歴史的危機の度に時代は卓越した指導者を生み出してきました。初めての海外諸国歴訪を続けるオバマ米大統領もその仲間入りを果たすのでしょうか。
ブラウン英首相がG20金融サミット主宰に先立ち訪米した先月、英メディアが不快感を隠さず伝えたエピソードがあります。米大統領執務室に置かれていたチャーチル首相の胸像が、オバマ氏就任とともに撤去されたというのです。
胸像は、米中枢同時テロの年にブレア英首相がブッシュ大統領に貸与したものでした。ホワイトハウスの説明が「通常の模様替え」とそっけないものだったこともあって一部に「英国軽視の表れか」と深読みする声もあがりました。
◆大恐慌の混乱体験
たかが胸像、されど胸像です。撤去の原因だったのではないかという話題も報じられました。オバマ大統領の父の国ケニアが第二次チャーチル政権下の英植民地だったころ、大統領の祖父が反英活動に絡んで投獄され非人道的な扱いを受けていた、というのです。相性が良いとは言えそうもない二人ですが、複雑な英米史を反映して何かと深い縁があります。
一九二九年十二月の大恐慌の最中、チャーチルはニューヨークにいて大混乱の街を目の当たりにしました。その年の英総選挙で保守党が敗退したため蔵相の任を解かれ一議員に戻り、空前の景気に沸く米国を訪問していたのです。
「目の前で男性が十五階から飛び降り粉々になった」。チャーチルは英紙に書き送っています。「タクシーの運転手からホテルのメードまで、広大な国の端々から誰もが株に手を染めている」「モンテカルロを含むいかなる賭場もこの絢爛(けんらん)たるカジノの規模の前には霞(かす)んでしまうだろう」
◆凋落の後を託されて
チャーチルは投機熱に浮かれた米国の破綻(はたん)の惨状を描写しながら、一方でハドソン川やイースト川に出入りし続ける多数の船舶を見て「活力に満ちた米国にとってはこの悪夢も一過性の出来事にすぎないのかもしれない」と潜在的な復元力を感じてもいます。自身、母親が米国人で、その父親がニューヨークの投機家だった縁も影響していたかもしれません。
チャーチルとオバマ大統領は、それぞれ凋落(ちょうらく)する帝国、衰退する超大国の後を託された指導者として歴史に登場したといえます。
英国は長い大英帝国の繁栄の末、第一次大戦後の世界不況、第二次大戦の疲弊を通じて凋落の度を深め、指導的地位を米国に譲らざるを得ませんでした。オバマ大統領は米中枢同時テロ後、宗教国家の再来とも見まごう単独主義に邁進(まいしん)し破綻したブッシュ政権下の超大国の後を託されています。
衰退ぶりが端的に表れているのが通貨です。第二次大戦まで英国が辛うじて保っていた基軸通貨ポンドは戦後その役割を米ドルに譲り渡さざるを得ませんでした。
その米国は今、自ら招いた未曾有の金融危機に苦しみ、基軸通貨国たる地位に挑戦を受けています。統合を背景に成長するユーロの存在は大きく、中国からは新基軸通貨導入の議論を公然と突きつけられています。
ロンドン金融サミットでは、一部意見の違いが表面化したものの、米欧中心の現体制の強化で合意しました。しかし、アジア、ロシア、中南米、中東、アフリカ各地域の連携なしに実効性ある対応はとれない現実があらためて鮮明になりました。
新しい国際秩序の枠組みは一回や二回の会談では簡単に浮上しそうにはありません。しかし、オバマ大統領の一連の演説には新しい方向性の芽も見えます。仏ストラスブールでは「傲慢(ごうまん)で他を無視する傾向があった」と率直にこれまでの米国の非を認めつつ「米国は再びリードする用意がある」と決意を明らかにしました。
「不戦の誓い」をもとに、地域統合の実験を続ける欧州連合(EU)議長国チェコのプラハで、核廃絶に関する重要演説を行うのもその一つです。歴訪の帰路、トルコに寄ることにも「イスラムとの対話」にかける大きな決意が読み取れます。「講義をしに来たのではなく、話を聞きにきた」。オバマ大統領の対話の基本姿勢は変わっていません。
◆欧米だけでは動かせぬ
オバマ大統領、チャーチル首相ともスタイルこそ違え文才、弁舌の才に恵まれた表現者です。危機に際して時代を語る的確な言葉を持つ指導者に恵まれる国はまだ幸運です。
金融サミットの米英会談は成功裏に終わりました。胸像のわだかまりが解けたか否か定かではありませんが、欧米合意だけで国際社会が動く時代でないことだけは忘れてはならないでしょう。
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