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文化

農村生活支えた「共同風呂」 20年かけ全国調査 

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「共同風呂の存在を知った瞬間、独自性のある研究素材になると直感した」と語る白石太良さん=神戸市西区、流通科学大

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かつて使われた共同風呂跡=鳥取県湯梨浜町(1995年、白石さん撮影)

 高度成長期前、集落の住民が協力して設けていた「共同風呂」についての研究成果を、流通科学大名誉教授(人文地理学)の白石太良(たろう)さん(71)=宝塚市=がまとめ、「共同風呂-近代村落社会の入浴事情」として出版した。全国の農村にあった共同風呂は、水くみや燃料の調達、湯沸かしを住民が交代で担当した入浴施設。同書は興味深い生活誌の記録となっている。(井原尚基)

 共同風呂があったのは大正時代から昭和三十年代ごろまで。十-三十戸前後の住民が無料で利用していた。戦後、各家庭に浴室が普及するにつれ、ほとんどが自然消滅したという。

 これまで戦前の入浴習慣については、主に、銭湯を利用するか、ほかの家へ「もらい湯」に行くかの二つとされ、共同風呂に関するデータはほとんど残っていなかった。

 白石さんは約二十年前、鳥取県湯梨浜町(旧羽合町)で郷土史家から共同風呂の存在を教えられ、研究をスタート。一九九八年、青森から鹿児島までの二千九百六十七市町村(当時)の教育委員会に郵送で調査した。それに対し、兵庫県内の五市町(赤穂・小野市、旧神崎・播磨・旧南淡町)を含む二百四十四市町村から「共同風呂があった」と回答があった。

 この結果をもとに、共同風呂があった地域の住民に聞き取り調査を実施。浴室の構造や施設の利用方法、情報交換する社交場としての機能などを明らかにした。

 例えば、鳥取県湯梨浜町はわい長瀬の共同風呂は「湯小屋」と呼ばれ、子どもが川や井戸からの水くみを担当。燃料は家を解体した際の廃材や、住民らが山で刈り取った雑木などを使った。一、二時間の順番待ちは普通だったが、そこで培われた人間関係は利害関係を伴わず対等だったという。

 また同書では、混浴の場合、よそから来た花嫁は利用者が少ない時間に訪れていた-などのエピソードも紹介している。

 戦後、共同風呂は「貧しさ」と結びつけて見られたため、記録にも記憶にも残りにくかったといい、白石さんは「だからこそ一冊にまとめたことに意義があるのでは。共同風呂は、地域が一体となって支えた生活の中の文化。現代社会のコミュニティーのありかたを考える上で参考になる点も多い」と話している。

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 四百部発行、六一九五円。岩田書院TEL03・3326・3757

(2/13 10:28)


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