、伏線となり作品を構成しています。だが、やはり、超常現象と、リアリティの乖離が否めない。また、登場人物の妄想や悪夢の表現が多用されており、リアリティを減衰させている。
 結論としては、やはり、現実に起きた事として、超常現象的要素を完全に排除し、淡々と語る方が良いのではないかと考える。
 ただ、あまりにも有名な作品で、もはや伝説と化している作品である。

BLUE BUTTON 死の舞踏
 Dance Macabre
 ISBN4-8288-4044-3 翻訳:安野玲 初版:1993/12/15 福武書店

 真実を語るほど恐ろしいことはない
 モダン・ホラーの鬼才が、生い立ちから、映画、TV、小説などホラー・ワールドについてこれ以上語ることはない、きわめつけの一冊、と断言した、ファン必携のキング最新刊!

 扱っている分野は当然ながらフィクションであるが、キング唯一のノンフィクションである。キング自身について、或いは作品の生い立ち、背景については様々な作品の十分すぎる序文やあとがき、インタヴューなどで数多く公開はされているが、ホラーというジャンルについてのキング自身の基本的な考え方を把握するための最上のテキストである。更に興味深いのは1978〜1979年の間にキング自身が、自らの母校であるメイン州立大学オロノ校で「超自然的小説のテーマ」と銘打って教鞭をとった講義の内容も本書に組み込まれているのだ。

 小説や映画を愛し、ホラーという自らの飯の種を解説し、自らの脳を開陳するキングに敬服を禁じ得ない。このテキストは、言ってしまえば、自らの秘密の抽斗を完全に公開してしまっているのとほぼ同意なのであるから。

 とは、言うものの、このテキストを完全に理解するためには、膨大な小説や映画についての知識が前提となることは否めない。若干幸運なことに、私が少年時代によく見ていた土曜日の午後や深夜のテレビ映画劇場で放映されていた多くの映画が、キングが少年〜青年時代に劇場で見た映画と重なっているのが幸せである。また、純粋な読書ではなく、キングの理解のために偶に呼んでいる古典も当然ながら役に立つのである。しかしながら、それでいても私の僅かな知識では、キングのホラーに対する深い洞察を理解する。には到底及ばない。

 機会があれば、是非読んで欲しいものである。
BLUE BUTTON 最後の抵抗  Roadwork 翻訳:諸井修造 扶桑社ミステリー文庫

BLUE BUTTON バトルランナー  The running Man 翻訳:酒井昭伸 扶桑社ミステリー文庫

BLUE BUTTON ゴールデン・ボーイ  Different Seasons 翻訳:浅倉久志 新潮文庫

BLUE BUTTON スタンド・バイ・ミー
 Different Seasons
 ISBN4-10-219305-7 初版:1987/03/15 翻訳:山田順子 新潮文庫
 行方不明だった少年の事故死体が、森の奥にあるとの情報を掴んだ4人の少年たちは、「死体探し」の旅に出た。その苦難と恐怖に満ちた二日間を通して、誰もが経験する少年期の得意な友情、それへの決別の姿を感動的に描く表題作は、成人して作家になった仲間の一人が書くという形をとった著者の半自伝的な作品である。他に、英国の奇譚クラブの雰囲気をよく写した一編を収録。

 1982年に発刊された"Different Seasons"の翻訳で、原著に収録された4編の内、「スタンド・バイ・ミー」"The Body"と「マンハッタンの奇譚クラブ」"The Breathing Method"の2編が収録されている。これらの中編小説はそれぞれ、長編小説の完成直後に執筆された。「スタンド・バイ・ミー」は「呪われた町」の後であり、「マンハッタンの奇譚クラブ」は「ファイアスターター」の後である。キング曰く「まるで、大仕事を終えても、手ごろな長さの中編を1本ふくらませるだけのガスが、タンクに残っているようなあんばい」だったそうである。

