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1983年の続き (細井忠邦)
2008-07-26 07:30:32
イナ@ペン様お早うございます。また暑中お見舞い申し上げます。さて、夕刊フジの記事、渋いですね。こうやって温かく取り上げられると泣けてきます。さてしつこくメモを掘り起こします。5/24カノ8=クハ201−79他新車。6/9ムコ13=クハ201−81他新車、01H初使用。6/10クハ201−18+MM28+T3+MM29+クモヤ143−18。入場編成。自分のメモながら、当時は201系とは言っても編成を解いて入場していたことを確認できました。つまりクモヤの出番はけっこうあったのですね。最近になって固定ものの(笑い)電車が増えて仕事がなくなって引退する方々が多く、これも時代の流れですかね。個人的にはトタの90018を「トタの主」と呼んでました。ちょいと飛んで9/2ミツ201系試作車全検出場。パンタ1個化。9/8クハ201−57+サハ201−901+モハ201−904+クモハ200−902+クハ201−902+モハ201−903+モハ200−902+MM132+クハ200−57以上31A。以前お写真を出されていた編成ですね。わたしのメモにもしっかり記載されていました。これから四半世紀もたってしまったとは。まさに隔世の感ありです。
 
 
 
四半世紀 (イナ@ペン)
2008-07-27 00:37:54
細井さん,こんばんは.いつもコメント有難うございます.
ご紹介くださったような入場回送,今では本当に見かけなくなりましたね.前記事で出場時にバラだったのかなとか知りもせずに妄想をしたものですが,入場時から既にバラだったのですね.そりゃ最近になってクモヤがずいぶん廃車になるのも頷けます.

1983年といえば,コメントくださった試作車の量産化改造がされた年でもありますね.結局2005年に綺麗さっぱり潰されてしまった試作車ですが,当時はあくまでも大事にしてくれていたのが嬉しかったです.最後の最後まで三鷹に残ってもいましたし.201系の歴史は,中央線に10両配置された試作車から始まったのですよね.本当に懐かしいです.

四半世紀経って・・・コメントで触れていただいている201系車両は結局全車お星様になっちゃいました.2年ちょい前には考えられなかったことですが,本当にそうなっちゃいましたね.淋しいというか勿体無いというか.

これからもっと淋しい出来事が起きそうです.これからも同様に,よろしくお願いいたします.
 
 
 
孤軍奮闘 (taku)
2008-07-27 17:02:11
夕刊フジの記事、鉄道好きの同僚が・・・というのはともかくとして、書いた人も実は隠れヲタだったりするのでしょうか。ただ、記事の写真は、「並んだ」といってもかなり厳しいですね。確かに2本並んだところを撮影できるチャンスは少ないですが、片方が豊田折り返しで続いて高尾行だと、豊田で見事横並びという嬉しいことになるパターンが夜に多々あったりするのです。その場合、条件は厳しいものの撮れないわけでもなく、さらに両者に乗るということも可能だったりします。
運用ですが、本来ならば日曜日はお休みのはずだったのでしょうがそうならなかったので、中央線を201系が全く走らない日は避けられましたね。私自身も緊急発進してちょっとだけ乗りました。

このところ基本的に土日の撮影は避けるようにしています。人が多すぎるというのも理由のひとつですが、点字ブロック内側で撮っている私の外側に人がしゃがんでるのが怖いのです。次の瞬間にハイビームと警笛というのがわかってますし・・・。

このところ朝少し自由度のある日が続いたので、201系に朝だけ乗る日もあったものの、クハが女性専用車というのがちょっと残念です・・・。
 
 
 
努力は認めるが・・・ (ONDA201)
2008-07-27 22:16:20
こんばんは

2本しかない電車ですから、それが並ぶのを見るのはそれなりに苦労するのは確かです。
でも、そうなる前にもっとやっておくべきことがあったはずですし、それだけの労力をかけるのであれば、やはりもっと早く動いていればより多くの収穫もあったはずです。最後の最後になってそれをやるのはかなりもったいないです。

昨日(26日)は11Tだったようです、順当に運用している様子。
昨日E351系の編成に組み替えを発見してしまい、今週はちょっとそこらをチェックしたいと考えています。
 
 
 
あくまで普通の人を(ry (イナ@ペン)
2008-07-27 23:50:17
takuさん,ONDA201さん,こんばんは.いつもコメント有難うございます.

記事中の写真でも皆さんおっしゃるとおり「並び」がかなり厳しい,というか,あくまで証拠画像的なもの(かけらでも映ってればそれでオケーイ)であるのは事実です.
それに,昔なら2本並びは当たり前.
ただ現実的には,普通の人々は「そんな普通の風景」を撮ることはあまりしないのですね.
一部の方々が,なくなると聞いてからちょっと慌てるみたいに.
自称鉄道ファンの方々の中にだって,とにかく最後までは何もしない方って多いと思いますね.
ヘッドマークが付くのが有難いのか,さよなら列車が有難いのか.
昔からそういう列車を撮影されてる方はいらっしゃいましたが,真面目な国電ファンの方々はそれだけじゃないのです.普段の風景もしっかりと撮影されてきたのです.
もしくは,新製や廃車時の回送をしっかりと追い続ける方々もお出でかと思います.
そういう普段の活動の延長線上に,たまたま少なくなった編成の写真撮影が有ればいいのでしょうが,あとにも先にもこれだけ,みたいな・・・.
四季彩の去就を心配すると言いつつ,実はそれが単にお別れ列車の撮影だけが目的っていう方もお出での様で,ちょっと寒い気持ちで見守っています.

