「政界のプリンス」と呼ばれる。第2代首相ラザク氏の長男で、第3代首相フセイン氏のおいにあたる。白血病で急死した父に代わり、76年に史上最年少の22歳で下院議員に。国防、財務相など主要ポストを歴任し、政権トップへの地歩を固めてきた。
政治力学にたける半面、「風見鶏」との見方もある。マハティール元首相が辞任した03年に首相候補に名前が挙がったが、アブドラ前首相を補佐する副首相にまわり、じっと機会をうかがった。
高校、大学時代を英国で過ごし、帰国後は企業に勤務した経験も。以前は、父ラザク氏が作り上げたマレー系優遇のブミプトラ政策(新経済政策)を後押しする発言も目立ったが、昨年、同政策の段階的廃止方針を明らかにして注目された。
マハティール元首相や野党指導者アンワル氏のような強烈な個性はない。「怒り方を知らない」と言われるほど温厚だ。野党の攻勢や、兄弟が関係する企業との癒着の疑惑もくすぶるなど内外に難問を抱える中、独自色を出せるかが今後のカギとなる。ロスマ夫人との間に3男2女。【マニラ矢野純一】
毎日新聞 2009年4月4日 東京朝刊