 「スタンド・バイ・ミー」を今回続けて2度読み直した。個人的に非常に好きな作品である。が、何故か語る言葉を私は持たないのである。そこで、仕方が無いので、「死体」の解釈について考察した雑文をここに掲載することにする。この雑文は、Shiroさんの、Addicted to Stephen Kingの掲示板に投稿したものに若干手を加えたものである。
 わたし的には「死体」はいずれ失われる彼等少年たちの宝物で、現時点では他人がそれを侵すことを絶対に許せないモノである。と理解していました。言い換えるならば、彼等少年たちは、大人になる過程で、自分達が濁り、汚れ、荒んでいく運命にあることを理解し、現在その途上にあることを知っています。そう考えると「死体」は少年たちのいずれ失われるピュアな部分の象徴であり少年の心を維持するための拠り所、と考えることができます。
 つまり、少年たちは、近い将来、そんな感性を失ってしまうことを理解しているが、今は、それを失いはじめる、最後の1歩で踏みとどまっている。そして、その拠り所が彼等の共有財産である「死体」なんです。べつに拠り所は「死体」でなくても構わないのかも知れません。しかし、主人公達の何かがそれぞれ喪失した今、彼等の拠り所、プライドの置場に「死体」が存在し、理由はともあれ、大人への第一歩を踏み出さざるをえない状況になってしまいます。兄が死に、親に阻害され、父親に迫害され、軍隊に拠り所を求め、兄にいじめられ、食に走る。自分の存在理由に疑問を感じる少年たちに、自我の確立と、存在理由を与える「死体」。その少年期の心の拠り所であり、いずれ失われる宝物である「死体」が、少年の心の最終ページをめくる役割を担う。非常に皮肉な話です。
 彼等は、ここで「死体」を、死んでしまった自分かもしれない少年の身体を、守るという行為で、少年たちは大人の世界、社会への第一歩をしるします。それだから、少年たちは、自らの責任において、新聞社に連絡することをしないのです。エース達が喋るかも知れないというリスクを侵してまでも、少年たちは大人への社会的な生物への階段を上りはじめるのです。
 少年たちは、過程を信じますが、大人たちは結果を信じるのです。
 「マンハッタンの奇譚クラブ」は非常に美しいピュアな愛情を描いた作品である。舞台は謎の奇譚クラブ。ここは「トッド夫人の近道」にも似た私達の世界とはちょっと違った異世界であろう。
 愛と反射と同情と孤立と生命の神秘。産まれいずる宿命の子。
 余談だが、この事件の起きた病院は「ホワイト記念病院」創始者はハリエット・ホワイト。「キャリー」の名はキャリエッタ・ホワイトで、狂信的な母の名はマーガレット・ホワイトである。
 江戸川乱歩の小説に「赤い部屋」か「緋色の部屋」という小説がある。内容は、ある奇譚クラブで、ある男が今まで犯し続けている殺人を告白する物話であるが、殺人の全てが完全犯罪なのである。例えば道路を横断している老人に「危ない!」と声をかける。人間とは面白いもので、「危ない!」とどなられると、普通、人は立ち止まり、硬直し、一瞬何も出来なくなってしまうのだ。普通に歩いていれば安全だったのに、声をかけられたために道路の真中で硬直し車に跳ねられてしまう。彼は善意で声をかけたと解釈されてしまうのだ。このような殺人を犯し続ける男の告白である。何だか知らないが共通点を感じた
 因みに、これら4編のうち、映画になっていないのはこの1編だけである。

 語る者ではなく、語られる物語こそ

 言葉は発した瞬間に輝きを失ってしまう
BLUE BUTTON 暗黒の塔T ガンスリンガー
 The Dark Tower:The Gunslinger
 ISBN4-04-791200-X 初版:1992/04/30 翻訳:池央耿 角川書店
 ISBN4-04-278201-9 初版:1998/09/25 翻訳:池央耿 角川文庫
 脳髄を揺さぶる、カルト・ファンタジー。目眩く流転の世界。<暗黒の塔>の秘密のカギを握る黒衣の男を追い、一人の拳銃使いが今、果てしない旅に出る。