さて,ココで記事本文の夕刊フジの記事に戻りますw.
普通の人にとって僅か2本になった201系編成というのは,まぁ東武東上線に走っていた8000系の旧塗装車編成みたいな「有り難味」なのは致し方ないのではと思います.
それがたまたまいたので写真を撮った.
ファン的には(ry と言われればそれまでなのですが,それでも車体色の名称をしっかりと正確に記した.
必要な取材もJRに対して行った.
普通の読者を対象とする夕刊紙としては,極めて真面目にまとめられた記事だと,今でも思います.

中央線を見てもなかなか201系が見られない日々が当たり前になっちゃったようです.
淋しいですね.

それでは,これからもよろしくお願いいたします.
 
 
 
また201系に出会ったよ (永尾信幸)
2008-07-28 14:36:55
201系の並びですかぁ。うんうん、残り1本の103系を必死で追いかけていた2年ほど前のフィーバーを思い出しますね。
えぇ、上野−日暮里間にいれば、約30秒毎に見れた103系ですが(笑) ※山手・京浜東北毎時24本、常磐毎時12本の上下本数を1時間で割った秒数

ま、無くなる前とかはやはりいろんなところで取り上げますし、興味がわく方も多いんでしょうね。
でも、朱色1号は珍しいですね。
オレンジ色とか朱色という表現でごまかす事が多いですから、マニアの記事を載せるために内容もマニアックにしたって感じかな。

そうそう、5月に上京した際には、横浜→上野の移動時に、ピンポイントで神田駅にて201系に出会った話をしたかと思いますが、今回は東小金井で林さんと8:40に待ち合わせしていて、私は珍しくムーンライトながらで東京に到着。
曽根氏のスーパーひたちは103系のせいでスピードアップできない点を打破するために、上野−取手の速度制限区間などをビデオ撮影しようと思ったのですが、金曜日は平日なので、行きはヨイヨイ帰りは怖いだったので、山手線ホームで上野方面に行くところまで足を運びながら、林さんとの待ち合わせに近い中央線に乗って西進する事に。
当初、八王子駅でモーニングでも食べる予定だったのですが、寝過ごして高尾駅まで。
すると、築堤の上に、出庫準備を整えた201系が私を出迎えるがごとく朝日を車体に輝かせて威風堂々とおるじゃないですか。
私は、まだ銀色の電車で一杯という実感が無いので、このときはあまり感動してなかったのですが、高尾駅の北側電留線を見て、あ、そうや201少なかったんや。。。。
いやぁ、私に会いに来てくれてるんですかねぇ。(高尾に出向いたのは私ですが、八王子で降りていたら見れないし、条件が重ならないとこのシチュエーションにはならないので)
その後、林さんに09Tの運用を調べてもらうと、林さんとの待ち合わせの2分後、東小金井を8:42に出る下りに充当されるとの事だったので、むろんこちらも乗車しました。
見るだけじゃなく、私の行程を狂わせる事無く、乗車までできた私って幸せですよねぇ。
しかもね、高麗川に行く用事だったのですが、当初八王子から八高線でしたが、この8:42発ってのは青梅行きだったので、労せずして拝島まで行けたというか。
ウン・ウン、嬉しいぞって感じでした。

夕刊紙とはあまり関係ない、私の自慢話でしたが(笑)とにかくなんか嬉しかったなぁ。
いや、本当に銀色の電車、すかんなぁって思ってただけに余計かなぁ。
 
 
 
やっぱり会えないと寂しいです。 (taku)
2008-07-28 21:06:28
週末も201系をカメラや携帯で撮影している人を多数見かけたわけですが、中央線を見てもなかなか201系が見られない・・・というのは本当に寂しいです。土曜日は家族の通院などで待ち伏せするわけにはいかず乗れなかったわけですが、E257系でもうすぐすれ違うことでさえ期待して待っていたりして・・・。日曜に71Tというのは元のローテーションに戻ったわけで、今日も乱れていますが、またもとに戻ると私は水曜と木曜は出会うことすらできなくなるということになります。
思い返せば、1本だけしか走っていないという状況は28年前と同じなんですよね。あのときから1本しかない201系を追いかけてきましたし、学生時代は一時帰国するたびに撮っていたわけですから、悔いがのこっているということではないのですが、今走っている201系にずっと乗っていたい、という気持ちが強いです。
まあそんな追っかけは今日に始まったことではなく、数年前には最寄り駅が別路線になったというのに、毎週末のように理由も無く201系で出かけていったりしていました。205系も好きとはいえ、若干の消化不良が残るもので・・・(笑)。
 
 
 
1本のみになった201系の悲喜こもごも (イナ@ペン)
2008-07-29 01:07:12
永尾さん,おはようございます.いつもコメント有難うございます.
takuさん,おはようございます.引き続きコメント有難うございます.

