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きょうの社説 2009年4月5日
◎金沢と高岡 節目を機に文化交流拡大を
高岡の開町四百年記念事業のメーン行事として九月に行われる記念式典と「前田利長公
入城大行進」に、金沢の金沢能楽会と東蚊爪町奴保存会が出張参加することが決まった。高岡のまちをつくり、育てた加賀藩前田家の本拠地であった金沢からの「応援団」によって、節目を祝う事業がより華やかなものになることが期待される。今月二十五日に開町四百年記念事業の一つとして開かれる「高岡園遊会」でも、金沢の 三茶屋街の芸妓衆が磨き抜いた芸を披露することになっている。これらの催しは、藩政期に「文化大名」として名をはせた前田家とのゆかりが深いという共通点を持つ両市ががっちりと手を握ればイベントなどの魅力が増し、人を引き寄せる力も強まることを証明するよい機会となろう。開町四百年記念事業をきっかけとして、両市の文化交流をさらに拡大していきたい。 遅くとも二〇一四年度に開業する北陸新幹線の効果を最大限に引き出し、地域活性化に つなげることは、金沢にとっても高岡にとっても最大の課題の一つである。特に高岡は、手をこまねいていてはただの通過点となり、せっかくの恩恵を十分に享受できない恐れがある。当面は「終着駅効果」が見込める金沢も、油断や手抜きは許されない。活発な文化交流でまちの吸引力を高めることは「二〇一四年」対策としても大きな意味を持つ。 高岡からも以前、御車山や伏木曳山祭の山車が金沢で開かれた「金沢ゆめ街道」に出張 してきたことがある。ビルの谷間で繰り広げられた絢爛豪華な曳山巡行や迫力満点の「かっちゃ」は市民や遠来客の拍手かっさいを浴び、金沢の夏の定番行事の盛り上げ、ひいてはまちなかのにぎわい創出に大いに貢献したのは記憶に新しい。 金沢が開町四百年記念事業に協力することは、大切に守り続けている「まちの宝」を出 し惜しみせず披露してくれた高岡の人々の心意気に対する「返礼」の意味合いも含んでいると言える。どの分野でも、一方通行より双方向のほうが交流が深まるのは言うまでもなく、こうした流れは好ましい。
◎就農希望者の増加 農地制度改革の追い風に
雇用情勢の悪化に伴い、就農希望者が石川、富山県内でも増え、政府や行政も景気対策
の一環として就農への支援を強化した。大事なのはこの傾向を農業の立て直しに役立てることである。政府は農業の足腰を強くするための基本的な方策として農地制度を「利用本位」に改革する農地法改正案を今国会に提出し、その審議が始まった。希望者の増加を改正への追い風にしたい。現行の農地制度は戦後改革で生まれた自作農主義に基づく。農地は耕す者の所有である とするのが自作農主義だ。「所有本位」の制度とも言え、それは一時期、農家や農村を豊かにしたが、やがて農業が大きく羽ばたくのを妨げるものになったのである。 要するに、農地制度を所有本位から利用本位へ転換させ、やる気のある担い手の農地集 積を容易にしたり、企業の農業参入への道を広げたりして農業の立て直しを図る制度改革が必要になったのだ。こうした根幹にかかわることを整備してこそ、腰を据えて農業に取り組むことができる。今がそのチャンスと考えたい。 年輩の人たちに焼き付いている記憶がある。終戦で戦地や外地から帰還した若者ら働き 盛りの人たちが村や町にあふれたが、必要な職はなく、食べるために就農し、開墾にいそしんだ。それは、はじき出された人たちを受け入れる懐の深さだったが、高度成長が始まると、働き手は零細な農業を離れ、他産業へ流れていき、いわゆる過疎化が進んだ。深かった懐も浅くなってしまった。 就農者の高齢化によって耕作放棄地が増えているというのに、やる気のある担い手によ ってまとまって利用されている農地は全体の約四割にとどまっている。その大きな原因の一つが集積を規制する農地制度の硬直性だ。就農希望者を吸収できるのは、大型の農業法人や、農業に参入した民間企業であろう。民間企業が農業へ参入するためには市町村を介して農地を借りねばならない。それでも全国ですでに三百くらいの民間会社が参入しているといわれる。制度改革でさらに推し進めたい。
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