  「黒衣の男は飄然と砂漠の彼方に立ち去った。ガンスリンガーはその後を追った。」・・・・破滅後の世界。<暗黒の塔>の秘密を握る黒衣の男を追い、一人の拳銃使いが今、果てしない旅に出る。彼らの住む世界は我々の現実世界とどう関わるのか?黒衣の男は何物なのか?そして<暗黒の塔>には一体、何があるのか?壮大な物語が、今、幕を明ける・・・・。キングの奔放なイマジネーションと超弩級のスケールが錯綜する、怒涛の「ダーク・タワー」シリーズ、第一巻!

 「黒衣の男は飄然と砂漠の彼方に立ち去った。ガンスリンガーはその後を追った。」の一文で幕を開ける長大なファンタジーの第一巻である。オリジナル版は、ドナルド・M・グラント社からサイン入り限定版が500部、と普及版が10,000部しか発行されず、(キング・クラスだと500万部位売れる。)世の多くのNo.1のキング・ファンの目に触れる事は無く、入手の為のパニックが起こった事で有名な作品である。

 内容は異世界が舞台のハード・ポイルド・ヒロイック・ファンタジーであり、大時代がかった作品である。翻訳も非常に大時代風で、肉を削ぎ落とし十分に洗練された文体である。比較的、その文体は前半は読みづらいが、後半になると、その文体が心地よく、ある意味のカタルシスすら憶える。
 膨大なストーリーの第一部でありながら、充分読み応えがあるが、作品としては非常に短い。作品としての完成度は、高いと思われるが(完成後の)、長い時間をかけて書き連ねた作品であるため、展開に若干無理がある点が否めない。また、ラストが賛否両論ではあるが、壮大なスケールを感じさせ、また、予定調和的で運命的な印象を受ける非常に素晴らしい作品になっている。
 キング曰く、「この作品を書き終えるには、私はこの先300年生きねばならない。」ということだが、現在の出版ペースでは、21世紀はじめには完結するのではないかなぁと思います。ただ、私もこの作品が完成するまで正に死ねない。
 ガンスリンガーの目的の為に世界は存在し、すべての者は彼の目的の為に生き、彼等はガンスリンガーの捨て駒でしか無い。

 この度、文庫版を再読し、素晴らしいセリフにぶち当たった。師コートとローランドとの問答である。その問答を紹介したい。

 「若い者、汝、真剣なる目的をもってこのところへは来たりしか?」
 「師よ、我は真剣なる目的をもって来たれるなり」
 「父の家より追放されたる者なるや」
 「いかにも」
 「得手なる武器を携え来しや」
 「いかにも」
 「してその武器は」
 「我が武器はデイヴィッド」
 「汝、我と立ち会う料なるや」
 「然り」
 「ならば、抜かるな」

 「ならば、抜かるな」なのである。打々発矢の死闘の幕開けに相応しい全てを包括した、何とも素晴らしい言葉である。
BLUE BUTTON クリスティーン  Christine 翻訳:深町眞理子 新潮文庫

BLUE BUTTON 人狼の四季 (文庫化にあたり「マーティ」より改題)
 Cycle of the Werewolf
 ISBN4-05-400634-5 初版:1996/**/** 翻訳:風間賢二 学研ホラーノベルズ (「マーティ」
 ISBN4-05-900010-8 初版:2000/11/21 翻訳:風間賢二 学研M文庫 (「人狼の四季」

 そいつは満月の夜やってくる。
 1年を通じて毎月必ず1度は巡り来る”満月”。その満月の夜に繰り返される惨劇の謎。真実を知った車椅子の少年マーティに迫る殺戮者の魔手。メイン州の小さな町ターカーズ・ミルズを血に染めて、恐怖の四季が巡り来る・・・・。
 ホラーの帝王キングと怪奇コミックスの鬼才ライトスン。夢の顔合わせによるヴィジュアル・ホラー・ブック!

