
「戦後補償」の亡霊にとりつかれた日本のサハリン支援(3)
産経新聞特集部次長 喜多由浩
弱腰になった日本外交
朴・堀江夫妻らの努力によって、サハリンの残留韓国人が日本で韓国の家族と再会する道が開かれ始めていた昭和六十二年七月、超党派の衆・参国会議員約百二十人によって「サハリン残留韓国・朝鮮人問題議員懇談会」(議員懇)が結成された。議員懇の事務局には、「サハリン残留者帰還訴訟」の原告側弁護士も加わっていた。
もちろん、議員らは問題の解決を願って議員懇に参加したのであろう。ただし、一部の議員の主張は、裁判で展開された“日本糾弾キャンペーン”そのままであった。「四万三千人の強制連行」など、誤った認識を前提とした質問を繰り返し、政府の対応をやり玉にあげた。日本が支援を行っても、「まだ足りない」「責任をどう感じているのか」などと再三にわたって、突き上げた。こうした一部議員の行動が、後に日本の支援を野放図に膨らませる一因となるのである。
この問題で日本政府が最初に支援を行ったのは六十三年のことだ。日本での再会は実現したものの、日本での交通費や滞在費は朴氏らが負担するしかなかった。それを国庫からの補助金で少しでも肩代わりしようという趣旨で支援が始まったのである。ところがその後、日本を経由せず、サハリンから直接韓国へ行けるようになったのに、日本の支援は減るどころか、逆に増額された。その背景に議員懇の一部議員の働きかけがあったことは間違いない。
日本が支援を始めたころに、議員懇の中心メンバーだった社会党代議士(当時)が、家族との再会のために来日していたサハリン残留韓国人たちの前で「来年から補助金の額をアップさせる」と不用意な発言をしてしまったことがあった。お金の話にはみんな敏感だ。この話はたちまち、サハリン側に伝わり、その結果、それまで関心がなかった人が来日の申請をしてきたり、一度来た人が二度、三度と申請してくるケースが相次いだ。そのうちに、本来の家族再会はそっちのけで、日本での買い物ばかりに熱心な人たちが目立つようになるのである。
平成元年には、日韓の赤十字によって支援を行う「在サハリン韓国人支援共同事業体」が設立されている。共同事業体といっても、資金を拠出するのはもっぱら日本側だった。当時の事情を知る国会議員によると、「日本政府が直接お金を出すのはまずいので共同事業体の形をとった。最初から韓国側に資金を出してもらう計画はなかった」という。
「日本が悪い」という声が身内から上がるのだから、日本政府の外交姿勢も弱腰にならざるを得ない。平成二年には国会での答弁で、当時の中山太郎外相がサハリン問題で韓国に謝罪。四年には、宮沢喜一首相(当時)が日韓首脳会談において「従軍慰安婦」問題で謝罪している。六年には、河野洋平官房長官(同)が「従軍慰安婦の強制連行」を認める発言をした。
そして、七年、「戦後五十年記念事業」として、周辺国への謝罪や補償問題ばかりに熱心だった村山富市内閣のもとで、サハリンから韓国への永住帰国者が入居する五百戸のアパートや療養院の建設など、計約三十三億円にも及ぶ巨額の日本の支援(韓国側は土地や年金などの形で永住帰国者の生活費を負担)が決定されるのである。
サハリン残留韓国人問題に対して、「法的責任はない」としている日本の支援は、あくまで「人道的な支援」のはずだった。そして、一時帰国(家族再会)や韓国への永住帰国が実現したのだから、「問題は解決した」と主張しても良かった。ところが、一部の政治家・勢力はこれを、まるで「戦後補償」のように位置付け、どんどん日本の支援を引き出そうとした。そして、政府の答弁も「歴史的、道義的責任」と微妙に変化し、韓国側やサハリンの残留韓国人側からも、日本の支援強化を求める声が強まっていくのである。「(一部の)日本人が責任を認めているのだから…」というわけだろう。彼らもまた日本の支援を、はっきりと「補償」と位置付けていた。
四年にサハリンの残留韓国人の団体が日本政府宛てに提出した要求書にはこう書いてある。「一、過去、日本から受けた肉体的、精神的な損害の補償を日本政府に対し、強く要求する。二、在サハリン韓人の永住帰国を韓国政府に促し、帰国に対しての一切の費用を日本側が負担する。(略)」。まるで、「すべては日本が悪いのだから、日本側が費用を負担するのは当たり前だ」と言っているかのようではないか。
→つづく
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【略歴】喜多由浩氏 昭和三十五(一九六〇)年大阪府出身。立命館大学産業社会学部卒。五十九年、大阪新聞社入社、その後、僚紙・産経新聞に転じ、社会部で運輸省(当時)、国会、警視庁などを担当。ソウル支局、横浜総局次長などを経て平成十二年、社会部次長、十五年から現職。現在の主な関心分野は朝鮮半島情勢、旧満州など。著書に『満州唱歌よ、もう一度』(扶桑社)。
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「正論」平成17年1月号 |
論文
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