2009年4月3日、環球時報は毛沢東の四人目の妻にして文化大革命の主導した「四人組」の一人、江青の最後に関する記事を掲載した。「女帝」と呼ばれた江青の最後の言葉は、毛沢東への愛をつづったものだったという。写真は毛沢東などの古い写真。

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「主席、愛しています」=文化大革命の女帝が残した最後の言葉―中国
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2009年4月3日、環球時報は毛沢東の四人目の妻にして文化大革命の主導した「四人組」の一人、江青(ジャン・チン)の最後に関する記事を掲載した。

1976年、毛沢東の死と同年に江青は逮捕された。1980年から裁判が始まり、1981年に死刑判決(執行猶予2年)を受けている。1983年、刑は無期懲役に変更され、長い囚人生活が始まった。

当初は刑務所に収監されていた江青だったが、1984年に健康問題を理由に監獄外に住み、治療を受けることが許された。1989年に再び刑務所に戻ったが、今度は喉頭ガンが見つかった。医者は手術するよう勧めたが、江青は拒否した。療養のため再び監獄外での生活が許可されたが、江青はかつて暮らした中南海の毛沢東故居か、文革時期に過ごした釣魚台ホテルでの暮らしを求めた。その要求を拒絶した担当者に自殺すると脅しをかけたと伝えられている。結局、江青は北京市朝陽区酒仙橋の近くに住まいを移すこととなった。

先のエピソードからも知れるように、江青は毛沢東にその死後も深い愛を持っていたようだ。死の直前までも「毛沢東選集」を読んだり、毛沢東の詩を暗唱していた。1991年5月14日、江青は首をつって自殺した。その前日には次のような言葉を書き残している。「主席、愛しています。あなたの学生と戦士が会いに行きます。江青。」(翻訳・編集/KT)
2009-04-04 21:25:19 配信

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