 本書は、1月から12月までの満月の夜の、人狼が引き起こす惨事を散文的に語りつつ、車椅子の少年マーティとその人狼との対決を叙情的に著したもので、それに彩りを添える、数10点に及ぶバーニ・ライトスンのイラストが素晴らしいヴィジュアル・ホラー・ブックである。

 物語は、とある田舎町で謎の連続猟奇殺人事件が起り、その秘密を偶然知った少年と人狼の対決を描く。といったありがちな物語ではあるが、少年が車椅子に乗っている点、人狼の境遇、それに対する少年の感情を考えると、結構良質の小説の感がある。(この辺の解釈は翻訳者でもある風間賢二氏のあとがきが詳しい。ただ、残念ながら文庫版では、ハードカバー版にあった同氏の「人狼について」と題する解説文が割愛されている。)

 本書は、細部にわたる濃密な描写を求めるキング・ファンにとっては、若干物足りないものではあるが、良質な中編小説であることはまぎれも無い事実である。
 何しろ、題して「恐怖の絵本」なのであるから。イラストだけ眺めていても楽しい本に仕上がっているのだ。
BLUE BUTTON ペット・セマタリー
 Pet Sematary
 (上)ISBN4-16-714803-X 初版:1989/09/01 翻訳:深町眞理子 文春文庫
 (下)ISBN4-16-714804-8 初版:1989/09/01 翻訳:深町眞理子 文春文庫
 都会の競争社会を嫌ってメイン州の美しく小さな町に越してきた、若い夫婦と二人の子どもの一家。だが、家の前の道路は大型トラックがわがもの顔に走り抜け、輪禍にあう犬や猫のために<ベットの共同墓地>があった。しかも、その奥の山中にはおぞましくも・・・「あまりの恐ろしさに発表が見あわせられた」とも言われた話題作。

 猫のチャーチがひょっこり戻ってきた。腐った土のにおいをさせて、森の奥から戻ってきた。ならば、愛する息子ゲージが帰ってきてもいいではないか!愛していればこそ呪われた力まで借りようとする人間の哀しさ。モダン・ホラーの第一人者S・キングが「死」を真っ向から描ききった、恐ろしくも哀切きわまりない「愛」の物語。

 ゆっくりとした大きな螺旋は、急激に間が狭まり、自らの重みに耐えかね、深みへと向かう。狭まりきった螺旋からは、ルイス・クリードは脱出することは出来ないのだ。
 この作品はマスコミの勘違いから、「あまりの恐ろしさに発表が見あわせられた」といわれた作品である。内容は、キングお得意の「猿の手」をモチーフとして、「死」「愛」「狂気」「触れてはいけないもの」を描ききっている。
 今回再読して感じたのは、もしかしたらルイスはゲージを埋めないのではないか?ということである。結果がわかっている小説を読みながら違う結末を期待してしまう私。そして私は、それが現実になる予感を胸にいだきつつ、心は小説の、現実の、パラレル・ワールドをさまよった。しかし、結末は例の救いのない恐ろしい結末であった。
 あまりにも、ゆっくりとした平穏な日々、散漫とさえ取れる導入部から、微妙な伏線が語られ、少しずつ、螺旋の間が狭まっていく。螺旋上を突っ走る登場人物は、一点を目指し、自らの重みで身動きすらできなくなる。運命なのか、悪意の意志なのか、予定調和的なラストへルイスは突き進むのである。
BLUE BUTTON タリスマン
 The Talisman
 (上)ISBN4-10-219308-1 初版:1987/07/25 共著:ピーター・ストラウブ 翻訳:矢野浩三郎 新潮文庫
 (下)ISBN4-10-219309-X 初版:1987/07/25 共著:ピーター・ストラウブ 翻訳:矢野浩三郎 新潮文庫
 ジャック・ソーヤーは12歳、病苦の母と2人、アメリカ東海岸の保養地でひっそり暮らしている。母の病気は癌らしい。ある日、さびれた遊園地で、ジャックは不思議な黒人スピーディに出合った。タリスマンがあれば母は助かる、そう彼は教えてくれた。タリスマンとは一体なんだろう?
 ジャックは独り試練の旅に出発する。−−−母の命を救うために。2人の巨匠が作りあげたファンタジー巨編。