いつもコトあるごとに申しているのですが,「普通の利用者の方々」が,最後の最後になって「あぁ,この電車もうなくなっちゃうんだ」という気持ちでちょっとケータイとかで写真を撮って記録に残すというのはとっても自然で,アリだと思うのです.
この夕刊フジの記事は,そんな普通の方の気持ちに沿っていると思います.

そこいら辺で口角泡を飛ばしながら自分の知識をひけらかしてる割には結局葬式鉄しかやってないような方々とは全然違うのですね.
そんなことで,自分はこの夕刊フジの記事をかなり好感持って読ませていただきました.

常磐線の最後の103系のときも,(敢えてこんな言葉を使いましょう⇒)ひどかったですよね.
当時103系って大騒ぎしていた方のうちそれなりの人数の方々が,今になって(というか,廃車回送だけが目的の方にとっては3ヶ月ほど前まで)201系201系って騒いでいますが.
永尾さんの前にふらっと出てきてくれるのは,やはり今までにアレだけの201系の写真を撮ってくださった永尾さんへの挨拶みたいなものはあるんじゃないでしょうかね.

takuさん,いつも来る時間が変わるのは嬉しくもあり悲しくもあるのですが(あくまでアレと同等に扱われてるという点では正直嬉しい,その一方で決まった運用に来る訳ではないので探すのに苦労するのがちょっと悲しい),たしかに我々は昔試作車1本だった時にも乗りまくってましたからね.今1本,出場すれば2本いるというのは昔と同等以上なのですね.

最後の2本の引退時期が「未定」だからでしょうか,アレほど大騒ぎだったヲタスポット(例えば東京駅の下り側プラットフォーム)には,現在だ〜れもいないんですよ.
アレだけ大騒ぎしていた201系が,今日だって1本走っているというのに,
あんなに簡単にヲタできるスポットに,ケータイやコンデジすら持った方が,一人だっていやしねぇ.
葬式鉄というものの浅さを身に染みて知ることが出来るエピソードです.

ま,今残った2本が引退するって知らせが出た途端,状況は変わると思いますけどね.

すみません,愚痴が多くなってしまいました.
これからもどうかよろしくお願いいたします.
 
 
 
日常性を大切に (細井忠邦)
2008-07-29 14:18:05
イナ@ペン様 こんにちは。鉄道趣味は色々なかたちがあっていいと思います。ただし廃車回送にしてもさよなら運転にしても群がって罵声を飛ばすよう方々はいやだなあ、と思います。幸いマイナーな101、103を中心に撮っていたのでそういう目にはほとんど合っていませんが。いつかも書きましたが、飛行機(民間機)をやっている方々はみんな紳士的でやさしいと感じます。空港その他で会えば軽く会釈をして、場合によっては情報交換などもいたします。まあテッチャンとは絶対数が違うからかもしれませんが。何れにしたも大切なのは日常性だと思います。そういう意味からも今回の夕刊紙の記事は、節度があって一般の方の気持ちにそっていてイヤミがないと私は思います。
 
 
 
自分のやりたい事をやればいいんでしょうね (イナ@ペン)
2008-07-30 05:46:23
細井さん,おはようございます.引き続きコメント有難うございます.

>タイトル
我々も含めて,趣味で鉄に関わる人がいる訳ですが,趣味である限りは自分のやりたいようにすれば良いのだと思います.
ただ,「自分のやりたいように趣味をする」と,言うのは簡単ですが,一体どれだけの方がそういう風に出来てるか,そこが一つ問題なのでしょうね.
もし自分のやることに自信があれば自然周りのヲタにもそれなりの応対が出来るでしょう.細井さんがコメントでおっしゃった「紳士的」というのは,まさにそういうことだと思います.

以前電車区周辺で見ず知らずの方(どう見ても201系狙い)にそれなりに声かけたら完全無視されて,「あぁこんな人も世の中にいるのね」と寒い思いをしたことがある自分でございます.

別に「だから日本人は・・・アメリカでは・・・」なんて自虐するつもりもありませんで,アメリカにだってまともに挨拶できないヲタはいます.それでもなお,ここ(謎爆)米国で「あぁこんな人もいるのね」という気持ちには,あまりならないで済んでいる自分は幸せだろなと思います.
機関士さんに手も振ってもらえるし,たまたま近くにいたヲタに色々情報も貰えるし.

鉄道趣味というものは,もともと紳士的な趣味だと思っているのですが,今の世の中を見る限りでは必ずしもそうでもないなと痛感するのも事実です.

我々のようなヲタから見たらホント(以下略)な内容の記事なのでしょう,しかしその記事の置かれている場所,そして対象者を考えれば,(繰り返しになりますが)好感を持って見ることが出来る出しょう.
そのくらいの心の余裕は,ほしいですね.

これからもこんなホノボノとした記事があちこちで出てくることを願いたいですね.
引き続き,どうかよろしくお願いいたします.
 
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