 この世界の向う側には、背中合せにもう一つの世界がある。そこは科学ではなく魔法の支配する世界である。
 ジャックの母は向う側では女王で、やはり死の床にあるが、生命を救えるのはタリスマンだけだ。ジャックはどうしてもタリスマンを手に入れようと思う。2つの世界を跳躍しながら、西海岸への辛い旅を続けるジャック。−−−童心を失わない大人たちへのノスタルジアへの贈り物。

 本書は、スティーヴン・キングとピーター・ストラウブの共同執筆という比較的珍しい形態で出版された小説である。キングとストラウブというホラー界の2大巨匠が組んだとなると、世間は当然ながら究極のホラー小説の誕生を期待していた訳だが、実際はキングとストラウブの子供たちに捧げられた良質のファンタジー小説に仕上がったのである。キングとストラウブは、当時のパソコン通信を利用し原稿のやり取りを行い、書けるところまで書いて相手にバトンタッチする。というような形式で書き進められた本書は、一説によると9,000ページ近い化物本が、産まれそうになっている事に2人は気付き、結果的には削ってけずって650ページが出版される運びとなった。因みにキングはワングをストラウブはIBMを使用した模様である。

 物語は、少年ジャックの、母の病気を治すための唯一の希望である「タリスマン」の探索行の物語である。旅の仲間は、人狼の少年ウルフと、ファンタジーの世界を毛嫌いするジャックの親友リチャード。旅のきっかけを与えるのはスピーディー。ジャックの冒険は現実世界ではアメリカ東海岸から西海岸まで及び、現実世界と異世界テリトリーを何度もなんども跳躍しながら交互に冒険する事になる。
 今回再読して思ったのは、ジャックの冒険が、エピソードに継ぐエピソードで休み所が無く、若干メリハリに乏しい。という点である。これは、前述のようにエピソードを削ってけずって出来上がった小説である。というこの小説の成立背景に問題があるのだとは思うが、実際問題としてアメリカ東海岸から西海岸への非常に困難な道のりとは思えない程、比較的あっさりと目的地についてしまうきらいが否めない。また、1週間経った。とか、2週間後、とか時間稼ぎ的な省略が多いような気もする。本書は、本書内でも何度も言及されているように、J・R・R・トールキンの「指輪物語」を非常に意識した上で校正されていると思われるのだが、折角なので、個人的な希望としては、ジャックの冒険は、ノーカット版での絶望的な苦難に満ちた試練の探索行を読んでみたいところである。せめて文庫本6冊位は欲しいと思う。
 とは言うものの、この小説が近年のファンタジー小説の傑作のひとつであるのは、紛れも無い事実である。これは、自信を持ってお勧めできる1本の小説なのである。

 余談だが本書には、「シャイニング」のジョージ・ハットフィールドの父が息子の除籍問題で登場し、また「暗黒の塔T ガンスリンガー」で語られたような世界観の表現も登場する。また「トミーノッカーズ」にはジャックが登場する。
 更に、2001年出版予定の「タリスマン」の続編"Black House"がキングとストラウブによって、現在執筆されている模様である。「タリスマン」の翻訳では「黒い館(ブラック・ホテル)」となっているが、恐らくこれは「黒い館(ブラック・ハウス)」だったのだろうと思われる。

The Art of STEPHEN KING

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